47、冬を越す貴人
【告。
この地に入るには以下の事を承諾し、呪具での制約を受けねばならない。
1、落ち人ティハヤに害意を持たぬこと。
2、落ち人ティハヤに過失、故意を問わず、害を及ぼさぬこと。
3、落ち人ティハヤの生活をかき乱さぬこと。
4、落ち人ティハヤに何らかの要求をせぬこと。
上記条件を守れぬ時には、処刑も含めた厳罰に処す。】
そんな布令を出し同意したものたちから少しずつ半島に住みはじめた。そんな噂を定期的に物資を持ってきてくれる兵士から聞き、グレンヴィルは驚いた。
「今日はこれくらいでやめよう……」
人はおろか、生き物の気配すらない不毛の大地にグレンヴィルの独り言が吸い込まれていく。
「ああ、腰が痛むな。膝も……」
ゆっくりと強張った四肢を伸ばし、杖がわりに支えにしている鍬に体重をかける。
「マメがまた潰れたか。皮がむけるな。まだ布はあっただろうか」
柄についた汚れと手から感じる鈍い痛みでまた傷が出来た事に気がついたグレンヴィルは苦笑しつつ小屋へと向かう。
以前から考えれば掘っ建て小屋か、家畜小屋だと思う家が今の住処だった。
噛み合わせの悪い扉は開けるのにもコツがいる。少し浮かせてゆっくりと引けば、蝶番が擦れる嫌な金属音を発しつつ何とか開いた。
小屋の半分以上を占める土間。奥に申し訳程度の床があり寝具が置かれている。壁に直接設置された棚には、万一の時に使うようにと渡された魔法薬がある。すきま風は激しく、煙突もあるため室温はなかなか上がらない。寒さを堪えるために、日が落ちれば持ち込んだ布を身体に巻き付ける。
土間の一角には竈があるが薪が手に入りにくい現状では、毎食使うわけにも行かない。一度にまとめて食事を作り、それを食べる生活をしていた。
何より料理など、この地に来てからはじめた。マトモな物を口に出来る日の方が稀である。疲労で重くなった身体を引きずり、作りおきの夕飯を先に済ませる事にした。
「…………イスファンには感謝しなくてはな」
不要だと主張したが無理に持たされた軍人用の携帯食が、今のグレンヴィルにとって生命線になっていた。
固い干し肉をナイフでそぎ落とし、堅焼きパンと合わせて食べる。昨日煮たじゃがいもの薄い塩味のスープで何とか流し込む。
設備の整わない落ち人の地で造塩されたからか、鍋の底に細かな砂が溜まる。王宮時代、こんな料理を出されたら、責任者の首を飛ばしていた。兵士たちがこの小屋を設置し最低限の物資を揃えたあの日、このスープを見て顔色を変えたグレンヴィルを皆冷ややかに見ていた。
塩があるだけマシだと思え。
造塩もご自身でおやりになりますか?
