11 平穏(?)な月曜日
おや、と思う今日この頃
何やら生徒達の私に対する反応が違ってきているような気がして
……もしかしなくてもレイの思惑にハマってる…?
ふとそんなことを考えたり
―――担当教官希望〆切まであと一週間
朝、目が覚めたらとても清々しかった。
こきこきっと首の音を鳴らす。
ぐるぐるっと肩から腕を回す。
ベッドから起き上がり、思いっきり背伸びをして体を伸ばす。
「体調ばっちりねー、これは」
昨日はあんなに苦しんでいたというのに。
ネイトの白魔法、そして明希人の調合した薬とぐっすりと休んだのが良かったのだろう。もう一つあげるならば、受けている加護の《力》といったところか。
とにかく体調が良い。体調を崩す前よりもかなり良くなっている。
「これが昨日だったら良かったのに……」
思わず溜息が零れるが後々悔やんでも仕方がない。
風邪をひいて折角の休日に寝込んでしまったのは事実で、今からどう悔やもうと昨日という日は返ってこないのだから。
ふと扉の方に視線を向けると、そこにソウジ・カンチが椅子に座りながら眠っていた。机のあたりから椅子を拝借したのだろう。外から誰も入れないようにするようにそこに陣取っている。
(看病してくれたのね…)
多分レイ達と話し合った結果、ソウジになったに違いない。それは間違いのない人選である。何故なら、騒がしいメンバーではきっと私は熟睡することはできない。よって、マヒロ達若手組は看病する人物から除外されることになる。ネイト達なら候補にも入ったかもしれないが、その辺りは若手組がわちゃわちゃごねたりするだろうし、おやっさんの次に最年長の彼が選ばれたのだろう。彼であれば、文句を言う相手はいない。
「……何だか迷惑かけちゃったわね」
苦笑が零れる。
その笑い声が聞こえたのか、ソウジが小さな身動きをする。
眠そうなままその瞳をゆっくりと開くソウジ。外見は既に青年であるが、その様子はあどけない。そこに遠い昔の彼が少年の時の面影がうっすらと残っているような気がしたが、記憶が遠すぎてはっきりと重ねることは難しい。まあ、寝起きなんて人間誰でも普段と違って幼さを醸し出すものだろう。
「おはよう、ソウジ」
彼を起こすようにして声を掛けた。
「――――っ、ユキさん!?」
弾かれたように彼は椅子から立ち上がって、私を見た。
大きく見開かれた目に私の姿が映る。
慌てたようにして私の傍へと近づいてきたかと思えば、額に手を当てて熱を確認し始めた。
「もう体の方は大丈夫なんですか?」
「ええ、もうすっかり。そんなヤワじゃないってことよね」
「ははっ、それだけ元気なら大丈夫でしょう。昨日は皆、気が気じゃなかったからなぁ…」
ソウジがほっとしたように胸を撫で下ろすのを見遣る。
……皆、と言ったが、やはり教師陣の中には私が風邪をひいて寝込んだという事実は広がってしまったのだろうと判断する。そんな事を広める必要はない気がするのに、何だかんだと仲の良い教師陣なのでその結束は固い。
「風邪なんかひいたのってホント久々よ。何年ぶりかしら?」
「うーん…、少なくとも教師辞めてからは病気になんかなってないでしょう?」
「…ああ、それじゃ、何百年振りってことになるのね。日記にでも書いておこうかしら、記念に」
「それもいいんじゃないですかね」
「そうすることにするわ」
私のことをよく知らない人が聞いたら、一体何を日記に書くんだと思うかもしれないけれど、長年ほのぼのと生きていると、これといった出来事もないから風邪をひくだけでも珍しいことだったりする。
一応日記は記録としてつけてはいるが、毎日変わりばえがあるわけでもなければ一言報告書のような日記ができあがり、面白味は一切ない。……とはいえ、この学園に赴任してからはちょこちょことかわった出来事があった為に、それを記録してはいるので最近の日記は一言以上になっているのだが。
「色々とありがとうね。あとで皆にもお礼言わなきゃ」
