10 恨めしい休日
嬉し楽しい日曜日
本日休日とあれば
教師の仕事も当然なくて自由の身
………なのに素直に喜べないのが恨めしい…
日曜日というのは週で唯一の休日である。
当然ながら休日なので学校の授業はない。
教師はやるべき仕事が残っていればその仕事をやらなければいけなかったりするけど、生徒達は晴れて自由の身というものである。
学園の外への外出は許可をとらなければいけないので少々面倒で、しかも週の休みとなれば一日しかない為、外の世界に出かけたり家に戻る者はほとんどいない。大半の生徒は学園の敷地内で休日を満喫する。
学園の敷地内は広々としていて、本当に色々な場所がある。だから退屈しなくてすむのだ。
図書館などは休日でも利用できる。
森や泉などもあって自然がいっぱい学園内にあってゆっくりと寛げる。
広い敷地があり、スポーツをして楽しむこともできる。
ちょっとした買い物ならば売店でも十分間に合う。
そういうわけで学園内でも退屈せずに、大半の生徒は好き勝手に学園内で寛ぐというわけである。
さすがは休日というか、朝から学園は常以上に活気があった。
―――そんな中。
「…………なんでこうなるのよ…」
私は一人ぽつねんと呟きを漏らした。
いる場所は私室のベッドの上。
もこもこの羽根布団に包まって、体温計を睨みつける私。
体温計が指すのは、三十八度ちょっとの数。
くしゅんっ!
と先程から何度と繰り返されるくしゃみの後で、ぶるぶるっと肌寒さが襲いかかる。
寒い。
しかし熱い。
人間カイロのように体はぽかぽかと火照っているというのに、体の芯に寒さがあって震えて仕方がない。思考もうまく働かない。
完全に風邪の症状である。
「折角の休日なのに……」
久々に自宅に帰ろうかと思っていたのにこれではそうすることができない。それどころか、何をすることもできない。病人は大人しく安静にするのが無難というものだ。魔法で怪我を治すことはできるが、病気を完全に治すことはできない。下手に魔法を使おうものなら、体の抵抗力が弱くなってしまうという欠点もあるのでおすすめしない。
せめて平日だったら風邪を理由に教師の仕事を休めるから良かったのに、とかなり強く思ったのはいうまでもない。
くしゃんっ!
と、またまたくしゃみが零れる。
視界がぐらぐらする。
頭がぼーっとして何も考えることができそうにない。
「………だめだわ…」
折角今日の休日の過ごし方の予定をたてていたが、諦めるしかない。
渋々と諦めて、私は包まっていた布団をしっかりとベッドの上へと敷いてその中に入ると、大人しく目を閉じて眠ることにした。
本日の予定―――寝るべし、とにかく寝るべし。
そういうわけで、私はうんうんと熱にうなされながらも眠りへと誘われていった。
タイミングが悪かった。
ちょっと小腹が空いているかもしれないと思い、食堂に足を運んだのがいけなかった。
「あら。君達、今暇?」
食堂に入るなり、声を掛けられた。
聞き覚えのある声に、エイジ・モーレイとカズキ・マッカレルは硬直する。ルイ・フラウンダーだけが冷静なまま、その声の持ち主を見遣った。
「〈じょ…〉じゃなくてシュリンプ先生……」
咄嗟にあだ名を口にしそうになり、慌てて言い直すエイジ。
その顔は引きつっていた。
――嫌な人に会った。
まさにその顔はそれを物語っていた。
レイはにっこりと三人に向かって微笑む。その笑みはとても綺麗だったが、とても逆らい難いものを感じずにはいられない。
「どうかしたんですか、シュリンプ先生?」
蛇に睨まれた蛙の如く、動きを止めている二人を見かねてルイが尋ねる。
「ええ、ちょっと暇ならお願いしたいことがあって」
「お願いですか?」
「ええ、そうなの。実は今からこれをマーリン先生の所に届けようと思っていたんだけど、いきなり会議に呼ばれてしまって……。どうしようかと悩んでいたところだったの。貴方達がいてくれて助かったわ」
