71、エリックの考察
「それで何か分かったか」
深夜、報告に訪れたエリックを出迎えた男たちの顔には、疲労が色濃く浮いている。一度は処刑を決めたとはいえ、実行犯の豹変に原因が分かるまではと処刑の延期を決定。管理責任として親のみ断罪することにしたが、それも見せしめとして穀倉地帯で行うことと急遽決まった。
東にある公爵領から追加の兵員の招請、法王庁への報告等々、行わなくてはならない手配は多岐に渡っていた。
「口惜しい事だが分からなかった。だがご丁寧にも神から解説があった」
苦虫を噛み潰したような渋い表情のまま、エリックが話す。突然出てきた「神」の単語に反応したラッセルハウザーは、エリックの手の甲に刻まれた罪人の紋に視線を走らせた。
「俺は神罰を受けている。そのときにオルフェストランスと直接会話をした。ゆえに現在も連絡が出来るそうだ。信仰心など欠片もない俺が窓口になるなど、お笑い草だな」
見られていることに気がついたエリックが、ピラピラと手を振りながら続ける。
「歪みは人の心を介して世界に現れる。故に元となった心に歪みの性質も左右される。
本来であれば、多くの人心の不安が集まり、ようやくひとつの歪みに作用し魔物を生む。だが、このマチュロスには神気か濃く存在している。それゆえ出来ぬ無理も通ったらしい」
「神気はティハヤ様の世界のものだろう? なぜこの世界の歪みと関わるのだ」
「この世界は幾度となく落ち人を招いてきた。あちらの世界の膨大なリソースを纏ったままの彼らは、この世界にあちらの世界の神気を馴染ませた。故にあちらの世界の神気はこちらに影響を及ぼす」
「ちょっと待て。
では神気が濃いところが魔物を生むのか? ならば、なぜ、法王領では辺境が魔物の被害を受ける?」
それまでラッセルハウザーに会話を任せていたイスファンが、エリックへと問いかけた。
「多くの人々の不安や恐れが形になるのは辺境だからな」
「どういうことだ」
何でもないことのように答えるエリックに、詳しい解説を求める。
「簡単なことだ。
大都市の昼日中、大通りに突然ポンと魔物が現れ人々を襲う。
人の住まない廃棄された大地で、人知れず強力な魔物が産まれ、人を襲う。
愚かな民衆が恐れて、あたかもありそうだと思うのはどっちだ?」
「………………では、法王領で生まれている勇者と聖女は」
「魔物が負ならば、勇者や聖女は正だろう。人々は神に救済を求め、救いを求める心はある日突然関係のない人間に宿る。
昨日まで普通だった隣人や、魔物に負け続けた法王領の兵士でもない、見知らぬ誰かに無責任な希望を押し付ける。
廃棄地近くに住む農夫。
何故か辺境で牧羊をしていても死なぬ羊飼い。
小さな村の力自慢。
なんでもいいんだ。理解できない、自分とは違うと思える誰かに、人々の勝手な希望が集って、その誰かは選ばれし者となる」
「迷惑な話だ」
「まったくだな。選ばれた者は災難としか言えまい」
「そうでもない。
リソースは歪み、正と負に別れた。人々がこれぞ勇者と認めれば、更に歪みは選ばれし者に集まり力を与えるだろう。
ロズウェルがいい例だ」
「ロズウェル?」
突然出てきた英雄の名前に、ラッセルハウザーが疑問の声を上げた。
「あいつは廃棄地に来ていた民衆の願いを受けて、神直々に歪みを与えられた聖女と旅をしている。英雄として人々に認知され続け、最近では今まで手を出せなかった魔物すら倒していると聞く。
恐らくあいつは世界に選ばれたんだろう」
神憑きとなった聖女と旅をするロズウェルの報告は、定期的にもたらされていた。今ではマチュロスより更に西にある廃棄地で野営を重ねて、魔物を狩っている。
「…………ではこれからも魔物は出ると思うか?」
「マチュロスにか? 恐らく出ないな。今回はあのフィーとかいう貴族の娘が自分を壊してまで、歪みを具現化させた。そこまでの恨みをティハヤに持つものは少ない。
何よりこの地の神気が許さないだろう。マチュロスでの発生はないと考えてよいと思う」
「ならば警戒すべきはマチュロスの外か」
「ああ、そうだな。特に穀倉地帯やマチュロス西の廃棄地は魔物の被害が大きな地域だ。恐らくそこで産まれた魔物が、人々の不安を貪りに町へと向かうだろう。今、人が密集して住むのは、公爵領、法王領、そしてこのマチュロス周辺だ」
「迷惑なことだ。だが、ならばどうする?
イスファンたちとて、百名ほどしかいない。この広大な大陸全てを巡回することなどできない。マチュロスだけを守るにしても、限界はあるだろう」
「群れにさえならなければ、問題はありません」
自身の経験からラッセルハウザーへと答えたイスファンは、ナシゴレンへと視線を向ける。
「ティハヤ様のお側に侍り、死地から戻って長い。練度はどうしても落ちているだろう。
鍛え直しが必要だな」
「訓練を考えます」
明確になった脅威から、マチュロスを守る為、戦闘へと頭を切り替えたイスファンたちは、素早く自分達の現状を確認している。
「群れとは西の大都を放棄した時に起きた、あの大海嘯のことか? 確か湾岸から水が遡るように魔物が湧き出して都市を呑み込んだときくが」
「撤退戦に参加していました。あれこそまさに地獄。あの規模の群れになられたら、マチュロスは簡単に呑み込まれるでしょう」
「海から上がってくるのは考えにくい。来るとするなら陸だ。
だがありえるのか? そこまで人々の不安が高まるとは思えない」
侃々諤々と話し始めたエリックたちを尻目に、ラッセルハウザーは軽く瞳を閉じた。そのまま数呼吸分考えると、静かにイスファンを呼ぶ。
「廃棄地周辺や穀倉地帯の民へ協力を仰ごう。
溢れる前には必ず兆しがあるはずだ」
「協力とは?」
「巡回だな。ついでで構わない。野草や薬草の採集、牧畜、伐採、彼らは人の入らない地に入ることも多い。
危険性を伝えて、何かあれば知らせを寄越せば近くの兵士が動くとすれば情報も集まるだろう。
それと、穀倉地帯の砦についてはいくつか統廃合をし、人員を一部ここの近くの砦へと移す。
イスファン、上手く使えよ」
「感謝します。出来れば、46砦の人員をこちらへ」
「知り合いか?」
「昔、少々。信頼のおける男です」
「分かった。手配しよう」
イスファンは快諾したラッセルハウザーへと礼をいった。
「では俺は帰らせてもらう。ティハヤにも報告しなくてはいけないからな。あのフィーとかいう娘が改善することはないだろう。あとのことは、そちらで決めればいいだろう」
「ご苦労だった。ティハヤ様を頼む。お心安く過ごされるように、報告してくれ」
「さあな。事実は事実だ。変えようがない」
言い放って帰っていくエリックを、ナシゴレンが追っていった。
後日、法王領を含む全国土に、ひとつの通知が女王の名で出された。
それは今まで守られるだけであった国民に、情報を求める願いであった。