「いえ、少しでもユキさんのお役に立てればそれだけでいいですよ。何しろユキさんは俺達の…」
「『恩師』だから?」
「そうですね」
優しく細められるソウジの瞳に、私は小さく息を吐く。
「……ったく、そんな大層なものじゃないわよ」
「大層なものなんですよ、ユキさんは」
ただの、教え子と教師という関係であるはずなのに。
それを本当に大切なものだと思ってくれているのだろう。
ソウジは言葉に想いをこめるように、力強い口調で言い切った。
「…ま、別にいいわ。――で、折角だから朝食でも食べていく? お礼に何か作るわよ?」
「それじゃ、有り難く頂いておきますよ」
「それじゃ腕によりをかけてつくらないとね」
ふふふっと私は笑ってみせる。
ソウジも私に笑い返した。
心地よいやり取り。
こういった穏やかな朝も悪く、ない。
私は適当な上着を羽織ってその上からエプロンをつけると、部屋に取り付けてあるキッチンへと向かった。
「マーリン先生! き、昨日風邪をひいて寝込んでいたって本当なんですか……!?」
「あら、耳が早いわね」
おはよう、アルフォンシーノ少年。と私は片手を上げて挨拶をする。
あわあわと表情豊かに私を心配するリク・アルフォンシーノ少年と違い、私は通常運転の無表情、抑揚のない口調である。
「もう大丈夫なんですか…?」
「風邪くらいでへこたれるような可愛い人間じゃないのよね、私」
あっさりと言ってのける私とは裏腹に、アルフォンシーノ少年はあくまで真面目に私を心配しているようで、私本人が大丈夫だといっても通じない。
どこまでも心配そうにアルフォンシーノ少年は言う。……私の信用がないのか、彼が心配性なのかどちらだろうか。
「そうと知ってたらお見舞行ったのに…。僕、知ったの今朝の朝食の時で……」
……いや、お見舞来てもレイ達に追い出されていたと思うわ。
なんて思いながらもそんなことは口には出さない。それが親切ってものだろう。
「気にしなくてもいいわよ。別にもう大丈夫なんだから」
「でも……」
どこまでもどこまでも心配そうなアルフォンシーノ少年。
どうしたら彼の心配に終止符を打つことができるのか少し考えてしまう。
と、そこに他の声が加わった。
「あんた風邪ひいてたんだって?」
「あら、ハリバット少年。おはよう」
あくまでマイペースな私に、リイチ・ハリバット少年は少し呆れるものの「おはよう」と挨拶を返してきた。
「で、俺は風邪ひいてたの? って聞いてんだけど?」
「その通りよ。――で、誰から聞いたわけ?」
何故にこんなに広まっているのだろうか。
私に声を掛けたのはアルフォンシーノ少年が生徒の中では初めてだったのだが、今日塔の中を歩いている時にすれ違った生徒達も奇妙な目で私を見ていた。つまり、それはほぼ全員が私の風邪ひきを知っているということになるだろう。たかが一教師が風邪をひいただけだというのに、余程他の娯楽がないのか。はたまた少年達の好奇心が旺盛すぎるのか。
「若菜だよ。朝食の時にぽろっと零してね」
「なるほど」
零した、ということは口止めをされていたということか。
誰とは言うまでもなく、レイによってであろう。
朝食の時ということは、生徒の全員が同じ時間に食事をとっているのだから広まってしまってもおかしくはない。
……しかし
「…私なんかが風邪ひいたことが広まるなんて、少年達も暇人なのね」
自分が噂になっているのだが、思わずそう思ってしまった。
その言葉を聞いて、ハリバット少年が呆れた表情を浮かべる。
「暇人って…。あんたって変な奴だよな」
「まあ、一般の人の感覚とは違っているかもしれないわね」
「自分でも認めてるんだ?」
「認めるほどのことでもないじゃない」
けろりと私は言う。
その私の言葉に何を思ったのかは知らないけれど、ハリバット少年はその瞳に何やら怪しげな瞳を浮かべた。それは、レイが何かに興味をもった時の反応とよく似ている。
……嫌な予感がするわ。
そう思った私は、「それじゃ」と言うなりハリバット少年とアルフォンシーノ少年の前から即行で立ち去った。
