68、ほら、いってこい
今回お食事時に読むのはちょっと注意です。
お手洗い案件……なのかしら?
ご注意くださいませ。
時は少々遡る――――。
「退屈していたか?」
厩舎の一角に繋がれて、地面に伏せていたダイズたちに向けて、ゴンザレスが声をかけた。知っている人間が現れたと立ち上がり、後ろ足、前足と伸びてから三匹がトコトコと近づいてくる。
フンフンと鼻を鳴らして匂いを確認したダイズたちは、撫でろと言わんばかりに身体を擦り付けてきた。
「ティハヤ様のお戻りまで今少しかかる。散歩でもするか?」
耳の後ろや胸、首の後ろなど、犬が好む場所を撫でながら問いかけるゴンザレスに、三匹は尻尾を振った。
「手伝おう」
「ああ、感謝する」
一人一匹、綱を持った兵士たちは馬場へと向かう。万一外で逃がしては、ティハヤ様に顔向けできないと、緊張した面持ちでリードを握った兵士たちを尻目に、犬たちはあっちで匂いを嗅ぎ、こっちでは羽虫を追いかけてと忙しく楽しんでいた。
馬場に着くと丁度良いタイミングだったのか、軍馬はおらずガランとしていた。放そうかどうしようかと悩んで、しばらく共に走ったあとに三匹を自由にした。
弾かれたように走りだし、グルグルと回り続ける犬たちを見ながらも、ゴンザレスの心配そうな表情は晴れない。
「ティハヤ様は大丈夫だろうか?」
「ラッセルハウザー殿下も同席なされるのだろう? 大丈夫さ」
「それはそうなのだが……」
「あ、コラ! 駄目だ!!」
対角線上の隅まで走っていったササゲが何かを見つけて、興味深々に鼻を寄せている。
「マズイ!」
慌てて走り寄るゴンザレスたちを尻目に、兄弟が見つけた面白そうなモノに残りの二匹も釘付けになっている。
「何だってこんなところに」
「馬場だ。あっても仕方ないだろう」
「こら、食べるなよ!!」
馬の落し物、有り体に言えば馬糞に鼻を寄せた三匹を叱りつつ走り寄る。どうやらここに犬たちを放す直前の物らしくまだ温かそうだ。
慌てる人間を見て、遊んでもらえると判断したのか、アズキが尻尾を振りながら柔らかいその上で足踏みをした。
「ああ、駄目だ!」
止めさせようと伸ばされた手をすり抜けて、ゴロンと横になり背中を擦り付け始めたダイズを見つけ、兵士は悲鳴を上げる。
ドタバタと逃げ回るササゲが蹴り上げた馬糞を三匹が被る。
「こら、落ち着け!!」
取っ組み合いを始めた三匹を叱っていたゴンザレスだったが、ふと思い付いたように止める手を下ろした。
「どうした、早く止めなくては。ティハヤ様にどう謝罪すればいいのか」
「いや……、なあ、ダイズ、アズキ、ササゲ」
いきなり声のトーンが変わったゴンザレスを、「なに~?」とでも言うように首を傾げて見る三匹と視線を合わせてしゃがみこむ。
「ティハヤ様を助けにいかないか?」
優しい飼い主の名前を聞いた三匹は、口角を上げ耳を立てた。ピョンピョンと跳ねるようにゴンザレスの周りを走り回る三匹のリードを捕まえる。
「おい、何を」
「会談を潰す」
「何をいってるんだ」
「ティハヤ様も嫌がっていた茶会だ。この犬たちを連れていけば、ティハヤ様も驚くだろうが、あの高慢なご令嬢が受け入れるとは思えない」
あっという間に汚れた三匹を見つつ、ゴンザレスは続ける。
「ダイズたちはティハヤ様に飼われているせいか、女を好む。特に初めて会う少女には積極的に絡みにいくからな」
うちの娘もそうだったと嫌な笑いを浮かべたゴンザレスは、同行はここまでてと二人の兵士からリードを受け取ろうとした。
「なら行こう」
「楽しみだな」
その手をひょいと避けた兵士たちは先にたって中庭へと歩き出す。ティハヤの名を聞いた犬たちも、早く早くと引っ張りながら歩き出した。
犬たちの惨状に通りすがりの兵士たちが目を剥くが、それにニヤリと笑って中庭へと急ぐ。中庭への入り口からこっそり中を覗くと、ティハヤがいた。
飼い主を見つけた犬たちは、今まで以上の力でリードを引っ張った。
遠目で見ても友好的とは思えない茶会に、ゴンザレスの覚悟が決まる。
「ほら、いってこい」
スルッと力を抜きリードを放す。一直線に天幕に向かう犬たちを見送りながら、全力で遊んでもらえと心の中で声援を贈った。
「…………あの犬たちの汚れは馬糞だよ」
笑いを堪えきれないと吹き出しながら、遊んで攻撃に晒される令嬢たちを見ていた兵士の一人がギャラリーに告げた。
バレないように覗いていた兵士たちが無言でガッツポーズをする。親貴族にしろ、その娘たちにしろ、無礼が過ぎた。必死に怒りを堪えていた者も一人二人ではない。
「湯を沸かしておきます」
爆笑を堪えきれなくなった一人がそう言いながら走り去った。去った先で笑い声が響いてきているが、大騒ぎしているあの令嬢たちには聞こえないだろう。
