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40、内省の為に

 室内には重苦しい空気が漂っていた。千早が入ってきた事に気がついた面々からすがる視線を向けられる。圧力さえ感じる目に耐えきれずに、顔が下がった。


 背中をソッと押され、驚きながら顔を上げれば、心配そうな顔をしたイスファンがいた。そのまま先程とは少しだけ配置を変えた家具の間を歩き、席に導かれる。


 重たい沈黙に耐えきれないと、グレンヴィルの連れたちの咳払いが数個響く中、控えめなノックが響く。許可を受けて扉が開けば草臥れた格好をした青年が立っていた。


 まさかグレンヴィルがいるとは思わなかったのか、目を見開き驚きを露にする青年を室内に呼び入れ、固く扉を閉じる。グレンヴィルたちも同じように驚いているようだ。


 てっきり先に王子に挨拶をするのだろうと思っていた青年が、入り口近くから近づく事もなく、千早に向けて土下座する。そのままピクリとも動かなくなった青年を、ゴンザレスは痛ましそうに見ていた。


「えーっと、とりあえず立って貰えますか?」


 自分が口を開かなければ話が進まない事を思い出した千早が土下座したままの青年に声をかける。


「どうか……このままで」


 弱々しく首を振り姿勢を崩そうとしない青年と千早のやり取りは数回に渡った。


「私は貴女様の前で(こうべ)を上げる資格はございません」


「いいから、何かご用があってこんな所まで来たんでしょう。次にいつ会えるか分からないし。

 殿下もまだ何かあるならおっしゃってください」


 ノロノロと立ち上がった青年はまだ床を見詰めたままだった。いきなり話の矛先を向けられたグレンヴィルは驚きつつ深くうなずく。イスファンからも千早が望まぬ謁見は、今回で最後と念を押されていた。


「まずは先程の非礼を詫びよう。私の立場も弁えず無礼な事を口にした」


 真摯な瞳で千早を見つめながらグレンヴィルは謝罪を口にする。相変わらず尊大な口調であるが、響く声は少し気弱になっていた。その後ろに立っていた側近たちもまた謝罪を口にする。全員顔色が悪い。


 この部屋を出たあとにどんな話し合いがされたのか、千早は少し気になったが、ベヘムを待たせていることを思い出して先に進める。


「立場?」


「ああ、私はまだ王太子であった頃と同じでいた。もう何処にも行く所などないのにな」


「殿下のお姉さんが東に都を作ったって天の声が言ってる。そこに戻れば?」


 家に戻れば王子様も元気が出るだろうと思った千早が提案する。だがそれを聞いて、思案げな表情を浮かべたグレンヴィルは静かに否定した。


「東……公爵領か。いや、無理だろう。私が受け入れられることはない。此度こちらに来たのだとて、死んでこいと言うことだからな」


「死んで?」


「ああ……同行したご」


 言いかけたグレンヴィルに鋭い咳払いが向けられる。千早を守るように斜め後ろに立っていたイスファンが射殺しそうな視線を向けていた。


 同時に壁際に控えていたロズウェルとエリックの両名からも控えめな殺気が飛ぶ。


「……何でもない。療養という名目でこちらに来たが、戻る術なき道行きだったということだ」


 身の危険を感じたグレンヴィルが誤魔化しつつ千早に答えた。殺気だった周囲の空気を察し、深く追及しないほうが良さそうだと判断した千早は「そう」という一言で済ます。


 内心は先程の子犬たちの毛皮の手触りと、微笑ましい仕草に埋め尽くされている。

 現実逃避。今の千早の心情を言葉にするならそれが一番当てはまるだろう。


「それで?」


 何とか絞り出した問いかけに、被せるようにグレンヴィルが答える。


「邪魔はしない。面倒もかけない。どうか我々を受け入れてくれないか? 代わりに提供出来るものなど思い付かないが、何か望みがあるなら何でも差し出そう。頼む」


「…………愚かな。この上まだティハヤ様に望むのか」


 深く頭を下げるグレンヴィルに冷ややかな視線を向けるイスファン達の中、ただひとりゴンザレスだけが耐えきれぬと言うように呟いた。沈黙支配する部屋の中に思いの外大きく響く。


