9、謝罪
水面下で駆け引きを行いつつ、表面上はにこやかに話す。その微妙な空気を感じ取ったのか、千早は首をかしげた。
「あの……」
「失礼いたしました。罪人の紋を持つ者たちは、中庭に集めております。ただ農場の者たちは国に仕える者たちではないため、別にしております。お会いになるのであれば、また別途場所を設けましょう」
「は……い?」
宰相の言葉に驚きを隠せない千早を立たせ誘導する。向かうのは中庭だ。朝から待機していた者たちは、今日千早と謁見出来るとは限らない旨を伝えていた。それでも自分達の処遇が決まるかもしれない場所の近くに待機することを望み、こうして待っていたのだ。
「先触れを」
王の命令を受け、宰相が近衛兵の一人に指示を出す。急ぎ足で去っていったから、ゆっくりと歩く千早が到着する頃には全ての準備が整っているであろう。
「疲れておるな。腕を」
王がふらつく千早に腕を差し出した。肘に手をかけて支えにしろと言う意味だったのだが、分からなかったらしい千早は一礼して拒否する。
王の善意を拒否した千早に非難の視線が向けられる。だが日本人の千早にとっては、何を言われているか分からなかったのだ。
(告。落ち人に対する悪意を検知)
普段以上に平坦な声で天から声が降る。
(告。神、オルフェストランスに連絡…………)
(大丈夫。でもどうしよう)
「やめよ。落ち人殿、名を聞かせてはくれまいか。私の名はミルトンだ」
「ちはや……ティハヤと申します」
「そうか、ティハヤ殿か。今後の生活については、何も心配はいらぬ。友も頼れる家族もおらぬだろうが、今後は私を親と思っては貰えまいか。なんの苦労もさせぬ。息子が仕出かした愚策の償いがしたい」
「陛下、それは王家よりも神の足元に侍る我われ神殿の役目かと思います。迷える子らの救済は私どもの本懐。
ティハヤ様の支えになることをお許し頂ければ幸いでございます。修道女たちも喜びましょう」
王がアピールを開始すると同時に、法王もまた千早に微笑み提案をする。先触れとして歩いていた宰相は振り替えって咳払いをした。
「陛下、猊下、どうかそれくらいで。ティハヤ様が困っておいでです。それに迷惑を言うのであれば、そもそも国軍の兵の為に被ったのです。国として責任をとるべきではございませんか?」
にこやかに笑いながらそう話す大人たちを見て、千早は変わった国だなぁと思っていた。日本では責任は押し付けあうものだった。
ごめんなさいが言えない人も多かったのに、この世界の人たちはとても素直なのだろう。もしくは神様の言葉だからかなと考えながら、疲労で揺れ始めた視界を必死に安定させる。
「到着いたしました。この先に紋を持つ者たちがおります」
千早がこれ以上は歩けないと訴えようと思っていた矢先、一行は両開きの扉の前で立ち止まった。宰相が兵士に合図をして扉を開けさせた。
「これは……」
「なんと……」
目の前に広がった光景に為政者たちは絶句している。
「整列して土下座……」
千早は端的に状況を呟いた。目の前に広がるのは、姿勢よく土下座する人の頭だ。先程の言葉を信じるなら百人以上が並んでいることになる。等間隔で並ぶその姿は整然としつつも、一種異様な雰囲気を醸し出していた。
「ティハヤ様の御前である」
宰相の声を受けてより一層深く頭を下げる人々の手の甲には、一様に罪人の紋が刻まれている。前の方にいる数人はローブ姿だったが、それ以外の者たちは薄い長袖に暗い色のズボン姿だった。
「凄い筋肉……」
盛り上がった背中や太い首などを見て、土下座のままで苦しくないのか心配になった千早は宰相を見つめる。
「何かお声を」
「……この姿勢は普通なんですか?」
驚きすぎて質問をポロリとこぼした千早に、先頭にいた男が姿勢を崩すことなく答える。
「これが落ち人様の祖国での、正式な謝罪とお教え頂きました。この度は、誠に申し訳ございません」
「…………顔を上げてください」
後頭部を見て話しても仕方ないと、千早は姿勢を戻すように頼んだつもりだった。だが言葉通り解釈した先頭の男は、姿勢はそのままで首だけを上げた。明らかに苦しい姿勢なのに、震えることもなく千早を見つめる。
