77、戦場 ー夜明けー
領主館へと案内された千早は、慌ただしく働く人々の間を縫うようにして奥へと案内された。
こっそり隠されるように作られた裏庭に案内されると、そこには見知った犬たちと山羊たちがいた。
「ティハヤ! なんでこんなとこにいるんだよ!!」
裏庭に面した部屋の中から飛び出してきたベヘムが千早の顔を見て駆け寄ってきた。無事を喜ぶ千早の姿を確認した執事が、領主への報告のために館の中へと入っていく。
「みんな無事で良かった」
「ティハヤのお陰だ」
「私の?」
「俺からティハヤの気配がするって、聖女様の中の人が助けてくれたんだ」
「……なかのひと」
いきなり話し出したベヘムを、千早は怪訝な表情を隠そうともせず見つめる。
「そうだよ! 聖女アリスっていったかな。聖女様の中の人がティハヤが泣くから助けてやるって、俺たちを逃がしてくれたんだ。そうじゃなかったら、森に入っていた仲間たちや東の兵士さんたちのように死んでた」
「そう、なんだ。それでアリスちゃんはどこにいるの? 寝てる? お礼言わないと」
「聖女様は撤退戦以来、目を覚まさないんだ。その前から眠っている時間が増えてたってロズウェルが話してた。おそらく沢山力を使ったから疲れたんだろうって話してた」
あっちの部屋で寝てるよと、ベヘムの部屋とは反対側の豪華な装飾が施された窓の部屋を指差す。
「行ってみても……ぁ」
アリスの部屋へと向かおうとした千早が、小さく声を上げて立ち尽くす。
「ティハヤ、どうした?」
「……なんでもないよ。大丈夫。ちょっと目眩がしただけ。疲れたのかな?」
月明かりでも分かるほど顔色を蒼白に変えた千早を、エリックが抱き上げる。
「な、なにするの」
「暴れるな。筋肉バカのやつらと違って落とすぞ」
一瞬だけ千早を見たエリックが、待機していた領主館の使用人に休める部屋への案内を頼む。
「リソースが一気に抜けた。眩暈はそのせいだ」
「もう落ち着いたよ。大丈夫」
「そんな気になっているだけだ。今もまだお前の体からはリソースが抜けている。大物の討伐に入ったんだろう。これから更に酷くなる。寝ていろ」
「ティハヤ? エリック? 何を言ってるんだよ」
「下ろして。大丈夫だから」
暴れる千早に手を焼いていると、戻ってきた執事に領主との謁見を求められた。千早の部屋はその後にしか案内できないと答えられて、エリックは苛立ちも隠さずに舌打ちする。
「…………面倒だ。おい」
「な、なんだよ」
今まで何を問いかけられても無視しを続けていたエリックから問いかけられて、ベヘムは驚いている。
「お前の部屋は何処だ?」
「なんで」
「ティハヤを休ませる」
「だから、大丈夫だっ…………て」
話している途中で突然意識を失い、全身からだらりと力が抜ける。落としかけた千早を慌てて抱え直しつつ、エリックはベヘムの部屋を再度聞いた。気絶した千早を確認し、慌てて自分の部屋に案内するベヘムを使用人の一人がとめる。
「ティハヤ様の眠りを妨げる気か?」
さすがに怒りを堪えきれなくなったエリックが一段低い声で問いかける。それと同時に意図的に漏らした魔力が紫電を放つ。
真っ青な顔色のまま首を振る使用人たちの間を、エリックたちは足早に通り抜けた。
――――夜明け。
それは人々にとっての希望の光に他ならない。宵闇というアドバンテージを失った魔物たちは、三々五々に森へとかえっていった。一匹でも多く狩る為にと深追いする体力すら残っていない兵士たちは、座り込みながらその背を見送っている。
「はは……生きてる」
「朝だ……」
「勝ったぞ」
「やったぁぁぁぁ!! 生き残った!!」
喜びを爆発させる一般兵の中、ロズウェルたちは鉛のように重い身体を無理やり動かし、領主館へと帰還を急いでいた。
「ティハヤ様はご無事であろうか」
「我々が不甲斐ないばかりに」
「きっと昨夜は辛い思いをさせてしまった」
腕を噛み千切られたはずだったが、瞬時に生えた兵士が悔しそうに話す。それに同意する兵士たちのほとんどが死に至るほどの怪我を昨夜一晩で負っていた。
だが千早からのリソースの提供を受けた体は、死を拒絶するどころか怪我すらなきものとした。治癒魔法を受ける間もなく治っていく身体を見て、全員が千早の体調を心配していた。
部下たちの無駄口を咎める時間すら惜しみながら、イスファンが馬を駆る。それに続くロズウェルは全身を魔物の血で染めていた。
「ティハヤ様……」
罪人として表門から入ることを拒絶されたイスファンたちに習い、ロズウェルもまた裏にある通用門をくぐる。通用門から山羊たちを放している裏庭まではすぐだ。下手に使用人たちに聞くよりも、ベヘムに問うのが手っ取り早いと判断したロズウェルが足早に向かう。