「誰だ? 先程から気になっていたが、お前は砦の兵ではないな」


「ゴンザレスと申します、殿下。私は王都から落ちのびて参りました。前任は神殿付きの衛士でございます」


 イスファンの威圧とエリックの殺気を混ぜた雰囲気を発しつつ、ゴンザレスは怯むことなくグレンヴィルを見据える。


「王都から……。そうか、よくぞ無事で参った」


 側近のひとりが尊大に口を開く。それに対して鼻を鳴らすことで答えに代えたゴンザレスは、千早に発言の許可を求めた。


 先程以上に険悪になる場の雰囲気に呑まれ、ぎこちなく頷く千早を安心させるため、ゴンザレスは一瞬だけ口許を弛め笑みの形に変えた。そのまま礼を口にした後、無表情となりひたと王子を見据えた。


「殿下、お手打ち覚悟で申しましょう。

 貴方は国滅ぼした自覚がおありですか?」


 いっそ静かな声が部屋に響く。複数の息を飲む音が聞こえた。エリックだけが感心したのか、ほうとひとつ息を吐いた。


「ッ……。何を言うか」


「平民が、無礼な!!」


 いきり立つ側近をナシゴレンが押さえる。途端に表情を不快に変えたエリックは、静かに腰に下げていた杖を引き抜いた。


 腰に下げた剣に手を伸ばしつつあるグレンヴィルには、ロズウェルが近付き抜かれかけた柄を押し止めて制していた。


「私がこの場に招き入れられた理由がわかりました。殿下、貴方はあまりにも酷い。貴方にあるのは保身ばかりだ」


「このっ!」


 ロズウェルを押しのけ、立ち上がったグレンヴィルに鋭い声をかける者がいた。


「落ち着いてください!!

 ゴンザレス殿は何ら間違ったことは言っていない。

 貴方もそれを分かっておいでだからそのように激昂されているのでしょう」


 下を向いていた青年はグレンヴィルに語りかける。


「殿下、私は早々に貴方様の元を離れました。そして貴方はそれを快く許してくだされた。それには本当に感謝しております。

 ですが、殿下。それ故に見えた事がございます」


「何が見えたというのだ」


「我々が五年前にやった事は、(まご)うことなき悪でした」


「何故そう言える。あの時私が後継者と定まり国は安定した。貴族たちの愚かな争いはなくなった。兄弟たちは苦しまずによくなった。利用されることもなくなった」


「それでもです。その結果どうなりました?

 落ち人様を召喚したことを秘匿し、実験動物として扱い、とうとう国まで滅ぼした。亡国の王太子、そうではありませんか」


「何を言うか……」


 本人にも自覚があるのか、視線を泳がせグレンヴィルは話す。その王子をいっそ憐れみに近い瞳で見た青年は続ける。


「殿下、貴方とて本当は分かっておいでなのでしょう。それでも認めることが出来なかった。違いますか? あの時の己の保身と野心がこの国を滅ぼしたことを、貴方は認めるわけにはいかなかった」


 足から力が抜け椅子に座り込む王子から視線を外し、青年は千早に対して頭を下げる。声を荒げる男たちに圧倒されたのかその顔色は悪い。


「御前を騒がせてしまい申し訳ございません。

 ティハヤ様、私は王都の救護所にて働いておりました。

 沢山の民が魔物から逃げ、田畑を捨て都に逃げてきておりました。仕事にも就けず、ただ餓え、泣く力もなくなっていく我が子を見つめることしか出来ぬ家族を見て参りました。

 一夜の食事の為に身を売る姉がおりました。

 妹に食事を摂らせる為に手を汚す兄がおりました。

 家族が一時の糧を得るために、売られていく子がおりました」


 思い出を語る瞳をした青年は、後悔に声を震わせつつ続ける。


「王都が滅びるその時も、人々はそこにおりました。罪人である我々の代わりにリソースとされ、売り渡されていく姿を見ました。

 遅すぎたと言えばそれまでですが、その時はじめて多くの民は貴女様の置かれた真実を知りました。歴代の落ち人の真実を知りました。

 召喚が『誰の為』に行われたかも知らされました。そしてその代償を…………彼らが支払うこととなりました」


「城壁が崩されたとか……」


 天の声に教えられた王都の惨劇を口に出す。だが、王都にいたほぼ全ての民が地球の神々により殺された事は知らなかった。


「はい、民は逃げ惑い、強いものたちはその力を振るい、我先にと弱者を押しのける阿鼻叫喚。幼子だけは生き残って欲しいと竈に隠し、喰われていった母親。足の弱い老人は己が食べられている間に逃げろと家族を追う……」


