38、会談
酔勢倒録先輩から、またまたファンアートを頂きました。今回使いたかったので、温めておりました。
先輩、いつもありがとうございます。
荷馬車の馭者台に座るティハヤは、酷く不機嫌だった。一度はグレンヴィルと会うことを断った。その日からその話題は蒸し返される事もなく日々を過ごしていたが、日々チラチラと困った様に向けられる視線に、ある日耐えきれなくなった。
どういうことかと兵士達に問いかければ、グレンヴィルは吊り橋砦で自分に会えるまで待っているというではないか。
謝罪の日と王都から離れると伝えた時の二度しか会ったことはないが、一国の貴人を待たせ続けることは千早には出来なかった。
「本当に申し訳ありません」
千早がグレンヴィルに会うと決めて以来、日々繰り返される謝罪におざなりに返事をして正面を見続ける。手綱をとるロズウェルはその大きな身体を縮めていた。
「今日はベヘムも来るから。ワンコたち迎えに行くついで。それに砦にも土、届けたかったし」
チラリと後ろの荷台に満載された肥料に目をやった千早は、道の先を見据える。そんな千早を気遣いながら、周囲を囲んだ迎えの兵士達はグレンヴィルの来訪を告げたロズウェルに冷たい視線を浴びせていた。
「おい」
「なに、何かいた?」
「どうしてもイヤなら言え。何とでもしてやる。何なら全員、塵さえ残さず消す事も出来る」
高い位置で警戒していたエリックが、馬車の前まで降りてくると千早に告げた。千早が望みさえすれば、本気で攻撃するつもりなのは明らかだった。
「…………いい。会う」
しばらく悩んでからそう話した千早は砦に着くまで口を開くことはなかった。
吊り橋砦に近づくと、千早が予想していたよりも大きく立派な建物が建っていた。前回は上空から見るだけだったから気がつかなかったが、ずいぶんと強固な作りだ。
塀に囲まれた二階建ての砦がポツンと不毛の地に建っている。白に近い茶色の大地と深緑の世界の間にある人工物として、異彩を放っている。周辺の土地を耕して、手入れはしているようだが、痩せた土地でも生きていける筈の野の草すら生えていない。
車輪で抉られ、風に舞い上がった砂が乾いた人々を叩く。千早の到着に気がついていた砦の住人達が塀の一部を大きく開けて待っていた。
「ようこそお出でくださいました、ティハヤ様」
「こんにちは、イスファン隊長。お久しぶりです。立派ですね、少しビックリしました」
「森の木々の伐採をお許し下されたティハヤ様の慈悲の賜物です。お陰様で夜露に濡れることもなく、雨に打たれることもなく日々を過ごさせていただいております。こちらに住む一同、お慈悲に深く感謝致しております」
人目に晒されて警戒しているのか硬い口調で話す千早に、恭しくイスファンが答える。
「それであの……」
周囲を見回して誰かを探す千早に、イスファンがベヘムならばもう少し後になる事を告げる。森の危険は排除しているとはいえ、万一があってはいけないと、昨日の内に迎えの兵士を出していた。
「ありがとうございます。なら安心ですね。害獣が出たって聞いたから心配で」
害獣の単語を聞いた平兵士の数人が表情を消す。正面にいたイスファンやナシゴレンたち中枢部は動揺することもなく、ご安心をと平然と答えた。
「…………あと土」
「本当に頂いてよろしいので?」
荷台に載せられた土を見て、ナシゴレンが確認する。それに対して深く頷いた千早は、届けるのが遅くなってごめんなさいと続けた。
「いえいえ、そんな」
「頂けるだけで過分です」
コクコクとうなずく兵士たちが上司の許可を得て、土を下ろしていく。
「これからは取りに来られるなら、土を取りに来て貰えませんか? 出来たら……でいいので」
霧の向こうに見える深緑の影を見ながら、千早はおずおずとイスファンに伝えた。
「しかし」
神々からの慈悲を我々が使っていいのか、そんな躊躇いを滲ませるイスファンに千早はいいからと強く続ける。
「緑を広めるの、私だけじゃ大変。ここに住むなら、乾いた土の色だけじゃイヤなの。お馬さん達だってこれから増える家畜だって、餌を森から獲ってくるの大変でしょう。
ここから海まで。終わったら横に広げていって、見渡す限り水と緑を。春には花咲き、山に守られて水張る田んぼと畑。川は海に注ぎ、貝や海草や魚が沢山棲む。豊かな大地を……私はもう一度見たい」
「ティハヤ様……」
兵士たちを心配しつつも、あくまでも自分のワガママだと話す千早に、見守っていた兵士たちが深々と頭を下げる。
「この世界は渇きすぎて辛いの」
ポツリと続けられた千早の言葉に、イスファンたちは顔を伏せる。
「…………それで、あの」
「どうされました?」
「殿下は?」
「砦の中でお待ちです。こちらに出迎えをと望まれましたが、部屋でお待ちいただいております」
「そう……ありがとうございます。
それであの、教えてほしいの」
「何をでしょうか?」
「私、やっぱり、この地に受け入れなきゃダメかな?」
「お心のままに」
「…………うん。案内して貰えますか?」
こちらへと手を差しのべたイスファンの後ろについて、千早は砦の中に入っていった。