「ちょ…っ、まだ俺達、誰も手伝うなんて……っ」
既に決定済みとばかりのレイの言葉に、エイジが慌てて口を挟もうとし――
「むぐ…っ!?」
ルイによってその口を塞がれた。
横ではルイの行動の意味が理解できずにカズキが「は…?」という表情を浮かべている。
にっこりと微笑むレイに向かって、ルイは少し笑みを浮かべて答えた。
「分かりました。これをマーリン先生に届ければいいんですね」
「あら、引き受けてくれるのね。ありがとう」
わざとらしく「悪いわね」などというレイに、エイジは口を抑えられたまま何か文句を口にしようとしたが、ルイに口を塞がれたままでいるので、もがもがという意味不明の言葉にしか聞こえない。
「それじゃ、お願いね」
手にもっていたお盆をカズキに手渡すと、レイは早々と食堂から去って行った。
去り際に鼻歌を歌っていたのが聞こえたのは気のせいだったのか、気のせいでなかったのか。カズキは気のせいであってほしいと心の中で思った。
「むーむーむー」
「何言ってんの、エイジ? ちゃんと分かる言葉を話してよね」
「………ルイ。エイジが苦しんでる…」
口を抑えたままのルイ。
口を抑えられて呼吸が苦しくなってきているエイジ。その顔は異常なほどに赤い。どうやら口だけではなく鼻も一緒に抑えられてしまっているようだ。
カズキはエイジに同情の眼差しを向けながら、そっと助け舟をだした。
「あ、そういえば抑えてたんだったね。ごめん、エイジ」
ルイの手がエイジの口から離れる。
ぷはっと思い切り息を吸い込んで、何度も何度も呼吸をしてからエイジはルイに食いかかった。先程までの敵認識は去って行った教師であったはずなのに、今の彼の敵は目の前の友人に他ならない。
「何すんだよ、ルイ!! っていうか、なんで俺達がそんなの引き受けなきゃいけねーわけ!?」
不満ありありとばかりのエイジである。
楽しいはずの休日が、一気に楽しくなくなったと思っても仕方がない。強引に物事を進められたのも気に入らないが、渡してと言われた相手はエイジにとって気に入らない相手ということで余計に気に入らない。
「困っている人を見捨てるわけにはいかないでしょ」
「嘘だ!! ぜってーお前は裏がなきゃそんなん引き受けないだろーが!」
ルイは問答無用で嫌なことは嫌だときっぱりはっきりと断る性格をしている。それは長年友人を務めているエイジはよく知っている事実だった。当然カズキも然りである。
「カズキ! お前も黙ってないで何か反論しろよな!!」
「え、いや…、でももう頼まれたんだし仕方ないだろ…?」
「カーズーキー! なんでお前はそんなに押しに弱いんだ!! そんなんだからへたれなんていわれるんだよ!!」
「……へたれって言うなよ、おい…」
思わずエイジを睨みつけるカズキだったが、そんなカズキの視線を物ともせずにエイジが怒りのままに何やら意味不明な発狂をする。
「だいたい食べ物が欲しかったら自分で食べに来ればいいじゃん。なんで俺が〈ミス・眼鏡〉のトコに持ってかなきゃいけないわけ?」
「もしかしたら自分では食べにいけない状態かもしれないだろ?」
カズキがもっともらしい意見を述べる。
だがその意見をエイジは鼻で笑った。
「はっ。あの〈オールドミス・眼鏡〉が風邪でもひいて寝込んでるっつーのかよ。大体不感症みたいな奴がそんな人間っぽいとは俺は思わないって」
それを冷静に見つめていたルイだったが、ややあってエイジの肩をぽんぽんっと軽く叩いてみせた。
「エイジ、つべこべ言わずに一緒に来るよね?」
にっこりと。
ルイが朗らかな微笑みを浮かべるのは珍しい。
本当に喜んだ時に笑顔を見せた事があるものの、それ以外では表情の変化は乏しくクールで通っているルイである。
その微笑みは、背筋が通るものがあった。先程のレイの笑みに共通するものがそこにはあったに違いない。
ぞくりと寒くなった背筋に。
「………」
