76、戦場ー深夜ー
深夜、満点の星空の下、エリックは千早を抱えたまま空を飛ぶ。寒さに身震いする千早に、自身の着ていた上着をかけ、エリックはただひたすら街を目指した。
地平線の先にぼんやりと明かりが見える。
街だと言うそこに近づくにつれて、地上は惨劇の様相を呈していた。
「あれなに?」
「魔物だ。しっかり掴まっていろ。少し荒っぽくなるぞ」
地面から飛び立つ魔物の影を見つけて、エリックは腰に下げた短杖を引き抜く。
杖から放たれた雷撃は、魔物に直撃こそしなかったものの、足止めには十分だった。だがその光と音が更なる魔物の注意を引き、千早たちを狙う数を増やしていった。
「キリがないな。街を目指すぞ」
飛行系の魔物を狩り周囲を見回すと、エリックは前進を再開する。
「街ってあの壁の向こう?」
「そうだ。幸いにも城壁は破られていない。中にはいれば安全だろう。ロズウェルだけではなく、イスファンも無事街に入れた様だしな」
「分かるの?」
「ああ、近いからな。やつらなら分かる。もう黙っていろ。舌を噛むぞ」
地を駆ける種であったが、仲間を踏み台に飛びかかってきた魔物をかわしつつエリックは答えた。そのまま速度を上げるために高度を少し下げ、一気に抜けようとするエリックにしっかりと千早は抱きついた。
「危ないぞ!! 早くこっちへ!!」
「ガンバレ!! 後ろから来てるぞ!!」
街に近づくと、千早たちに気がついていた防衛兵が呼び掛けてくる。城壁に取り付いた魔物を撃退しながら、千早たちを守ろうとする中に知った顔はなかった。
「魔術師か、よく無事で」
「お嬢ちゃんも怖かったな。もう大丈夫だ。安心しろ」
魔物を撃退しつつの慌ただしい最中だったが、無事の合流に兵士たちは喜色を浮かべている。
「だがよりにもよって今日来るとはな。もしかしたら他にいた方が安全だったかもしれないぞ」
波状攻撃を受け続ける城壁を見ながら、中年の兵士は心配そうに千早を気遣っている。
「魔術師殿、攻撃魔法も使う様だが軍務の経験はお有りか?」
「イスファンは何処だ?」
投げ掛けられた質問を無視し、エリックが逆に問いかける。
「イスファン殿? なぜ」
「落ち人様だ。それでイスファンかロズウェルは何処だ?」
千早を指し示し、そう尋ねると防衛兵は訝しげな表情を浮かべる。
「まさか。落ち人様がなぜここにいる。マチュロス奥地で過ごしているはずだろう」
「嘘はいけないぞ。魔術……」
「俺の名はエリック。イスファンに取次げ。いや、面倒だ。こちらから行く。ティハヤ、来い」
多くの人々に注目され、固まっている千早の腕を掴み、エリックは城壁の上を歩き始める。
「やつらの居所は分かるからな。このまま行くぞ。時間はあまりないようだ」
エリックは西を見ながらそう言った。
「何か来るの?」
「デカイやつが来るな。やつらも西門の辺りにいる。出撃すると合流するのも大変だ」
「こら、待て!!」
そのまま歩き去ろうとした千早たちを防衛兵が止める。伸ばされた腕を弾いてから、エリックはまた千早を抱えて浮かび上がった。
「落ち人ティハヤが来ていると領主に伝えろ。我々は西門に行く」
「止まれ! 降りてこい!
さもなければ射る!!」
魔物に向けていた弓の一部をエリックへと向けた兵士は怒鳴る。それで騒ぎに気がついたのか、そこここから防衛兵からの視線が突き刺さる。
「…………馬鹿どもが」
呟いたエリックから紫電が放たれた。空中で放電するソレに兵士たちの間に怯えが走る。
「急ごう?」
「そうだな」
瞳を炯々と光らせたまま、兵士たちを睨むエリックの袖を千早が引く。
フイと視線を逸らして西門へと向かうエリックの後ろ姿を呆然と見ていた守護兵たちであったが、駆け上がってきた魔物の唸り声を聞き正気へと戻った。
「…………魔物、来襲!
弓兵! よく狙え!!