「え……」


「強者は弱者を踏みつけ、己とその大事なものだけを抱えて逃げ去る。むろん平民たちが勘づく頃には高位の貴族や神官は早々に逃げ去っておりました。

 ティハヤ様は異世界からのお客人。蝗帝の恐怖など知るよしもない。あれはまさしく地獄でございます」


「……蝗帝。この廃棄地を襲った魔物と同じ?」


 嘆きながらも惨劇を語る青年に、千早が問いかける。


「はい。貴女様が居られた地方より発生し、王都までの地域を蹂躙。そして王都を蹂躙するだけ蹂躙し、全てがパタリと死に絶えました。

 そのように悲しい顔をされないでください。これは神との約定を破ったこの地への罰。我らへの神罰。貴女様が気にすることではありません」


 顔を歪める千早を宥めた青年は、グレンヴィルに責任を感じるべきは貴方だと続けた。


「それが私のせいだと言うのか」


「お諌めしきれなかった私の罪でもありましょう。媚び、(おもね)り、(へつら)い、本当に学ぶことを学ばず、傲り笑う。どの面下げて学友だと言えるかという後悔しかございません」


「セドリック、お前、狂ったか?」


「もう目を覚まして下さい。殿下、貴方はいまだに夢の中においでだ。

 皆様も皆様だ。いまだに殿下に媚びへつらい、何を望んでおいでですか? 我らは選択を誤ったのです。二度と挽回はきかぬ、愚かで致命的な間違いを犯したのです」


 切々と訴える声に、気まずそうに視線を交わす側近たち。内心では限界を感じていたのだろう。一塊になっていた彼らが一歩ずつ、グレンヴィルから離れる。それはそのまま互いの心の距離を示していた。


「お前たち……何故」


「諦めましょう、殿下。

 事、ここまで進めばもう後戻りは出来ぬでしょう。我々の中で一番大人しく、流され続けたといっても良いセドリックが、ここまで言うとは」


「落ち人様を擁立出来ればあるいはと………思いましたが、所詮は夢でございました。我らがいくら足掻こうと、民も神も許しはせぬでしょう」


「我々は家名に泥を塗り、民を殺し、世界に滅びを呼び込んだだけ……か」


 瞑目をして未練を断ち切る仕草をしていた青年たちは、千早に無礼を詫びる。その豹変振りに驚いていると、両手で顔を覆っていたグレンヴィルがゆっくりと顔を上げた。


「…………そうだな。私もそろそろ諦めよう。

 死す為に来たと言ってもその覚悟もなく、かといって落ち人に謝罪するでもなく、己の罪を見つめることなく、本当にどれだけ愚かだったのだろうな。

 ティハヤ様、本当にご迷惑をかけた。申し訳ない」


 憑き物が落ちたようなグレンヴィルの姿に息を呑んだ千早は無言で首を横に振った。


「…………あの」


 視線を合わせることもなく、決別の雰囲気を漂わせる青年たちに声をかける。


「どうされました?」


「これからどうするんですか?」


「さあ、どう致しましょうか」


 表面上は穏やかな笑み。表情から読み取れることはなかった。


 千早が室内を見回すと、鋭く視線を尖らせているイスファンとナシゴレン。軽蔑と不快を隠さぬエリック。無表情のゴンザレス。表情を消そうと努力しているが、心配を隠しきれていないロズウェルがいる。


「…………あ、そう、やっぱり?」


「ティハヤ様?」


「ん? ごめん、声に出てた?

 オルフェストランス神から連絡来たの」


 ティハヤが『天の声』という神託の話はよく聞いていたが、まさかの唯一神からの連絡に室内に緊張が走る。


「えっとね、これからは、罪人の紋を持つ者たちでも、どうしても死にたければ自死を認めるって。伝えたよ? みんなに広めてね」


「畏まりました。ですが何故、このタイミングで?」


「ん?」


 イスファンに問いかけられて、首を傾げたまま視線でグレンヴィルを差す。


「だって、殿下、死ぬ気でしょう?」


「ッ!?」


 言い当てられて驚くグレンヴィルと、やはりという雰囲気で顔を覆うロズウェルに千早は続ける。


「あと、伝言もあるんだけど……。ここで話しても良いですか? それとも場所変えます?」


「お伺いします」


「…………大罪人、死にたければ死ね。だが赦されると思うなよ。お前の仕出かした愚策の後始末でどれだけの被害が出たか。

 良心の疼きなどと甘えた事を言える立場だと思うな。

 自身の罪も、仕出かした内容も、その影響も分からず、国を背負う立場の者の責任も知らぬ。そのような愚かで臆病で弱い(もの)を、この地を統べる家に生まれさせてしまうとは、私は自分に腹が立つ。愚鈍なれど、凡庸な王としてその生を閉じることも出来た父を死地に追いやったのはそなたぞ。

