58、お花見
望まぬ来客の対応を終え千早が家に戻った春のある日のこと、ようやく庭にある桜の蕾が膨らんできた。日本よりも随分と遅いように感じる開花だったが、それでも春を告げるように思える薄桃色の花弁を見て、千早の心はほんの少しだが浮き立っていた。
小麦の追肥をしていた兵士たちも誘い、花見の宴の支度を進める。あれもこれもとお願いをし、花見の席で好まれるツマミが並ぶ予定になった。
ベヘムたちの予定を確認したところ、四日後の満開の日に集まることに決まった。天の声も太鼓判を押す花見日和で、わくわくしながら準備を続ける。
ペットたちもなにかあると分かったのか、普段にも増して甘え楽しそうにしていた。
「明日は大人しくしてね?」
花見の前日、いたずら盛りのワンコたちに一匹ずつお願いをした。だがダイズたちは聞こえているのかいないのか、尻尾をテシテシと振っている。
「うーん、不安。ミュゼさんにもお願いしてるけど、大丈夫かなぁ。あのね、本当にイタズラしちゃダメだよ?
みんなイイコにしていてね。約束だよ?
クロもね」
にゃー。
棚の上で腹這いになっていた猫がやる気無さそうに鳴く。クロダイは我関せずという表情だ。幼い頃には分からなかったが、クロの前足は短いソックスをはいたように白くなっている。その前足をチョイチョイと動かし、撫でてもいいよと誘っていた。誘われるまま千早が撫でると、リズミカルに動いていた尻尾を棚から垂らしクロダイは静かに伏せる。
話は終わったと判断したのか、それとも飽きたのか、チラッと視線を千早に向けると寝息をたてはじめる。
「大丈夫かなぁ……。最悪はお家だね」
***
「ティハヤ様、お招きありがとうございます」
「こちらは私が作ったパテです」
「ティハヤ様、私もお手伝いしたの!」
ゴンザレスの妻のマーガレットと娘のシャーロットが差し出してきたのは、ミンチ上のタネをパイで包み焼き上げたものだった。バスケットの中に大事そうに入れられたパイの横にはビン詰めのピクルスが置かれている。
「ありがとうございます。まだ温かい」
「朝に焼いたから、まだホカホカなの……です。こっちは木苺ジャムで作ったデザートのパイです」
いつもの口調で話そうとして父親に睨まれ、慌てて口調を変えたシャーロットに千早がお礼を伝える。
「ありがとうございます。夕飯に頂きますね」
「お口に合えば良いのですが」
笑顔で挨拶を交わすゴンザレス一家だったが、犬の鼻声を聞いて玄関を見つめた。ガタガタと音を発てて揺れる扉を見られ、千早が恥ずかしそうに笑う。
「あの、イイコに出来なさそうだから、今日はお留守番をしてもらおうと思っていたの。でも大暴れしてるみたい」
「ワンちゃん会いたいし、出してあげたらダメ?」
「うーん、今日はいっぱい食べ物も出るし。ご迷惑じゃ」
「大丈夫です」
頷くゴンザレスを見てから、千早は玄関を開ける。飛び出してきた犬たちは千早に飛び掛かる。
「こら、駄目だ!」
三匹に飛び掛かられてよろめく千早に、少し遠くで準備をしていたミュゼが慌てて駆け寄りつつダイズたちを注意する。
捕まらないというように三匹は庭を駆け回り始めた。
「ああ……落ち着いて」
上半身を低くし尻だけ上げた遊ぼうと誘うササゲに、千早が困ったように笑う。
「パパ、ワンちゃんと遊んでもいい?」
シャーロットからの視線を受けて、千早に問いかける視線を向けるゴンサレスに是非と答えつつ、千早は桜の木に向けて歩き出す。
「ベヘムはもう少しで到着します。山羊たち次第ですが、道中、草も増えましたので思った以上に時間がかかっているようです」
「なら最初に料理を並べちゃいましょう。遠くから山羊の鳴き声も聞こえてきてるし」
千早の言うとおり、遠くから山羊たちの声がしている。
この世界では地面に直接座る文化はない。花見ということで最初は布でも敷いて座る予定だったが、快適に過ごしてもらいたいとテーブルを外に出してきた。足らない分の椅子は兵士たちが使っていた長椅子を借りている。
テーブルクロスを敷き、その上にランチマットを置いたテーブルには既にカトラリーが準備されている。
「ティハヤ様、そろそろよろしいので?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
顔を覗かせたジンに料理を出してくれるように頼み、千早自身も配膳を手伝う。恐縮する兵士たちやゴンザレス夫妻だったが、屈託なく笑う千早を見ては強いことも言えなかった。
「ティハヤー!!」
そうこうしている間に到着したベヘムが手を振る。山羊たちは牧草地帯に勝手に向かっていく。
「遅れてごめん。丘の先に原っぱが出来てて、山羊たちが動かなかったんだ」
「いらっしゃい。調度準備出来たよ」
「おー、スッゲェご馳走。うまそう」
テーブルに広げられたご馳走に目を奪われたベヘムは、小走りに近寄ってきた。
兵士たちやゴンザレス一家とも挨拶を交わしている間に、犬たちもベヘムの到着に気がつき駆け寄る。飛び掛かる犬たちをいなしながら、ベヘムの視線は料理に釘付けだった。
