【おまけ】その後のその後
また夜がくる……。
その恐怖に震えながら、兵士たちは陰り行く太陽を恨みがましく見つめた。
早すぎる落ち人の死より半年を過ぎた頃、魔物の攻勢に変化が現れた。それまでは目についた生き物をただ襲うだけであった魔物が、明確な目標を定めたがごとく、この都市のみを執拗に狙ってきた。
魔物の目的は分かっている。厚い防壁と兵士たちに守られ、悲鳴すら聞こえぬ都市の奥で今日もまた平和に生きているであろう聖職者たちが狙いだ。
「信仰の最後の砦」
そう持て囃された栄華は既になく、逃げられる者たちは既に逃げ去った虚構の都。けれども逃げる術すら見つけられず、怯える民も少数ながら残っている。弱き者であればあるほどに、逃げ遅れる現実を前に、かつて栄華を極めた法都は分断の最中にあった。
「法王様……」
「枢機卿か、何事です」
薄闇が迫る室内に明かりはなく、祈りに膝を付いていた法王は顔も上げずに問いかけた。
「守備兵長よりの伝言でございます」
「聞きましょう」
「今日、明日中にも城壁は突破されます。どうか避難されてください。とのよし」
動揺もなく、凪いだ湖面のように淡々と伝えた枢機卿は深々と頭を下げる。
「どこへ逃げろと? 逃げ場などどこにもないでしょうに」
二人の老人は互いに憔悴の色の濃い顔を見合わせた。
「確か東の女王領に孫娘が嫁いでいたはずです。貴方は逃げ、信仰を守りなさい」
枢機卿に命じた法王は、また祈りの形へと戻る。
「倪下……どうか共に」
「私はこの都市と共に滅びましょう」
「何故でございますか」
「落ち人が死すればリソースが満ち、世界から魔物の脅威が消えると思っていました。だがティハヤが死してなお、魔物の脅威は消えず、それどころか執拗に我らの支配地域を狙ってくる。かの忌々しき魔神の配下たる獣なればこそ、この輝ける地を狙うのも分かります。
なればこそ、私は逃げるわけには行かぬでしょう。私こそが信仰。最後に残った光なのですから」
しん………と静まり返った室内に法王の決意に満ちた声が響く。
「法王様……、なれば私は東にて信仰の火を守り抜きます」
「今までの貴方の信仰に感謝を贈りましょう。無事な道行きを」
深々と頭を下げた枢機卿は立ち上がり小走りに去っていく。この都市にいては明日の朝を迎えることは難しい。家財は既にまとめ、準備万端整えた一団が東門前に待っている。
法王の威光と共に移動できればと考え、伝令役を買って出たが無駄な時間だったと後悔しつつ走り出す。
バタバタとその地位に相応しくない足音を発てて去っていく元側近に法王は呆れたように笑う。
「命と財の双方を惜しみ足掻く姿の醜悪なことよ」
「倪下」
壁の一角が開き、法王直属の部隊である審問官たちが現れた。普段は揃いの衣装を身に纏い仮面で顔を隠しているが、今は平民が着るような地味な服装をしている。下手な官吏よりも強力な権力を握る彼らは、法都の恐怖の象徴だ。
「準備は整いましたか」
「外に馬の準備が整いましてございます。恐れ多いことではございますが、私と同乗して頂きます」
「ご苦労。では行くか」
「しかし……本当にほとんどの財をこのまま残していかれるので」
きらびやかな室内を見回す審問官の一人は、そっと壁に掛けられた絵画に手を伸ばす。
「オルフェストランスの勝利。神界大戦を描いた国宝……」
「絵画はまた描かせればよい。財もまた同じです。最低限、嵩張らない物だけを……忘れましたか?」
咎める口調で諌められた審問官は恥じ入り頭を下げる。
「今は無事にこの地より去ることが第一です。何より魔物に金銀財宝などわかるものではありません。体勢を立て直したのち、奪還すればよいだけのこと」
「しかし倪下、では何故枢機卿様を行かせたのです。東に向かうとはいえ、あれほどの集団です。魔物が気がつかないはずがない」
「だからこそです。彼にはせいぜい目立ち魔物を引き寄せて貰いましょう。その間に静かに速やかに我々はマチュロスを目指します」
魔物による襲撃に苦しむこの世界において、唯一安定している落ち人の地。ティハヤがこの世から去ると同時に幾つかの建物は消失したとも伝えられており、今後のことはわからない。
だが現状で最も安全な土地は確実にマチュロスであった。
法王にのみ袖を通すことを赦された法衣を脱ぎ、簡素な上着をまとう。隠し通路は薄暗く狭い。わざと灯りを付けずに待った甲斐があったと、先触れの後に続き法王は足を進めた。
東門の前には人だかりが出来ている。枢機卿の紋章入りの荷馬が隊列をなし、同じ紋を掲げた馬車が中央に鎮座している。
「門を開けよ!」
「危険です。どうかお止まりを」
