62、おっきくならないモフモフたち
驚くほどにフレンドリーなラッセルを見送った千早は、帰って来た犬たちとお土産のおもちゃで遊んだ。
やんちゃ盛りの犬たちも、今日は全力で遊んだせいか、部屋の隅で団子になって寝ている。
「変わった人だったね……」そう呟いた千早の声に犬たちの寝息が答える。時折見回りの兵士たちの足音が響くなか、静かに夜は更けていった。
翌日も綺麗に晴れ、農作業日和だと千早は気合いを入れた。予告があったから準備していたとはいえ、昨日は半日近くも働かずにいた。千早自身が畑に出なくても、ローテーションを組んで駐在する兵士たちが作業を続けてくれる。だが、サボったようで気になる。
今日こそはと思いながら、犬たちを遊びに出し、出入りが自由に出来るようにと扉の一部を開けておく。
「さて、頑張りますか」
ぐっと力を入れて伸びた千早が、畑に向かって歩き出した時、ダイズが珍しく吠えたてた。
「どうしたの?」
振り向くと早朝にも関わらずエリックが近づいて来ている。
「お久しぶりです」
「ああ」
千早は首を傾げて、何か用かと疑問を浮かべる。
「元気そうだな」
「お陰さまで。エリックさんは」
もう大丈夫だからとジンたちに言われて、食事の運搬を止めてから早数ヶ月。たまに遠くで見かけはしても会話をしていなかった二人の間にぎこちない空気が流れる。
「犬や猫だが」
「ダイズたちがどうかしたの?」
「あいつらは親たちほどは大きくならないだろう。今の大きさで成体だ」
ぼんやりと駆け回って遊ぶダイズたちを見ていたエリックがそう話す。親世代は超大型犬だったが、ダイズたちは小柄なハスキー程度の大きさでその成長を止めていた。
「何で? ご飯が足らない?」
驚いて仰ぎ見る千早に、エリックは首を振る。
「元々の犬の大きさはあいつらよりも更に小さい。リソースが不足し、世界が歪むと生き物たちにも歪みが生じる。
魔物しかり、野生動物の凶暴化しかり、家畜たちの大型化しかり……。魔物は元々は野性動物だったという研究結果もある」
「ならここに住むダイズたちが大きくならないのは良いこと?」
「ああ、研究の結果、マチュロスには力が満ちている。我々の世界にある力とは少し違うようだが、生を営むには十分な力だ。ベヘムだったか? あいつの家畜たちも大きくならなくなったと聞いた」
そう言えば、最近産まれたこども達は比較的小さいままだったと思い出した千早は、安心したように微笑んだ。
「ウチのご飯が足らなくて、おっきくなれないなら問題だけど、そういうことならいいのかな?」
「食事は足りているだろう。走る犬を見ろ。腹が揺れている」
「あー、ササゲったら……。ダイエットさせなきゃ……」
他の兄弟たちの分までがっつくササゲは、明らかにふくよかだった。今も兄弟たちの中でも一回り大きい体を振りながら、駆け回っている。
「兵士たちのランニングに同行でもさせればいい。いい運動になるだろう」
「お願いしてみようかな。ところで……」
「実験の準備が整った」
「実験?」
心当たりのない千早が困惑の表情を浮かべる。
「なんの?」
「力を返す為の実験だ。協力して欲しい」
「力? 何のこと?」
本気でポカンとしている千早に、リソースを戻す実験だと続ける。
「理論上、これで落ち人から奪った力を、我々から引き剥がすことが出来るはずだ。消費したモノについては、何度かその術式を掛けることにより、我々が本来持っている力から補填できるだろう」
「別に要らないよ。今、不自由ないし」
「それでは世界が許さない。それに今は力がないことが普通だから、不自由を感じていないだけだろう。力が戻れば何でも出来るぞ」
不思議そうにエリックを見つめる千早は、別に力なんかいらないと苦笑を浮かべた。