二十歳前後の若い男だった。空気を含んだ金髪は柔らかく光を反射し、若葉のような瞳は疲労の色が見えたがそれでも十分に美しかった。
骨と皮ばかりに痩せた貧相な己の姿を思い出し、千早は居たたまれない気持ちになる。逃げ出したいが訴えかける瞳の青年に見つめられて、上手く足が動かなかった。そう言えばこの顔、何処かで見たことがあるようなと千早が思えば、宰相が王太子殿下でございますと小さな声で教えてくれた。
「……そうじゃなくて、上半身を持ち上げて? いえ、お立ちください?」
父親の前で息子を土下座させ続けるわけにはいかない。それ以上に外国人っぽい見た目の人たちが、日本の伝統文化方式で謝罪をする光景に違和感があった。
「…………失礼致します」
王太子が立ち上がると、後ろにいた者たちも順に立ち上がった。やはり体勢が辛かったものもいたのか、ふらついている者たちもいる。だがすぐに立て直して、直立不動の姿勢になった。
「落ち人様、改めて謝罪を。
誠に申し訳ございません」
今度はこの国の最上級の謝罪を示す姿勢で、王太子を始めとした前列の者たちが頭を下げる。後ろの者たちは微動だにしない。
両手を揃えて左胸を押さえる姿勢は、命じられればすぐにでも心臓を抉り出すと言う意味だった。まあ、それを千早が知るのはずいぶん先の話なのだが……。
「いえ……」
「我々はどう償えばいいのでしょうか。何かご希望はございますか?」
「希望?」
「出来ることなら、なんでも致します。
オルフェストランス様より、この後我々の命は落ち人様のモノだと言われております。もし私の命で償えるものならば、すぐにでもこの命を絶ちましょう」
「殿下!」
「ティハヤ様の前で声を荒げるなど無礼であろう! 控えよ! ロズウェル!!」
王太子のすぐ後ろに控えていた青年が、王太子を諌める。鋭い声に驚いて、視線を向ければ王に叱責されたロズウェルが膝をつくところだった。
「申し訳ございません。その者は英雄ロズウェル。……王太子殿下に次ぎ、貴女様のお力を盗んでいた罪人でございます」
筋骨隆々という表現がぴったり当てはまる青年は、静かに千早を見つめていた。薄いブラウンの短髪と日焼けした肌が健康的に輝いている。
「罪人、エリック。前へ」
ローブの一団から、青年が進み出る。王太子たちよりいくつか年上なのだろう。簡素だが落ち着いたローブを纏っていた。こちらは日光に当たらない生活をしていたのか全体的に色素が薄く青白い。千早に向けた顔には嫌悪の色が微かに滲み出ていた。
「こやつが魔術師エリック。貴女様を落とす術を行使し、力を盗む術を使った者です」
宰相は次々と罪状と名前を告げていく。宰相に罪状を告げられても頭ひとつ下げることなく、千早を値踏みする視線を向けていた。
エリックの研究を知りながら放置し、今回の事態を招き隠蔽のため千早を売り払った導師たち。更にはエリックを庇い、魔法院として研究成果を利用しようとしていた長。
エリックに召喚を唆した王太子側近。資金面でエリックを援助した親の貴族。召喚地となった砦にたまたま居合わせ、共犯兼エリックの実験台となった兵士たち。
「ティハヤ殿、お願いがある」
あまりの情報量の多さにフリーズしかけていた。だが状況は待ってはくれない。
「……何でしょうか」
「民に此度の落ち人様の話が広まってしまった。こうなれば国としても正式に裁かねばならない。お手から離れた所で罪状が定まることに、溜飲は下がらぬであろうが、どうか数人は国の裁きを受けさせてほしい」
「裁き?」
(告。死罪相当)
どんな刑罰があるのかと尋ねようとしたが、その前に天の声が降ってきた。
「ああ、大丈夫だ。貴女様を煩わせることはないと約束しよう」
反応した千早に王は頷き、裁きを受けさせたい人名を告げる。魔法院の長、二人の導師。王太子の側近及びその親。巻き込まれた砦にいた高位軍人数名。
魔法院の者たちは、自分達の名前が出たことに驚きを、目を見開いている。
「何故我々なのだ! 裁かれるならエリックだろう!!」
「陛下! 何故でございますか?!
