63、実験場
「あの、お掛けになったら」
急遽運び入れられた椅子に腰かけたらどうかと、千早は立ち続けるエリーにむけて声をかける。
短時間とはいえ、千早が待機する部屋の為、室内は快適に整えられている。望めば横になれるソファー、飲み物と菓子が置かれたサイドテーブルは手を伸ばせば届き、立ち上がる必要もない。
床には変わった柄の敷布があり、千早のソファーがその柄の中心になっていた。
窓はないが、その分、圧迫感を与えない為か風景画がいくつも飾られている。
敷布のない場所に置かれた椅子はエリー用として置かれたものだったが、それに座ろうとはせず、入ってきた扉の前に立ったままだ。
「ティハヤ様」
「そう思い詰めないで下さい。イスファン隊長やナシゴレンさんたちも一緒ですし、大丈夫ですよ、きっと」
「ウチの宿六は、気の優しい男です。あの時も同僚を庇って足を怪我しました。軽い捻挫で、数日間か大人しくしていれば治るはずだったのです。なのに何故こんなことに」
泣き出しそうな、怒り出しそうなそんな複雑な表情を浮かべたエリーは乱暴に椅子に腰かけた。
「ねんざくらいで、罪人に?」
「ええ、そうでございます。あの時砦にいた負傷者は全て、あの忌々しい魔術士の術に巻き込まれたのです。落ち人様を害すると知っていたならば、己が死んでも術などを望む夫ではないのです」
千早はその時初めて、軽傷者であってもあの当時救護所にいた全員が、エリックの術の対象となり、全員が罪人としての紋を刻まれたと知った。自分の意思ですらなく、巻き込まれたと言ってもおかしくはないその状況に絶句していると、下から突き上げるような揺れを感じる。
「地震?」
「あんたッ!」
珍しいと周囲から落ちるものはないかと確認する千早を尻目に、エリーは弾かれたように立ち上がり扉へと向かう。
「あんたッ! 大丈夫かい!
答えとくれ!」
エリーは扉を連打し続ける。揺れる扉の先からの反応はない。
「エリーさん!」
敷物の上から出ないで欲しいと頼まれている千早は、立ち上がって腕を伸ばす。
「ティハヤ様、私は!」
エリーが取っ手に手をかけて外に出ようとすると同時に二度目の縦揺れが襲う。
「何で音がしないの?」
ガタガタと音がしてもおかしくはない揺れにも関わらず、部屋の中に響くのはエリーの発てる音だけだ。
千早は、耐えきれないと飛び出していくエリーを見送った。扉が開いている間、慌ただしく動いているのであろう音がする。
扉が締まり耳が痛くなるような沈黙の中、ただ立ちすくむ。
耳を澄ましても、先ほど聞こえた実験の気配は感じられない。それどころか、部屋の外にいるであろう人々の息づかいも風の音すらしなかった。
「………………行こう」
いくらなんでも変だと感じた千早は、叱られる覚悟を決めて敷布の外へと歩き出す。そっと扉を開くと同時に、ざわめきに包まれる。少し離れた扉の前で揉み合うエリーに向けて、千早は足早に進んだ。
*
半地下の実験場は今日この時の為に作られたものだ。丸太で作られた壁は二重であり、更に泥が塗られ防音の役目を果たす。
窓はなく明かりは吊り下げられたランタンや壁に掛けられた松明のみ。空気穴すら実験の最中は塞がれる。その為、照明も最低限となっていた。
薄暗い部屋の中には魔方陣がひとつ。ぼんやりと光を放っている。
魔方陣の中には杭が六本立てられ、そこから鎖と枷が延びている。
「覚悟はいいか?」
「はい」
固い表情を浮かべたままのアイズは頷いた。
「君の勇気を讃えよう」
「光栄です、ラッセルハウザー閣下」
急遽立ち会うことになったラッセルに頭を下げたアイズは、魔方陣を踏まないように気をつけて中に入る。仰向けで寝転がると、手足を保護する為に巻かれた分厚い布の上に枷を掛けられた。更には腰も上から押さえつけられるように鎖を掛けられる。
