74、饗宴
胸くそ注意報発令。
読まなくても問題はありません。
魔道具で真昼のごとく照らされた大広間には沢山の人々が笑いざわめいている。
本来であれば贅沢など許されないはずの高位聖職者や修道女たち。近隣の領主やその子息。場を盛り上げる為に手配され集められた若い娘たち。
特に華々しい出で立ちで、場にそぐわぬ乱痴気騒ぎを起こしているのは青年たちだ。その会話をよく聞けば、上流はおろか教育を受けたのかも怪しいほどに言葉も乱れている。
本来であれば会場を叩き出されてもおかしくない振る舞いだが、周囲にいる人々は眉をひそめる事もなく、逆に囃し立てる程だった。
ただ時折、集められたと思われる衣装に着せられている娘が悲しみと怒りを堪える表情を浮かべる。
「法王様」
「勇者殿たちはお楽しみのようですね」
二階の小部屋から広間の騒ぎを観察していた法王に、側近のひとりが近づいた。
「そろそろお出ましに?」
「そうですね……今少し羽目を外してからで良いでしょう。彼らも私が出ては、興が削がれる」
サイドテーブルに置かれた酒に手を伸ばし、一口含んでから法王は側近へと話しかけた。
「どこの馬の骨とも知れないバカどもですが、神の祝福を受け魔物と戦う勇者殿たちです。せいぜいもてなしてやらなければ……。そうでしょう?」
「勇気ある者ですか。それが蛮勇であっても今は必要なもの。人心の安定が優先でございますれば」
「ええ、勇気ある者には褒美を。娘たちには言い含めましたね?」
「はい。しかと。
生まれ故郷や家族の無事は、勇者様の腹心ひとつ。身を挺して誠心誠意お仕えせよと」
ならばいいと納得した法王はまた広場へと視線を戻した。
「魔物を倒す村人ですか。どんな因果か、騎士ですらない民にすがることになるとは、笑うしかないとはこのこと」
酔った勇者の一人が無遠慮に娘の一人に腕を伸ばす。笑いながらドレスを強く引いて破いたようだ。慌てて前を掻き合わせる娘を抱き止め大笑いしている。
「獣が」
呟く法王の言葉は勇者たちに届くことなく、別の勇者が修道女に手を出した。流石に顔色を変えた高位聖職者が窘めたようだが、その聖職者すら押し倒し高笑いする。
混沌の饗宴。
決して神に仕えるものたちが住むこの土地で行われるべきではない宴が、眼下で繰り広げられている。
「それで続報はありましたか?」
一度大きく深呼吸をした法王は、新たに入ってきた側近に問いかける。
「大陸西部、マチュロス近郊でも魔物の大量発生が確認されたそうです。女王リアトリエルはマチュロスへの派兵を決定。こちらに寄越す余力はないとのことです」
「そもそもこの法都に救援など不要」
「我らは我らだけで対処できます」
報告に不服そうに反論する側近たちを手で制し、法王は話す。
「オルフェストランス神よりもたらされた新たな力、勇者たちがいればこの地は安全です。
ただ心配なのはマチュロス。かの地には落ち人様が居られよう。無事であればよいが」
「王家がこれほど役にたたぬとは」
「いっそ世界を神に愛されし法王様が統べられたほうがよいのでは?」
「…………その声が日増しに高まっているのは知っています。ですが」
「倪下、どうかご英断を。神に弓引いた王家に落ち人様をお任せすることなどできません。マチュロスより解放し、この地で心穏やかにお過ごしいただいた方が神のご意志に添います」
マチュロスに実りをもたらすことの出来るようになったことを知ってから、執拗に落ち人を手に入れようとしている側近のひとりが法王に詰め寄る。
「罪人兵士たちがいれば魔物の巣となっている地帯も抜けられましょう」
兵士を犠牲にすると平然と口にした一人を誰も咎めることなく当然のこととして頷いている。
「落ち人ティハヤですか。万の民を食べさせられる力をいまだに持つと知っていれば、王家にも誰にも渡しはしなかったのですが、今は言っても仕方ないですね」
残念だと続けた法王の後ろから、けたたましい笑い声が響く。
「これは……」
「やれやれ、勇者殿たちもお楽しみが過ぎる」
階段の踊り場で数人の勇者が娘たちと踊っていた。上半身を露にした下品な動きに、流石の領主たちも眉をひそめ始めている。
「時間のようですね」
「ええ、あとは宴が終わった後に各自で楽しんで頂きましょう」
法衣を翻した法王は広間に降りる階段に続く廊下へと出る。
「おや、倪下」
「今日はけっこうな催しをありがとう」
「本当だ。今日の娘たちは一段と粒選りだ」
両手に娘たちを確保した勇者が、法王を見つけて挨拶を送る。
「楽しんでいるようで何よりです」
「ン、うぐ……プハァ。おいおい、もう少し優しく差し出せ」
差し出された肉を食い千切り、酒を飲み干した勇者が法王の話も聞かずに娘たちに微笑みかける。
「勇者アルスよ」
「おう、なんだよ」
そんな勇者を名指して法王は口元にだけ慈悲深い笑みを浮かべる。
「魔物の大量発生が確認されました」
「へえ……俺たちの出番か」
「ええ、魔物狩りの勇者の出番です」
どっと場が沸き立ち、戦意をみなぎらせた勇者たちが瞳を輝かせる。
「この法都に魔物を近寄らせてはなりません。どうか民を救ってください」
「はは。民……ねえ。あんたらはいいのかよ」
バカにしたように笑うアルスの挑発には乗らず、法王は重ねて頼んだ。
「神のお慈悲のままに」
「…………まあいいさ。今まで女どころか、旨い食いモンにも縁がなかった身の上だ。あの不細工な生き物ぶっ殺すだけで、こんだけ祭り上げて今まで虫でも見るように俺たちを見ていた領主どもすら、すり寄ってくる。
愉快だ! ああ、愉快だ!!
任せろよ、魔物狩りのアルス様の本気を見せてやるよ!!」
「おい、アルスだけにいい格好させられるか。俺たちだっているぞ」
「ええ、勇者殿方全員にお願いしています。
どうかこの地に向かう魔物を屠ってください」
今にも武器を手に飛び出しそうになる一団を止め、法王は明日の朝、案内をつけると約束する。準備があると退出する法王を追うものはいなかった。
追加で運ばれてくる料理や、秘蔵の酒に気をよくした勇者たちは、夜更けまで騒ぎ続けることとなる。
翌日、二日酔いの残るまま、盛大に見送られた勇者たちであったが再度法都に戻ったものはほんの一握りに過ぎなかった。
命からがら帰還した勇者を待っていたのは半壊した法都。予想外に多かった魔物であったが、一部は勇者の囲みを迂回し法都を襲っていたのだ。
訓練されていない個としての勇しか持たない勇者に前線を任せれば予想がつく結末とはいえ、その被害は甚大であった。
生き残った法王は、民の不満をそらすために女王リアトリエルへと責任を転化。
同時に神のみが支配する大陸南部の独立を宣言。神の代行者として絶対的な権力を手に入れた法王の専横は凄まじく、民の嘆きの声は天に届く程であった。