54、愛国の聖女
一匹目の魔物をロズウェルが倒す前に、二匹目の魔物が森の中から飛び出してきた。
どうやら群れで生きるらしい魔物を初めて見たロズウェルは、動揺しながらも人々を守り戦う。
異界の神に類するモノから強制的に力を解放されたアリスは、白目を剥きながらも更に強く発光している。その光に触れた魔物は明らかに動きが遅くなった。
『落ち人を悲しませるべからず』
魔物の数が五匹まで増え、民を守りきれなくなったタイミングで、石像が動いた。魔物と民の間に壁として立ち、民が逃げる時を稼いでいる。
その加勢により、何とか均衡状態となった戦場に砦からバリスタでの援護が始まった。
それから戦局が変わるまでは時間がかからなかった。特に民が吊り橋を渡りきり、避難してからは遠慮なく雨あられと降り注ぐ弓矢が魔物を傷つけた。
戦況が有利になれば、後は魔物を狩るだけだ。矢に射抜かれても生きていた魔物たちをロズウェルの剣が引き裂く。どうと音を発てて地に伏せる魔物の姿を確認した民たちは、砦の前から大きな歓声を上げた。
『落ち人を苦しませるなかれ』
『落ち人を悲しませるなかれ』
『落ち人に平穏を』
『落ち人に幸せを』
喜ぶ人々の頭の中に声が響く。石像を見ればその姿を溶かし、霧へと戻っていくところだった。
「ありがとうございました」
ピンと背筋を伸ばし頭を下げるロズウェルには何も答えず、石像はまた霧へと変化し周囲を満たす。
危険が去ったと判断したのか、その濃さは普段と同じものになっていた。
「さすが英雄ロズウェルだ!」
「聖女アリス、ありがとう!!」
吊り橋を戻り二人を称える民たちに囲まれる。アリスは初めて使う力に翻弄され、いまだに意識がはっきりしていないのか、ぼんやりと定まらない視線を周囲に向けつつ、座り込んでいた。
脅威が消えたと判断したのか砦から、片付けの為に兵士が出てきている。
「愛国の聖女。これこそが我らが神オルフェストランス様よりもたらされた希望」
取り巻きに守られながら現れた法王が、祝福を与えるようにアリスの額に手の平を乗せつつ話す。
「聖女……」
「ええ、この娘は修道女。神の慈悲を身に受けた乙女」
晴れやかに笑いながら、法王は周囲の者にアリスを助け起こすようにと指示を出した。
「……わたしは」
力なく紡がれるアリスの声は周囲の歓声にかき消されてロズウェル達の耳にも届かなかった。
魔物を片付け民を森へと戻す。炊き出しをして兵士を配置し、吊り橋砦周辺が普段の落ち着きを取り戻した頃、砦の一角では話し合いが持たれていた。
「聖女アリス」
「法王さま、わたしは聖女なんかじゃありません」
「何をいいますか。貴女の力は神から与えられた慈悲。その力は聖なるもの。聖なる乙女となった貴女を私は祝福しましょう」
聞く耳を持たない法王は、アリスに対して祝福の印を切る。そのまま部屋を見回し、目当ての相手を見つけると微笑みかけた。
「ティハヤ様もお喜びでございましょう?」
「え、あ、……わたし?」
「はい。英雄と聖なる乙女がいれば、あちこちで現れている新しい魔物への対処も容易い。心優しいティハヤ様でしたら、きっと傷つけられる民に心を痛めておいでだったでしょう。
これで民を助けることが出来ます。お喜びください」
だからこそ、神の御使いである石像が民を守り英雄や聖女を守ったのだからと、法王は微笑みを深くする。
怯えたように身を縮める千早をイスファンたちがそっと庇うように背後に隠した。
「聖女はそちらの所属です。お好きになさるがいいでしょう。ですがロズウェルはティハヤ様の罪人。民を守る剣としての利用を認めるわけには参りません」
表面上は穏やかに、だが冷たく硬質な声音でイスファンが千早に代わって返答した。
「おや、それでは英雄を私有化されるというのでしょうか? ティハヤ様の支配地では魔物一匹も居らぬと聞きます。安全な土地を与えられてなおそれでは、あまりに強欲では?」
法王の取り巻きが千早に向かって問いかける。
スッと立ち位置を変え、千早への視線を切ったエリックが短杖を指でなぞりながら鼻を鳴らす。
「強欲? どちらがだ?