「ロズウェル! イスファン隊長!!」
裏庭には既にベヘムが待っていた。一晩中起きていたのか、いつもより青白い顔色が気になりつつも、それ以上に重要な事を問いかける。
「ティハヤ様は?」
「俺の部屋で寝てる」
「何故だ? 領主殿はティハヤ様に部屋を提供しなかったのか?」
「ティハヤが領主様に会う前に寝ちまって、それで急遽、俺の部屋に寝せたんだ。夜の間、ずっとエリックと俺がついていた」
「そうか、苦労を掛けたな」
「当然のことだよ。それと聖女様だけどまだ目を覚まさないままだ」
飾り窓を指差しつつ報告する。
「聖女アリスか。そろそろ限界なのだろう」
「限界?」
「人が宿すにしては大きすぎる力だと言うことだ。それよりもティハヤ様だ。お目通りを願わなくては」
土と血で汚れた身なりながらも、出来るだけと身なりを整えたロズウェルとイスファンが千早の眠る部屋へと向かう。その他の部下たちは、この裏庭で待機するよう命じられた。
「…………英雄ロズウェル、それとイスファン殿、領主様がおよびでございます」
屋敷の奥から現れた家令が、ロズウェルたちを呼び止める。
「ティハヤ様のお顔を拝見したら参ります」
「お待ちを。領主様はすぐにもと申されております。今夜にも再開されるであろう魔物への対処を協議したいとのお言葉です」
「ティハヤ様が優先です」
「誰のおかげでこの地に滞在できているかお分かりですか」
「当然分かっております」
「ティハヤ様のお慈悲でこの世界は存続している。ゆえに我らの最優先はティハヤ様だ。
領主殿にはその旨お伝え願いましょう。なに、お顔を拝見したらすぐにも向かいます」
怒りに顔色を変える家令へと背を向けてイスファンたちは千早の部屋へと向かう。
「来たか」
「ティハヤ様は?」
「寝ている」
狭い室内だ。指差されるまでもなく、仰向けに寝かされている千早は視界に入っていた。死人のごとく艶のない土気色の顔色に細い呼吸。明らかに戦っていたロズウェルたちよりも千早の方が重症だった。
「お怪我を?」
「違う。リソースが足らなくなって本来己の持つリソースまでも捧げた。だから今は眠っているだけだ。落ち着いたら起きるだろう。あの聖女と一緒だ」
「聖女、アリスか?」
「神を降ろすのに己のリソースを消耗した。ティハヤのように他所からの補給があるわけではない。長くはもたんだろうな」
「ティハヤ様にリソースの供給が? いやその前に聖女は死ぬのか?」
問いかけるイスファンを面倒そうに見たエリックは、ぞんざいに頷いた。
「ティハヤならば夕方までには目覚めるだろう。目覚めたら知らせる。それまで休んだらどうだ?」
「そうだな……。兵たちは休ませよう。俺は領主の相手をして来る。ロズウェル、どうする?」
「私は」
千早の顔を見つめたままロズウェルは悩んでいる。
「エリック、お前も徹夜だろう。少し仮眠をとれ。その間の護衛はロズウェルに任せる」
「しかしそれでは」
「領主の相手は任せろ。大丈夫だ」
ロズウェルの肩をひとつ叩くとイスファンは外へと出ていった。扉越しに部下たちに休息を指示している声が聞こえる。
「ティハヤ様……」
土気色の頬に腕を伸ばしたロズウェルは悔恨の表情を浮かべている。
「ティハヤがお前たちを救うことを望んだ。そう自分を責めるな」
「しかし、俺がもう少し強ければ」
「英雄殿はいま以上に人の枠を外れる気か? 今でもお前は人類最強の騎士と言われるほど強い」
「だがもっと俺が強ければ、ティハヤ様にこのような負担をかけることはなかった」
頬を触る寸前でグッと握りしめられた拳は震えていた。
「まあ、そうだな。お前たちが怪我をしなければ、ティハヤもここまで消耗しなかった。だが過ぎたことだ」
少し休むと言ったエリックは、千早の枕元にある椅子から立ち上がる。
「何か変化があったら知らせろ」
そう言いながら扉をあけると同時に、エリックは驚きに息を飲んだ。動きを止めたエリックを不審に思ったロズウェルが、肩越しに覗き込むとそこには虚ろな表情のまま立ち尽くす聖女がいた。
着せかけられたネグリジェもそのままに、ケープひとつ羽織らず、寝乱れた姿のままぼんやりと室内に視線を向けている。
「アリス?」
「……………………」
問いかけに答えることなくただ室内を見つめ続けるアリスに、エリックたちが道を譲る。
「………………………ようやく相見えられたか」
アリスは少女にしては低い声で囁きながら、千早に向けて足を進める。
軽い音を発てつつ、ベッドに腰かけたアリスは千早の顔にかかっていた髪を優しく払った。
「すまなんだ、幼子よ」
その声は慈愛に満ちて、朝日に照らされる部屋の中に響いた。