67、お茶会
結局、いつもの格好のまま会談を済ませ、千早は砦の中を歩いていた。かなり粘られたが、千早の意志が変わらないと見ると、しぶしぶ貴族たちは退出していった。
「全くもって、ティハヤ様にはご迷惑をかけてしまった」
謝るラッセルハウザーに対して、千早は苦笑を浮かべた。
「まさかマチュロスの一部を寄越せって言われるとは思わなかった」
「私も耳を疑った。ティハヤ様が絶句されている間に捲し立てられたあの提案。今思い出しても腸が煮えくり返る」
奥歯を噛みしめ、強ばった表情を浮かべるラッセルの姿を見た立ち番の兵士たちは、何事かと驚きを隠しきれずにいた。
「えっと、王子……王弟殿下が罪を許されてマチュロスを統治することなど許されない。それならば、グレンヴィル殿下から迷惑を掛けられた穀倉地帯の貴族である我らに賠償しろ、だっけ?
マチュロスの半分を伯爵家に、四分の一を寄り子貴族に分配し、更に残った分を私と法王とここを元々治めていた貴族の外戚とグレンヴィル殿下と兵士さんたちで分割統治せよ。税についてはこの先二十年は全額免除、防衛費については先の王の愚策の償いとして、女王領から出せって言うのは凄いよね。私でもあり得ないって思っちゃうよ。
ホントにびっくりしちゃった」
つらつらと語られる会談の内容を聞いた立ち番として護衛に立つ兵士たちの顔色もまた変わった。
怒りに震え赤くなる者、表情がかき消え瞳だけに殺気を浮かべる者、静かな佇まいのまま全身を強ばらせる者、それぞれが物騒な雰囲気を纏う。
「これも私が舐められていたせいだ。まったくもってお恥ずかしい」
「ラッセルさんにも凄いこと言ってたもんね」
後ろを振り向き、憤懣やるかたないという表情を浮かべたイスファンと、今にも武器を握って戻っていきそうなゴンサレスを見る。
「王配殿下にあのような無礼」
「まあ、今までの私の生き方を知っている方々ならば、ああいった反応になっても可笑しくはないさ。良識を期待した私の見込ちがいだっただけだ」
争い事を嫌い、領地から出てくることすら稀な、人畜無害な公爵家当主として名が通り、幼いリアトリエルを守るために、王家からのどんな無理難題にも従ってきた。それ故に貴族たちから軽く見られても仕方ないとラッセルは苦く笑う。
「閣下の本質も分からぬ無能どもです。お気になさらず」
古い付き合いのイスファンがそう慰めるが、ラッセルハウザーの怒りは収まりそうもなかった。
「…………お嬢様たちと会いたくないなぁ」
これから更に三人の令嬢たちと会話をしなくてはならない千早が、本気で嫌そうに呟きため息を吐く。
「我々が同席できれば良いのだが」
「あの令嬢たちでは無理でしょうね」
イスファンとゴンザレスが顔を見合わせている。
「ならば私が同席しましょうか」
伯爵の対応の陣頭指揮を取らなければならないはずのラッセルハウザーが、千早へと提案する。
「いいの? でもお嬢様たち嫌がるんじゃ」
「イスファン、中庭にテーブルとお茶のセットを頼む」
「了解しました」
「外でならば私が同席しても問題はないよ。それにそもそも、ティハヤ様はあの者たちと私的な話を直接すると約束された訳ではない。
あのご令嬢たちより私の方が身分はずいぶん上だ。性別の違いはあるから文句のひとつも言うだろうが、気にすることはない」
「でも」
「それよりも、あの非常識な親から生まれた小む…………ご令嬢たちがティハヤ様を傷つけでもしたら、私の命でも償えないよ。もし密談を望むなら、その間だけ少し離れて待っていてもいい。同席させて貰えないかな?」
躊躇うように視線を左右に動かしていた千早だったが、三人のお嬢様に一人で立ち向かう恐怖が勝ったのだろう。最終的には頷き、ラッセルに頭を下げた。
「では、ティハヤ様、私はダイズたちの様子を見てきます。ついでに退屈しているでしょうから散歩でもさせてきます。イスファン殿、人手をお借りしても宜しいか?」
「お願い出来ますか? 兵士さんたちが預かってくれるとは話してたけど、多分退屈してそろそろ暴れだすと思うの」
砦に連れてきてから放置してしまっていた犬たちの様子を見てくると笑ったゴンザレスは、三匹に面識がある兵士を借りて歩き出す。
砦の裏手にある厩舎へと消えていくゴンサレスを見送った千早は、気合いをいれて中庭へと足を進めた。
「「「ティハヤ様」」」
急遽設置されたらしい天蓋は質実剛健な分厚い布で雨避けになりそうだった。その下に設置されたテーブルと椅子も似たようなものだが、ピンクと白のチェック柄のテーブルクロスが辛うじて少女たちが行うお茶会の雰囲気を醸し出していた。
天蓋の外で頭を下げるジョゼフィーヌたちは、同行してきたラッセルへと冷ややかな視線を送る。
「これはこれは殿下。ティハヤ様のエスコートでございますか? お優しいことです」
口元だけで笑んだジョゼフィーヌは千早にエスコートするため手を差し出す。
「……エスコートは男の仕事ですよ、とらないで頂きたいな」
冷えきった瞳と口元だけに優しげな笑みを貼り付けたラッセルは、千早を椅子のひとつへと導いた。
王配自ら引いた椅子に千早を腰かけさせ、目配せと同時に寄ってきた己の執事に自分用の椅子を準備させる。
「ラッセルハウザー殿下、何故席にお着きに?」
