4 木曜日。褒美という名の罠
――褒美
それは甘い罠
それがあるかないかで頑張り様が変わる者もいるだろう
はたして少年達はその甘い罠にかかるのか、かからないのか
少年達はカリカリしていた。
第三者が見てわかる程に、周囲にカリカリオーラがゆらゆら揺れている。勿論、カリカリというのは食べ応えのある音のカリカリではない。怒りからくるカリカリである。
とはいえ、カリカリしているメンバーは先日より情報収集にあたっていたメンバーに限られる。
それ以外の少年達は、ある者は見て見ぬ振りをして、ある者は自分に八つ当たりされないかとひやひや過ごしたり、ある者は面白そうに見守っていたりしていた。
カリカリしている理由は単純明確。
すなわち―――思うように事が進んでいないから、である。
「あー!! なんで誰一人として口を滑らしたりしないんだよ!!」
バンッ、と手前のテーブルを力いっぱい叩きながらリイチが怒鳴る。
テーブルを叩いた瞬間、当然ながらテーブルは大きく揺れた。
正面に座っていたリクはびくつきながら零れそうになったスープの入ったお椀を慌てて手にとろうとする。少し零れるだけで、お椀の中のスープの中身はぎりぎり無事だった。
右横に座っていたリョウはリイチの行動を予想していたようで、さも何でもなかったように叩く瞬間に自分の食事の乗っているお盆をひょいと持ち上げて衝撃を回避した。自分の事に精一杯で見る事は敵わなかったが、リクが見ていたらその鮮やかさに拍手を贈っていたことだろう。
「ったく、おもしろくないのにも程があるぜ」
リイチ同様に怒りモードでシュリンも言う。
テーブルを指でタンタンと叩き続けているこちらは、まだリイチのように爆発していないだけマシというべきか。
しかしながら、彼の横では既に八つ当たりをされて椅子から転げ落ちているナルミの姿がある。落ちたまま戻ってこないところを見るに、打ち所が悪かったのか目を回しているようで、そこに彼の怒りの大きさが見受けられる。
結果からみると、どっちもどっちというところだろう。
「……思ったよりも相手も手強いんだよね」
淡々と告げるのはルイ。
表面的には怒りは感じ取れないが、しかしながら彼の身に纏うオーラは冷たい。
絶対零度の怒りとでもいうべきか。
彼と目を合わせてはダメだとばかりに、傍ではカズキとエイジが顔を少し青褪めながら黙々と食事をとり続けている。いつもよりも少量を掬い取って機械的に口に入れている姿は、何とも同情を誘う。
「スカラップ先生達あたりだったら口を滑らせるかと思ったんだがな」
「確かに。そいつらが格好の標的だったからね」
シュリンの言葉に同意するリイチ。
仮にも相手は先生だというのに何と言う言い草かとツッコミをいれたかったがそれを思いとどまったのは、近くで会話に聞き耳を立てているレン。彼のその行動もまた賢明な判断であっただろう。口を挟もうものなら、怒りの矛先がこちらへと向きかねない。
先日の情報収集をしようと決めた日から早二日。
それなのに、リイチ達は全くもって手がかりとなる情報を入手することができないでいた。
情報収集先は当然ながら教師陣しかいない。過去問として入手できれば手っ取り早いのだが、この学園自体が新規の学園である為、教師陣が学生であった頃の過去問がここに残されているはずがない。あるとすれば、教師達が個別に所持している物となる。
手強い相手である学園長のレイ達からは初めから情報を入手できるとは期待していない。
狙い目、格好の標的とされたのはマヒロやキヨ達。
生徒達に対してフレンドリーでちょっと甘いところのある彼らならば、上手い具合に誘導すれば口を滑らすだろうと思われたのだが、これが全くうまくいかなかったのである。
それまでの会話がいかに上手く進んでいようものの、そのテスト内容の話になると皆が揃って口を閉ざした。
