3 水曜日。笑みを浮かべる傍観者
自分はこうだった
だからこそ自分は後輩の為にどうするか
……という行動を決める基準となるのは
その人の心のあり方一つというもので
彼らは揃いも揃って傍観者として笑みを浮かべることを選んだのである
「ユキさん、俺の所に貴女の受け持ちの生徒が来ましたよ」
と、ケイカがにやにやと面白そうに笑いながら私のもとを訪れた。
当然だが、私が彼を呼んだわけではない。
ケイカは授業が終わって早々に、わざわざ私の所に報告に来たのである。
くどいようだが、私が彼に報告を頼んだわけではない。
「…………」
無言、無表情でケイカを見返す私の様子は気にならないようで、オーバーリアクション振りに肩を竦めてみせて、ケイカは笑う。
「勿論、質問にはノーコメントで通しましたけどね」
そう言葉を続けて彼は去って行った。
「ユキさん、僕の所にあのことを聞きに来た生徒がいましたよ」
と、ネイトがにこやかに微笑みながら私のもとを訪れた。
当然だが、私が彼を呼んだわけではない。
ネイトもまた授業が終わって早々に、わざわざ私の所に報告に来たのである。
くどいようだが、私が彼に報告を頼んだわけではない。
「…………」
無言、無表情でネイトを見返す私の反応は彼の予想通りだったようで、ネイトは口元に手をもっていって苦笑を零す。
「当然、答えはしませんけどね」
そう言葉を続けて彼も去って行った。
「ユキさん、俺の所に質問しに来た奴がいたよ」
と、マヒロがニコニコと楽しそうに笑いながら私のもとを訪れた。
当然だが、私が彼を呼んだわけではない。
マヒロもまた授業を終えるなり、楽しさからか走ってわざわざ私の所に報告に来たのである。
くどいようだが、私が彼に報告を頼んだわけではない。
「…………」
無言、無表情の私の反応が面白くなかったのか、若干頬を膨らませて子どものようにわざと怒った振りをマヒロは見せる。
「答えはしなかったけどね!」
そう言葉を続けて彼もまた去って行った。
………――そう。
今日一日は、本当に教師の訪問者が後をたたなかった。
授業と授業の休み時間の度に誰か一人は最低でも私のもとを訪れた。
授業と授業の合間の休み時間など十分という短いものでしかない。
それなのに、だ。
わざわざ私のもとへと足を運んで彼らは訪れたのである。
しかも。
―――皆が皆、顔に笑みを浮かべて。
「…………全く、何を考えているのかしら」
ふうっと大きな溜息を零して。
私は差し出された紅茶をゆっくりと口にした。
「お味の方はどう?」
「まずまずね。でも私は前の時の紅茶が好みだわ」
「そう? それじゃあそちらをいれなおそうかしら?」
「ああ、別にいいわ。これはこれで美味しいから」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」
同室にいたレイと他愛のない会話を交わす。
レイは本棚の所で資料の出し入れをしていたようだったが、それが終了したのか、手に持っていた物を全て机の上へと置いてから私の傍へと来て、向かい合うようにソファに座った。
ここは学園長室。
今は私とレイの二人しかここにいない。
学園長室ともなれば、むやみやたらに誰かが入ってくることはあり得ない。まず、当然ながら学園長であるレイの許可がなければけして入ることはできない。
……だからこそ私はこの部屋を選んでここにいるのだけど。
今は昼休み。
生徒も教師も今は食堂等で昼食タイムといったところだろう。
「研究室には行かないの、ユキ?」
「昼休みだし別にいいでしょう? それに今日は水曜日だから午後からは補習の生徒がほとんどだもの。少年達に会うのはその後でも十分だわ」
「あらあら」
コロコロと鈴を転がすような声色でレイが笑う。
「そういうレイはどうなのよ?」
「私は担当教官ではあるものの学園長でもあるもの。やることがいっぱいだからここにいるのは仕方がないわよ」
「ものはいいようね」
「あら、信じてはくれないわけ?」
「だってレイ、貴方がさっき触っていた資料、どう見たって貴女の個人的な資料だったじゃない」
――そう。
少し離れた位置だったが私の目にはしっかりと見えていた。
先程彼女が持っていた資料に、彼女の字で『秘密ファイル』と書かれていたのを。
その中身までは見えなかったけれど、それはどう考えても学園長というトップシークレットの学園に関する資料ではないだろう。
