39、再会
「ダイ、アズ、ササー!!」
ワンワンワン!!
千早の声に反応して、子犬から若犬に成長した三匹が喜びも露に飛びかかる。
胸元を押されて千早が尻餅をつくと、三匹が顔を舐め匂いを嗅ぐ。ブンブンと振られる尻尾はこれでもかと勢いよく動き、我慢しきれないと足踏みをして再会を喜んでいた。
「アハハ、やめて~、押さないで。可愛いねぇ、すっかりおっきくなったね!!」
弾む声と三匹を忙しく撫でる手、何より輝くばかりの笑みを見て、犬たちに向かい攻撃準備していたエリックは杖を下げる。
「ティハヤ!」
「おはよー、ベヘム!!
あ、みんなもおはよう。元気だった?」
メェェェェェ!!
ワンワン!!
遅れて歩いてきたベヘムと山羊や犬たちにも、千早は笑顔で挨拶を贈る。三匹の犬たちに地面に押し倒されたままの千早にベヘムは苦笑を浮かべた。耳元で匂いを嗅がれる度に息でくすぐったいのか、ワンコたちの興奮を抑えようとしているが、千早の声に三匹のテンションは上がるばかりだ。
「ワン!!」
「こら、止めるんだ」
ヒョイッと首の後ろを噛まれ一匹が引き離される。もう一匹は犬に馴れた人の手で抱き上げられたようだ。
最後の一匹を両手で押さえて、千早は何とか立ち上がった。アズキを抱き上げた兵士が今度はナメナメ攻撃を受けて笑っている。もっとも激しく千早にアピールし、母犬に確保されたササゲは叱られたのかしゅんとしていた。
「おはようございます。あの、ありがとうございます。貴方が迎えにいって……」
何度か見かけてはいたが、初めて会話する兵士に怯えながらも千早は問いかけた。
「はい。実家は貴族様用の犬の調教師でしたので適任だろうと命じられました。もう数日頂ければ、待てと伏せとオスワリくらいは仕込んだのですが、コイツら案外やんちゃでして」
デレデレと笑み崩れた兵士は、アズキを地面に下ろし、近くにいたダイズの頭を撫でている。
「ワンコ、好きなんですね」
「可愛いですよ、コイツらは。純真無垢で素直で献身的で。時々、ウチの犬はバカだと言う飼い主がいますが、それは飼い主が駄目なんです。コイツらは教えられた事を教えられた通りに覚えます。扱われた通りに育ちます。
生まれながらにバカな犬なんていないんですよ」
座り込んでわしゃわしゃと犬を撫でる兵士は、すっかり落ち人の前だと言うことを忘れ去っているようだ。
「すみません、お名前を聞いても?」
母犬から解放されたササゲも加わり、腹を見せて撫でろとアピールする犬達を、お互いに全力で撫でつつ尋ねる。
「……っ! 失礼致しました!!」
ようやく正気に返り、仕えるべき落ち人の前で自分が何をやっていたのか気がついた兵士は、弾かれたように立ち上がり直立不動の姿勢となった。
「特務懲罰隊一等兵、ミュゼ・タレンと申します!」
「タレンさん、そんなに驚かなくても」
「ティハヤ様、申し訳ありません。そこのミュゼは少々犬狂いでして、今回の任務には適任かと思いましたが私の見込み違いだったようです」
「ナシゴレン副隊長、申し訳ございません!」
上司の登場に青くなって頭を下げるミュゼに一瞥をくれたナシゴレンは、同じように千早へと頭を下げる。
いきなりの大声に、腹を見せていた犬たちは飛び起きて、母犬の所へと戻り一塊となっていた。
「あ……」
それを見た千早が悲しそうに声を出し腕を伸ばす。
「おー、流石騎士様、迫力すげぇ」
呑気なベヘムの声に怯えていた犬たちの視線が集中した。
「みんな、大丈夫だからな。落ち着けって。
ほら、ルシア、子犬を庇うなよ」
瞬く間に犬達を落ち着かせるベヘムに礼を言ったナシゴレンは、不用意に場を騒がせた事を謝罪した。
「あ、いえ、こちらこそ、中庭で騒いでごめんなさい。あの、タレンさん」
「どうぞミュゼとお呼びください」
「ではミュゼさん、あの、予定が大丈夫ならしばらく家に来て貰えませんか? ワンコたちのお世話としつけのお手伝いをお願いしたいんです」
思いがけない千早の提案に、驚いたミュゼはナシゴレンに確認の視線を向ける。微かに顎を引いたナシゴレンを確認したミュゼは、満面の笑みで承諾した。