あの石像はオルフェストランスの……」
「あの!」
言い合いになりそうだった室内にアリスの声が響いた。
「私は嫌です!!
いえ、無理です!!
なんで私が魔物と戦わなきゃいけないの?!
私はただの見習い修道女です!!
安全に生きるためにここに来たのに、なんで?!」
身を守るように両手で体を抱き締めたまま、アリスは嫌だと身をよじる。そのまま涙ながらに周囲の大人たちに訴えた。
「まるで私が戦うのが決定みたいに言われてるけど、イヤです! 無理です!! ムリなの!! 絶対にむり!!
私はマチュロスに住みます! ティハヤ様、良いですよね? 精一杯お世話します。お役に立ちます。だからっ」
戦うのが怖い。魔物が怖い。旅は嫌だと訴えるアリスと目が合い、千早は助けを求めイスファン達を見上げた。
「見習い修道女である君の去就は、法王庁に決定権がある。本来見習いであれば俗世に帰ることも容易だったが、聖女となった今では難しいだろう」
「アリス、貴女は神に選ばれた。それを誇りに思いなさい」
苦虫を噛み潰したような表情で諭すイスファンと、微笑みながら宥める法王を交互に見ながらアリスは小刻みに首を振っている。
「イヤ、嫌なの。魔物が怖い。魔物になんか近づきたくないの。
折角無事に王都について、食べ物に困らない修道女見習いになれて、年頃になったら普通の結婚をして幸せになれるはずだったのに。私は幸せになるためにっ……。
それなのに何で私が戦わなきゃならないの?
世界を救うのは落ち人様でしょう? 魔物は落ち人様が来れば滅びるのでしょう?
なのになんで私が辛くて危険で疲れる事をしなくちゃならないの?!」
「……落ち着きなさい。
神は耐えられる試練しか与えません。貴女は神に選ばれた特別な人間です。それを誇りに思いなさい」
「いや! イヤ、イヤ、イヤ!!
誰か代わって!! ティハヤ様!!」
腕を伸ばし千早に駆け寄ろうとしたアリスを、ロズウェルが捕まえる。アリスの両肩を強く掴んだまま、視線を合わせた。
「放して! 痛い!!」
「ティハヤ様に何をする気だ?」
「本当はティハヤ様の役目だもん!!