逃げるが勝ち、というやつである。
その後、他に仲良し三人組やシーバス少年達他数名とすれ違った時に同じように大丈夫かと聞かれたが、私は淡々と「大丈夫」だと答えるだけ答えて彼らと別れた。
頭の中で、何故少年達は私に声を掛けようとするのかと疑問に思いながら。
この時、少年達が私に対して興味を持ち始めていることなど、私は全くもって想像もしていなかった。
生徒達が集まった場所は寮の談話室――所謂リビング――だった。
シュリンの「食堂では会話を聞かれる恐れがある」発言により、語らいの場所がこの場所となったわけである。
集まっているのは十人程。
只今の時間は本日の授業を終えた後の午後。自由時間に何をしていようと、教師に注意されることはない。
「絶対にマーリン先生は何かあると思うんだよね、俺」
口火をきったのはリイチで、淡々とした口調で告げる。
その言葉に集まっていたメンバーの半数以上が頷いた。
「前にも教師やってたって言ってたぜ。ここ数年の間の話じゃないと俺は思うな」
と、シュリンが先日のやり取りを思い浮かべながら顎に手を当てながら言葉を続ける。
「そういえばシェル先生がマーリン先生のことを『先生』と呼んでいたが……」
カリン・シェルはドジである。
いくらユキが自分のことを苗字で呼べと言っても、昔の名残が残っているのか後遺症なのか、咄嗟にでてくるのは「ユキ先生」という名前呼びだった。
それを、コウは聞き敏く耳にしていた。
「専門以外の魔法を使えるってのも気になるよね」
リイチも付け加えるようにして言う。
魔法使いというのは得意とする方面をもっているものである。学生の時にそれを中心に学び、他のはほとんど基礎しか学ばない。オールマイティな能力者を育てるのではなく、何かにずば抜けた能力者がいた方が良いという考え方が広がっている為だ。
マジカルガーデンの教師達もそれぞれ専門をもち、その専門を教えている。魔法学校を卒業しているのだから他の専門も一通りはできるものの、そこまでの能力はもっていない。それは過去に教師陣に確認済みの事実である。
――だが、ユキは違った。
古代魔法を専門としながら、他の精霊魔法なども何でもないかのように使っているのだ。大きな矛盾点が彼女には存在している。
「よく他の先生方がマーリン先生と話してるのを見かけますよね。…何だか懐いているような感じで」
レンが顎に手を当てて考え込むように言った。
「俺が観察したところ、スカラップ教師が一番そうしているのが多いという結果がでている。他の教師達もその節があるが、シェル教師に至ってはどこか恐怖を感じている様子だというのが否めない」
と、考察モードのカナメが。
彼は気になったことをとことん追求しなければ気が済まない性格をしている。暇人宜しく、統計をとるべく教師陣のやりとりを観察して結果を弾き出していた。
「そういや一年の奴が前に、バーナクルセンセが名前を呼んで授業中に駆け込んで来たっちゅーっとったわな」
どこでその情報を仕入れたのかは謎だがキョウが言う。
前に、というのはおそらくカリンのあの事件の時のことだろう。その時のことを思い出したコウ達三学年の生徒が、「ああ、あれか」と声を揃えて呟く。
「おやっさんとも仲いいんだよなー。何だかおやっさんもマーリンせんせーには他の教師とは違う接し方してるって感じだしー」
「ほぉ、バカッドにしちゃよく見てるじゃねーか」
「バカッドってなんですか、シュリン先輩ー!」
「そのまんまだろ」
からかうだけからかって全く相手にしないシュリンにナルミがつっかるものの、結果は目に見えているので誰もナルミに味方しようとは思わない。数分もせずに言葉だけで撃沈させられるのは明らかだった。
「……シュリンプ先生が」
「何、郭?」
今の今まで口を閉ざしていたルイが、そこでようやく口を挟んだ。
今まで沈黙し続けていたのに何か意味があったかのように。