伝令! 領主館へ!! 魔術師エリックと落ち人を名乗る少女の件を急ぎ報告せよ!!」
刻々と増える城壁の下の魔物を確認し、慌ただしく動き出した人々は、宵闇を照らす松明の下、生存をかけての戦いに身を投じていった。
西門を目指し飛んだエリックは妨害に会うこともなく、門の前に集合しているイスファンたちを見つけていた。
「ティハヤ様?! なぜこちらに」
「エリック! 何故ティハヤ様をお連れした!!」
既に幾度か突撃と撤退を繰り返しているのか、砂ぼこりと血に汚れた兵士たちが近づくエリックと千早に気がつき騒ぎだす。
千早がエリックと共に地上に降りると、人垣が二つに割れ、イスファンとロズウェルが近づいてきた。
「ティハヤ様、何故ここへ?」
「ここは危険です。どうかすぐにもマチュロスへお戻りください」
「無事だった……。良かった」
「ティハヤ様?」
「五分五分より分が悪いって聞いていたから、心配してたの」
その言葉を聞き、事態を察したイスファンが殺気の籠った視線をエリックに向ける。
「余計なことを」
ロズウェルもまた吐き捨てるように呟いた。
二人の怒りを見た千早が泣き出しそうな表情を浮かべる。それに気がついたロズウェルたちが慌てて、千早に向けて怒っている訳ではないとフォローをいれる。
「…………それでティハヤ様、何かご用でしたか? 部下たちがマチュロスで何か無礼でも働いたのでしょうか」
出撃予定時間が近づいていることに気がついたイスファンが千早に問いかけた。
「エリック、お願いできる?」
後ろに立つエリックを見上げ頼んだ千早を、イスファンたちは不思議そうに見つめる。
「わかった。……動くな」
エリックの言葉と同時にギュッと強く目を閉じた千早は自分の身を守るように両手を握りしめる。
手にした短杖で出来るだけ軽く、触れるだけを心がけながら千早を突いたエリックは大きく宙に円を描く。
「生命力共有」
「エリック!」
自分達を対象に行使された、まさかの術に顔色を変えるイスファンたちを一瞥し、エリックは鼻を鳴らす。
「落ち人サマの願いだ。俺が望んだ訳ではない」
――……魔物だ! 数が多い!!
睨み合う両者に物見から悲鳴に近い声がかけられる。
「…………くそっ。
ティハヤ様、我々は今すぐにでも出撃せねばなりません。どうか術を解くようにエリックにご命令を」
小さく毒づいたイスファンがそれでも千早にだけは丁寧な口調で頼む。
「いや」
「ティハヤ様! 今回の戦いは激戦になります。このまま我々が出撃すれば御身のご負担になります」
「どうぞ」
膨れっ面も隠さずに千早は据わった瞳のままロズウェルへと答える。
それに更に反論しようとするロズウェルたちを制するように手を上げた。
「あのね?」
そこでわざと言葉を切り、周囲からは罪人兵団とも呼ばれ蔑まれるイスファンたち全員が、自分に注目している事を確認した。
「無事に戻って。その為なら私のリソースくらい幾らでもあげるよ。
みんなでお家に帰ろう?
待ってる人もいるでしょう。
少なくとも私は皆が死んだら悲しいよ」
まっすぐに見つめる千早の曇りない表情を、冷静に観察し本心だと確信したイスファンは、腰に下げた剣を鞘ごと引き抜き右手に持った。
防具が汚れることも厭わずにそのまま跪く。
指揮官に続くように、次々と膝を屈していく騎士たちを、周囲の防衛兵たちは驚きを隠せずに見つめている。
「ありがとうございます。ティハヤ様のお慈悲に心からの感謝を」
「必ず生きて戻ります」
「ティハヤ様へ推服を」
口々に忠誠を誓う騎士たちだったが、出撃の鐘が鳴る。
「時間です。
ティハヤ様、ベヘムは領主館におります。山羊も犬も一頭たりとも欠けておりません。ご安心ください。
エリック、ティハヤ様の護衛は任せる。領主館にご案内しろ」
「承知した」
金属が擦れる音にかき消されそうになりながらも、イスファンは口早に指示を伝える。部下の一人が引いてきた馬へと飛び乗ると、千早へと心配ないと笑顔を向けて指揮官の顔へ戻った。
「領主館にはアリスがおります。ご不快でしょうがご容赦ください。森の撤退戦よりずっと眠っておりますので、ティハヤ様にご迷惑をかけることはないと思います」
ロズウェルもまた自身の愛馬に騎乗しつつ、千早へと告げる。
「気をつけて」
「ありがとうございます。必ず守りきります。さあ、どうか安全なところへ」
門の近くは危険だと領主館に向かうようにと伝えたロズウェルは、愛馬を蹴り宙へと翔び上がる。
開きかけた門を翔び越えたロズウェルは篝火を背に魔物へと向かっていった。