代わってもらうの!!」
「馬鹿なことを言うな」
「英雄様はいいよね! 英雄でも戦わなくていいんだもん!! 助けて、ティハヤ様!!」
ロズウェルの手から逃れようとアリスは暴れるがそもそもの鍛え方が違う。逃げられそうもないと気が付き千早に助けを求めた。
「愚かな」
吐き捨てるように呟かれた声は、絶対零度の冷たさで室内を凍らせた。
「ナシゴレン?」
「申し訳ございません、閣下。そこの娘の愚かさに我慢しきれませんでした。懲罰はいかようにも」
一部の隙もない敬礼をしながらナシゴレンはアリスに軽蔑の視線を向けている。
「ひっ」
ナシゴレンに怯えるアリスはしゃくりあげながら顔を伏せた。
「これくらいのことで怯えるならば、そもそもティハヤ様の御前に顔を出すな」
「落ち着け、ナシゴレン」
「申し訳ございません、閣下。ですが……」
「分かっている。
聖女アリス」
「聖女なんかじゃありません!!」
「ではアリス嬢。
君は勘違いしている」
「勘違い?」
不思議そうにイスファンを見上げたアリスは首をかしげている。
「ティハヤ様は落ち人様としての役割を既に果たしておいでだ。そもそもティハヤ様は落ち人様であって落ち人様ではない」
「イスファン殿、何を言うつもりだね」
警告を発するように呼び掛けた法王に一瞥をくれたイスファンは一息に続ける。
「ティハヤ様はこの世界を救うために召喚された訳ではない。王子の命を救うために堕とされただけだ。
そしてその役割は既に果たしておいでだ。ティハヤ様の意思に関わらずだがね」
「イスファン殿!」
苦く笑ったイスファンは咎める法王にアリスも既に知るべき側の人間だと続ける。
「知ってます。落ち人様は王族と兵士に利用されて、貴族に売られて大変なご苦労をされたって」
「ならば何故、世界を救うのがティハヤ様の仕事だと君は訴えるんだね?」
「だって、落ち人はその為に世界を超えるんだもん。そうして私たちの世界で優遇されて豊かに生きるんだから、望んで当然じゃない!!」
「だからそれが違うんだ。
ティハヤ様は世界を救うために界を越えたのではなく、王子ひとりを救うために落とされたんだ」
「俺の実験台になったとも言うな」
「黙っていろ、エリック。混乱させるな」
混ぜ返したエリックを叱りつけたイスファンは、しっかりと視線を合わせたままアリスに続ける。
「優遇されて……と君は話すが、ティハヤ様の何処が優遇されている?」
「だって食べるものに困らなくて、修道女様たちにかしずかれて、こんな豊かな領地まで与えられて……。王都では廃棄地に流刑にされたって聞いたけど、来てみたらこんなに豊かなんだもん。廃棄地なんて嘘でしょう?」
「嘘ではない。マチュロスは廃棄地だ。
我々が初めて来た時、草一本すら生えない不毛の地だった。砦の側の森は豊かだが、マチュロスは砂と石ばかりの枯れた土地だった」
「そんなの」
「事実だ。
君は神託を聞いたか? ならば知っているだろう。
ティハヤ様は我々のエゴで召喚され、保身の為にその存在を隠された。売られた先では人として扱われず、命すら危険にさらされ続けた」
居心地が悪そうに身じろぎをする千早に向かって、イスファンは頭を下げると続ける。
「ようやく保護されたと思えば、廃棄地を与えられ『死ぬまで生きる』為にこの地に足を踏み入れた。
君はティハヤ様のどこに優遇を感じるんだね?」
「そんな……じゃぁ、どうしたら?」
「君は御使いである石像に問いかけられ、力を求めた。その責任を果たさなくてはならない」
「そんな! 助けられるなら助けたいとは言ったけど、助ける力が与えられるなんて思わなかった!!」
「それでも……だ。君は選択をした。そして神……いや御使いはその願いを聞き届けた。
君は何度もティハヤ様に訴えていた。
力ある者は助けるべきだと、救ってくれと。ならば力を得た今、君が救う側になるのは仕方のないことだ」
イスファンに諭され、絶望の表情を浮かべるアリスを横目で見ながら、法王が口を開く。
「ではその理論で言うなれば、ティハヤ様も救う側になってくださるのですね」
「猊下?」
「ティハヤ様も神の慈悲を受けた身。御使いである石像など、身を守る術もお持ちだ。
ならば救う側になって下さるのでしょう?」
「愚かな事を。