 よく考えよ。そして選べ」


 突然青年の低い声に変わるだけでなく、口調まで変化させて一気に話した千早は、ふぅと息を吐いて椅子に凭れ掛かった。


 絶句して自分を見ている人々に気が付き、肩をすくめる。照れ笑いを浮かべながら、視線を泳がせる。


「忘れそうだから、ちょっとイタコしてみたの。憧れてたんだよね、イタコの巫女さん。カッコいいし綺麗だもん。

 でさ、イスファン隊長」


 イタコとは何だろうと疑問符を浮かべていた男たちは、千早の声に視線を集中させた。


「南北にある両半島になら、王子様や側近さんたちを受け入れてもいいよ。行くところ、ないんでしょう。だからいいよ。でも希望者だけね」


「未開墾の……ああ、それは良いかもしれませんね。驕る貴人への罰には十分でしょう」


「いや、罰とかじゃなくて。

 ……人に憎まれるのも嫌われるのも辛い。暴力を振るわれたら痛い。餓えは悲しい。誰からも存在を認められなければ悔しいし寂しい。

 だからさ、半島の奥なら私の家からは見えないし、住んでいいよ。大変かもしれないけど、皆で住めば何とかならないかな? もしくはこの近くに小屋でも建てて住んでもらうか……。

 いつか皆さんが外に出るまで、少しなら土とか作物とか支援するから」


「何故そのような慈悲を?」


「何でだろう。世の中、助け合いの精神で。お互い様。出来ることをやらなきゃ駄目。お隣さんを大切に。人に何かを渡すときは、自分が惜しいと思う良いものを贈るべきだからかな。お父さんやおじいちゃんがそう言ってたんだよね。

 でも、まだ知らない人は怖い。だから、ごめんなさい。移住者や開拓者みたいな、多くの人はいれないし、王子様たちも離れて住んで欲しい」


「…………私は本当に、なんということを」


 千早の提案を聞いたグレンヴィルがとうとう身を折って頭を抱えた。


 それに首を傾げた千早は、後の打ち合わせは任せていいかと、イスファンとナシゴレンに問いかけた。


「ティハヤ様のご命令とあれば」


「お任せください」


 力強く頷く二人に千早はようやく家に帰れると腰を上げた。一歩踏み出すかどうかのタイミングでグレンヴィルに呼び止められた。


「ティハヤ様、私は側近たちと離れて生活すべきです。今までを知る者たちと顔を合わせて生活すれば、確かに心の慰めは得られましょう。仮令(たとえ)嫌われようとも、それを己の罰だと思う事も出来ましょう。ですが、それでは……。

 どうか、流刑としてください」


「いや、だから罰じゃないから」


「そうでしたね。これは貴女様から頂いた慈悲です。それを刑罰に例えるなど、やはり私の性根は変わっていないのでしょう」


「そんなに一気に変われるものか」


 それまで壁際に立ち口を挟まなかったエリックが吐き捨てるように言った。


「…………ティハヤ様の条件を満たすところで、住む場所を選ばせて下さい」


「どうぞご自由に。後はイスファン隊長達と話し合ってください。私よりもずっとこの土地に詳しいから、きっとご希望の土地を見つけられると思います。

 では殿下、これで。

 ロズウェルさんはどうします? 残りますか、一緒に来ますか?」


「お供させて頂きます」


 ロズウェルは出口に向かう千早に、ためらうことなく付き従った。その後をだらだらとした足取りでエリックが続く。


 どうすべきか悩んだゴンザレスだったが、グレンヴィルを一瞥すると千早を追って外へ出た。


 部屋に残された男たちが今後のことを話し合う。グレンヴィルが北にある半島の奥地、外海側へ赴き、残りの側近たちのうち希望者は南の半島の付け根に住まうことになった。


 独り暮らしなどしたことがない貴人の為に、仮住まいとなる小屋を建てる半月の間に、セドリックにより訓練がなされた。


 彼らが落ち人の地に住む対価として、イスファン達から提示された条件は『開墾』。

 月に二度、千早の土が届けられる。それを大地に混ぜ込み、地力を回復させる重労働であった。





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