「さて、そろそろだな」
気の強い令嬢が扇を振りかざしたところで潮時だと判断したゴンザレスが走り出す。
「申し訳ございません!」
謝りながら飛び込んだ天幕の中は、予想以上の惨状だった。乾き始めているから臭いこそ薄らいできているが、あのドレスは二度と日の目を見るまい。
傲慢な令嬢たちの一張羅をダメに出来たことにほの暗い愉悦を感じつつ、ティハヤまで汚したら大変だと、自分が汚れることを厭わずに犬たちを抱き止める。
「着替えたまえ」
乗馬も嗜み、陰湿な貴族のやり取りにも造詣があるラッセルハウザーは瞬時にゴンザレスたちのイタズラに気がついたのだろう。冷たい中にも面白がる雰囲気を滲ませて、令嬢を見下ろしていた。
「許しませんわよ!」
プライドが傷つけられたのだろう。扇を手にしていた伯爵令嬢が叫ぶ。それと同時に地面から黒い帯状のものが、令嬢にまとわりつく。
「ティハヤ様を!」
犬たちのリードをゴンザレスに渡すと、兵士たちは千早を庇う位置に立つ。
「こちらへ!」
見物していたギャラリーも令嬢の異常に気がついたのだろう。武器に手をかけつつ、走りよってきた。
「さあ、早く」
飾りとして立て掛けていた剣を抜きつつ、ラッセルハウザーが千早を誘導する。
「許さない……許しませんわ。
何故このような屈辱を」
ジョゼフィーヌの豹変に怯えた二人の令嬢は腰が抜けたのか座り込んだままだ。
「法王領では正体不明の疫病が流行り、私たちを助ける余力はないと切り捨てられた」
「囲め!」
ぶつぶつと呟くジョゼフィーヌを武器を持った兵士たちが囲む。
「ジョゼフィーヌ様」
「どうなされたのです」
「今まで私たちはこの国に貢献してきたのに、何故今になって世界は私共を捨てるのですか!!
全てッ! 全てお前のせいだ!」
鬼気迫る表情で千早を指差す。怯える千早を背後に庇ったラッセルハウザーは、凍える視線を浴びせかける。
「何を言っているのやら。君たちには女王陛下からの援助の申し出があっただろう。それを蹴り、独断に走り、訪問も許されていないこの地にきた。
それでも君たちと茶会を開いたティハヤ様のお慈悲を感謝こそすれ、恨むなど筋違いだ」
「その落ち人と、ここにいる兵士たちが全ての元凶でございしょう?! お前が、お前がさっさと死なぬから、私たちがこのような目に遭ったのよ!!
死になさい!
一刻も早く死んでこの地に力を満たすのです!!」
ジョゼフィーヌの悪意に呼応するように黒い帯が増えていく。
「力をもたらさぬ落ち人に何の価値があるというの!
不幸をもたらすだけの、出来損ない!!
早く死ねぇぇぇ!!」
そのジョゼフィーヌの絶叫と共に、黒い帯が弾丸となって千早を目指し打ち出された。
「ティハヤ様!」
「つぅ!!」
千早は進路にいた兵士たちを巻き込み、直進し続ける黒い塊を硬直したまま見つめる。その身体に覆い被さるように身を投げ出したゴンザレスに黒い弾丸は当たる。衝撃に漏れそうになる悲鳴を押し殺し、ゴンザレスは千早をかばい続けた。なおも千早を目指して進む黒い帯を、突然現れた光の壁が弾く。
『落ち人を害することなかれ』
以前聞いた武神の声が中庭に響いた。
『力の澱。悪意に染まりしリソースが、我らが幼子を襲ったか』
静かな怒りを感じさせるその声に、ジョゼフィーヌを始めとした令嬢たちは怯えている。
バチッ!!
その音と同時にジョゼフィーヌに絡み付いていた黒い帯が消えた。トサリと軽い音を立てながら、力尽きたようにうつ伏せに倒れるジョゼフィーヌから離れようと令嬢たちは座ったまま後ずさる。
『落ち人を傷つけることなかれ』
役目は果たすとその言葉を最後に神気が消えて、中庭に静寂が戻る。
「ゴンザレスさん?」
ぐったりとしたままのゴンザレスを千早が呼ぶ。大丈夫かと心配しているか、犬たちが鼻でゴンザレスを押している。
「大丈夫です。重かったですね、申し訳ございません」
痛みをこらえてゆっくりと体勢を起こすと、千早と目を合わせた。無理をして笑いかけているのが明白なその表情に、千早の顔は曇る。
「ラッセルハウザー様」
ラッセルハウザーに視線を向けて、きちんと名前を呼んだ千早は、ゴンザレスの手当てを頼む。
「ああ、任せたまえ。私も治癒魔導師を連れてきている。すぐに手当ての手配をしよう。腕は確かだから安心していい」
ラッセルハウザーの視線を受けて、急ぎ足で去る執事を見送り、やるべきことをまとめたラッセルハウザーが矢継ぎ早に指示を出す。
「誰かイスファンを呼んできてくれ。あと、そこのご令嬢たちは拘束するように。ああ、親もだ。
それと誰かティハヤ様の家に走れ。エリックを呼んでこい」
ラッセルハウザーの命令を受けて慌てて動き出す兵士たちを見ながら、千早は心配そうにゴンザレスを見守っていた。