何度となく繰り返されたやり取りに痺れを切らした枢機卿配下の兵士が門を抉じ開けた。走り出す馬列の間をすり抜けるように、逃げ遅れていた市民たちも三々五々宵闇に消えていく。
「待て! 外は危険だ!!」
「ここにいたって魔物に食い殺されるだけだ!」
「明日の朝まで持たないから枢機卿だって逃げ出してるんだろう!!」
両手で押されてバランスを崩した兵士を市民たちは踏み潰し走り去る。何とか秩序を取り戻そうとする守備兵たちだったが、ひとり、またひとりと人波に紛れ込み都市を離れる。
「魔物だ! 門を、門を閉めろ!!」
「まって!! 戻るわっ!!」
切り開かれた城壁の周囲に魔物の赤い瞳が現れた。それに気がついた人々が慌てて門を閉めようと動き出す。門から出たばかりの人々は逃走を諦めて法都へ戻ろうと殺到した。
無理に戻る人々を挟みながら、それでも門は閉まりつづける。早めに諦めて門から離れた市民は無事であったが、無理をし飛び込んだ民は無事では済まなかった。
東門に悲鳴が響く。漂う濃い血臭に興奮したのか、隠れて瞳を輝かせるだけであった魔物が姿を現した。
狼と牛を混ぜたような見た目の魔物だ。群れで襲うことの多いこの魔物の尾は、蠍のような毒針を持つ。
グルル……。
低く唸り、飛び出そうとする比較的小さな個体を牽制している。大きな魔物が三匹、それに従う小物たち。毎晩のように襲ってきた魔物の襲来に、東門に緊張が走った。
魔物たちが一斉に伏せ背後を見る。
東門の守備兵の中に絶望の悲鳴が溢れた。
「ヌシだ……」
複眼の魔物がそこにいた。蜘蛛のような八つの瞳。鋼を束にしたような鬣。鉤爪は鱗に覆われ背には一対の翼を背負う。長い尾の先には刺が生え、振り抜けばどんな鈍器よりも重い一撃となるだろう。
禍つ竜と名付けられたそれは、最近表れた個体だった。妙に知恵が回り、人の作戦の裏を掻くようなそれは、まるで軍事訓練を受けたことがあるようだとも囁かれていた。
長い首を振り、ヌシが三匹の大個体に指示を出す。嬉々として従った魔物たちは左右に分かれて門を目指す。
「……ブレスだ!!」
両手足を踏ん張り、空中に向けて大きく口を開いたヌシを見た兵士が警告を発しつつ、地面に伏せる。
ゴウゥゥゥと何かが駆け抜ける音のあと、その衝撃は来た。地面に伏せていたはずにも関わらず体が宙に浮き、近くの壁へと叩きつけられる。
呻き声を上げつつ、何とか周囲を見回せば、東門は綺麗に消えていた。
殺意に瞳を輝かせ走り寄る魔物たちの後ろで、悠然と空へと飛び上がるヌシの姿が見える。
「くそっ……俺達が何をしたと」
それが守備兵の口にした最後の言葉となった。
東門の喧騒は隠し通路を出て西へと逃げる法王の耳にも届いていた。だが一瞥すらも与えずに馬を走らせ続ける。
既にかの都市には別れを告げたつもりなのだろう。長く自身の栄華のために存在していた全てを法王は躊躇いもなく捨て去っていた。
ヒヒィィィィン!!
突如馬たちが暴れだす。恐慌に陥ったかのような暴れぶりに、乗馬に馴れていない法王が耐えられるはずもない。
落馬する法王を庇い下敷きになった審問官が低く呻く中、羽音が降ってきた。
シュ……。
馬を宥め、無言で武器を抜く審問官たちを囲うように三つの影が落ちてくる。
ドンっと突き上げるような衝撃にたたらを踏む法王の前に、さらに何かが投げ捨てられた。
戦うしかないと判断した審問官たちが明かりをつけ、周囲を照らした。
「何てことだ」
「……ぅ」
呟きを表に出せたものはまだ胆がすわっているのだろう。ほとんどのものたちが震えながら、目の前に現れた魔物を見つめている。
「禍つ竜。しかも三頭もか」
相手を刺激しないようにと小声で呟た審問官は逃げ道を探しじりじりと動いた。
グル……。
牽制するように唸る竜から、投げ捨てられた物へと視線を動かす。
「枢機卿閣下っ」
顔だけは傷つけられずに運ばれたソレは既に人の形をしていなかった。油断すれば噎せかえる悪臭に眉を寄せつつ、審問官たちは法王を中心にひとまとまりとなった。
「この上は戦うしかありません」
「しかし勝てますか」
「血路を開くしかあるまい。どこを狙う?」
小声で交わされる会話を聞くように三頭の竜は佇んでいる。
「…………グル」
まるで相談は終わったかとでも問いかけるように首を伸ばした正面の竜に、ランプを投げつける。牽制にでもなれば良いと、枢機卿の血に汚れ、一番好戦的であろう相手を狙った。
「うわっ」
予想していたように宙にあるランプを尾で叩き返してきた。絶妙な力加減で打ち返したのか途中で割れることなく、審問官の足下で地面に激突する。
漏れた油に火がつき、周囲を明るく照らした。
