57、何ならば受け入れてくださるだろうか
吊り橋砦の一室、深夜になっても明かりが消えない部屋で、王弟グレンヴィルは地図を見つめてた。
「殿下、では水源はここからでよろしいですね」
「水路を引くのに必要な人手の抽出は終わっております。その者たちの家族には広い土地を割り振りましょう」
「結局マチュロスへ入るのは八千余名ですか。残りはエリックの魔道具を拒否し、周辺町村への疎開を決めました」
マチュロスに身を寄せた人々の組分けを決め入植地の候補も決まった。廃棄地となってから壊れていた水路の復旧を先駆けとして始める。
反発も大きいだろうと覚悟し、民の前に立ったグレンヴィルだったが、拍子抜けするほどに唯々諾々と人々は従っていた。
それをどう考えたのか、側近たちはややすれば強引ともとれる方法で、入植地を割り振っている。グレンヴィルは内心不安を感じつつも、数人で回すのだから仕方がないと諦め、部下たちに指示を出していた。
廊下に立っている護衛兼監視役の兵士が誰かに挨拶をしている声が聞こえる。来客かと扉に目を向ければ、案の定ノックと共に声がかかる。
「失礼する」
答えると同時に入ってきたのは、この砦のトップであるイスファンだった。深夜にも関わらず制服に寸分の乱れもなく、疲労も感じさせないその姿に圧倒される。
「法王猊下は森を抜けられました。見送りに出ていた部下たちが戻ったので一応ご報告しておきます」
坦々と話すと用事は済んだと言わんばかりに踵を返すイスファンを引き留める。
「明日から入植を開始する。
第一陣は水路の復旧等も出来る人員になる」
「承知しました。我々に何かお望みはありますか?」
最低限の礼儀しか守らないイスファンの態度に側近たちが鼻白んでいる中、セドリックだけがイスファンの顔を見つめていた。
「何か問題でも?」
側近たちの態度を見とがめて、イスファンがわざと挑発するようにうっすらと笑みを浮かべて問いかける。
「殿下に対しその態度はどうかと思うが」
一人が代表して答えると、残った側近たちも大きく頷いている。
「何も問題はないかと思われます」
「その態度もだ」
「止めろ」
「殿下!」
「すまない、イスファン殿。部下が無礼を働いた」
言いかける側近を止めて立ち上がると、グレンヴィルは頭を下げる。それに抗議の声を上げるが無視したまま、話したいことがあるからと、イスファンにソファーを勧めた。
「申し訳なかった」
「いえ、それよりもご用とは?」
イスファンは再度頭を下げるグレンヴィルに先を促す。それを不服そうに見つめていた側近は、耐え難いとでも言うように自分の机へと戻っていった。
「明日からの移動なのだが、人手を借りたい」
「分かりました。ですが、こちらとしても潤沢に人員がいるわけではありません。最低限となりますことご了解ください」
「分かっている。
ティハヤ様の帰宅に同行した兵もいるだろうし、そもそもこの砦を守る人員も必要だろう。防衛砦にいた罪人以外の者たちもきているとはいえ、十分とは言えまい」
「お分かりでしたか」
「ああ、そこで……だ。まだ先の話になるが、此度の民から、自警団を作るつもりだ。それと行政区も活動させねばならないからな、その人員も雇う」
「目星はついているのですか?」
「今までの経験や職業を聞き、一部だが任せられる人材を見つけている。ここに来る前に兵士だった者や衛士だったもの、貴族の下で実務を行っていたもの等もいる」
「背後関係は大丈夫なのですか?」
「詳しくは調べられていない。今後調べることにはなるが、エリックの魔道具で、ティハヤ様への忠誠は誓っている。大丈夫だろう」
「ならば我々に否やはございません。マチュロスの行政は落ち人様よりグレンヴィル王弟殿下に一任されております。安定的な運営に努めていただければそれで十分です」
「分かっている。ティハヤ様には決してご迷惑はかけない。
イスファン殿、教えてほしいことがひとつある」
「何でございましょう」
「ティハヤ様は何をお好みになっておいでだ?