「とにかく、神からの命令だ。お前に力を返還する。ただ近くにいてもらうか、媒体となるモノを預かるか、どちらかをしなくてはならないんだ」
「媒体って?」
「目印みたいなものだ。血や髪等の体に一部が必要だ。お前に返す力だからな。我々から絞り出した力を、その媒体目指して集め固める。
一番いいのはお前自身が近くにいることだ」
「よくわからないんだけど」
「見れば分かる……いや、知らなくてもいい。重要なのはお前に力が戻ることだ。明日、三又村の外れで実験を行う。悪いが同行して欲しい」
「同行して何すればいいの?」
「何もしなくていい。実験場の近くに部屋を用意した。そこで大人しくしていてくれ」
それくらいならと頷いた千早は、明日もお出掛けなら頑張らないといけないねと呟いて畑に向かう。
「俺は一足先に三又村で準備をしている。明日はここの兵士たちが護衛を勤める」
「はぁい。じゃ、またね」
出かけるというエリックを見送った千早は、早速畑へと歩き出す。今日も手伝ってくれる兵士たちが既に働いていた。
雑草を抜き、水を撒き、苗の定植をし、飽きた犬たちに構う。普段はエリックのところで過ごす猫も外に出されたようで、作物の下の日陰て眠っている。
平和を絵に描いたような一日を終えて、夕飯の準備にかかる。最近になって千早の希望により、ジンから簡単な料理を習い始めていた。まだ伸び代を感じる手付きでの包丁使いに、周囲をハラハラさせながらも千早は一つずつ出来ることを増やしていた。
翌日、昼前になりジンに声をかけられて千早は作業の手を止める。
「もう時間?」
「そろそろご準備を。お昼は軽食を準備いたしました。ミュゼたちが同行いたします。馬車にお乗りください」
「もしかして、私も馬に乗れた方がいい?」
家の前に繋がれた馬車に向かって歩きながら千早は問いかけた。
「どちらでも大丈夫です。ティハヤ様のお望みのままに」
犬たちを家に入れてきたミュゼが答える。お留守番だとわかったダイズたちは、不服そうに吠えたてている。
「馬のほうが早いよね」
「それはまぁ」
「なら覚えるかな。誰か教えてくれる?」
「お望みとあればお教えしますが、二人乗りしなくてはならない場合もありますし、御体に触れなければならないこともございます」
「うーん……、平気。頑張る。
戻ってきたら教えてくれる?」
「かしこまりました。イスファン閣下にご報告して、ティハヤ様用の馬の手配と、指導者の手配をいたします。俺よりも上手い人がいますから」
指導者と聞いて顔色を曇らせた千早に気がついたミュゼが、罪人たちから選ぶと安心させる。これを機に女性の指導者を手配し、罪人以外との付き合いをとも考えたが難しそうだ。
そう判断したミュゼはジンと視線を交わす。
「ティハヤ様、我々で良いのですか? 女性の指導者もおります。そのほうが気安いのではございませんか?」
「…………うん。いえ、いや……出来たら皆さんのほうが」
歯切れ悪く呟き、更に視線をさ迷わせる千早に、ジンたちは計画を完全に諦める。
「ご無理を申し上げた。女性用の乗り方に詳しくはございませんが、精一杯お教え出来るよう手配します」
二人に頭を下げられた千早は、こちらこそよろしくお願いしますと深々と頭を下げる。互いに低頭を繰り返すことになった三人は、しばらくして待ちくたびれた兵士たちに呼ばれ、ようやく出発した。
整えられた道を馬車で一時間超、 軽く駆けさせて到着した三又村にはトーパ村から移転してきた数件の民家が建っている。
村の入口には兵士たちの詰所があり、千早の家と村を隔てるように、簡易砦も作られていた。
空堀を掘り、丸太を立て囲った簡易砦の中に招き入れられる。砦の中には平屋の建物がいくつか見えた。
「ティハヤ様、あちらへお願いします」
「馬車はこちらでお預かりを」