いくつもの門を抜けて砦の中に入った。中庭に面した部屋に通されると中で待ち構えていた人々の視線が集中する。
「………………」
「……………………」
「…………………………」
「…………………………………」
沈黙が支配する部屋で、待ち構えていたグレンヴィルたちはただただ深く頭を下げていた。
「ティハヤ様の御前である」
双方が沈黙を続ける中、イスファンが重々しい声を発した。いっそう深く頭を下げるグレンヴィル達に、千早は困惑していた。その千早に挨拶をとロズウェルが静かに勧める。目上の者に話しかけられるまで、自分からは口を開かないのが貴人流らしい。
内心は面倒だと思いながら千早は口を開く。
「ご無沙汰しています、グレンヴィル王太子殿下」
「はい。本日はお時間を頂きありがとうございます。私は既に廃太子となりました。どうぞグレンヴィルとお呼びください」
「……………それでどんなご用でしょうか?」
イスファンが勧めるソファーに腰かけてグレンヴィルと向き合う。グレンヴィル自身も非礼を詫びつつ、対面するソファーに座った。
「お元気そうで何よりです。旧マチュロス領にてお健やかにお過ごしいただいておられるようですね」
王都で別れた時よりも幾分かふっくらとして、不揃いに丸刈りだった髪も、ボサボサとはいえ肩に近くまで伸びた。少年のようなベストにズボンを合わせた服装も板についている。
年頃の娘の格好でこそないが、健康を取り戻しつつあるのは明白だった。
「お陰様で」
イスファンとエリックはどの口でそれを言うのかと冷笑を押し殺し、無表情を保つ。健やかに生きてこられているのは、偏に落ち人ティハヤの世界の神々のお陰だ。約束していた追加支援品すら寄越さずに、突然来たかと思えば恥知らずにもそんな台詞を吐く。
その気持ちは千早にも伝わっているのか、返答は酷く短くそして取りつく島もなかった。
「……それで?」
「っ…………」
「ご用件は?」
首を傾げて問いかける千早に覚悟を決めたグレンヴィルはガバリと勢い良く頭を下げる。
「ティハヤ様にお願いがございます」
「はい、何でしょう?」
「王都に蝗帝が迫っております。いえ、今ごろは既に蹂躙された後で御座いましょう。ティハヤ様、どうかこの地への避難民の受け入れをお願いできませんか?」
思い詰めた表情で必死に頼むグレンヴィルに対して、ティハヤはひとつため息をついた。
「どうして私を放っておいて貰えないの?」
「ティハヤ様」
「私は静かに生きたいだけなのに。オシラ様とも天照様とも約束したから、死ねるその時までこの地獄で生きると、帰りたいと言わないと約束したからいるだけなのに」
「決してお手は煩わせません。出来るだけ視界にも入らぬように手配致します。蝗帝に荒らされた地では民が生き残ることは難しいのです。
このマチュロス領は緑が戻りつつあり、穀倉地帯や王都にいるよりは生き残れる確率も高いでしょう。ですからっ……」
言い募ろうとするグレンヴィルに対して千早は腕を上げて止めた。
「王都は滅んだよ。生き残りは少数だって。その人達もほとんどが東と南に逃げたから、私のところにはあんまり来ないって言ってる」
「は?」
「天の声がそう言ってる」
「天の?」
ピタリと止まっていた最新情報が思わぬ所からもたらされる。驚きに固まるグレンヴィル達にオルフェストランスから与えられた神託を伝えた。
「……まさかそんな」
力尽きたようにソファーに沈み込むグレンヴィルとその側近たちを千早は静かに見つめていた。
「それでも少しは来るらしいよ。でも少しなら近くの村とか街で何とかなるよね?」
イスファンに聞くと、受け入れは可能だろうと返答された。それに頷いて千早はもういいかなと席を立つ。
「お待ち下さい!」
「まだ何か?」
「今年は全土で不作となります。何より穀倉地帯が壊滅致しました。ですが落ち人様の地は豊作と聞きます。どうか、農奴や移住者を受け入れて下さい!! このままでは来年以降、いえ、それ以前に冬を越せずに餓死する民も出ます」
「……無理。怖い。でも」
「でも?」
「森なら……」
そう千早が話しかけた時に、砦に犬の鳴き声が響いた。
「あ……来た?」
「その様ですね。出迎えられますか?」
「いいの? まだ終わってないんでしょう」
「構いません。全てはティハヤ様のお心のままに。ベヘムには少し砦で休んでもらうことになると思われますが」
このまま会談を続けても平行線だと判断したイスファンはグレンヴィルに目配せをする。
「うん、じゃぁ、グレンヴィル殿下、ちょっとだけ席をはずしても?」
「無論です」
目配せに気がついたグレンヴィルも深く頷いた。
千早は表情を輝かせ犬を迎えにいった。護衛として同行するか悩むロズウェルをこの場に残し、エリックだけが千早に同行する。
部屋に残ったイスファンとグレンヴィルは静かに睨みあった。
「イスファン、どういうつもりだ?」
「殿下、現実をご覧下さい」
無礼なと色めき立つ数少ない側近たちを抑え、先を促す。
「ティハヤ様がお健やかとはどの口が仰るのか。あの方がどれだけ必死に今の生活を手に入れられたか知っておられるのか?