税として何を献上すればお喜びいただけるであろうか」
何も要らない。影響を行使するつもりもない。ただ放って置いて欲しいと、そう話して帰宅していったティハヤへの献上品を、ずっとグレンヴィルは悩んでいた。
「何も要らないと言われて、はいそうですかではすまないだろう。どんなことなら受け入れてくださるだろうか」
「ご自身の物は何も望まれないでしょう」
「ティハヤ様の物は何もいらないと?」
「そもそもティハヤ様が生活する分には十分な実りがあり住居もあります。人手も不足はしておりません。最近では隣人として受け入れられ始めている者もおり、友と呼んでいる相手もおります。
ようやく落ち着いてきた生活を掻き乱しているのは外からの来訪者たちです」
「それは分かっている。分かっているからこそ、何かお役にたてればと」
「ティハヤ様は何もお望みにならないでしょう。それよりも」
「それよりも?」
「ティハヤ様の家には猫や犬、山羊等がおります」
「ああ、飼っているらしいな」
「特に犬猫については、家族と呼んで可愛がっておられます」
「家族? 犬猫とはケモノだろう?」
「この世界の住人に対してよりもよっぽどお心を開いておいでです」
ティハヤ様が悲しまれるから、もしもお目にかかる機会があれば決して犬猫と呼ばないようにと釘を刺されたグレンヴィルたちは驚きつつも頷いている。
「ティハヤ様にというよりも、ギンやダイズ……ああ、犬猫の名前ですが、彼らに贈り物をした方が喜ばれると思いますよ。
餌やオヤツ、オモチャにシャンプー等、流石に人間用しか準備がありませんでしたので」
冬の間、寒くないようにとストーブの火を絶やさず、自分の布団すら提供して可愛がっていた姿を思い出しながらイスファンは話す。
「基本、毎日一緒に寝ておいでですし、これから暖かくなれば、足を拭く布やなにかも必要になるでしょうから、我々はそう言ったものを贈る予定です」
海班が猫たちに新鮮な魚をプレゼントし、毛艶が良くなっていくに従い、ティハヤの笑顔も増えた。犬猫たちが寒がって団子になるのも可愛いと微笑んでいたが、伸び伸びと自由に寝る姿にも目を細めていた。
その表情は人間を相手にした時には決して浮かべないものだ。だからこそ、一部の兵士たちはお犬様、お猫様とティハヤのペットたちを呼び始めていた。
「そんなに可愛がっておいでか」
「ええ、だから何かを贈るのでしたらターゲットはそこですね。まだ受け入れて頂きやすいでしょう」
深く頷くイスファンに礼を言うと、明日の予定を打ち合わせ始める。手早く決め、イスファンが退出した後になって、グレンヴィルは側近の一人が呆れた表情を浮かべていることに気がついた。
「どうした?」
「我々が生きるか死ぬかという戦いをしているときに、落ち人は愛玩動物に夢中ですか」
「マーカス!」
仲間の一人が止めるが、失笑を浮かべた側近は止めることなく話し続ける。
「だってそうだろう?!
王都は滅び、避難民が各地に押し寄せてきている。穀倉地帯であった北は全てを喰らう蝗帝に荒らされ収穫は見込めない。餓死する民も出ているのに、犬猫だと? そんなものを肉にして喰えばいいのだ」
「黙れ!」
「殿下だとて思いはしませんでしたか?
何を考えているのだと」
ダンッと机に手を叩きつけ立ち上がりながらマーカスは訴える。
「ティハヤ様はこの世界の苦境に無関係です。それにも関わらずご自身の土地に我々を受け入れてくださるだけで、感謝を捧げるべきでしょう」
一瞬納得しかかったグレンヴィルの代わりに、沈黙を続けていたセドリックの静かな声が部屋に響いた。
「セドリック! 何を言うか!!
落ち人と言えども今はこの世界で生きるものに過ぎない」
「マーカス殿、それが間違いなのです」
掴みかかってきた相手をいっそ冷酷なほどに静かに見つめながらセドリックは続ける。
「ティハヤ様は善かれ悪しかれ異世界のお客人。我々に利用された被害者でしかない」
「だが、この世界で息をし、生活していることに変わりはない」
「望んでではないでしょう。それにティハヤ様が穏やかに過ごされているのは、あちらの神々のお力添えの為と聞きました」
「それでも、利用しているのはこの地だろう」
「その土地も本来は全く実りをもたらさない不毛の地。それを何とかされたのもティハヤ様とティハヤ様の地の神々です」
「…………しかしっ」
「ティハヤ様はご自身の幸せの為に何をしても良いのです。誰に遠慮をすることもなく、誰に配慮をすることもなく、ただお幸せに過ごされればよい。
皆様、既にお忘れですか?
ティハヤ様は『歴史上最も幸せになるべき』お方です」
「それは! 既に反故されている!!
王都が滅び、ティハヤが幸せにならずとも世界の存続は約束された」
「だからティハヤ様を酷使してもよいと?」
「酷使などとは言っていない!! ただこの世界が大変な時だからこそ、ご協力と配慮を求めている」
「そこまでだ」
口論になりかけている二人をグレンヴィルが止める。
「マーカス、やめろ。
ティハヤ様は神々と同列に扱うべきお方だ」
「殿下!」
「防衛戦を見て分からなかったか?
あの石像は強い神気をまとっていた。かの方々はティハヤ様の為にマチュロスを守っておいでだ。ティハヤ様は現人神……そう思っていたほうが無難だろう」
「神ならば人の世と関わらずとも許される」
「神ならば祟らなければそれでよい……」
セドリック以外の側近たちが納得したように呟く。それを心底呆れた顔で見たセドリックは、静かにため息をついた。
「ティハヤ様は既に多大な慈悲を我らに下されています。それを貴殿方は」
先を続けようとしたセドリックに対し、グレンヴィルは周囲にバレぬように止める。
「分かったら明日の手順を確認し終わり次第、少し休憩を入れよう」
気分を変えるようにわざと明るい声を上げたグレンヴィルは、三人の側近を誘いソファーに座る。一人執務室の机に残ったセドリックは憂い顔のまま、ティハヤが挨拶したというぼんやりと光る不思議な縄のついた岩を窓越しに見つめていた。