56、此度こそは
ロズウェルたちが旅立った翌日、千早に呼び出されたグレンヴィルたちは緊張の面持ちで立っていた。
王子と側近は久しぶりの再会であったが、それを喜ぶ余裕もなく、急かされるままに身支度を整え千早との面会に臨む。
廊下から数人の足音が聞こえてきて、その緊張はピークを迎えた。
「ティハヤ様のお見えである」
先触れの兵士の声と同時に深々と頭を下げた。
「こんにちは。来てくださってありがとうございます」
正面から聞こえる声に、更に深々と頭を下げることで答えたグレンヴィルたちは、命じられるまま顔を上げる。
「…………随分、変わられましたね。日に焼けたのかな。……あの、ご苦労されてませんか?」
前回会った頃からの変わりように、千早は驚いて問いかけた。手入れの行き届いていた髪は傷んだのか乱れ、全体に日に焼けている。指もあかぎれがあり、太くなったようだった。
「いえ、決してその様なことはございません。ティハヤ様に置かれましては、お変わりなく健やかにお過ごしのようで何よりでございます」
首を振って否定したグレンヴィルたちに、千早は疑いの瞳を向けている。その横に立ったイスファンは、王子の回答が意外だったのか一瞬驚いたような表情を浮かべた。
千早に気がつかれる前に元の顔へと引き締めたイスファンは、グレンヴィルへと現状を説明する。
「状況は分かりました。それでティハヤ様、ご命令は?」
法王への対処か、民を追い払う為の協力か。千早の望むまま働くつもりで問いかけたグレンヴィルだったが、返答はない。それどころか何処か悩むように口の開閉を繰り返す千早は、最後にため息を吐くと何でもないと答えた。
「ティハヤ様、何でもご命令ください」
「……いえ、やっぱり。王子様はそのままで。大変な事を頼む訳には。うん、やっぱり、ヤメ」
「ティハヤ様、何をお考えだったお教え願えませんか?」
「イスファン隊長……」
グレンヴィルから視線を外し、下を向いた千早にイスファンが優しく声をかける。悩む千早に何を言っても良いですからと、穏やかに伝えて千早が話し出すのを待つ体勢になった。
怪訝そうな表情を浮かべた側近に、壁際に控えていたナシゴレンが鋭い視線を送る。殺気すら篭ったソレに怯えた側近が動揺し、体を動かした。靴が擦れて床が鳴る。その音に反応した千早が弾かれたように顔を上げた。
「ティハヤ様?」
「あ、ごめんなさい。何でもないの……。なんでも……。そうだよね、ここまで来てもらって、何でもないじゃ納得できないよね。
実はお願いしたいことがあって」
震える指先を隠すように強く握りしめた千早は、早口で話し出した。その怯えた姿に、ナシゴレンは部下から聞いた千早の四年間を思い出す。
監視人は苛立ちを家畜小屋の壁を蹴ることで表現することもあったそうだ。そのあと壁に掛けられた鞭を空打ちし、奴隷達を働かせていたのではなかったか。奴隷という境遇はどこでも大差なく厳しいものだ。特に落ち人の力を失い、バケモノと認識されていたティハヤに取って、どれ程苦しいものであったかは想像に難くない。
おそらくだが、あの音は苛立ち含みの回答をせかしている様に聞こえたのではないだろうか。何かトラウマを刺激してしまったのだろう。
ティハヤ様はその過去のせいか、他者の顔色を良く窺っている。極力他人に迷惑をかけず、静かに目立たず生きることを望む。
ようやく少しずつ、本当にごく稀にではあるが自分の望みを口に出す様になったティハヤを怯えさせるなどと、睨み付けた自分も同罪ではあるが、強い怒りが沸き起こる。
「王子様は支配者だから……人を率いれるよね?」
「は? いえ、はい。私は王族としての教育を受けております」
ナシゴレンが怒りに身を震わせている間に、千早はグレンヴィルに話しかけていた。唐突に支配者としての資質と能力を尋ねられたグレンヴィルが驚きに目を白黒させている。
「側近さんたちも優秀ですよね」
「将来の王を支えるだけの訓練は受けてきたつもりです」
気負いもなく側近の一人が答えた。
「なら規模は随分小さくなるけれど、マチュロスをお願いしていいですか? 多分物凄く大変で嫌な気持ちも一杯味わわせるものだと思うけど、他に頼める人がいなくて」
「は? 何を仰っているのですか」