資料を見ながら笑っていたのが決め手。
仕事の資料ならばレイは真剣な表情を浮かべる。
私にきっぱりと言い切られて、レイはきょとんとした目をこちらに向けた。
が、すぐに口元を吊り上げるようにいて笑みを浮かべて。
「さすがユキ、目聡いわね」
「たまたま視界に入っただけよ」
「本当に?」
「当たり前でしょう」
私は再び紅茶を飲み始める。
今度はテーブルの上にあったクッキーを食べるのも忘れない。
お腹が空くと思っていたが、それもそのはずで、今は昼休みで昼食の時間なのである。
ここのところ規則正しく三食とるようにしていたから、お腹の方が食事の時間になると反応してしまうのだろう。健康的で良いことである。
さて、お昼をどうしようか。
そう思っていた私だったが、
「そういえばお昼用に、おやっさんにお弁当を頼んでおいたのよ、私」
ちゃっかりと、どこからともなくレイがお弁当を取り出す。
――その数は、二人分。
そこから考えられるのは、私がここに避難しに来る事なんてお見通しだったということ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。用意がよくて嬉しいわ」
「ふふっ、どういたしまして」
「それで、手回しのいいレイはネイト達に昨日の話を既に話したってわけね」
私はお弁当を受け取ると早々にその蓋を開けて、ともに添えられていた割り箸をパチンッと割る。
さすがおやっさんということで、たかがお弁当ではなく、されどお弁当といった出来栄えがお弁当箱の中に広がっていた。色とりどりのおかずは勿論のこと、女性が食べやすいように一つ一つが小ぶりサイズに揃える心遣いまでされている。さらに言えば、私の好きそうな物が揃っているプラスアルファの心遣いが何とも嬉しい。
レイも私と同じように思ったようで、広げたお弁当を見て「さすがね」と呟いたのが聞こえた。
「当たり前よ。だってその方がおもしろいでしょ?」
「おもしろいって…。私の元教え子として、少年達の先輩としてアドバイスをしようとは思わないの?」
答えなど聞くまでもないのだが、とりあえず尋ねてみる。
「思うわけないじゃない」
と、簡潔に。
きっぱりとした声で。
レイは私の予想通りの答えを返した。
私は大きく息を吐き出す。
勿論、呆れ故に。
「……面白がっているのね、皆で」
「だって面白いもの」
教師の皆が皆、揃いも揃って私のもとを訪れた理由はそれしか考えられない。
笑みを浮かべていたあたりに、相当面白がっているのが窺える。
「だいたいあの子達だけにアドバイスを与えるなんて、フェアじゃないわ」
レイは少しだけ拗ねたような素振りを見せたが、それはわざとなのか、本心からつい出たものなのか怪しいところである。
確かに、と私は昔を思い出す。
過去、今の少年達と同じ境遇をレイ達も通ってきている。
そして言うならば、卒業した年がバラバラでアドバイスを受けられる人物もいたというのに、今と同じようにアドバイスを受けた人物は誰一人として存在しない。先人の誰もが今回のように面白がって見守っていた。
「そもそもユキこそ、アドバイスをするつもりなんてさらさらないんでしょう?」
「当然よ」
私が即答をすると、レイは満足そうに微笑む。
「ふふっ。それじゃあ私達が勝手にアドバイスをするなんてできないわよ」
「私は別に構わないわよ?」
「ユキは構わなくても私達は構うのよ。同じ道を歩むのなら、初めだって同じじゃないと面白みが半減ってものだもの」
「まあ……、好きにしたらいいわ」
「そうさせてもらうわ」
二人、その後も他愛もない会話をしながら昼食をとる。
話の内容は会話の流れから自然と昔話となり、レイ達が学生であった時の考査の話になった。年月でいえばかなり昔の事のはずなのに、鮮明に思い出す事ができるのは、私達の記憶の中でそれが印象深い出来事として残っているからなのだろう。
私はその頃のことを懐かしいと思いながら頭に思い浮かべ、今現在の少年達にその頃のレイ達の姿を重ねてみたりした。
――と、その時、
「そうだわ!」
パンッ、と。
突然、レイが両手を合わせて叩いてみせた。
大げさながらも何か良いこと――良いと断言できるかどうかは不明だが――を思いついた時に人が時々とる行動の一つである。
……また何か思いついたのかしら…?