千早を天蓋の奥、一番の上座に座らせ、そのすぐ脇に座ったラッセルにジョゼフィーヌが問いかける。
「何か問題でもあるかね?」
「今日は女性だけのお茶会ですわ。殿方はご遠慮頂かなくては」
「はは、大丈夫だよ、ジョゼフィーヌ嬢。ティハヤ様からこのお茶会にご招待頂いた」
ね? と視線を向けられて無言でコクコクと頷く千早をジョゼフィーヌたちは唇を噛む。貴族としての実力も影響力も王配よりも上という自負はあっても、身分はラッセルハウザーに及ばない。こうまで言われては覆せない。
「……ならば良いのです」
「残念ですわ、せっかく楽しいおしゃべりが出来ると思ったのに」
「…………」
口々にざわめきながら席に座る。
ラッセルハウザーの連れてきたメイドが茶を入れ執事がそれを配った。誰から何を話すのかと、牽制を続けるラッセルと令嬢たちを尻目に、沈黙を破ったのは千早であった。
「あの、王都ではごめんなさい。あとありがとうございました」
「何をおっしゃられておいでですか?」
「つまらない落ち人の世話を、望まないのにさせてごめんなさい。歌も踊りも出来ないし、皆さんみたいに楽しい会話も出来なくて、凄く退屈で嫌でしたよね?」
「そのようなことはありませんわ。ティハヤ様は救出されて間も無く、まだ世界の常識も有り様もお分かりでなかったのですもの。致し方のないことでございます」
「左様でございます。ティハヤ様が謝罪されることではありません」
ジョゼフィーヌに続き、アンも慈悲深い微笑みを浮かべながら否定する。
「あと、贈り物、みんなに配らなくてごめんなさい。あれは私の物じゃないと思ってたの。
あの時教えてもらえたお陰で王都を離れる前に、返すことが出来ました」
三人の中では歴史はあるが最も身分が低く、豪華なドレスを着ていてもどこか貧相に感じるジェニファーは、千早の言葉を聞き衝撃を受けた。半開きになった口を慌てて閉じつつ、用意されたお茶を一口飲む。
「…………あの、ティハヤさま?」
「何か?」
「いえ、何でもございません」
ジェニファーは貴族の令嬢としてはあるまじきことに、カチャリと音を発して茶器を置いた。そして躊躇うように口を開きかけ、下を向く。
「さて、ティハヤ様がこの者たちに伝えたかったことは伝えられましたか? ならば茶会は……」
お開きにしてしまおうとラッセルが立ち上がりかけると、ジョゼフィーヌが被せるように発言してきた。
「ティハヤ様! 何故私どもをこの地に受け入れては下さらぬのですか? 今までとて棄民を受け入れて、罪人どもを養い、グレンヴィルには管理者としても地位まで与えられました。
我が家でしたらもっと上手くやって見せます。ティハヤ様には豊かな生活をお約束致しますわ」
身を乗り出して詰め寄るジョゼフィーヌに千早が驚いて微かに身を引いた。その仕草を怯んだと思ったのか、アンとジェニファーの二人も口々に忠誠と己の一族の有能さをアピールしてくる。
「…………穀倉地帯を治めていたのは皆さんの家なんですよね?」
「そうですわ。正しくは半分程度でございますけれど。多くは地主に任せておりましたが、無能でしたら長く収益を上げ続けることなど出来ませんもの。ご期待下さいませ」
「嫌です」
「何かおっしゃられまして?」
下を向いて呟いた千早の言葉を聞き取れなかったジョゼフィーヌが聞き返す。
「嫌です。私は穀倉地帯のあり方を素晴らしいとは思えない」
「何をおっしゃられるの! 無礼ですわ!!」
「ジョゼフィーヌ様に何ということをおっしゃるのですか。この方は長くこの国の食料需給を支えてこられた伯爵家の方ですわよ」
色めき立つ令嬢たちから千早を守るために、ラッセルハウザーが立ち上がる。
その時、中庭の外れから獣の走る爪音が聞こえてきた。
「何でこんなところに犬が出るのです!」
「キャ!」
飛び込んできた犬たちを見て、ジョゼフィーヌが立ち上がりながら叫んだ。
「ジョゼフィーヌ様、アン様、大声を立ててはなりません。犬が興奮します」
持っていた扇で叩き伏せようと立ち上がったジョゼフィーヌに、ジェニファーが忠告する。
遊んで! 遊んで! と尻尾を振りながら、三匹の犬たちは令嬢に飛びかかる。
「ダメ! 止めなさい、ダイ、アズ、ササ!!」
「ああ、ドレスがッ」
ここしばらく雨など降っていなかったにも関わらず、何故か泥だらけだった三匹に飛びかかられた令嬢たちのドレスは無惨にも新しい柄が書き加えられていった。
「この、獣!」
怒りのままに扇を振り上げたジョゼフィーヌの腕を、ラッセルハウザーの執事が止める。
「何をしているのだね。この犬たちはティハヤ様の愛犬だ」
「ですがっ!」
「申し訳ございません。散歩中に綱を放してしまいました!」
睨み合う雰囲気をものともせずに現れたゴンザレスが兵士たちと協力し、ヒョイとダイズたちを抱き上げた。
「知らない人に飛び付いたら駄目でしょ?」
抱き上げられたダイズたちに注意した千早だったが、何か問題でも? と聞くように笑顔で尻尾を振る犬たちに諦めが勝る。
「着替えたまえ」
失笑を浮かべたラッセルハウザーの表情に、事態を察したジョゼフィーヌは地面に向けて扇を叩きつける。
「許しませんわよ!」
中庭へジョゼフィーヌの怒りの声が響くと同時に、黒い霧がジョゼフィーヌの身に絡み付くように現れていた。