「ここには民が押し寄せてきています。秋に受け入れた人達だけじゃなくて、法王様と一緒に来た人達もいます。
兵士さん達だけじゃ限界。違いますか?」
この質問はイスファンに向けられたものだ。それに即答できずにいるイスファンに向けて、やっぱりと呟くと千早は続ける。
「兵士さんたちは戦う人。民を率いるのはまた別の人。今まで大変な思いをさせてごめんなさい。きっと私を守るために無理をさせていたんですよね」
「そのようなことはありません。少しでもティハヤ様のお役にたてるならば、我らに無理などありません。大変だと思うような、そのような不遜な考えを持つものなどおりません」
「それでも専門じゃないことをお願いしてしまっていたから。ごめんなさい。あと、ありがとうございます」
ゆっくりと頭を下げて千早はお礼を言う。イスファンはまるで責められているかのように、一度表情を歪ませると跪いた。
「申し訳ございません。我々のことでティハヤ様にお礼を言わせるなど……それ以上に謝罪をさせるなどと、言語道断な状況です」
イスファンの謝罪に続き室内にいた兵士たちからも謝罪の言葉が続く。
「立ってください。あと、ありがとうとごめんなさいくらいは言わせてください。お願いします」
跪いたままのイスファンたちを立たせてから千早はグレンヴィルに向けてもう一度願いを口にした。
「グレンヴィル王子殿下、お願いします。貴方の力を貸してください。
私は異世界の人間で何も分からないし、人々と関わりたいとも思っていません。静かに生きたいだけなんです。
でも世界はそれを許してくれない。
ここに助けを求めに来た人達を見捨てれば……それこそイスファン隊長たちにお願いして追い払って貰えば、静かに生きることが出来るのかもしれない。でもそれもしたくないの」
「ティハヤ様どうかご無理はなさらず」
グレンヴィルに語りかける千早の腕は、隠しようもなく震えている。怯えの色を表情に浮かべながらも、必死に続く言葉を紡いでいた。
「都合のいい望みだよね。卑怯だよね。分かってる、分かってます。でもあの瞳を見ると見捨てることは出来ない。
だからどうか、グレンヴィル殿下、貴方の民を助けて欲しい。
場所はマチュロスの中なら何処を使ってもいい。何なら私はどこか別の所に住んだっていいし、王様に貰ったこの土地全てを殿下にあげてもいい。神様から頂いた肥料も、神様がお許しになるならいくらだって譲ります。
だから、この地に来た人達を率いて欲しい。私を頼らせないで、出来る援助はするけれど、直接会うのは怖いの。私は誰かに命令するつもりはないの」
必死の表情で言い切った千早はグレンヴィルの答えを待っていた。
「ティハヤ様、それは私をマチュロスの代官に任じると言うことでしょうか?」
「代官じゃなくても、領主でもいいよ」
「領主はお断り致します。私はティハヤ様の罪人。統べる立場にありません」
「なら……」
「ですがティハヤ様のご命令とあれば、こたびこそはお役に立ってみせましょう。手伝ってくれるか?」
グレンヴィルが問いかけた相手は元側近たちだった。
「無論でございます」
「万近くもいるであろう民ですか。中々腕がなりますね」
「あれだけの人数がいれば既に秩序が出来ているでしょう。それを利用しない手はございません」
瞳を輝かせやる気を出す側近たちは、千早に向けて跪く。
ただひとり、ゴンザレスと共に来たと言う青年だけが悩むように下を向いていた。
「嫌なら無理にとは」
千早がそう切り出すと、青年は顔を上げる。その表情には苦悩が浮かんでいた。
「ティハヤ様のお申し付けは大変光栄で嬉しいものです。ですが一度道を誤った私がそのような大任を受けて良いものでしょうか。この上はひとりの農奴として一生を捧げると決めておりましたのに」
「何を言うか。せっかくティハヤ様が我々を選んでくださったのに」
叱責する側近たちを止めたグレンヴィルが青年に話しかける。
「セドリック、頼む。力を貸して欲しい。
我々だけではきっとまた道を誤る」
「殿下」
「人の性根など簡単には変わらない。だからこそ、セドリック、君に我々のストッパーになって欲しい。我々の中で最も真摯に反省し、己を律している君にこそ頼みたい。
此度こそは必ずやりとげなければならない。失敗は許されない。どうか頼む」