まるで、口にチャックをするかのように。
そして、皆が揃って口元といわずに顔全体に笑みを浮かべた。
これがまたリイチ達の苛立ちを拡大させていったのは言うまでもない。
大人な対応をしてくれる面倒見の良いソウジあたりも穴場かもしれないと思われたが、やはり飄々と会話が逸らされてしまうという結果に終わっている。ちなみにうっかり者のカリンに至っては、テストのテの字を出しただけで念仏のようなものを唱えられ、ガタガタブルブルと震えられてしまったので、彼女の心の安寧の為にそれ以上尋ねることは出来なかった。
そんなこんなで奮闘した五人――特にリイチ、シュリン、ルイの三人――は全戦全敗という結果に終わったのである。
「しかしそうまでして口を閉ざすようなテストってどんなのなんでしょう、コウ先輩?」
怒りの度合いの大きい三人ではなく、コウに対して尋ねるレン。既に視界にも姿を入れないようにしているあたり、巻き込まれない対策を徹底していた。
「俺にもさっぱり分からないな」
「笑っているあたりに何かあるって思えなくもないんですが…」
「確かにな。おもしろがるということは、そこに何かがあるということだろうし…」
「何なんでしょうねぇ…」
「何なんだろうなぁ…」
食後の一服のお茶を飲みながら、二人でまったりと考え込む。
そこに全くカリカリ感は存在せず、ふわりふわりとハテナが二人の周りに浮かんでいるような穏やかな思案空間ができあがっている。
ちなみに近くでは、奮闘した一人であるカナメの考察を聞くはめになったユヅキがげんなりとした表情で紅茶を飲んでいた。彼の心の言葉を代弁するならば、「逃げたい」の一言となる。
キョウも一緒にカナメの考察を聞くはめになっているのだが、如何せん、面白がっているキョウがちょっかいをかけるように口を挟む為に、カナメの考察が更に長引いてしまい終わらないのである。ユヅキにとっては迷惑でしかない。
余談だが、いつもならばカナメの考察を聞く相手はお人好しのリクなのだが、残念ながら今はリイチの傍にいるためにユヅキがその代わりになっていたという経緯がある。大人数で一つのテーブルを囲む場合、如何に席順が大切かを実感していることだろう。
そんなこんなで、わいのわいのといつも通り騒がしいお馴染みのメンバー。
周囲からは不思議そうな眼差しを向けられたり、メンバーの話題が古代魔法学のテストという事で嫌そうな眼差しを向けられたりしていた。
そこ、に。
ある一人の影が近づいたのに、初めは誰も気付かなかった。
「だいたいあの面白がってる様子が気に入らないんだよね」
「全くだな」
「しかも面白がってる対象が俺達だってのがさらに気にいらないね」
「あら、そうなの?」
「そうなの? ――って、当たり前に決まってるだろ!!」
ヒートアップしていくリイチの言葉に、とある声が自然に返される。
「ふふっ。でも面白いんだもの、仕方がないわ」
「それが気に入らないって言ってんだよ、レイ!! ………って…」
はたっ、と。
その場にいる全員の動きが一瞬にして止まった。
いや、正しくは全員ではない。
声の主である一人を除いて、というのが正しい。
「あら? どうかしたの、皆。そんな間の抜けた表情しちゃって」
しかも石像みたいに固まっているわよ。
そう言葉を続けて笑いながら。
硬直していないただ一人の人物――学園長であるレイ・シュリンプが、ふふふっと秀麗な笑みを浮かべながら笑った。
さらに―――間。
そしてその後で、
「なんでここに…っ!? っていうかいつの間に…!?」
全員のつっこみが綺麗なほどにはもった。
「いつの間に来て…いたんですか?」
素朴な疑問を口にするリク。
未だレイの登場に驚きを隠せないのか、どこかおどおどした口調になっているのが否めない。硬直から解けた後、とりあえず場を和ませる為か、周囲の一部のメンバーの苛立ちオーラを遮るようにして真っ先に口を開いたリクのその行為は、英雄そのものだった。
