59、野宿じゃないの!
夜、人里離れた森の中、ぽっかりと空いた空間に数人の人影がある。冬を越したとはいえまだまだ花冷えも厳しい夜だ。パチパチと乾いた音を発てる焚き火に近付き暖をとる人影たちは、疲労した空気を漂わせている。
その中でも一回りは小さな人影が、乱暴に焚き火へと枝を投げ入れながら声高に話し始める。
「もうイヤ!」
「聖女様」
「私は聖女なんかじゃありません!!」
膨れる少女を宥める女騎士に一瞬嫌悪と怒りが過る。
「アリス様、どうか落ち着かれてください」
「だって……」
「ようやく魔物の足跡を見つけ、数日中には討伐も可能でしょう。そうすれば町へと戻れます」
「まだ何日もかかるの?! 疲れた! 足が痛い!! こんな寒い中眠れない!!」
体育座りのまま顔を両腕に埋める様に伏せ、頭を振る。
「法王様もアリス様の頑張りを誉めていらっしゃいましたよ」
「私以外にも、聖女も勇者も沢山生まれたって言ってたじゃない。ならもう私がロズウェル様に同行する必要はないわ。もう修道女なんてやめる。
お母さんに会いたい。お兄ちゃん、アリス、おうちに帰りたいよぅ」
女王リアトリエルに謁見し、穀倉地帯北西からマチュロス周辺までの魔物討伐を命じられてから、毎晩のようにごねるアリスに周囲も呆れ顔を浮かべている。
ロズウェルと同行するように命じられた騎士は五名。その中で唯一の女騎士であるエマが、アリスを宥めすかす立場になるのは当然の流れだった。
「ロズウェル、見張りだが」
「私はまだ体力に余裕があります。二直目の深夜を受け持ちます」
「いや、明日以降はいつ魔物と接触するか分からない。まとまった睡眠をとれ」
「申し訳ありません」
「気にするな。神から魔物の討伐を命じられたのは貴殿だからな。今回のは特に大物だ。我々も加勢はするが、主戦力は貴殿だ。
聖女アリス、貴女もそろそろテントで休まれるがよかろう」
いまだにごねるアリスをなだめ続けるエマと、もう一人の部下に、最初の見張りを任せ残りのもの達は眠りにつく。眠っている間に地面から上がってくる寒さや湿気にも慣れた。聖女以外は雑魚寝も良いところだが、騎士たちに文句はなかった。
「イヤ! 夜営っていっても野宿じゃない。マチュロスを出てから屋根のあるところで眠れたのはほんの数えるほど!
しかも私が気絶している間がほとんどで、街を楽しむことも出来ない」
「聖女様、テントがあるだけでも……」
「暖かい家で眠りたい。風の音で目が覚めるのはいや。魔物にも獣にも怯えたくない」
「安心していい。君は騎士たちに守られている」
「ロズウェル様はそう言うけれど、私は戦えないもん。怖いものは怖い……え、何、なんの音?!」
甲高いアリスの声に、夜闇の森が蠢きだした。その気配を感じた騎士達は、手近な枝に火を灯し、周囲の地面に投げ広げる。
「ロズウェル」
「来ますね」
「アリス様は私の背後に」
警戒の姿勢となった騎士達は武器を抜く。エマはアリスに背中にしがみつかれたまま警戒の視線を周囲に向ける。
馬を守るために立ち位置を変え、ロズウェルは飛べる愛馬の手綱を解いた。
「来るぞ!」
葉擦れの音と木の枝をへし折る音をたて突撃してきた魔物を迎え討つ。
「いやぁ!!」
明かりにぼんやりと浮かび上がったシルエットの醜悪さにアリスが悲鳴をあげる。
「キキキキキキキ」
「ギィィィィィ」
炎に怯むこともなく森の木々の上から瞳を不気味に光らせ、双頭の大百足が騎士達を威嚇する。
そのまま大きな体からは予想も着かないほど俊敏に、脚を動かし騎馬に迫る。泡を吹いて逃げようと暴れるが、騎士たちの馬は手綱を木に結わえ付けられたままだ。馬を失っては大変だと、間に騎士たちが立ちふさがる。
「な、何だ、アレ」
「うわっ!! 目、目がぁ」
向けられたのは太い触角。だがその先端は虫のソレではなかった。
「口?」
「触角の先から出る液に注意しろ!!」
顔面に毒液を浴び、白い煙を上げながらのたうち回る仲間を見て警戒レベルを更に一段上げる。