エイジはそれだけを繰り返すようにインプットされた人形のように、首をこくこくと上下させたのだった。
「………」
気がついたら、視界が真っ暗だった。
どうやらカーテンで外を遮断している為に光が入ってこないらしい。
ぱちぱちと瞬きを数回した後、今が何時であるかを時計で確認する。
只今の時刻、午後三時少し前。
「………昼か…」
むくりと布団から起き上がる。まだ頭がぐらぐらしているのか、視界が揺れる。だが大人しく寝ていたのが良かったのか、朝よりは幾分かましといえた。
近くにあった上着をはおり、私は閉ざされたままだったカーテンを開けた。
眩しいくらいの太陽の光が私に降り注ぐ。
これでもかというくらいの晴天。
いつもなら心も晴れ晴れするものだが、今の私にとっては憎いとしか思えなかった。
……こんな体調崩してる時に晴天ってのもムカツクわね…。
はっきりいって八つ当たり以外のなにものでもないのだが、そう思ってしまう。
やさぐれている心に思わず溜息を零し、私はのろのろとした動作で再びベッドへと戻ろうとし、喉の渇きを覚えた。
ぐうっと。
便乗するように鳴るお腹の音。
「……そういえば何も食べてない、今日…」
お腹も空くだろう、それは。
しかし何かを食べる為には調理をしなくてはいけない。自分でしないのならば食堂まで行かなければいけない。はっきりいって、今の私にはそれはかなり無理だ。
……マヒロあたりでも呼びつけようかしら。
強制転移でも使って。
物騒なことを考えたその時、扉をノックする音が私の耳に届いた。
風邪をひいていて調子がでないせいか、来訪者が扉のトコまで来たのにも全く気付かなかったようである。
「……相当まいってるのね、私ってば…」
情けない。
そもそも風邪をひいたのだって日頃の生活習慣が良くなかったからと、生活習慣が変わった為の疲れによるものにすぎない。
これに懲りたら今後はそれなりに生活習慣に気をつけるようにしなければいけないだろうと小さな決意を胸に抱いた。……あくまで小さいので実行されるかどうかは謎だけど。
再度ノックされる扉。
「はいはい、誰?」
レイ達ではない。彼女達ならその気配で分かるからだ。
知っているけれどあまりよく知らない気配。――つまり、来訪者は生徒ということ。
ベッドの傍に置いておいた眼鏡をはめる。
「フラウンダーです。シュリンプ先生に言われて食事を持って来ました」
――レイに?
彼女のことだから私が部屋から外に出てないのを気配で悟り、寝込んでいるのを知ったのだろう。しかし自身で持ってこない辺りに何か策があるような気がしなくもないが…。いや、それ以前に食事を持たされた少年はレイに脅されただろうというのが問題かもしれない。
扉の方まで行こうとしたが、足元がふらついてしっかりと歩けない。
部屋の真ん中にあるソファの上にぐてぇっと倒れ込んでしまう。
「ありがとう。鍵開いてるから入って来て」
「え、鍵かかってたじゃん」
フラウンダー少年とは別の声が聞こえる。
その声は、確かモーレイ少年のものである。
と、いうことはそこにマッカレル少年もいるということになろう。何と言っても仲良し三人組なのだから。三人揃っていない事の方が珍しい。
言われて自分が鍵を掛けていたことに気づいた私は、指をぱちんと鳴らして解除の魔法を使った。
「ほら、鍵かかってる……――ってうお…っ!?」
開かない開かないと、がちゃがちゃとノブを回し続けていたモーレイ少年は、いきなり扉の鍵が解除されたことで思い切り不安定なまま扉を開いてしまったようで。そのまま前のめりに倒れそうになり、何とか完全に倒れる一歩手前で免れた。おかしなポーズのまま停止している。
「……何やってるの、エイジ?」
「何って、見て分かるだろ!」
「分からないから聞いてるんでしょ」
「………ルイ。お前って酷い奴だよな…」
「ま…、まあまあエイジ、そんなやさぐれんなよ…っ! ほら、扉開いたんだし部屋に入れてもらおうぜ」