その全てが緩みなく杭に繋がれていることを確認した兵士たちは、アイズから離れる。ナシゴレンが手に折り畳んだタオルを持って、アイズの顔を覗きこんだ。
「何があるか分からない。舌を噛まないようにこれを噛んでおけ」
無言で頷き口を開けるアイズにタオルを押し込む。
「準備は出来ました」
「エリック、用意はいいな」
「無論だ。全員魔方陣から離れろ。巻き込まれるぞ」
前日から不休で準備を続けていたエリックは、瞳孔が開いたままの瞳をイスファンたちに向ける。
「ティハヤもいるな、では始める」
そのエリックの宣言と同時に魔方陣が輝きを強くし、半地下の実験場に縦揺れが襲う。
光に押されるように体を浮き上がらせたアイズは、鎖を音を響かせる。かなりの苦痛が襲っていることは表情からも明らかだったが、声を発しようとはしなかった。
「音は外には漏れていないな?」
アイズを観察しつつ、イスファンはナシゴレンに確認する。
「エリック自身がティハヤ様の部屋には外からの音を消す術をかけ、この実験場にも防音の術をかけました。更に建物自体も音を漏らしにくい構造となっています。ご安心を」
「ならばよい。ティハヤ様のお耳に入ったら、気にされるだろう」
アイズは声は立てぬまでも暴れ、鎖がすれる音を絶え間なく発している。
全身から汗が吹き出し、血管と筋が浮く。食い縛った口元からは飲み込みきれなくなったよだれが垂れている。
「ティハヤから奪った力の循環路は特定できた。実験を続ける」
表情を歪めてアイズを観察する人々に、エリックが冷静に告げる。まばたきひとつせずに、どんな影響も見逃さないと観察を続ける表情は鬼気迫り、狂気すらも感じた。
「次は循環路の流れを逆にする。ティハヤへ直接還すのはまだ危険だから、今回は固定化し物質化させる」
被験者であるアイズに説明をしているのだろうが、エリックの声を聞く余裕はないだろう。苦痛から逃れようと無意識に暴れる身体に振り回されながらも、せめて声だけは立てまいと決めているアイズはただ実験の終わりを待っていた。
エリックの杖が魔方陣の一ヶ所を叩く。それと同時に先程よりも更に強い揺れが実験場を襲う。泥を塗った壁の一部が剥がれるほどのその揺れにも動じることなくエリックの実験は続く。
暴れる身体を包む光が強くなる。力が暴走しているのか、アイズの近くにあった明かりがひとつ、またひとつと消えていく。
「……ッア、ガッ…………グ」
押し殺そうとしているが殺しきれない苦痛の声が漏れる。光に照らされた手足が痙攣を起こす。
「グゥゥゥ!!」
ひときは大きな苦痛の声がすると同時に、右の足首に嵌められた枷から血が吹き出す。それを皮切りに、負荷に耐えきれなくなった体のあちこちが裂け血を流し始めた。
血が宙に浮かび、仰向けで拘束されているアイズの上に集まってくる。ぐるぐると螺旋を描き集まる血は、力を受けて固まっていく。
「なんだ?」
突然、魔方陣は輝きを失う。
エリックは原因を探るため、周囲を歩き回っている。
拘束されたままのアイズは荒い息を吐きながらも意識を保っているようだ。顔を動かし、自分の上に浮く暗褐色の塊を見つけて安堵したように細く息を吐く。
重い音を発しながら実験場の扉が押し開けられたのはそのときだった。
「あんたぁ! 無事かい?! 生きてるかい?! ああ、こんなに血だらけになってっ」
扉を開けた兵士たちを押し退けるようにしてエリーが中に駆け込んでくる。そのまま魔方陣を踏みつけアイズの元へと駆け寄った。
「怪我がっ。今、外すからね」
慌てて枷を外そうと腕を伸ばすエリーにむけて、タオルを吐き出したアイズが口を開く。
「何故ここに」