「アリス!!」
「聖女様!」
引きずられるように負傷者の所まで連れていかれたアリスは、その傷ついた顔を見て声なき悲鳴を上げる。
「ムリムリムリムリ」
小刻みに頭を降りつつ、後ずさろうとするアリスをエマが止める。
「聖女様、癒しを」
「いや、触りたくない」
「早く!」
怒鳴り付けられ恐る恐る暴れる騎士に手を伸ばす。だが顔を覆う指の隙間から見えた傷口に、怯えたのかせっかく伸ばした腕を戻してしまった。
「聖女様っ!」
叱責を受けても両手を握りしめて動かないアリスに、騎士の一人が舌打ちをする。
「来るぞっ!!」
アリスに視線が集中する中、ロズウェルの警告が飛ぶ。
見れば百足がまた向かってきていた。
「キャァァァァァ」
絹を裂くようなアリスの悲鳴が森に響く。ロズウェルが片方の頭から伸びる触角を切り落とし、胴体を蹴りつける。
そのままもう一方の頭へと向きを変えた時、アリスが発光を始めた。
「ようやくか」
「まったく、遅い」
口々に文句を言いつつも、騎士達は武器を構え直す。アリスの光を浴びた百足の魔物はその動きを明らかに鈍らせていた。
『癒しを』
感情を削ぎ落とした声がアリスから流れ出す。魔物の動きが鈍った内にと、騎士の一人が怪我人を背負ってアリスへと近づけた。
両手から溢れた光が傷ついた騎士たちを包み込む。
『戦え』
傷が癒えた騎士にアリスの声で命じると、今度は魔物に向かって両手の平を突き出す。
『我命ず。澱は地底へと還れ』
苦鳴を上げる魔物にアリスは続ける。
『この世界に歪みは不要。ただ安寧の腕に抱かれよ』
豹変したアリスにも驚くことなく騎士達は魔物を狩る。ロズウェルがトドメを刺すまでに、そう長い時間はかからなかった。
大地に横たわり体液を流す百足の魔物に、輝きを纏ったままのアリスが近づく。
『滅せよ。そなたはこの地にそぐわず』
瞳を開けているのか困難になるほどの光を、アリスは発する。光が収まり、周囲が闇へと戻った後、魔物がいたはずの所には大きな魔石がひとつ転がっていた。
「これはエリックに送る」
「魔石の利用法方についていくつか発見したと報告も受けています。落ち人様の家では燃料代わりに使っているとか」
袋に魔石を積め馬の背に乗せた騎士は、ようやく地面に倒れ付しているアリスへと目を向けた。
「エマ、どうだ?」
「いつもの失神です。そのうち目覚めるでしょう」
先ほどまではなかった隈が浮き、血の気が失せた顔色で寝るアリスの脈を確認していたエマが答える。今回のように魔物相手に力を使うと、聖女であるアリスにも負担がかかるようで必ず数日は寝込む。
町へと戻り、次の魔物の情報を得ている間には回復するだろうということで、騎士達は帰還の準備を進めた。
「ロズウェル、マチュロス近郊だが……」
帰還の準備の間に女王から伝えられた内容を思いだし、騎士の一人がロズウェルに話しかけた。
上空に退避していた愛馬を呼び寄せたロズウェルが視線を向ける。
「マチュロス以西が放棄されたせいか、魔物が増えているらしい。防衛砦からマチュロスへと増援が送られているが、あそこからは勇者も聖女も生まれていない。
リアトリエル陛下のご命令で我々はマチュロス周辺へと狩場を変えることになった。マチュロス周辺の情報については、今調査中だ。分かり次第南西へと向かう」
「了解した」
「先行するか?」
「しかし」
「貴殿はマチュロスから来た。ならば心配だろう。幸い貴殿の愛馬は飛行出来る。先行するならばそれでも構わない」
隊長の提案に首を振ったロズウェルは、興奮する愛馬の首を叩いて落ち着かせている。
「いえ、皆様と同行します。私は聖女アリスと共に女王陛下のご命令で魔物と戦っている身。私情で動くわけには参りません」
「そうか……。正直助かる。この聖女を抱えての旅は辛いからな」
乾いた笑いが周囲に響く中、ロズウェルは南西の空を見つめる。何かを堪えるように一度強く柄を握ると、魔物を狩り続ける決意も新たに馬上へと身を翻した。