73、廃棄地 草原の丘
久々に犬たちの緊張を感じながら、ベヘムは森を抜けた。以前は整備された街道だったが、放棄されて久しい。半分ほどが草に埋もれかけ、荷馬車で走るのは難しくなっていた。
どこか遠くで、獣の鳴く声が響く。
神経質に耳を動かしながら、山羊たちは地面の草を食む。
「もう少しで森を抜ける」
「ロズウェルとの合流地点だ」
手短に語り合う同行する兵士たちの表情も固い。
昼過ぎ、予定されていた草原の丘に到着する。ここは元々羊飼いたちの休憩地点となっていた場所だ。
しばらく放置されていたとはいえ、まだ雨風をしのげる羊飼いたちの小屋が丘の一角には建っている。
「ロズウェル!」
小屋の近くから煙が登っていた。その脇に座ったロズウェルが、ベヘムたちを見つけて手を上げる。
慣れた場所に散る山羊たちと、それを見守る犬たちの変わらぬ姿を確認したベヘムは、羊飼いたちの小屋に向かった。
「久しぶりだな」
「久しぶり! なんか変わった?」
久々の再会に喜ぶベヘムだったが、近くで見たロズウェルの姿に違和感を感じたのか、じっと見つめている。
「そうか? ベヘムは少し育ったな」
穏やかに微笑んだロズウェルが、無造作にベヘムに手を伸ばす。頭を撫でようかと近づけてから、肩を一、二度軽く叩くと一歩下がって兵士たちに向き直る。
「ご無沙汰しています」
「辺境討伐、お疲れ様です」
互いに流れるように敬礼し、互いの無事を祝うロズウェルたちを見て、ベヘムも見よう見まねで敬礼した。
「補給物資を預かってきた。
聖女と小隊は?」
「小隊は近くの危険を排除するために見回りに出ています。アリスは小屋で休息を」
「聖女の調子が良くないというのは本当か」
一度小屋を流し見ながらロズウェルは頷く。
「大物の場合は、聖女が主力となります。やはり人の身で神気を宿すのは疲弊するらしく、最近はほぼ寝ています」
「一度街に戻ったらどうだ?」
「もう少しここにいる魔物を狩ったら、数日休みを取ろうかと思っております」
ロズウェルたちは、手早く情報を交換すると、今日の夜営の準備を始めた。近くの目ぼしい魔物は事前に聖女とロズウェルの二人で狩っている。さらには東の女王より命じられた精鋭が警戒している地とはいえ、何が起こるか分からない。日があるうちに準備は整えておくべきだった。
兵士たちが丘に散開するなか、残ったベヘムにロズウェルが近づく。
「すまないが……」
「なんだよ」
「ティハヤ様はお変わりないか?」
そう聞いたロズウェルの顔をまじまじと見つめたベヘムは、やっぱり変わったよなと呟いた。
「なんだ? 顔に何かついているか」
「そうじゃないよ。いや、やっぱ変わったなって思ってさ。なんかせいかん?になったよな、あんた」
「セイカン? ああ、精悍か。少し痩せたからか」
顔を擦りつつ悩むロズウェルに、それだけじゃないとベヘムは続ける。
「なんか雰囲気が変わった……のかな。今まではお綺麗な貴族のご子息様だったのに、なんか、何て言えばいいんだ? 俺たちっぽくなった」
悩んで口にした言葉がしっくりきたのか、ベヘムは一つ頷くと笑いかける。
「うん、そうだよ。なんか、頼もしくなった。今までお話の中の英雄だったのが、現実になったみたいな」
「変な事をいうな。俺は今までもこれからも変わらないぞ」
「そうなんだけどさ。いや、薄汚れたからかな。親近感あるよ」
討伐を繰り返す生活で引き締まった身体に日に焼けた顔。それに相応しい鋭い眼光を知らず知らずに身につけたロズウェルが、苦笑を浮かべる。
「薄汚れ……まったく、口の減らない」
「あはは、あ、それでティハヤだっけ?」
