44、丸洗い
ベヘムが廃棄地での暮らしに慣れた頃。人と動物も増えて賑やかになった千早の家は活気に満ちていた。
外の犬小屋で眠らせようとした子犬たちだったが、千早の希望で家族全員千早の家で寝泊まりしている。
犬が家で暮らすことより、若い男女ということでベヘムが同じ屋根の下で眠ることを周囲は嫌がった。だが新たに来たミュゼがベヘムの泊まる間、共に千早の家に住むことで何とか納得していた。名目は子犬の世話で千早の眠りを妨げない為だ。
「あれ……なんか臭うね」
ようやく落ち着いてきた犬たちを撫でながら千早が鼻をひくつかせた。
「ああ、こいつらだろ?」
「そろそろ洗ってもいいかもしれませんね」
犬たちの毛をかき分けて顔を寄せ臭いを確認したベヘムと、産まれてからの日数を指折り数えて確認したミュゼが答える。
自分達は常に獣たちと一緒で、体臭に近い感覚だから気にならないが、獣臭いなら洗うかと軽く笑う。
「洗う? でもお風呂ないよ」
「ん? 洗うなら水で十分だろ。真冬なら可哀想だけど、今ならほっときゃ乾くしな」
そろそろ秋風交じりの廃棄地は朝晩は冷え込むようになってきた。千早の服装も厚手のシャツに変わっている。
雪は降らないとはいえ、これから冬に向かう。洗うならば今だろうと、ミュゼたちは準備を始めた。
普通なら石鹸すら使わずに近くの川にでも放り込むのだが、驚いた表情を浮かべたままの千早を見て丁寧に洗おうという気になったようだ。
丁寧と言っても井戸水を汲み上げて洗えばいいだろうという程度で、バケツと大きめのたらいを探す。だが千早の、風邪引いたら大変だという抗議を受けて、沸かした湯を割り洗うことにした。千早用の石鹸を使うかどうかで更に議論になったが、最終的には泡立てて使うことにした。
「こら、アズキ! 暴れるな!!」
外に置いた大盥にノミ取り薬を混ぜたぬるめのお湯を張り、部屋から抱いてきた犬達を順番に浸ける。
アズキは未知のお湯を嫌がり、逃げようと暴れる。
ダイズはキョトンとしてから、浸けられたお湯を飲み始めた。
ササゲはお湯に足を浸けられてからは固まって、鳴き声ひとつ上げない。
母犬はそんな子供たちを心配そうに見ていたが、温かい盥が気に入ったのか、腹這いになり寛ぎ始めている。
泡立てた石鹸を毛皮に擦り付け、地肌をマッサージするように洗う。三人で手分けしたからすぐに終わったが、盥のお湯は茶色に変わり抜け毛も多い。
それぞれ個性豊かな反応をする犬たちに圧倒されつつ、何とか洗いきってからも大変だった。
「ギャー!! こら、ササゲ。ブルブルは少し待てよ。濡れる! 濡れるから!!」
泡を落とされ、盥から出る前に全身を震わせ始めたササゲが弾き飛ばした水滴で濡れたベヘムは髪から滴を垂らしつつ、家の中に戻っていった。
「はい、アズキ。ブルブル」
ミュゼは馴れた雰囲気でアズキを板の上に立たせると、少し離れる。声に誘われた様に全身を震わせ水を飛ばしたアズキを誉める。その後手早くタオルドライを済ませて暖めた室内にアズキを放した。
「ティハヤ様?」
「ダイズが動かないの」
洗われる間ぼんやりと立っていたダイズは、汚れたお湯にのんびりと浸かりすっかり寛いでいた。
「大物ですね。普通嫌がるのですが」
「出たくないみたい」
胸の下に手を入れて抱き上げようとしても、控え目な唸り声で拒否するダイズはウトウトと船を漕ぎ始めている。
「あー……すっかり気に入っちゃったみたいですね。でもこのままだとせっかく落とした汚れが……。少しお待ち下さい」
そう言ってミュゼが新しい盥にお湯を張り、唸るダイズを横に動かす。最初は円を描いていたダイズだったが、縁に首をかけて眠り始めた。
「お母さんを洗う間だけだぞ」
ポンポンとダイズの頭を叩き、そう話したミュゼは母犬ルシアのシャンプーにとりかかる。
大人しいルシアは平然と身体を洗われ、更に足を洗うときは、わざわざ一本ずつ宙に浮かせるほど協力的だった。
「いい子……」