吊り橋砦から今回の実験の為に移動してきた兵士たちが、千早の到着を見つけ駆け寄ってくる。馬車の手綱を受け取り、一人が建物のひとつに向かう。馬小屋なのだろう、建物の中から嘶きが聞こえてきている。
「あれ? 女の人?」
中央の一際大きな建物に向かう千早が、小さな小屋が連なる前を通りすぎる時、兵士たちではあり得ない鮮やかな色彩を見つけて足を止めた。
「申し訳ございません」
「ジンさん?」
顔色を変えて頭を下げる兵士たちに驚いた千早は、助けを求めるようにミュゼを見上げる。
「あの……これは、その……」
「三又砦に女の人いたんだね。ここに来る前に寄った砦にも女の人たちいたし、当たり前かな? たくさんいるの? ご挨拶したいな」
「ティハヤ様!」
「あ、こんにちは、ナシゴレンさん」
騒ぎに気がついて飛び出してきたナシゴレンに、千早はのんびりと挨拶する。そんな千早の前に到着したナシゴレンは、地面に頭を叩きつける勢いで膝を屈した。
「え、あの」
「申し訳ございません! 決して常に兵士以外がいるわけではございません。此度、実験に参加する兵士の妻を呼んだのは、私の判断です。どうかお許しを」
鮮やかな布を見た気がした小屋から、おずおずと二人の男女が出てくる。中年と高齢の境、イスファンたちよりも更に年上であろう男と、日々の労働で荒れた手をした女だ。
精一杯着飾ってきたのであろう艶やかな姿だったが、その表情は晴れない。
「ティハヤ様、ご無沙汰しております」
「え……あの」
「お忘れでございますね。当然でございます。
防衛砦でお世話を致しました、料理婦でございます。
この度、うちの宿六が光栄にも実験の第一号に選ばれました。その為、ナシゴレン様の格別なお計らいで、数日この砦に滞在を許されました」
ふくよかな体を折り曲げて、精一杯礼儀正しく振る舞おうとしている婦人を見て、千早は入浴の手伝いをしようと声をかけてくれた明るい料理婦を思い出した。
「ああ、あの時の!! ご無沙汰してます。すぐに気がつかなくてごめんなさい」
「いえ、あの頃は本当にお辛そうでございました。すっかり見違えるようにお美しくおなりで、安心しました」
「えーっと、普通に話して貰えませんか?」
「そんな、めっそうもない! 落ち人様とは存じ上げず、あの時は本当に申し訳ないことをしまして。後から知らされて、そりゃぁもう、腰が抜けましたよ」
話せば話すほど、素が出てくる婦人を夫である兵士が止める為に裾を引く。
「あ、今回の実験の……。あの、無理しないでくださいね。私はもうどうでもいいので」
兵士に視線を移した千早が微笑むと、周囲の兵士たちが一様に顔を伏せる。
「…………でも、もしかして、力が戻ったら、魔物を滅ぼしたり、世界を力で満たして実りをもたらせたり出来るのかな?」
「……………………おそらくは」
絞り出すように同意したナシゴレンは頑なに顔をあげようとしない。実験台になる兵士も、唇を噛み締めている。
「なら私の為じゃなく、世界の為なのかな?
それなら止められないよね。えーっと」
料理婦に話しかけようとして、名前が分からず止まる千早に、妻はエリー、夫はアイズだとジンが囁く。
「エリーさん、良かったらご一緒に」
「エリー、そうさせて頂け。お前は実験場には入れない」
「だけどあんた」
「別れはすんだ。本来であれば、会うことも叶わず、ただ伝えられるだけだったんだ。何があっても……な」
「でも」
小声で交わされる会話を聞き取れなかった千早が、エリーたちの答えを待つ。終わりを告げるように首を振り、すがり付くエリーの手を振り払ったアイズは、千早に向けて妻を押す。
「ティハヤ様、申し訳ございませんが、お願いしてもよろしいですか?」
千早とエリーはナシゴレンに同行され建物の一室に、それを見送ったアイズは今日のために掘られた隣接する半地下の建物へと入っていった。