流石に怒られるかと話題を変えたベヘムは、楽しそうにロズウェルへと近況報告をする。
わんぱく盛りでティハヤどころか兵士たちすら翻弄する犬たち。
すっかり一人前になって最近では小動物や昆虫などをお土産にし、ティハヤに悲鳴を上げさせている猫たち。
稲の生育状況等々、話すことは尽きない。
ひとしきり聞いてロズウェルは安堵の表情を浮かべた。
「変わりないようで何よりだ」
「うん、最近、ティハヤもよく笑うんだ。顔色も良くなったし。あ、そうそう、今年こそ収穫祭に行こうって計画してるんだ」
「去年行けなかったからな」
「人多いけど、楽しそうだしシャーロットも行きたいって話しててさ。ゴンザレスさんもティハヤ様に同行するならって渋々許可したんだ。……って、あれ、聖女さま?」
楽しげに話すベヘムだったが小屋から出てきた少女に気がつき声をあげる。
「アリス、何かあったか?」
ぼんやりと立つアリスにロズウェルが声をかける。
今まで眠っていたのだろう、柔らかなワンピースに素足のまま、ぼんやりと一点を見つめている。
「……なあ、大丈夫か?」
異様な雰囲気のアリスを心配してベヘムは話しかけた。それに反応することなく立ち尽くすアリスに、普通のことなのかと助けを求める視線をロズウェルに向ける。
「せめて靴を履け。怪我をする」
やれやれとでも言いたげな仕草で小屋へと向かいかけたロズウェルに、アリスはすっと片腕を上げる。
「くる……」
「おい、本当にどうしたんだ?」
「くる……、すぐに……歪み…………混沌……」
ロズウェルを通り越し、遠くに見える湖の輝き辺りを指差したアリスはゆっくりと歩き出す。
「待て。ベヘム、悪いが靴を。小屋にあるはずだ」
「あ、ああ、わかった」
移動しようとするアリスを抱き止めたロズウェルから頼まれて、慌てて小屋へと走る。扉に手をかけたとき、鳥の大群が飛び立つ音と、騒がしい鳴き声が響いた。
「なんだよ!?」
素早く見回し見つけた靴を持ってロズウェルの所に戻れば、アリスは飛び立つ鳥たちを気にするでもなく森を見ている。
「靴を履かせてやってくれ」
「あ、ああ」
同じく森へと目を凝らすロズウェルの声を受けて、片方ずつ靴を履かせていると、初めてベヘムを認識したのか、アリスの焦点があった。
「お前は誰だ? 弱いが神気を感じる。懐かしい……」
そっと頬に添えられた手は冷たく、少女のモノとしては低い声。口調も男のものである。
「大丈夫か? しっかりしろ。ほら、足!」
ポンポンと片足を上げろと軽く叩き、ベヘムはアリスに靴を履かせようとする。
そんなやり取りを続けるベヘムたちの横で、ロズウェルは指笛で馬を呼び、緊急用の笛を何度も鳴らす。
甲高い音が草原に響き、驚いた山羊や犬たちもベヘムの姿を窺っている。よいタイミングだと犬たちに山羊を集めるように合図したベヘムは、アリスに靴を履かせ終わり立ち上がった。
「お前は誰だ」
離れようとしたベヘムの腕を掴み、アリスが問いかける。
「俺はベヘム。マチュロスの羊飼いたちだよ」
「マチュロス……そうか、落ち人千早の」
「ほら、離せって。何が起きてるんだ」
慌てて戻ってくる砦の兵士たちを見ながらベヘムは呟く。
「歪みは臨界を超え、現へと影響を及ぼす。
外からの刺激は、歪みを変えるに十分であった」
「なあ、聖女さま、もう少し分かりやすく」
「あい分かった。落ち人の気配を纏う青年よ。汝の願いを叶えよう」
ベヘムを離した腕は、スッと森を指差す。
「魔物は溢れ、餌のある場所を目指す。
我らも餌のひとつ。
喰われたくなくば、逃げるべきだ。
何故かは知らぬが、森の広くに餌が散らばっている」
