66、オジョーサマたち再び
オジョーサマ登場回は11話の陰口です。
実験の日より十日が過ぎた。表面上は穏やかに変わりなく過ごしていたマチュロス領だったが、その訪問者たちは突然現れた。
イスファンやラッセルが対応に出るが埒があかず、グレンヴィル、そして千早へとその訪問が告げられるまでそう時はかからなかった。
「お久しぶりでございます、ティハヤ様!」
「お顔の色もずいぶんと健康的になられて」
「お髪も伸びられましたわね。今ならば結い上げることも出来ましょう」
旅行先とは思えない派手なドレスに、マチュロスの日を浴びてキラキラと輝く装飾品。手袋をはめた繊細な手が握るのは、レースや刺繍で飾られた日傘だ。
ここは砦側の空き地。剥き出しの地面を歩くことを想定していない装いで面会に現れた少女たちだったが、忍耐強く千早の到着を待っていた。
ようやく千早が馬車に乗って現れたが、埃にまみれるのが嫌なのか、それとも家畜の臭いを嫌がったのか、かなり慎重に歩を進めていた。
「……お嬢様方」
リードを着けた三匹を荷台に乗せた千早は、信じられない客人の訪問に呆然としている。荷台に乗ったゴンザレスもまさか訪ねてきていたのが例の令嬢たちだとは思わず、驚きに目を見開いていた。
「ジョゼフィーヌでございます。お久しぶりでございますこと」
「アンでございます。またお目にかかるのを楽しみにしておりました」
「ジェニファーでございます。過日はご挨拶すら申し上げる時間もなく、御前を離れることになり、私どもも涙に暮れておりました」
片手で豪奢なスカートをつまみ、略礼を送りつつ口々に囀ずる少女たちを見て、ゴンザレスは堪えきれず荷台の上で鼻を鳴らした。
少女たちは上から下まで千早を嘗めるように視線を走らせ、失笑を堪えるような表情を浮かべる。そこに聞こえてきた音に反応し、無礼者と言わんばかりのギラリと底光りする視線をゴンザレスに浴びせかけた。三人の中でもっとも早く千早の視線に気がついたジョゼフィーヌは、華やかな微笑みに瞬時に切り替えて千早に近づく。
「ティハヤ様、何か誤解がある様でございます。どうかお話しさせて頂けませんか?」
馬車から降りるのを手伝おうと、ゆっくりと優雅に差し出された腕は、シミひとつなく日焼けすらしていない。千早は自分の手と無意識に比べてしまった。
以前よりは肉がつき、年相応にふっくらとしてきはしたが、五年超に渡る重労働のダメージはいまだに色濃く残っている。
小麦色よりも更に一段濃く日焼けし、乾燥した肌は滑らかではあるが硬い。海風を浴び、ひび割れた唇は白く粉を吹いている。今まで気にしていなかったが、手入れひとつしていない顔はきっと酷いものだろう。
今の自分を恥じるつもりはないが、ふと見比べた自分の手は、日々農作業に明け暮れたせいで、爪に土が入り込んで黒ずみ取れなくなっている。せめて王都から持たせられたおしゃれ着で来れば、少しは自信が持てたのかもしれないが、いつもの普段着のままで来てしまった。汚れてこそいないが少女たちと並べば、明らかに見劣りする。天上のお嬢様と良くて使用人、普通に見れば貧しい農民の自分。彼女たちとは生きる世界が違いすぎた。
そんな自分の手と純白の手袋に包まれたジョゼフィーヌの腕を見比べた千早は、腕を取ることなく荷台を滑り降りる。
「あの、何かご用ですか? ここは海風が吹くし、光も浴びるから……」
美しい彼女たちが汚れるのはダメだと、砦か外に設置されている彼女たちの天幕にでも入ろうと口を開きかけた時、三人の少女が一斉に泣き出した。
「お助けください、ティハヤ様!」
「どうかご助力を」
「私どもの領地は」
ドレスが汚れるのも厭わず、膝をついたジョゼフィーヌと、互いに抱き合ってすすり泣くアンとジェニファーに呆気に取られていると、後ろからラッセルハウザーが表れた。
「ティハヤ様を煩わせているのではあるまいな」
王族としての声音、視線で三人に問いかけたラッセルは、恭しく千早に頭を下げる。
「本日はご足労を賜りありがとうございます。
砦に部屋を準備しました。どうぞこちらへ」
ラッセルに向けて礼を尽くす三人に見えないよう、千早にいたずら小僧のような笑みを向けたラッセルは砦を示す。
「あの……」
躊躇いながらも話しかける千早に、ちょっと待ってねと口の動きだけで伝えると、今だに姿勢を戻さない少女たちに向き直る。
「レディたちは謁見の間でティハヤ様のお越しを待つはずではなかったかな? 何故ここに?」
「ラッセルハウザー殿下、私どもは」
「君達のような高位貴族の令嬢が、人前で膝をつくとは……立場を弁えられるべきだと思うが。
ティハヤ様のご準備が整い次第、謁見となる。早く控えの間に戻り、身なりを整えられよ」
「……それが年若いレディに対するお言葉ですか?」