私どもはただ王家への忠義の為に、王子様をお救いする術を試したのみ!! 何故それで?!」
抗議の声を黙殺して、王は千早に再度頼んだ。
「何でさっき最初に紹介された三人は……」
「罪が重すぎる。殺しては神の怒りに触れるだろう」
微妙に視線を逸らしながら、王は言い訳をするように答えた。エリックとロズウェルの二人については、神から直々に償いとして落ち人に仕えさせよと命令を受けた。だが元凶となった王太子については何の指示もない。
王とて人の子。親心として、人目に晒しての処刑を躊躇したのだ。そして王家として恥をさらすわけにはいかないという打算もあった。
「そう……ですか。でも、私は出来たら誰も死んでほしくない」
「ハッ?! 何を白々しい」
エリックが嘲るように話すと罪人の紋が輝き、雷撃を放つ。紫電を放ったエリックは地に倒れ伏した。
「……この罪人を拘束せよ。口もです」
冷たい視線でエリックを見た法王が、側近に指示を出した。素早く近付き、手足を縛り上げ、口にも詰め物をした上で縛る。
罪人の紋の効果を初めて見た千早は、驚きに固まっていた。
法王が気配を感じ視線を動かせば、静かに逃げ出そうとしている側近家族と、魔法院の者たちがいる。それらも同じく拘束して、千早に頭を下げた。
「ここは騒がしく、お心を乱されたのではありませんか? そろそろ中に戻り、話を続けましょう」
害虫を見る瞳で中庭を見渡した法王は、静かに千早を誘導しようと腕をのばす。頷きながら踵を返そうと力を込めたとき、ふと疑問が湧いた。
「兵士の人は拘束しないのですか」
兵士たちはこの騒ぎのなかであっても、誰一人として隊列を崩していなかった。武器こそ持っていないが同時に拘束もされていない。潔すぎるその態度に疑問を感じたのだ。
「不要です。あの者たちは既に覚悟を決めている」
「覚悟?」
「家の名誉を守り、部下たちを大逆罪で処刑させぬ代わりに裁判を受け入れます。全ては四年前に、王族の危機を招いた自分達の責任でございますので」
お慈悲に感謝致しますと、前列にいた数人が王に頭を下げる。それをみたロズウェルが、膝をついたまま拳を握りしめて訴える。
「落ち人様! どうかお慈悲を!!
この方々はただ我々に巻き込まれただけです。国守る兵として戦い、傷付き、そして癒されただけです。辺境の守りに欠かせぬ方々です。どうか、お慈悲を! お見逃しください!!」
「私からもお願い申し上げます。裁きならば、元凶である私が受けるべきでしょう。それを若かったからと、他の者に押し付けるつもりはありません」
「殿下! 貴方が今、死を選ばれたら誰がこの国を導くのですか! 弁えられてください」
処刑される予定の前列の兵が王太子を叱責する。それに賛同する声があちこちから起きた。
「…………なに、これ」
一番の被害者である自分をほったらかしにして熱く語り合う男たちの姿を見て、千早は呆れを隠しきれないでいた。