ティハヤの力はこの世界の理にあらず。地上の代行者を名乗る法王であっても、別世界の神の代行ではあり得ない。妙な屁理屈はやめてもらおう」
一言の元に斬って捨てるエリックを法王は苦々し気に睨んだ。
「ならばそなたらの力は落ち人から盗んだ力であり、罪人の紋は我らが神オルフェストランス様より与えられたもの。言うなればそなたらの存在こそがオルフェストランス神の慈悲。
世界がこのように危機に陥ったのです。
落ち人にだけ仕えていれば良いという段階は過ぎ去りました。戦士たる責任を果たして頂きたいものです」
睨みあうイスファン達と法王の間に静かな火花が飛ぶ。室内の緊張が臨界点に達しようとした時、大人しくなったアリスを解放したロズウェルが千早に跪いた。
「…………お側を離れる許可を頂けませんか?」
「ロズウェルっ!」
叱責を飛ばすイスファンに向けて一度頭を下げると、ロズウェルはもう一度千早に向けて許可を願った。
「魔物退治に行くの?」
「いえ……、ええ、そうなるかもしれませんが……いえ、違います」
「なら何を?」
「罪人でありティハヤ様に与えられたとは言え、私は国に属する騎士です。もし他の任に就くならば、許可を求めねばなりません」
「許可ならば法王様が」
話し出した取り巻きを睨み黙らせるとロズウェルは続ける。
「我々をこの地に寄越した王は既におりません。ですから現女王であるリアトリエル陛下に許可を求めます。それが筋というものです」
「ロズウェル! お前は何を」
怒るエリックに向けて、ロズウェルは静かに立ち上がった。
「石像様は、魔を滅するのは人だと話された。そして私とアリス嬢を英雄と聖女と呼んだ。魔を滅ぼせる者と……。
ここにいても私が役に立つことは少ない。ならば魔物を殺しこのマチュロスを頼る民を減らす方が、ティハヤ様のお役に立てるのではないでしょうか」
「では英雄を称え見送る会を開きましょう」
我が意を得たりと笑う法王に向けて、ロズウェルは頭を振った。
「不要です。私は祝福を受けるに値しない罪人です。ティハヤ様のお役に立てと命じられながらも、何も出来なかった役立たずです。
此度、ティハヤ様のお許しを得、リアトリエル陛下の許可を頂ければ、ただ魔物を殺す一振りの剣となりましょう」
返答を求めるように視線を向けるロズウェルに、千早は小さくロズウェルさんがいいなら……と答えた。
「明日、夜明け前に発ちます。私の馬でしたら数日で東までゆけますゆえ。
ティハヤ様、お側に侍ることは出来なくなります。お許しください」
「気をつけて。
女王様に会ったら一度こっちに戻るの?」
「そのまま魔物を狩るつもりです」
「そう……。ならいつでも帰ってきてね。みんなも待ってると思うから」
「お慈悲を感謝いたします。
アリス嬢は……」
「私もロズウェル様と一緒に女王様の所に行きます! 連れていって下さい!!」
何を思ったか同行を希望するアリスを不審に思いつつも、異界の神から対として呼ばれた聖女だからと、ロズウェルは連れていくことにした。
翌日、まだ朝靄も晴れない早朝、法王とその取り巻きにより『聖女と英雄が世界を救うために出発する』と伝えられた多くの民に見送られ、二人は東を目指し飛び立った。
人が多く直接見送るのは危険と判断された千早は、砦の屋上から去っていく影を見送っている。
「ティハヤ様、ここは冷えます。そろそろ中へ」
「イスファン隊長、来た人たちってやっぱり移住希望者だったんだよね」
視線を下に向けて人々を見ながら千早はイスファンに確認する。魔物に襲われていた人々を誘導するとき、マチュロスに住みたいと訴える民も多かった。今はまだ要求しては来ないが、法王たちもそのつもりでここまで連れてきたのだろうと気がついた千早は小さくため息を吐く。
答えないイスファンに向けて、千早は困ったように微笑んだ。
「イスファン隊長、お願いがあるんです」
「なんでございましょうか」
「王子様とそのお友達を呼んで貰えませんか?」
そう話した千早の表情は、顔を出した太陽の光に隠されてイスファン達から窺うことは出来なかった。
「誰も戦わなくていいって言ってくれない! でもきっと女王様なら私を助けてくれるはず! だってきっと女王様だし、優しい女の人だもん」(アリスの内心)