レイのことだから、自分の楽しみをより楽しいものへとさせる為の何かに違いないという確信をもつ私。
――案の定。
「あの子達がより頑張れるようにご褒美を用意するのってどうかしら」
レイの企みはその通りのものだった。
私は若干呆れた表情を浮かべてレイを見つめる。
「……考査に褒美も何もないんじゃない?」
「でもあった方があの子達もより頑張れると思うのよ」
ニコニコと。
やけに楽しそうに笑う姿を見ると、よからぬ事を思いついたのではないかという憶測が生まれる。
「……一応聞くけど、その褒美を用意するのって誰かしら?」
「ユキに決まってるじゃない」
間髪おかずに答えるレイ。
そして私も即行で、
「却下」
と告げた。
たかだか考査。
そしてそういった考査を、私ははっきりいって面倒なものでしかないと考えている。
その私が、だ。
わざわざどうして褒美なんて物まで用意しなければならないというのか。
面倒なことが嫌いな私にとって、そのレイの考えは却下以外の何ものでもない。
「身もふたもないないわよ、ユキ」
「面倒なことを私がよしとするわけないでしょう」
だから諦めるのね。
そう言葉を続けてレイにその考えを捨てさせようとする私だったが。
「でも、絶対に褒美を与えることになるなんてないじゃない」
きっぱりと。
確信をもっているという意思をこめてレイは言い切った。
「ユキ、貴方のテストで初回に可以上をとった人は今までにいたかしら?」
「いないわね」
「それどころか初回じゃなくても優や良をとった人の数はどうだったかしら?」
「希少価値、絶滅危惧種並という数だったわね」
「…悔しいけれど、私の成績はどうだったかしら?」
「私の記憶が間違ってなければ、在学中の七年間で二十一回のテストを行ったけれど、学年末の成績を除けば不可でなかったのは一回だけだったはずよね」
「……そう、悔しいけれどそうだったのよ…」
本当にその時のことを思い出すと悔しくて仕方がないのだろう。
思わずレイは握る拳に力をこめている。
どことなく表情もひきつったものになっているような気がするのは、気のせいではないはずだ。
「そして私以外のユキの教え子の成績はどうだったかしら?」
「皆、レイと似たようなものだったわね」
「そう! そうなのよ…っ!!」
レイは、自分たちはこうだったと力説し始める。
それを右から左へと流すように聞きながら、私は自分の言葉を少しだけ後悔した。
……ああ、何だかレイの感情を奮起してしまったようだわ――と。
どうすれば目の前で熱くなっているレイを止めることができるのか。
私はそれを考えるものの、その問いに対する回答など一つしか浮かばない。
しかしその回答は、レイの思惑にまんまとのせられることとなってしまうのは言うまでもない。
このままレイの熱が冷めるのを待つか。
……いつになるか分からないわね…。
その回答を口にするか。
私がとるべき行動は二つに一つで。
結果など考えることなく初めから明らかなのだけれども。
「…………結局レイのいう事を聞くことになるのよね」
はぁっ、と大きな溜息を零して。
私はレイの肩を軽く二度ほど叩いてみせた。どうどう、と暴れ馬を落ち着かせるが如く。
「分かったからとりあえず落ち着きなさい、レイ」
そう言った刹那、がしっ、と握り締められる両手。
目の前にはレイの喜ぶ顔。
「ユキならそう言ってくれると思っていたわ!!」
褒美は何がいいかしら。
と、今にも踊り出しそうなほどハイテンションなレイを見ながら、私は本日何度目か分からなくなった溜息を零す。
「レイ、一つだけ言っておくわ」
「何かしら、ユキ?」
「褒美を与えるのはいいとしても、言葉は正しく使うことが条件よ」
「?」
「褒美を与えるのは『可以上』ではなく『可よりも上』、よ」
けしてあり得ないという理由から褒美を与えることを渋々了承したのだ。
『可』が褒美の域に入っているかいないかは重大なことである。
レイも私の言葉に「そうだったわね」と気付き、言葉を訂正する。
そして含み笑いを浮かべながら言った。
「これであの子達が『不可』をとる確率が高くなったわよね」
……それが狙いなのね、レイ…。
私はそう思ったが、それを口にすることはしなかった。