「アズキ、ササゲ、ダイズ、ステイ!!」
ミュゼの指示が飛び、ようやく千早の席を囲うようにおすわりをした三匹を千早は誉める。
「お口に合うかは分かりませんが、お花見の定番を揃えてもらいました。食材の関係で作れなかったものもあるけど、是非楽しんで行って下さい」
テーブルの上には、唐揚げ、フライドポテト、焼き鳥、魚介類を焼いた焼き串、サンドイッチに玉子焼き等々の料理が並び、限られた食材で作られたお好み焼きモドキが各自に配られている。
「卵や砂糖なんかも砦から分けて貰えたの。だから久々に甘い玉子焼きだよ。あ、そっちのネギ入りは出汁入りだから気をつけて食べてね」
ベヘムやシャーロットにオススメの料理を説明する。
「美味しい! ティハヤ様、玉子焼きって甘いんですね」
「うまっ。あ、肉あるし。これ、イノシシ……ちがうな、牛だ!! スッゲェ」
「牛も砦からの差し入れ。
もうすぐ子牛とニワトリを分けてもらえることになってるの。これで新鮮な卵が手にはいる」
冬の間は流石に移動させられないと待っていたが、最近になってようやく日程が決まった。近くの村で春に産まれる仔を譲られることになった。
「豚はもういるんだよな」
「うん。冬の前に来てくれたよ」
「トーパ村から譲られたと聞きました」
「はい。こぶただったから冬の間大丈夫かなと思ったけど、元気におっきくなってくれてます。三又村にはもっといっぱい豚を飼ってるって」
「豚の他にも今年は鴨や七面鳥等も飼う予定です。東の都市から譲り受けられそうだとイスファン隊長から聞いています」
大人たちの近状報告に飽きたシャーロットが、三又村で流行っているという歌を披露する。ベヘムは羊飼いたちが春に唄う歌を教えた。
「ティハヤ様も何か歌って下さい」
「俺も聞きたい。異界の歌ってどんなのだ?」
二人のリクエストを受けて、千早はしばらく考えると、思い出から一曲引っ張り出して歌い始める。兄が好きだったこの歌はよく春になると歌っていた。
桜の花弁の先に去る人に、エールと別れを贈るこの曲は頑張ろうという気にさせてくれる一曲だった。
最初はかすれかけていた声だったが、次第に伸びやかに空への広がっていく。
全員、歌詞は分からないながらも、千早の歌に聞き惚れていた。
「あ、こら!! 駄目だ!!」
うっかり千早に気をとられていたミュゼが慌てたように身を乗り出す。唐揚げのボウルからそっと盗んでいったダイズは、よく噛みもせず肉を丸呑みにしたようだ。
「ササゲ!」
「アズキ!」
ダイズに続けとばかりに、残り二匹の犬たちも食べるために串から外していた焼鳥や焼き串を咥えて走り去る。
「駄目でしょ!!」
串が刺さっては大変だと血相を変えて犬達を追い回す皆の注意がテーブルから離れる。それを待っていたかのように家からクロが現れた。
誰にも気がつかれない内に、さっさと焼き魚を一匹咥えて家へと戻っていく。
本気になった兵士たちと、遊んでもらっていると勘違いした犬たちとの追いかけっこはしばらく続いた。
ようやく犬を捕まえて串を取り上げると、千早に謝罪する。
「いえ、やっぱりまだ躾が出来てなくてごめんなさい」
千早に謝られた大人たちはこちらこそ目が行き届かずと謝罪していた。
犬たちを繋ぎ落ち着かせてから、のんびりとお茶と酒を口にしつつ満開の桜を見る。時折魚の乾物などツマミを口にしつつ、ゆっくりと時間が流れていく。
「そう言えばティハヤ様、最近、世界中で勇者様と聖女様が現れてるんです」
「勇者と聖女?」
お腹がいっぱいになって眠りかけている犬たちを撫でていたシャーロットが隣に座った千早に話しかける。
「世界中で魔物が出てるそうですけど、勇者様や聖女様がいるから大丈夫だって。だから東の街から色んなものがマチュロスに届き始めたってパパが言ってました」
「へぇ……、勇者様に聖女様かぁ。ロズウェルさんやアリスちゃんとは別口なのかな?」
問いかける千早に、料理を出し終わり花見に合流していたジンが答える。
「ロズウェルやアリスだけじゃなく、法王が認定した勇者とやらが各地に現れているらしいです。おかげで少しは魔物の圧もマシになったと、民の移住も進んでいます」
「え、また、来るの?」
移住という単語に反応した千早に苦笑を浮かべつつ否定する。
「法王の住まう南に少し。ほとんどは新女王が住まう東の公爵領に身を寄せます。こちらには来ませんからご心配なく」
「ならいいけど」
「女王の名はリアトリエルとおっしゃいます。グレンヴィル王弟の腹違いの姉君にあたり、幼い頃に東の公爵領に降家されておられましたが、王国の存亡の急とのことで、女王として立たれました。
冬にティハヤ様から頂いた土を贈ったところ、大層喜ばれて一度是非お目通りをと願っているようでございます」
そんな新事実を知らされつつも、お花見は終始和やかに終わった。森の花が見頃になる頃に、今度はピクニックに誘うというシャーロットと再会の約束をする。
お土産を持って帰るゴンサレス一家を見送った千早は、楽しかった一日を思い出しながら眠りについた。