「流石に落ち着いていて賢い犬です。
ダイズ、そろそろ逆上せるからな。今日は終わりだ」
ゥウー。
「何がウーだ。十分楽しんだろう。ティハヤ様、お願いしても?」
唸られるのにも気にした風もなく、ひょいっとダイズを抱き上げるとタオルドライまでの一連の手順を手早く済ませたミュゼがダイズを差し出す。
ダイズを受け取った千早は、家へと向かって歩き出した。今は何とか抱き上げているが、大きくなったら厳しいだろう。
「ほら、ルシア。待たせたな」
「ミュゼ、盥の片付けば俺たちでやっておく」
「すみません、よろしくお願いします」
家の引き戸を何とか開けて若犬を中に入れる千早を見ながら、罪人たちは手早く打ち合わせを済ませる。
追加の湯や井戸からの水汲み等、雑多な手伝いを率先してやってくれたお陰でスムーズに犬達を洗えた。
「あ、小さい盥はそのままで。お湯だけ変えてもらえますか? 猫も一度洗います」
「ん? 普通猫は洗わなくていいんだろう?」
「どうやら海に落ちたようで汚れが目立ちます。特にクロとギンはティハヤ様の近くで暮らしています。ノミ取り薬も届きましたから一度洗うべきです」
「そんなもんか? 分かった。準備しておく」
「猫は爪を立てる可能性もあります。ティハヤ様の柔肌を傷つけてはいけないので、俺が洗います。猫は特に水を嫌うコが多いですから。逃げられないように注意しないと。
申し訳ありませんが、エリック殿の所からギンを借りてきて頂けますか?」
「おう。任せろ」
「では一度ルシアを乾かしてきます。風邪でもひかせたらティハヤ様が心配されます」
懲罰隊の中では下っぱであるミュゼは先輩たちに頭を下げると足早に家へと入っていった。
「よーい、ドン!!」
パンッ! と手を打つ音と共に、若犬たちがドタバタと走り回る。体を床に擦り付けて水を取ろうと暴れまわる。暖炉に火を入れ暖めていた室内はさながら運動会の様相を呈していた。
「あはは!! すげー。暴れてる」
「ほら、捕まえちゃうぞ!」
ベヘムと千早の二人が無邪気に笑いながら近くに来た犬達を撫でていた。それが楽しいのか、更に激しさを増した犬達の追いかけっこを、ミュゼは呆然と見つめる。
「…………ぁ、ああ、すまないルシア」
いい加減放せとルシアが身じろぎをしてようやく動き出す。人と大して変わらない大きさのルシアを慎重に床に降ろし、そっと入口近くに下がる。
最後になったルシアが豪快に背中を床に擦り付けた。その仕草が面白いのか、重力に負けて捲り返った表情が面白いのか千早が声を発てて笑った。
「ルーシア。ほら新しい布だ。これで拭けよ」
床に広げた布に全身を擦り付ける母犬を見て子供たちも真似をする。犬たちに話しかけ笑みを浮かべる千早の表情は柔らかく緩んでいた。
「ミュゼさん、あとはどうしたらいいんだ?」
「え……ぁ」
静かに立ってその風景を見守っていたミュゼにベヘムが問いかける。ミュゼを見た途端、千早の顔が微かに強張った。
「……部屋は十分暖めてあります。暑すぎない程度に温度調節をして、自然に乾くのを待ちましょう。
私は予定通りクロダイとギンジャケを洗ってきます。クロは何処に?」
強張った千早の表情を見て心を痛めつつ、ミュゼは穏やかに話した。
随分自分に心を開いてくれている落ち人だが、罪人と落ち人としての垣根は高く、許されるはずもない。ティハヤが憂いない笑みを少しでも浮かべられる様、最近はロズウェルやエリックを始めとする罪人たちもまとわりつく様に付き従うのを止め、距離を置いていた。
そのかいあってか、ベヘムと共にいるときには声を発てて笑うようになった。
「クロなら私の部屋に」
「捕まえて来てくださいますか? お許しがあれば私が捕まえますが」
貴人の寝室に入るわけにはいかない。しかも未婚の若い娘だ。
「あ、はい」
千早の部屋からは出せと訴える爪研ぎ音が聞こえている。傷ひとつつかない不思議な素材の扉で良かったと思いつつ、ミュゼは千早がクロを捕まえるまで待っていた。