近くの海は外側です。魔物にご注意を。
慇懃無礼に投げ掛けられた言葉の数々に、グレンヴィルは絶句してしまう。この地に同行してきたナシゴレンという副官にトドメを刺された。
「ティハヤ様には餓え渇いて死んでも構わない。死ぬまで働くと話しておられながら、何を甘えたことを。やはり口先だけの覚悟でしたか」
明らかに嘲った表情を浮かべられ、瞬時に目の前が真っ赤になった。そして次の瞬間言われても仕方ないと、自らを嗤う。
「今後は十日に一度こちらに巡回の兵士が来ます。それまでに今日運んだ土を混ぜ込んでいてください。
水はここから二時間ほど歩いた岩場に湧き水があります。薪については小屋の脇に積んでおきます。雨はあまり降らないので大丈夫でしょうが、湿気ると煙がたちますから気を付けてください」
最低限のやり取りを交わし、さっさと帰路に就いた兵士たちを見送り、たった一人となる。
次に巡回兵が来るまでに土を混ぜ終えていなければ、食料の配給も減らされるだろう。そう言う約束だ。何より持たされた種を蒔くことすらままならない。早く自活しなくてはという焦りに追われる様に動き出す。
一日目は何ということもなく、働くことが出来た。
二日目には節々が痛み、身体を動かすのが辛くなった。
三日目には血豆が潰れ、鍬すら持てなくなった。
そうして日々を生きることに懸命になった。
ただ命を繋ぐのに必死で、餓えを感じ疲労を感じ日々倒れ込むようにして眠りにつく日々。
十日後にナシゴレンが再び現れた時、命じられた開墾予定の半分すら耕すことが出来ず、運ばれていた土も多くが手付かずだった。
「殿下、これはあまりに」
「すまない」
耕されるどころか整地すら終わらない大地を見回しながら、ナシゴレンが呆れたようにため息を吐いた。言い返す言葉もなく項垂れるグレンヴィルに対し、サボったのかと問いかける。
「そんな事はない。見てくれ。ちゃんと働いた。だが思った以上に重労働なのだ」
血豆が潰れた両手をかざしつつ、グレンヴィルが言葉を続ける。
「大地は乾燥し、硬く締まっている。雨も降らないから耕すのは容易ではない。農耕馬もおらず私一人の力では、遅々として進まないのだ」
「言い訳はお止めください」
「何だと?」
「同じ条件の元側近の方々は、何とか八割程は目標を達成しました。その程度の血豆がなんです。血豆など気にせず働き続ければ、そのうち手の平も硬くなります」
「な?! 膏薬もなく……」
「その程度で薬を使うなど勿体ない」
ピシャリと言われて口をつぐむ。
「農民はその程度で薬など使いません。
グレンヴィル殿下、貴方が望まれた流刑とはそんな甘いものでしたか。自分から流刑を望まれた時には、少しは見所があると思ったのですが私の見込み違いだったようです」
「どういうことだ?
ティハヤ様は流刑などではないと」
「ええ、あの方は流刑など望まれない。
だから住む場所も道具も与えました。食料も燃料もです」
「住む場所とは、あれは小屋であろう」
「あの小屋は我々がティハヤ様のお屋敷近くに侍る時の仮小屋です。十分快適なはずですが?」
「あれが?」
「ええ、貴方に小屋を譲った為に我々は真冬も天幕暮らしです。それを分かっておいでか?」
「しかし……」
「その天幕もこの地に来た大半の民の家に比べれば随分と良いものです。殿下、貴方が優遇されている事実をお忘れなきように」
そう言い捨ててナシゴレンは去っていった。ノルマ未達成と言うことで半分に減らされた食料に命の危機を感じながら、休憩時間や睡眠時間を削り何とか開墾を進めた次の十日。
急激に日を浴びたせいか皮膚もささくれだってきた。身体を洗う余裕もなかったから、身体中土にまみれている。
補給物資を持ってきた兵は、前回までの土が無事に使いきられていることに驚いた表情を見せたが、余計な口は開かずにドンドンと荷物を下ろして去っていった。
称賛されるとは思っていなかったが、労いのひとつも言われるだろうと思っていたグレンヴィルは拍子抜けしつつ、去っていく兵士の背を見送る。
互いに無言のままの補給が数回続いた後、言葉を忘れそうになったグレンヴィルが痺れを切らし巡回兵に話しかけた。
結果は丁寧な無視である。
存在すら認めないような反応に心が折れかけ、その時初めて落ち人が置かれた四年間に心を馳せた。
「私の置かれた状況などまだまだ甘い……か」
力なく呟いたグレンヴィルに反応する者はいなかった。
そうして更に補給回数が二桁近くになった頃、ボソボソと独り言の様に【外】の状況を伝えてくる兵士が現れた。
そのときになって初めて知った移民の受け入れ。悪意を向けられ、孤独に耐え続けた落ち人がそれを受け入れるのにどれだけの覚悟が必要だったか。素直に頭が下がった。
二度とお目にかかれぬであろうが、せめてこの地くらいは緑で満たすと覚悟を新たにしたグレンヴィルは、めっきり多くなった一人言を呟きながら、遠くティハヤが住む方角に頭を下げた。