「いつだったかしら? 何だかみんなで揃って楽しそうに話しているから、邪魔するのも悪いかしらって思ってしばらくは黙っていることにしたの」
(――嘘だ)
と、レイの言葉に対してそう思ったのは、一人や二人ではなかっただろう。
確実にレイは会話を、少年達の話し合いを聞いて楽しんでいたのだと。
そういった確信が理由もなしに少年達にはあった。
が、当然ながら自分の身がかわいいのでそんな恐ろしい言葉は口にはしない。彼らは自分達と学園長の間にあるレベルの差を嫌という程理解していた。
「何故ここにいるんですか? 食事なら自室でとられていると思っていたんですが…」
続いてコウが問いかける。
教師はそのほとんどが自室で自炊をするか、お弁当をとって食堂を利用しないのが通常運転である。
コウらの担当教官であるユキの言葉を借りるならば――食事くらいゆっくりととりたいわ、ということである。
ゆっくりと、という部分には生徒達の面倒をみずに、という意味合いが含まれているのだろう。……とはいえ一緒に食事をとるならとるで、ユキの食事の用意をするのはコウだったりするので彼女の手間は省かれているのだが、それはあえてつっこまないでおくとする。
「たまにはいいでしょう? 食堂は、生徒は勿論のこと、私達教師も自由に利用していいことになっているもの」
「それは…そうですが……」
「だとしたら問題はないはずよね」
「……はぁ…」
にっこりと笑って言いくるめられて、コウは曖昧なまま口を閉ざす。
さすがに曲者揃いの少年達とはいえ、さらに上をいく曲者のレイに敵う人は存在しなかった。
しかしそれでも果敢にも立ち向かったのはリイチ。
他のメンバーとは違い、血縁者であるという理由もあって、彼は諦めようとはしなかった。
いや――、そうではない。
他のメンバー以上にレイという人物を知っていたからこそ、まだ尋ねていない事柄があることに気付いていた。
「――で、何の目的で来たわけ?」
「あら、食事をしにって行ったじゃない、私」
「どうせレイのことだから本当の目的は違うんだろ?」
「ダメよ、リイチ。私のことは学園では学園長、もしくは先生って呼ばなきゃ」
「別にいいだろ。授業中じゃないんだし。だいたいレイこそ俺のこと名前で呼んでるじゃないか」
「あら、確かにそうね。私ったら…」
「………」
相変わらず食えない笑みで微笑むレイ。
ほほほ、と笑うのが何ともわざとらしく、白々しすぎた。
対するリイチはじと目で彼女を見やる。言葉こそなかったが、その眼差しこそが、まさに目は口ほどに物を言うというものを体現していた。
「仕方ないから話してあげるわ」
「仕方なくなくても話すつもりだったんじゃないの?」
「それはそうに決まってるでしょ」
話さなきゃ何の為にここに来たのか分からないわ。
きっぱりとそう言いきるレイに。
(………決まってるんですか)
というツッコミを、少年達は心の中でしたのだった。
……くどいようだが、それを口に出すことはしなかったが。
もったいぶるように間をおいた後に、レイはようやく口を開く。
「頑張っている貴方達を励ますことになればいいと思ってね、ご褒美を用意することにしたの」
――褒美。
それは褒め称えて与える金品であったりする、褒賞をさす。
その言葉に単純に目を輝かせたのは、単純――良い言い方をすれば素直な少年達一部であり、残りの半数以上の少年に至っては胡乱気に目を細め、疑いの眼差しをレイへと向ける。冷静に問いかけたのは、たった今まで会話をしていたリイチだった。
「何に対して?」
「それは勿論、貴方達が頑張っている古代魔法学のよ」
「え…、でも古代魔法学の担当はユキさ…、じゃなくてユキ先生だからレイ先生が勝手に用意するわけにはいかないんじゃ……」