「おい!」
「どういうことだ」
駆け戻ってきた兵士たちもアリスの言葉を聞いて騒然となった。
広げた荷物を回収しながら、兵士たちは真偽をロズウェルへと問いかける。
「神憑きとなった聖女の言うことです。間違いはないかと」
「東の小隊は?」
「先程緊急用の笛を鳴らしました。急ぎ戻ります」
そう話している間に草原に続く森から人影が飛び出してくる。
「ベヘム、万一の時はロズウェルの馬に乗れ」
「聖女殿はこちらへ」
荷台へとアリスを誘導し、この場からの待避準備に入りながらも、兵士たちは視線を人影に向けている。
「女王陛下がつけてくださった小隊です」
馬へと荷物をくくりつけながら、ロズウェルは安堵の表情を浮かべた。近づいてくると、その小隊はしきりに何かを伝えようとしていることがわかる。
「なんだ?」
「見てきますか」
「いや、危ない。聖女の予言もある。撤収準備が優先だ」
荷物を積み込み、足の遅い山羊を荷台へと上げ、犬たちをなだめる。全ての山羊が荷台へ上がり、その山羊に埋もれるように聖女が座っていた。
全ての準備を整えて、再度馬上の人と兵士がなるころには、叫び声が聞こえる距離になっていた。
「逃げろ!」
「砦へ!」
血相を変えた精鋭部隊が叫ぶ。
「何事か!」
「魔物の群れ!」
「デカイ群れだ!」
その声に重なるように、精鋭部隊が出てきた辺りの森から、生木が折られる音が響く。
「来たぞ」
「ベヘム!」
伸ばされたロズウェルの腕をすり抜けて、荷台へと上がったベヘムは馬車を走らせ始めた。
馬車に並走するように犬たちも走る。
「俺は大丈夫!」
「お前に傷ひとつでもつけてみろ!
ティハヤ様が嘆かれる!!」
「俺一人だけ逃げられるかよ。ここには山羊だって犬たちだっているんだ。
砦まで逃げればいいんだろ?!」
「森の道は悪い!
馬車では追い付かれる」
「そんなの知るかよ。
もし追い付かれたら、馬車を捨てて走ればいい」
森から草原へと飛び出してきた魔物は、明るさに怯んだのか足を止めている。それを確認してほっとしつつ、兵士たちは馬を急かす。
「この、大馬鹿者!
ベヘムをお願いする。しんがりは俺が」
武器を抜いて集団の最後尾に陣取ったロズウェルが、罪人兵士たちへと叫ぶ。
「…………落ち人を悲しませることなかれ」
近くにいる山羊を抱き締めてきたアリスが突然静かに話し始めた。
「こんな時に何をいっている」
「落ち人を悲しませることなかれ。
苦しませることなかれ。
その為ならば、我が力を振るおう」
光に馴れてきたのか、ベヘムたちに向かって一直線に走りよる魔物に向かって、アリスは立ち上がった。
「………………汝らの悲嘆、同意する。
汝らの苦難、同情に値する。
だが」
魔物の姿を悲しげに見たアリスは安定しないはずの荷車の上でそれでも何かを抱くように両手を動かした。
「このモノたちを餌とすること許されざることなり。今は退け」
何かに足を掴まれたように止まり、暴れる魔物を尻目に、泡を吹きながら馬たちは必死に走る。
「長くは持たぬ。一刻も早く逃げるがいい」
魔物の動きを止めたアリスは、ベヘムを見てそう話した。
「あ、ああ。なあ、こんなこと出来るなら滅ぼせないのか?」
「無理だ。この器が持たない、滅する前に壊れよう」
否と首を振るアリスはもう一度急ぐようにと、平坦な声で急かした。
その後ろでは、何とか見えない拘束を緩ませようと魔物たちが奮闘している。その中の一匹が拘束されている足を食い千切り前進を再開した。
「逃げるぞ」
「足を食い千切るとはな」
そんな狂気に満ちた魔物たちから逃げるため、丘から駆け降りたベヘムたちは砦を目指した。