「あんな風に揺れて、あんな何の音もしないような所に閉じ込められて、待ってろなんてあんまりじゃないかい!」
「やめろ、外すな。まだ実験は……」
「これはどういう事ですか?」
エリーに向けて話すエリックの声と遅れて入ってきた千早の声が重なる。
「何で傷だらけ? それに浮いているのは魔石?」
血の臭いに眉をひそめながら問いかける千早に、何故ここにいるのかとイスファンたちに疑問が生じる。
「ねえ、聞いてるんだけど」
苛立ちを含んだ問いかけはエリックに向けられているようだ。
「お前から盗んだリソースを戻す実験をしていた。罪人たちの体には既にリソースが定着している。更に今もお前からリソースが微弱ながら流れてきている。
その流れを逆転させる実験だ」
「リソースは目に見えない力でしょう? なんで怪我してるの?」
「体に流れる力を無理に逆転させればそれだけでも負担は計り知れない。しかも本来は持たない人の身には過ぎた力だ。当然と言えば当然だな」
冷静に状況を観察するエリックに、兵士たちの殺意すら混じった視線が向けられる。そもそもエリックが余計なことをしなければ、グレンヴィルだけが落ち人の力を得ていたのだ。
「…………大丈夫ですか?」
枷が外されエリーに支えられて立ち上がったアイズに千早は問いかける。
「ええ、見た目こそ派手ですがさほど深手はありません。ご安心下さい」
にっこりと笑ったアイズは、大丈夫だと頷いている。エリックはアイズに注意を払うことなく、落ちた暗褐色の塊を拾い観察している。
「アイズに渡された当時のリソースに比べて質も悪く、力も弱い。およそ十分の一かそれ以下だな。今回は途中で実験が中止になったが、それを加味しても、これでは何度も繰り返して返済することになるか」
「それでも、全く何もしないよりはマシだろう」
「イスファン隊長?」
「我々は少しでも償わなくてはなりませんからね。世界にも、ティハヤ様にも、神々にも」
「ナシゴレンさん?」
「ティハヤ様が気にすることじゃないよ。これは彼らの落とし前だからね」
「え、ラッセルさんまで……」
負担は大きいが現状において、少しでもリソースの返還ができるならばと、イスファンたちは覚悟を決める。それを困惑の表情で見つめる千早を宥めるように、ラッセルハウザーが話しかけた。
「でも、私のせいで」
「違うよ、ティハヤ様のせいじゃない。五年前の結果を、彼らは果たさなくてはならないだけだ。でも、そうだなぁ、今回の彼はイスファンたちの中でもかなり軽傷だったのだろう?」
「ええ、そうですね。軽傷者の中から選びましたので」
「ならば、もっと重い怪我をしていた者たちでは命に関わるのではないかね?」
その問いかけは確信を持ってエリックに向けられていた。
「まあ、冷静に考えてそうだな」
「一度で命に関わるのならば、繰り返さなければいけない君の術式では不十分だ」
「分かっている。更に精度と純度を高められるように、術を組み直す」
「…………それでも命を落とすのではないのかね?」
「一度でリソースを全て返還できるのであれば構わないだろう。それが神に課された命令だ」
データをメモしながら、悩むことなく答えるエリックから視線を外し、千早を見つめたラッセルハウザーは困ったように微笑んだ。
「ごめんね、ティハヤ様。私ではオルフェストランス神様からのご命令に異を唱えることは出来ないんだ。ティハヤ様がきっとこんなことは望んでいないってことは分かっている。
でもそうだね。私は王配として、神から与えられた落ち人様の幸せという使命と、リソースの返還という命令のどちらを守ったらいいのだろうね。教えてはくれないかな? ティハヤ様は神と語り合える数少ないお方だと聞いているんだ。どうか、このバカなおじさんの為に、知恵を貸して欲しいんだよ」