不服そうな顔をしたジョゼフィーヌは残り二人を背後に従えて、ラッセルハウザーへと不満を述べる。
「若いレディだからと言って何をしても許されるという訳ではない。特に伯爵家のご令嬢であれば、他の者たちの模範となるべきであろう。穀倉地帯きっての大貴族のご令嬢として当たり前の事だと思うがね」
「殿方には分かりませんわ。女には女の、少女には少女の世界がございますもの。お父様や殿下が同席する会談で話すことは出来ませんわ。
風雅を愛する公爵閣下と名高い殿下ともあろうお方がそのようなことも分からぬとは、噂とは当てにならぬものですわね」
勝ち誇る微笑みを浮かべるジョゼフィーヌに、鼻白んだラッセルは重ねて下がるように命令した。
少女たちは不服そうな表情のまま、ゆっくりと姿勢を正し千早を見つめる。
「あの、後でお話が必要なら」
「ティハヤ様はやはりお優しい」
「沢山おしゃべりいたしましょう」
「ありがとうございます」
千早から面会の約束を取り付けると、用は済んだと言わんばかりに、さっさと砦へと戻っていった。その少女たちを見送る大人たちは怒りを表に出さないように細心の注意を払っていた。
「よろしかったので? あの者たちは」
「ゴンザレスさん、心配してくれてありがとうございます」
荷台から降りて近づいてきたゴンザレスに礼を言うと、千早は苦笑を浮かべた。
「多分話さないと納得しないと思うし、あの時は退屈させちゃったからお詫びもしたい。それに彼女たちに言われたからお礼状が必要だって知れたし、ここに来る前に返せたの」
「しかしあの者たちは」
「覚えてるから大丈夫。でもあの人たちにとっては確かに私は退屈な落ち人で、役に立たない厄介なお客様だったと思うから」
卑屈な内容を当たり前のように話した千早に、男たちの怒りは更に燃え盛った。互いに目配せを交わし、どう慰めるか打ち合わせる。
「ティハヤ様、そんなことは言わなくていい。君の普通と彼女たちの普通は違うんだ。もし服装が気になるなら、湯を準備させるしドレスも幾つか妻に持たされてきた。着替えることも出来るよ」
「その方がいいなら着替えます。皆さんに恥をかかせたいわけじゃないから。でも、私じゃ似合わないよ、きっと」
「そんなことはない。場に相応しい服装をと思って着替えるというならば、気にしなくていい。彼らに会うのに、着替える必要などないよ。いっそ室内で会うのももったいないくらいだ」
「でもラッセルさんやイスファン隊長たちも困ってるんでしょう? 穀倉地帯の農民たちがマチュロスを耕すために移動してきたって聞いたし」
「追い返せばよろしいのです」
「イスファン隊長?」
「マチュロスは今の人員で事足ります。わざわざ食い詰めた農民など受け入れなくとも良いのです。それを監督と称して、伯爵家の娘婿や下位貴族を送り込むなどと」
「リアトリエル女王も此度のことは許可していないからね。ティハヤ様がオッケーを出さない限り、彼らの罪は覆らないよ。王に与えられた領地を勝手に離れて、農民たちを移動させるなんて何を考えているのやら」
断っても落ち人様に会うまではと居座る貴族がいるから、一度だけ会って断って欲しい。そう頼まれて来た砦だったから千早も気楽に来た。
まさか自分のお世話をしてくれていたお嬢様たちが来ているとは思わなかったのだ。
率いてきた手勢は少なく、穀倉地帯の貴族たちを相手にするには少々心許ない。イスファンとも話し合い、本隊を呼び寄せるまでの時間稼ぎにこの会談を設定したラッセルハウザーは、千早への対応を見て後悔し始めていた。
ラッセルに連れられて砦へと入った千早を見送った男たちの視線がゴンザレスに集中する。
「あの娘たちはなんだ? ゴンザレス殿は知り合いのようだったがどのような繋がりがあるのか?」
「私がティハヤ様の衛士をしていたときに、先王から使わされたティハヤ様の侍女たちの一人です。控えの間にてティハヤ様を愚弄する言があり、任を解かれ領地に戻されたと聞きました」
端的に何があったか話すゴンサレスに、兵士たちの顔つきが変わる。
「ティハヤ様も聞いていらしたのか?」
「そうです。その場で控えの間に乗り込もうとした私を止められ、自室へと戻られました。どの面下げてこの地に来たのか、私には理解不能です」
「穀倉地帯は蝗帝により滅んだ。今も大地には草一本すら生えないと聞く」
「殺してやろうか」
「隊長、始末しちゃダメですか?」
千早の護衛として同行していた兵士たちが、冗談めかして話すが、その瞳は笑っていない。
「………………要検討だな」
「やっりー」
「お、なら話を広めないと駄目ですね」
やる気を出す兵士たちは、イスファンに命じられるまま馬たちを休ませにいった。
「ゴンザレス殿も会談に同席して欲しい」
「喜んで」
頷きあった男たちは、千早の後を追って歩き出した。