それを合図にしたかのように、三方からの攻撃を受けて、審問官たちは次々と殺されていった。だが竜たちは決して人を食べようともせず、必要以上に痛め付けることもない。ただ淡々と処刑人のように始末していく姿に怯えた一人が逃げ出したのを皮切りに、残り少ない審問官たちは一斉に逃げ出した。
「待て!」
当然のことながら誰も法王に目もくれず、守ろうともしない。慌てて自分も逃げようとし足が絡んで無様に転んだ法王へと興味を持つものもいなかった。
「ぐえ」
前足で踏みつけられて空気が漏れた。竜の顔が近づき、枢機卿のものだと思われる血が顔面に滴り落ちる。
「グル……」
「グルル」
残り二匹が宙に浮かび、審問官が逃げ去った方へと向けてブレスでひと薙ぎした。瞬時に灰になった周囲からは、燃えかすが風にのりたなびく。
ゆっくりと歩いてきた残りの二匹も、法王に接触するほどに顔を寄せる。
「何をしている。殺すなら殺すがよい」
顔面蒼白となりつつも気丈に話す法王へ、竜は視線を合わせた。
「………………」
ジッと見つめ会う両者だったが、焦れた2頭が法王の片腕と両足を軽く噛んだ。竜としての軽くだ。即座に牙は皮膚を突き破り、法王の身は血に染まる。
「ぐ……ああ!! 放せ!」
残った一本の腕を振り回し、何とか拘束を解こうとする法王に声がかけられる。
「憐れなものだ。民を見捨て、信者を見捨て、最後に残った護衛にも見捨てられる」
流暢に語られる男の声に釣られるように、視線を動かせばいつからいたのか、一人の男が立っていた。
「誰だ!」
「分からぬか。ならばそなたはその程度の器と言うことだ」
そう言いながら明かりの元へと歩いてきた男を見て、法王は怪我も忘れて激昂した。
「そなたは魔神ルト!! 我が身を殺すために来たか!!!!」
「愚かな……。そなたなどどうでもよい。だがこのモノたちがどうしてもと懇願するゆえ来たまでだ」
視線で三頭の竜を示した魔神は、法王を見下ろす。
「落ち人が生きた十年。ずいぶんと傲慢な要求を繰り返していたそうだな」
そう言いながら魔神はゆっくりと最後に残った腕を踏みつけた。
「マチュロスの明け渡し。千早の婚礼。罪人兵士たちの引き渡し」
グリグリと人の身が壊れないギリギリの力で踏みにじりつつ、法王の罪を数え上げる。
「輿入れ先は当時勇者と呼ばれていたモノの下級娼婦だったか……」
「違う! 勇者の第八夫人だ!!」
「同じことだろう。それも王都で落ち人の世話をしていた修道女を人質にとり、迫ったのだろう」
魔神の怒りに当てられた法王は、白目を向き泡を吹く。目覚めさせる為に少し強目に二頭の竜が噛めば、悲鳴を上げて飛び起きる。
「晩年、ティハヤの見舞いにと遣わされた修道女たちが持ってきた品には毒が含まれていた……。そなたは本当に救いようがない。
それでもそなたを信じ、付いてきた民を見棄てるとは」
ちらりと中央の竜を見上げて魔神は頷く。それと同時に三頭の竜たちが顎に力を入れ、食いちぎった。
「このような穢れた魂を循環させては世界が汚れる。これは私が預かろう」
バラバラになった法王からリソースを回収した魔神は、これで楽になれると思うなと低く凄んだ。
「…………ゆけ。そなたらの贖罪は始まったばかりだ。世界の三割はリソースへと戻す必要がある」
憎々しげに法王を見つめていた三頭の竜を追い払うように腕を振ると魔神は溶けるように消えていった。
グル……。
グルル。
唸りながらバラバラになった肉塊を更に踏みつけていた竜たちも、血濡れた体のまま空へと浮かび上がる。
目指すは法都。
魔神の慈悲により誰をリソースへと戻すかという選択の自由は得た。
魔物としての本能に引き摺られながらも、元罪人たちは己の矜持と復讐。そして仕えた主の望み……マチュロスを守るために最善を尽くしていた。
長い間のお付き合いありがとうございました!
これにて全編終了です。
気になる読者様もいるかもしれないので、一応ですが蛇足です。
竜になったのはイスファン(中央)、ナシゴレン(右)、ロズウェル(左)でした。
この後非常に頑張って罪人兵士+α分償った三匹はちょっとだけお兄ちゃん(魔神ルト)から転生ボーナス貰い、キレイさっぱり記憶を消されて次の生へと進みました。
次は今回みたいな不運にも合わず、人生全うしたようです。
本当に長い間のありがとうございました。
なろう色は程々に、シリアス色強めのお話でしたが楽しんで頂けたなら幸いです。感想、下の星などで、評価を聞かせて貰えると嬉しいです。(殴るときはやさしめでお願いします)
8月くらいから新連載、前作の続きを始める予定です。今回の重かったのでかなりライトなノリの作品になる予定です。
またなろうの海の何処かで拙作を見かけたら、是非お付き合い下さいませ。
皆様、本当にありがとうございました。
2020.7.5 立木るでゆん