「昨日の昼、頼まれて食事を運んだ時だけど、シュリンプ先生が名前で呼んでたね、そういえば」
その言葉に付け足すようにエイジも声を上げる。
「あ、そーいやそうだって! 何だかすっげー仲いいって感じだった」
そして、
「………マーリン先生も確か……名前で呼んでたぞ…?」
ぼそっと呟くようなカズキの言葉に、誰もがバッとカズキの方を見た。
いきなり全員の視線を向けられ、怯むカズキ。
今の彼は多数の肉食獣にターゲットロックオンされた獲物のようにしかみえない。
「な…、なんだよ……?」
びくついているのか、声に震えが入っている。
一番カズキの傍にいたルイが、カズキの肩を掴んだ。
カズキの体が恐怖からか、大きく震える。
その、黒目がちの細い目で見つめられ――睨まれているというのが正しいかもしれないが――、カズキは冷や汗を流した。
「カズキ、それ本当?」
「え…、お、おう…。あの時一番傍にいたのが俺だったから聞こえたんだよ。……確かに…名前で呼んでたぞ」
ユキが風邪でダウンした時、弱っていて声も小さかった為に最後の言葉はルイとエイジには聞こえていなかったらしい。カズキだけがしっかりと聞いていた。
「………」
沈黙。
室内は静まり返り、誰一人として言葉を発しない。
この場にいる誰もが頭の中で思考を巡らせていた。
――ユキが何者であるかということについて。
今のカズキの発言は、何か重要なヒントではないだろうかと皆は考えた。
結局、それから暫くの間話し合いは続いたものの、はっきりとした結論はでなかった。
が―――
「……もしかしたら、とんでもない人物なのかもしれないね…」
リイチが言ったその言葉に、再びその場にいた全員が頷いていた。
「え、明日?」
私の私室に遊びに来たレイが告げた言葉を信じたくなくて、思わず聞き返してしまった。
レイはゆっくりと紅茶を優雅に飲みながら頷く。
「そうなの。明日ね、魔法協会の人達が様子見に来るらしいのよ」
別に来なくてもいいのに。
言葉には続けなかったが、レイのその言葉に含まれていた裏の言葉を感じ取り、私は頷いていた。
魔法協会の人達。
私からしてみれば、腐った考えの持ち主の集団でしかないその存在は、一応立場でいえばお偉い人達に値する。
その人達が様子見に来る。―――その意味は一つしかないだろう。
「…それって私の様子を窺うってことでしょう?」
私が教師としてまた働いているのが気に入らないのだ、彼らにしてみれば。
それしか理由がない。
一応面目上は、新しくできた学園がどうなっているかを調査するということになっているものの、そんなのは上辺だけでしかないと直感的に思った。なぜならば、彼らにとっての『私』の存在は、目の上のたんこぶでしかないのだから。
「……でしょうね」
迷惑よ、と。レイは彼女にしては珍しく顔を顰める。
私はそんなレイを見て、苦笑してみせた。
「ま、仕方ないんじゃない。なんといっても私、厄介者だもの」
「そんなことないわよ。あいつらが分からずやなだけだわ」
レイも上の人達は良く思っていないようで、彼女の中に苛立ちがあるのが傍にいてよく分かる。
「……私、何があってもユキを辞めさせたりしないから」
強い決意を秘めて、レイは言いきる。彼女の意思は強かった。
正直、私は教師を続けることにあまり興味なんてない。今こうして教師をしているのもレイの強引さに負けたからに他ならないから。未練があれば、学園に入る前もずっと教師を続けていただろうから。気まぐれ、のようなものなのだ。今、私がここにいるという事は。
でも、それを口にはしなかった。
誰かに一生懸命になってもらえるというのは凄く幸せなことなのだと、私は長年の経験から身にしみて知っているのだ。それをぞんざいに返すというのは、失礼にも程があるというもの。
それに、レイのこういうところが嫌いではない。寧ろ好ましく思っている。
彼女は私の大切な教え子の一人なのだ。
「ムリはしないようにね」
彼女の苛立ちを宥めるように、私は無難な言葉を口にした。