部下である自分に頭を下げた事などないグレンヴィルの懇願に、セドリックもまた覚悟を決めた。
「分かりました。わたしの力の及ぶ限り、お役に立ってみせましょう」
何とか全員の意思がまとまったところで、千早がまた話し出した。
「秋の人達は何とか両脇の半島で上手く暮らし始めてる。今回の人達も半島で暮らしてもらうにしても、一万人以上じゃ、兵士さんたちだけで管理するのは無理だと思うの。
だから、グレンヴィル王子殿下にお願いしたかった。引き受けてもらえて助かりました。
もちろん五人だけでなんて言わない。イスファン隊長たちにも今まで通り手伝って貰う……いいかな?」
問いかけに力強くうなずいたイスファンに礼を言った千早はグレンヴィルを見つめる。
「私に求められるのは、民のスムーズな移住、食料生産、安全の確保、その後の秩序の維持でよろしいでしょうか」
「うん、秩序について武力が必要なら兵士さんに頼んで欲しい」
「民からも手伝う人員を確保せねばなりません。それに支払う給金も必要です。税についてはどの程度裁量を頂けますか?」
「全てお任せします」
「法については」
「任せます」
「人事権」
「全部お任せします」
食い気味に答えた千早を信じられない面持ちでグレンヴィルは見つめた。
「それではティハヤ様には何も残らない」
「ですから何もいりません。ただ私の住む土地には人を近づかせないで欲しい。
もっと辺鄙な場所に住めって言うならば引っ越すから」
「ティハヤ様がお引っ越しになる必要はありません」
「ティハヤ様に何かをお願いすることなどございません」
イスファンとグレンヴィル、双方から間髪をいれず否定される。
「……そう? でも必要なら言ってね」
「あの地はティハヤ様が神々から与えられた場所。我らがどうこう言える場所ではありません。グレンヴィル王弟殿下もそのおつもりで」
「おうてい?」
「王の弟という意味です。今の王はグレンヴィル殿下の姉君にあたりますリアトリエル陛下でございます」
「あ、そうなんだ。ごめんなさい、王弟殿下」
「ティハヤ様、さっそくですがひとつお願いをしてもよろしいですか?」
「グレンヴィル殿下っ! さっそく何を」
首をかしげる千早を守るように、グレンヴィルに叱責の声を上げたイスファンは千早を背後に庇う。
「忠誠を誓わせて頂きたい」
「え?」
「私ごときの忠誠など要らぬでしょう。受け取って頂けるとも思っておりませんが、形だけでも誓わせて頂けませんか?」
「なんで?」
「罪人であり王弟であり、元王太子である私はしがらみが多いのです。
ですからそれを全て断ち切るためにも、今後生まれ変わったつもりであなた様にお仕えする為にも、どうか誓わせてください」
「仕えて貰うつもりはないです」
「存じております。ですが、民からすれば私は大罪人。憎き敵。その私が支配者側になるには、更に大きな権力が必要です」
「私には権力なんてないです」
「ティハヤ様こそマチュロスの全て。その影響は計り知れません。ですからそのティハヤ様のお役に立つ為に働いているという大義が欲しいのです。それがなければ誰も私を受け入れはせず、従いもしないでしょう」
「民を率いて貰うのは私のお願い。別に忠誠なんてなくても」
「どうかお願いします」
そう言うと膝を突いたグレンヴィルは深々と頭を下げた。
「私グレンヴィルは落ち人ティハヤ様に永遠の忠誠を誓います。聡明で慈悲の心に溢れた貴女に、我が持つ全てを捧げます」
驚きつつも反応に困った千早が、助けを求めてイスファンを見つめる。それに気がついたイスファンがグレンヴィルにもう良いだろうと話しかけた。
「ええ、これで堂々と民に謝罪できます」
「謝罪?」
「はい。まずは謝らねば全ては進みません。真摯に謝罪し、その上でマチュロスに住むルールを説明します。
ティハヤ様、償いの機会を頂き、心より感謝致します」
柔らかく微笑んだグレンヴィルは、覚悟を決めた表情で外を見つめる。
「……まあ、私のところに来なければなんでもいいか」
また何か勘違いしてるなと思いながらも、面倒になった千早は口の中で小さく呟く。
「……申し訳ございません」
千早の呟きを聞き取ったイスファンは、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。