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48、春、それは波乱の予感

 例年よりも厳しかった冬もようやく終わりの気配を見せ始めたある日、厚着をしてもまだ冷える指先を暖炉にかざしたまま、リアトリエルは考え込んでいた。


 その横にあるテーブルに置かれた一通の手紙が、女王の苦悩をまた深くしている。


「陛下、どうされたんだい?

 女官たちも女王の憂い顔を心配しているよ」


 侍従を下がらせ女王に話しかけた公爵は、穏やかに微笑んだまま、リアトリエルの隣に座った。


「閣下……」


「はは、陛下に閣下と呼ばれるとはね。では私めは女王陛下の前でありながら、許可なく着座した非礼を伏して詫び、その慈悲を乞わなくては」


 若い頃から風雅を愛し、戦いを嫌った公爵は優しく冗談めかしたまま微笑を浮かべている。


 いまだにふくよかと言っても良い体格とその雰囲気は、リアトリエルが幼い頃から救われてきた真似できない公爵唯一のものだ。


「夫に罰を下す妻がおりましょうか」


「陛下……、それなんだがやはり無理があるよ。君が望むなら、この公爵領全てだってあげるけど、君が僕の妻で、僕が王配なのはどうかと思うよ」


 この冬何度も話し合ってきたが、この一点においては落としどころが見つからない。


「公爵様……いいえ、あなた。何度も話し合ったではありませんか。

 王都を失い、王家は力を失いました。この東の地にも王領があるとはいえ広くはありません。あなた様の協力が不可欠」


「うん、だからこの公爵領はリアトリエルにあげるよ。王家へと返すと言ったほうがいいかな?

 君を脅かしていた父王はお隠れになった。君はもう安全なんだ。

 だから私のことなど気にせずに、好きな人と幸せになるといい」


「幸せなど」


 何処までも真摯にリアトリエルを心配して話す公爵に怒りを感じて椅子から立ち上がる。そのままいい募ろうとして、ふと隣に置いたままの手紙が目に入った。


「幸せとは何なのでしょうね」


「突然どうしたんだい? その手紙が何か」


「お読みになってください」


 リアトリエル自らが差し出した手紙に目を通した公爵は深くため息を吐いた。そのまま困った様に眉を下げてリアトリエルを見つめる。


「憂い顔の理由はこれかい。確かに困った状況だ」


「ええ、どうしたらいいのかと」


「落ち人様の地に送り込まれた人員はほぼ欠けることなく冬を越した。それは確かに吉報だけど……」


「ええ、それに味をしめた穀倉地帯の貴族たちが、更なる人員の送り込みとその地の監督として支配下の低位貴族の送り込みを計画しているそうです」


「落ち人様……えーっとティハヤ様だったかな。まだ若い女の子だって神殿は発表していたよね。

 そのティハヤ様は人が増えることをお望みではないのだろう」


「ええ、秋に貧民の受け入れを決められたのも、随分とお悩みになったと聞き及んでおります」


「うん、確かティハヤ様に同行した侯爵家の暴れん坊から連絡が来ていたっけ。元気にしてるかな、あの無頼者は」


「はい。今はそのイスファン殿がティハヤ様の代弁者となっておられます。まさかお二人が知り合いだったとは思いませんでしたが」


「同年代としては有名なヤンチャ坊主だったし。あちらはどう思っているか知らないけれど、私は友だと思っている。ベクトルが違う問題児としてよく槍玉に上がったものだ。

 だかあいつも随分と丸くなったものだ。正直あいつが武器に手をかけずに、きちんとした書類を送ってくるとは思わなかったよ。

 それであちらはどうする気なんだい?」


「受け入れは拒否すると……。強要するなら今度こそ武器を抜くと伝えてきています」


「だろうねぇ。ティハヤ様としては受け入れる必要のない負担だ。それに危険因子は排除したいと言うのがイスファンの本音だろう。

 だがそれでは貴族たちは納得しない」


 嫌ってはいるが無能ではない公爵は、瞳の奥に冷たいモノを浮かべて自分の考えに入り込んでいる。先王から疎まれた王女を救いだした手腕からもわかるように、その気になれば恐ろしいほど有能だ。