二人の間に走った奇妙な空気を感じ取り、マッカレル少年が慌てたように間に入る。
部屋に入ってきた三人は、すぐにソファの上で腐った死体と化している私の存在に気がついた。
眉を少しだけ吊り上げたのがフラウンダー少年。
げっと顔を歪めたのがモーレイ少年。
ぎょっと驚いたのがマッカレル少年。
辛うじて顔を上げていた私は、面白いほど違う三人の反応が面白く思えた。……それを口にだす体力も気力もなかったけれど。
「マーリン先生…! 大丈夫ですか…!?」
慌てて駆け寄ってきたマッカレル少年は、手に持って来たお盆をテーブルに置いて私の顔を覗き込む。
「あー、大丈夫だから近寄らないでくれる?」
「全然大丈夫じゃないように見えますけれど」
「……フラウンダー少年。これでも私の体なんだから私が一番分かっているつもりよ…」
淡々と私に言ってのけたフラウンダー少年に、私は力なく反論する。
と、その時
「うっそだろー。マジで風邪ひいてんのかよ! 〈オールドミス・眼鏡〉が!?」
モーレイ少年が信じられないとばかりに叫んだ。
「エイジ!」「おい、エイジ!!」
フラウンダー少年とマッカレル少年が同時に名前を呼ぶ。
が、遅かっただろう。それはしっかりと私の耳に聞こえていた。
「あ…」と口を抑えるモーレイ少年と、他二人の視線が私に向けられる。
私は、何も反応しなかった。
気にしてないのだからするまでもないというのと、その力がなかった為である。
聞かれてなかったと安心して胸を撫で下ろすモーレイ少年を視界の端で捕らえて、心の中で呟く。
……気付いてんに決まってんでしょうが。
甘い。甘すぎる。というか、単純すぎると言うべきか。安心しているのはモーレイ少年一人で、他の二人の少年は白けたような眼差しをモーレイ少年へと向けている。
「…食事持って来てくれてありがとう。ということで、用事終ったらもう帰っちゃってちょうだい」
「早々に追い払うなんて冷たいんですね、マーリン先生って」
「……こっちは病人なのよ」
「そうだぜ、ルイ! マーリン先生は病気なんだから迷惑かけるのはいけないって…っ」
「いやいや、カズキ。それは違うな」
「エイジ?」
「俺達はわざわざ時間を削ってまでこうして飯を届けに来てやったんだから、それなりの褒美はあるべきだろ」
何だか勝手な主張をし始めるモーレイ少年。
マッカレル少年が必死に否定するものの、フラウンダー少年がモーレイ少年側に立っている為に彼に勝ち目はないのは目に見えていた。
……だめだ、このままじゃ居座られる…。
思った。
強く思った。
働かない頭、動かない頭で強く思った。
――どうする?
「………」
はたっと頭の中に浮かんだのは一人の人物。
思いついたが即行。
私は力なくぼそぼそと詠唱を唱えた。
空間が歪む。
その歪みを感じ取り、モーレイ少年達が歪みの方へと視線を向ける。
「あら、…?」
耳に届いたのは、今の今まで部屋の中にはいなかった人物の声。
その声の主は、突然転移させられてこの場に現れたことにも驚くことなく笑顔を浮かべていた。
現状理解に苦しむ少年達の前で、私は最後の言葉を口にした。
「………レイ、お願いだから……静かに寝かせて…」
ちょうだい、と。
語尾は音にならなかった。
その言葉を最後に、ばたりとソファに倒れこむ私。
「マーリン先生――――ッ!!?」
慌てて駆け寄ったマッカレル少年が私の額に触れる。
そして、驚愕に目を見開く。
「おい、ヤバイって!」
焦った声を上げるマッカレル少年の手が冷たくて気持ちがいい。
つまり―――熱い。
これでもかというくらいに熱い。
朝よりも体温が上がってしまっていたようで。
それは、信じられないくらいのひどい熱だった。
………どうやら少年達とのやりとりの間に風邪が悪化してしまったらしい。
―――最悪…。
その場にいる少年達の声をフェーズアウトさせて意識をとばしながら、頭のどこかでそう思ったのだった。