「もちろんです、喜んで。これから一番やんちゃな時期になりますから、この大きさの犬を三匹まとめてはお辛いでしょう。基本的なしつけはお任せください!!」
ヒャッホーと跳び跳ねて喜んだミュゼを、ナシゴレンは咳払いひとつで落ち着かせる。そして千早の帰りに同行できるようにと、準備をするように命じた。
喜び勇んで走り去るミュゼの背中を苦笑を浮かべて見送っていたナシゴレンが再度千早に謝罪する。
「あの、別に後から来てもらっても。突然だと大変じゃ」
「ご安心を。元々行軍となってもすぐに移動できるように各自準備しております。ティハヤ様のご希望が最優先です。帰りはミュゼも同行させます」
「助かります。三匹に飛び掛かられて抱き止められなかったからどうしようかと……、ドックトレーナーに来てもらえると凄く助かります」
千早たちが打ち合わせをしている間にも、残りの山羊や犬たちは用意されたエサや水を飲んだり、木陰で休んだりとそれぞれ思い思いに過ごしている。
「ティハヤ様」
そんな木陰なひとつに隠れるように立っていた男は、千早に見つけられた事に気がつき、中庭の中央に出てきた。
「…………エイシ……さ、ん?」
「覚えていて下さいましたか。ご無沙汰しております。ご無事で何よりでございます」
私服姿のゴンザレスが深々と頭を下げる。そのまま片膝を突き、千早への最敬礼を贈る。
「あの……どうして、貴方が」
「女神様より、お目こぼしを頂き、妻子と共に無事王都を出ることが出来ました」
「…………その者はゴンザレス。ティハヤ様のお部屋を警護していたという話は真でありましたか」
ナシゴレンの確認に千早は首を縦に振った。
「うん、初めの頃からずっと……でも最後のほうは別の人に代わって会うことも出来なくて。お礼を言いたかったのにそのままこっちに来ることになったの。そっか……、無事でよかった」
しんみりとした雰囲気を感じたベヘムは、山羊たちに合流するために側から離れた。訳有りだという廃棄地の支配者であるティハヤ。ここに来る前の事を聞いていいとは思えなかったからだ。だがそれでも気になるのか、チラチラと千早たちの方を見ては、山羊や犬たちを構う。
「こちらへの道行きを共にした兵士たちに無理を言い、一目お目にかかれればと砦に参りました。ご無事で良かった。王都にいらした頃に比べてもずいぶん顔色もいい。安堵致しました」
「作物も採れて食べるものには困らないから。それに兵士の人達も良くしてくれるし、イスファン隊長もナシゴレンさんも、私が過ごしやすいようにって凄く気を使って貰ってます。
あの、あの時、アリスちゃんから、あの人達の事を上司に伝えてくれたのはゴンザレスさんだと聞きました。その日から姿が見えないから、気になってはいたんです。でも確認しようにもどうしていいか分からなくて……。ごめんなさい」
「謝らないで下さい。謝罪すべきは我々です。ティハヤ様のお心を察することなく、監督するべき者も置かずにあのような小娘どもを近くに配したこと、大変心苦しく思っております」
「え、いえ、だってゴンザレスさんは選ぶ側じゃないでしょう。私の部屋の前を守ってくれただけなんだし。もうひとりの衛士さんもあのあとすぐに入れ代わって、次にきた人はお嬢様たちに凄く気を使ってたけど」
「もうひとりの……ああ、ルガーノですね。あいつは私の復帰を上に打診し、不興を買い王都神殿勤務から外されました。元々、少々軽い所がある男でしたので、これを機に東にある領地に戻ったと聞きます」
長年相方を務めてくれた下級貴族の三男坊のルガーノを思い出しつつ、ゴンザレスは話す。豪商とはいえ、平民上がりの自分に普通に接してくれた数少ない貴族だった。
「そう……無事だといいけ…………あ、そうなんだ。無事なんだ。え、都から追っかけてきた人とデキ婚して、今じゃすっかりデレデレパパ?」
無事を祈る言葉を口にしていたティハヤが途中から、微妙な顔になる。幸せならいいかと宙を見て笑んだ千早は、膝を突いたままのゴンザレスへと顔を戻した。
「あの、奥さんと子供さんは? 確か女の子でしたよね?」
キョロキョロと中庭を見回すがそれらしき人影はない。