 夫の思考の邪魔をしないようにリアトリエルは静かに椅子へと戻った。


「……ティハヤ様から頂いた【土】はありがたかったね」


 しばらくしてから口を開いた公爵に、リアトリエルは頷いた。


「凍りつく大地では使えませんが、温室で試したところ多くの野菜が採れました。そのせいで館の中に植木鉢が増えてしまいましたが」


 温室で野菜を栽培するために、本来置かれていた花は館の中へと移された。一部は冬を越せずに枯れてしまったが、今は見て楽しむ美しい草木よりも食べられるものが優先だった。


「うん、お陰で冬なのに美味しい葉物が食べられた。予定よりも食卓が豊かになって良かったよ」


 王都から落ち延びてきて再会した時より、互いに一回りは細くなった。食事の品目を減らしたせいだ。


 近隣最大の領主とその元であり現である妻にして、生き残った王女でもある女王。その二人が率先して粗食に耐え、周囲の貴族たちに影響を及ぼしたからこそ、この東の地でも餓死者は少なくすんだ。それでも皆無とはならなかったことに無力を感じる。


 春に植える種まで食べ尽くすような事態にもなっておらず、冬に領主命令で狩り場として立ち入りを禁じていた草原の開墾を指示したこともあり、このままならば何とか食料自給の目処も立つだろう。


「医者からも少し痩せろと言われていたんだ。だから君がそんな顔をすることはない」


 王家の生き残りとして己を責めているリアトリエルの手をポンポンと優しく叩いた公爵は、表情を引き締めた。


「我々の地でどれだけ受け入れ可能か調べさせるよ」


「ですがこの地もそれほど余裕があるわけではありません」


「それは分かっている。でもティハヤ様の土地には行くな。耕すべき土地はない。それでは農民たちが立ち行かない。死ねと言っているようなものだ。

 蝗帝の被害にあった土地は死んだ。冬の間に行われた魔法院の調査でも、これからは一切作物が育たないだろうと言われている。

 だから多少なりとも余力がある我々が、受け入れざるを得ない」


 力付けるように手を握った公爵は笑って頷いた。


「大丈夫。ここには女王がいる。そして私だっている。これでも公爵家を率いてきた人間だ、少しは頼ってくれ。

 南を当てにできない現状において、多少厳しくても民の救済は我々の仕事だ」


 領地まで逃げてきた南からの難民の話を聞く限り、蓄えを解放した北の穀倉地帯よりも状況は過酷だ。いや、正しくは二極化していると言って良いだろう。


 年若い女王に聞かせるのが憚られるような話も、ちらほらと公爵の耳には入っていた。


「肥え太ったブタ……」


「リア、そのような口をきいてはいけないよ」


 それでも報告は受けているのか、神官たちを口汚く罵りかけたリアトリエルに注意を飛ばす。

 ついつい幼い頃のままに対応してしまった。慌てて謝罪しようと視線を向ければ、バツの悪そうな、だが嬉しげな表情が隠しきれていないそんな不思議な顔をしたリアトリエルと目があった。


