55、聖女という欺瞞
「何故僕の神託を妨げなかったのですか」
神の間で少年と数人の大人たちが向かい合っていた。冷え冷えとした空気が流れたまま、武装した男たちはオルフェストランスを見つめている。
「答えてください。何故、アリスへの神託を妨げなかったのですか? あの時、僕の力ではなく皆さんの力で、聖女は誕生したと世界に知らせれば、貴方たちに対する信仰が生まれたのではないですか?」
オルフェストランスは慣れない敬語を使い、マチュロス防衛に力を貸していた日本の神に問いかける。
「不要なり」
「我らは信仰を求めるにあらず」
表情を動かすこともなく、言葉少なく男神たちは答える。
「何故? 僕らの力は、人々の信仰に左右されると言ったのは、地球の神だ。なのに何故、力を得る機会を棒に振る」
「過剰なる力は不要」
「我々は我らが幼子の為に力を振るうのみ」
「そんな綺麗事……」
「この地はオルフェストランス殿の信仰の地。我らの地にあらず。その地に生きるモノもまたそれに同じ」
「ただ、佐々木 千早はそれにあらず」
「佐々木 千早は我らが幼子」
「佐々木 千早は我らが玉」
「神々の遊びに巻き込まれ、運命に翻弄された憐れなる魂」
「我らが関心はただ、かの娘の元にある」
「我らが決意は娘の幸せのみ」
「あのような虫にも劣るモノたちに割く余裕はない」
「この世界は汝の世界なり」
交互に答える男神たちは、そう話すと踵を返した。その背にすがるようにオルフェストランスは声を張る。
「そちらの世界だってボロボロだろう?!
ならば貴方たちの存在を守るために、他の世界で神として認められていたほうがいいはずだ!」
「…………否」
振り向いた一柱が恐ろしく低い声で答えた。オルフェストランスを見つめる瞳には、何の感情も浮かんではいなかった。
「我らが界が滅びるならば、我らもまた滅ぶ」
「我らの地はただひとつ」
「栄枯盛衰」
「刻が尽きてもなお延命しようとは思わぬ」
「我らはただ産まれ出でし雫を愛し、その成長を喜ぶ」
「時がくれば子は親の手から離れるもの」
「子が成長し、世界を壊すならばそれもまたよし」
「我らの教えが至らなかったのだろう」
「何より我らの教えのみが絶対の正義とは限らず」
「我らの手から界を放し、我らは子らに委ねた」
「界の行く末は子らが決めること」
「滅ぶと言うならば共に滅ぼう」
「消滅は消滅にあらず。存在もまたしかり」
「そもまた我らが考え」
「他を否定するに非ず」
それだけ言うと消えていく武神達を見送ったオルフェストランスは、向けられた答えに困惑を隠せないでいた。
「彼らは何を言っていたんだ。
消滅が消滅ではない?
神が絶対の正義でなくて何なんだ?
何より何故滅びを恐れない」
神の玉座に座ったオルフェストランスは、虚空を見上げたまま考え続ける。
「…………ああ、分からない! 分かるもんか。
地球の人達はどうしてああなんだ!!
今回も人々を助けたんだからお礼にと、僕の世界からリソースを奪って行くならまだ分かるんだ!!
何で何も求めない!
何で影響を拒否するんだ!
千早さんの為……とそう言うけれど、千早さんを助ける気ならばマチュロスにいる民全てでも滅ぼせばいいんだ。そうすれば千早さんの心は穏やかなままだろう」
そう言いながらオルフェストランスは力を使い、マチュロスの砦にいる千早とお荷物となっているアリスと共に飛行を続けるロズウェルを写し出す。
「千早さん、グレンウィルなんかを呼び出してどうする気なんだろう。それに取り巻きまで集めた。イスファンが動いているから、万一にも千早さんに危害は加えられないだろうが、法王の動きも観察しておかなくては」
兵士たちに呼ばれて取るものも取り敢えず、砦へと向かう元凶とその取り巻きたちへ憎悪を募らせる。
「……ああ、何で僕はあの時、コイツらを生かしてしまったのかな。リソース化してれば少しはストレスフリーになれたかも知れないのに」
顔を見るだけでも不愉快だと、千早のいる砦に到着するまでの間、確認は不要だと表示を切った。
その代わり、中央にロズウェルたちが表れる。
「罪人でありながら、英雄でもあるロズウェル。こいつには魔物を滅ぼす力がある。千早さんから奪ったリソースを纏う罪人どもは、そもそも魔物を滅ぼす力を得ている。
その中でも最も戦闘に適したロズウェルならば、世界を救う英雄にもなれるだろう。
問題は……この聖女」
指先でアリスの表情をなぞり、オルフェストランスは不快げに眉を寄せる。
「意思もなく、覚悟もなく、ただ力だけを与えられた小娘」
アリスは風圧に逆らい、ロズウェルの腰に必死の形相でしがみついている。寒いと文句でも言っているのか、一瞬振り向いたロズウェルが片手で毛布を押し付けている。
風で体勢を崩しつつも毛布を身体に巻き付けたアリスは、ロズウェルの腰に回した手で抗議を伝える為にドンドンと叩いているようだ。
「寒い、地上で休ませて、眠い、お腹が減った……」
アリスの唇を読んだオルフェストランスは頭を抱えた。コレがこれから世界の未来を担うのかと思うと気が重い。
「きっかけはあちらの方々が与えたものだ。でもこれからあの娘が行う奇跡は僕の力が源だ。その回路を法王が作った。僕の聖女だと世界が認識したからこそ、僕の祝福があの娘には使える。
ロズウェルの得た力は破魔。攻撃だ。
ならばあの娘の力は防御か癒し。
千早さんの土地に掛けられた強力な守護を考えれば、癒し……の方がいいだろう。だがそれだけでは、天秤が戻らない」
既に失った力も多いオルフェストランスは冷静に何処まであの娘に影響を及ぼせるかを考えている。
「退魔の力も授けよう。その分癒しの力は弱まるが、あの娘の性格じゃ多数の民を治すなんてことはしないだろう。精々自分の安全を確保するために、同行者を癒す程度だ。問題はない。
訓練も……おそらくしないな。ならば勝手に発動する様にしておこう。あの娘への負担は大きくなるが『世界の救済』を本気で望めば、神の力を行使する抵抗は減る」
ぶつぶつと呟きながら、アリスに与える祝福を決める。繊細にして緻密に編み込まれた力の塊をアリスに向けて飛ばしつつ、オルフェストランスは瞳を閉じた。
「神の力を身に宿すのは、負担でしかないだろう。
強制的に力を行使させられるのは、精神を磨耗させるだろう。
危険な土地に身を置き続けることは、きっと凄いストレスだろう。
きっと君はいつか壊れる。それは憐れだとは思うけれど、どうか許して欲しい。これは僕の世界の為なんだ」
力の塊がアリスに届く。一度大きく痙攣すると、気を失ったアリスは転げ落ちた。気がついたロズウェルが慌てて馬を返し、アリスを抱き止める。
腕にアリスを抱えたまま、先を急ぐロズウェルの姿を確認したオルフェストランスは、静かに瞳を開けた。
「世界を救うのがヒトだと言うならば、ヒトに苦労をしてもらおう。あの憐れな娘は最初の一人に過ぎない。
マチュロスの罪人どもこそ、僕の手から離れたがそれ以外は僕のヒトだ。世界の存続の為に捧げられるならば、きっと彼らも分かってくれる」