もっともな疑問を口にしたカズキ。
カズキが知る限り、ユキは面倒な事が嫌いな性格をしている。とても、わざわざ褒美を与えるような事をするとは考え難い。
だがそれに対しても、レイはにっこりと微笑んでみせた。
「ノープロブレムよ」
「……本当かよ」
すかさずツッコミをいれるシュリンに、レイは指を左右に、チッチッチッ、と振ってみせる。
「だって、ご褒美に関してはユキも了解してるもの」
「…レイ、それって本当なわけ?」
「こんなこと嘘言ってどうするのよ。本当に決まってるでしょう」
「へぇ…」
「ちなみにご褒美を与えるのは私じゃなくてユキ本人よ」
――ユキが了解している。
さらには褒美を与える人間がユキ本人であるという言葉に、少年達は過敏に反応した。
しかしその言葉に気をとられた少年達は知らない。
その反応を見て、レイがうっすらと口端に笑みを浮かべたことに。
「色々とご褒美の内容について考えてみたのだけど」
レイの一句一句を逃さないようにと耳をたてる少年達。
いつの間にか、少年達の顔は真顔になっていた。
「夏休み、ユキの家にご招待ってことにしようかと思うのよ」
その、爆弾発言ともいえるレイの言葉。
それは、少年達にとって何とも甘美なものだった。
甘美すぎて、それが危険な罠であることに気付かない。
――ユキの家。
少年達はその場所に一度だけであるが、レイに送られて足を踏み入れたことがある。
が、本当にそれっきりで。
必死になってその場所を確定しようとした経緯があるのだが、場所を確定することすらできないでいた。
それもそのはず。
ユキの家は他からの全ての干渉を避ける為に結界がはられた場所にあるのである。
そこに行くためにはユキ本人から直々にその許しを得ているか。
もしくは結界をはったユキよりも魔力が高くなければならない。
しかしながらそのどちらも少年達はパスしていなかった。
夏休みは長い。
その長い期間をそこで過ごせるということは、夢のような出来事だった。
ユキを慕っている少年達だからこそ。
「……それって本当なんですか?」
ルイが瞳に怪しい光を浮かべて尋ねる。
「ええ、本当よ」
実は勝手にレイが決めただけで、ユキの了解は得ていないのだということは口にしない。
彼女はそういう性格の持ち主だった。この場にユキ本人がいなくてよかったといったところだろう。もし居たら、「却下」と言われて嫌そうな表情をむけられていたに違いない。
「ご褒美の対象はどうなっているんですか?」
真剣に尋ねるのはコウ。
「勿論、『可』よりも上の成績をとった生徒よ。本当は『優』をとった生徒だけにしたいんだけど、大サービスで『良』も含めることにしてあげるわ」
「へぇ…、レイにしては太っ腹なんじゃないの?」
「たまにはね」
ふふふっ、とレイが笑う。
同じく一部の生徒も彼女と同じような笑みを浮かべた。
「それじゃあ、健闘を祈るわ」
そう言って、爽やかに転移移動でその場を立ち去るレイ。
「………あれ、レイ先生、食事とってないよね…?」
「………そういえばそうだな」
素朴な疑問を口にするリクに、思い出すようにして答えるリョウ。
食事を取りに来たと初めは言っていたレイだったが、彼女は結局食事をとらずに少年達に告げるだけ告げて去っていってしまった。
つまり、初めから伝えることだけが目的だったということで。
「これは意地でもいい成績とらないといけないってことだね」
「そうでしょ」
「そうなるな」
情報収集に奮闘した三人のメンバーを筆頭に、がっしりと、ある意味同盟のようなものが結ばれたのはいうまでもない。
そしてその後、少年達の口から褒美の内容を聞いたユキが「はぁ?」と、何だそれはとばかりの反応をして、慌ててレイのもとにとんだのは後の話である。