「どうしたんだい」


「この地に戻ってから、貴方は私との距離を女王と家臣となさいました。それが崩れて嬉しいのです」


「何を言うんだね。戻って早々に女王令で私との再婚を認めさせた方が」


 つい恨みがましい瞳になった公爵に、リアトリエルは艶然と微笑んだ。その微笑みは賢妃と名高かったリアトリエルの母の姿と重なる。


「……それについては謝りません」


「分かっているよ、あの時点では最良の選択だった」


 神罰を受けた王家に繋がる女。領主を捨てて去った悪女。

 最初はそのようにリアトリエルを見ていた周囲も、戻ってすぐに行われた再度の婚礼とそれに付随する触れを見て考えを改めた。


 今では父王に邪魔されながらも、一途に愛を守った健気な女王として民からも受け入れられている。


 己の望みを叶えながら、守るべきものたちにも利益を出す。それがどれ程難しいか分かっているのだろうか。


 天性の為政者としての行動は頭が下がるばかりだ。だが、大人の都合に犠牲になり続けたこの子だからこそ、公爵は幸せになって欲しかった。


「ティハヤ様のお幸せとは何なのだろうね。会ったこともないから想像も出来ない。リアもそうなんだろう」


 目下一番心を悩ませているだろう問題について水を向ける。


「分かりませんわ。でもきっと今はお幸せではないでしょう。先代国王も先の王太子も対応が悪すぎました。そしてなにより情報が足りません。

 ティハヤ様が王都に滞在している間、彼らは何をしていたのやら。

 こちらに来てようやく情報を得られるようになり、本当に絶望しました。

 ティハヤ様が生きていた世界についての情報は恐ろしく少なく、調べて出てくるのはこちらの価値観を押し付けた内容だけ。

 恥ずかしくてティハヤ様に直接連絡する事すら躊躇されます」


 腹立たしいと口にしたリアトリエルは、その直後に私も同罪だと顔を伏せた。


「何が同罪なんだね」


「グレンヴィルにお願いしましたの。

 ティハヤ様に食料支援をお願いせよと。一時的な難民の受け入れもご検討していただけるようにと。

 ティハヤ様の置かれた状況を知っていたはずなのに……、それなのに私は何という罪深いことをしてしまったのでしょうね」


「だが異界の女神様はリアを赦してくだされた」


「女神様に赦されたことは大変嬉しいことです。でも、それとこれとは話が別です。

 謝罪したいと思っても、それがまたティハヤ様の負担になってもいけません」


 女王の瞳になったリアトリエルに、公爵は頷くことで答えに変えた。


「それに私はティハヤ様に個人的な引け目もあります」


「引け目? 会ったこともないのに」


「だって私、今幸せですもの」


「は?」


 突然の宣言に公爵は口を軽く開いたまま、リアトリエルを見つめた。


「愛する殿方の胸へと戻れて、これ以上の幸せがありましょうか。

 ラッセル様、お覚悟を決めてくださいませね。

 私は貴方の子以外産むつもりはありません。貴方が私を真実の妻として下さらぬのでしたら、王家の血筋は終わりです」


「あの、突然何を」


「あら、まだお分かり頂けないようなので、はっきり言うことに致しましたの。

 私の幸せは貴方様と共に。ラッセル様、愛しの公爵閣下」


 逃がさないという意思を込めて、リアトリエルは言葉を紡ぐ。


「私が幸せだと感じるのは貴方様が傍らにいてくださるから。どんな苦労をしても、貴方さえいてくださるならば、それは苦労ではありません。

 ティハヤ様に誰かを宛てがえという意見が、家臣達から出ていると聞いています。でも私からしてみれば愚の骨頂。

 愛した人だから幸せなのです。

 この人ならばと思ったから、それを貫けるのです。

 宛てがわれた恋人に何の価値がありますか。

 私は、私が今幸せだからこそ、強く確信しています。

 ティハヤ様に自由を。全てはティハヤ様に選択権を。

 そして願わくばいつの日か、あの方が幸せを見つけた時にそれを手にいれるお手伝いが出来ますように」


 熱を帯びた言葉が発せられる度に、二人の覚悟が定まっていく。


「ならば私は、ラッセルハウザーとして、この地を治める公爵として、女王に忠誠を誓いましょう」


「その忠誠を受け入れます。でもお分かりよね、私が一番欲しいものは忠誠ではない」


「……分かっているよ。分かっているが難しい。少し時間をくれないか? いままで娘と見ていた子を妻と認識を変えるは難しい」


「私の心は決まっています。いつまででもお待ちします」


 提案を受け入れられることに確信したリアトリエルは余裕の笑みを浮かべて、ラッセルを見つめてた。



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― 新着の感想 ―
[一言]  幸せなんてなぁ、人の数ほどあるもんさ。  だけど、一人で感じる幸せよりも、二人で感じる幸せの方がより暖かいと思うぜ。
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