「近くの村に身を寄せております。途中の街で衛士の仕事を見つけようと致しましたが、避難民では難しく。かといって土地勘も人脈もない今の状況では、他の職につく当てもありません。王都が落ちて以来、安全を求めて民の移動が起きております。今後はどんどん治安も悪化するでしょう。
弱り果てていたところ、同行した懲罰隊の口ききで、何とか耕す者のいなくなった畑を借りることが出来ました」
「村ってベヘムの?」
老人と女子供しかいない、寂れた村を思い出しつつゴンザレスに問いかける。確かに放棄された農地はあった。だが既に草や低木に覆われ、土地は痩せていた。再び実り豊かな畑に戻すのは大変だろう。
「はい。そこでベヘムと仲良くなり、本日ティハヤ様が砦に来られると聞きました。私の他にも街の修道院と孤児院に王都から逃れた民が身を寄せました。修道女長もそちらに」
「マリアさんも……。そう、無事だったんだ」
「それともうひとり、どうしてもティハヤ様にお目通りをと望みこちらに来ている者がおります。罪人の身を恥じ、お許しを受けてから砦に入ると今は森におります」
「罪人? 誰だろう。まだここに来てない罪人の人っていたんだね」
助けを求めて一度エリックを見、間違えたと言うように改めてナシゴレンに質問する。
「数人おります。王太女様の近習として仕えている者、救護所で働いている者がいると報告を受けております」
「へぇ……」
「はい、その救護所で働いていた者がお目通りをと望んでおります」
どうしようと視線をさ迷わせた千早に、エリックが「消してくるか?」と問いかけた。
「……毒を喰らわば皿までかなぁ。とりあえず嬉しくないお客さんは一気に済ます。嫌なことは一回で」
ぶつぶつと呟いて覚悟を決めた千早に、己と会ったのが過去を思い出してイヤだったのだろうと考えたゴンザレスが深々と頭を下げる。
「あ、違うの。ゴンザレスさんは会えて嬉しい。大丈夫、嫌なお客さんじゃない。
あー……そうだね。
ベヘムー!! ゴメン、もう少し待ってて。お客さんと会ってくる。その後で家に向かおう」
「おー! 急がなくていいぞ。山羊たちに草も貰ったし、のんびり待ってる」
中庭の木の根元に座って、自分もパンを噛り出したベヘムに挨拶しティハヤは大人たちをみた。
「あの、ナシゴレンさん、外のお客さんを客室に……殿下がお待ちになってる部屋にお通しして貰ってもいいですか? 兵士さんたちが全員こっちにいるなら、元はグレンヴィル殿下の側近の人だよね?」
「畏まりました」
「申し訳ございません。まさかグレンヴィル殿下とのご歓談中にお邪魔してしまっていたとは」
状況を知り驚きつつ謝罪するゴンザレスに、千早は会談への同席を打診した。畏れ多いと遠慮するゴンザレスに対し、皮肉に笑ったエリックが続ける。
「なあ、衛士殿。あんた悔しくはないのか? あの馬鹿王子のせいで、王都は滅んだんだ。あんたと家族は無事だといえ、仕事も財も失ったんだろう? 仲のいい友人や恩人を喪ったんじゃないのか?」
「お前がそれをいうのか、大罪人のエリック」
妻子は無事でも親兄弟はと続けられて、ゴンザレスは怒りに顔を歪めた。
「ふん、俺が実行犯なのは事実だがな。あの馬鹿王子様さえいなければ、そもそも俺が実行することもなかった。だからと言って俺の罪が軽くなるということはないがな。
自分のせいで都が滅び、少しは意気消沈しているかと思えば、突然現れ『民の為に』移住者を受け入れろ。農奴を入れろ。挙げ句にティハヤに贈られた神からの慈悲を掠め取ろうとする傲慢さだ」
中で行われている会談の内容を聞き、ゴンザレスのみならず近くの護衛たちから怒りが立ち上る。
「今回を逃せば、次にいつ文句を言えるか分からんぞ。ここはティハヤと羊飼いの子供を除けば、同じ穴のムジナしかいない。全員五十歩百歩だ。だから、なぁ、『巻き込まれた民代表』でちょっと参加してくれ」
「しかし……」
「確かによい考えだな。貴殿がゴンザレス殿か。王都より同行した軍曹から報告を受けている。不快な思いをさせることになるだろうが、すまない。
会いたくないのは分かっているが、同席して頂けるか?」
「イスファン隊長!」
中庭に現れたイスファンに驚いた一同だったが、王子が会談の続きを望んでいると聞き中へと続く扉へと歩み寄った。