初日、水すらない不毛の地に力をもたらす為に、ティハヤ様は躊躇うことなく腕を裂き、足の甲を刺した」
「な?」
「それを憐れんだティハヤ様の世界の神々が下されたのが、大豊作の由縁となる肥料です。確かにティハヤ様がお住まいになり、マチュロスはゆっくりと回復しております。ですが民を受け入れられる程ではございません」
「しかし、それでは。ならばその肥料を分けていただければ」
よいことを思い付いたと言う風に続けるグレンヴィルにイスファンは首を振って否定する。
「殿下、どうか現実をご覧下さい。
既に貴方は権力を失った。その意味がお分かりですか?」
「何が言いたい?」
「我々は貴方さえあの時砦に来ることがなければ、落ち人様に関わることはなかった」
「ッ」
暗い声で話すイスファンにその時初めて脅威を感じたのか、グレンヴィルは息を詰めた。
「罪人とされた部下の中には、妻子を守るために離縁を選択した者たちもおります。独り身の者も、家族を守るために勘当されたものもおります。
二度と戻るな、家名を名乗るなと追い出された者たちも多い。
我々が行ったことを考えれば当然とは分かっていても、若い者であればあるほど、あの時、貴方さえ来なければと思う者もおります。
それが何を意味するかお分かりですか?」
サッとロズウェルは部屋を横切り、グレンヴィルを庇う位置に立つ。
「イスファン殿、どうかそれくらいで。殿下だとてそれは十分にお分かりだと思います」
「庇うか」
「…………お止めできなかった私の罪でもあります」
「あの時、弱腰と言われていた当時の王太子を追い落とす為にグレンヴィル殿下は前線に出られた。お前は最後まで止めていたらしいな」
「無理をしなくても、殿下は十分に王の座に着くことが出来ました。今でも私は……あの時の殿下であれば王の器であったと思っております」
「ロズウェル! その口の聞き方はなんだ? 無礼な!!」
色めき立つ側近たちを一瞥してロズウェルはグレンヴィルに向け、深々と頭を下げる。
「殿下、私は貴方の剣となるべく育てられ、またそれを誇って参りました。ですがこの様になっては、騎士の誇りを捧げることは出来ません」
「ロズウェル……」
「お許し下さいとは申しません。既に騎士としての矜持は泥にまみれ、砕け散りました。
これよりはただのロズウェルとして、ティハヤ様にお仕え致します」
「…………そうか、長い間の忠義、苦労をかけた」
身を切るような沈黙の最中、ただ遠くから山羊や犬の楽しげな鳴き声が響いてくる。
「イスファン隊長、ロズウェル……」
しばらくしてからグレンヴィルは口を開いた。
「私はどうなってもいいんだ。ただせめて、巻き込んでしまった民を少しでも救いたい。いや、救う等と偉そうな事を言える立場ではないな。
ティハヤ様に贖罪をせねばならないのは当然として、巻き込んでしまった兵士たちに謝罪せねばならない。そして今回の件でとばっちりを受けた民に少しでも償いたいんだ」
「殿下……」
「土を弄ったことすらない私がどれ程のことが出来るか分からぬが、望まれるならひとりの農奴として働こう。牛馬となろう。喜んで飢え渇いて死のう。
それくらいのことで許されるとは思っていない。だが償い方もまた分からないのだ。
だからせめて民だけでもと……」
後悔を滲ませた元王太子の瞳から、一滴だけ雫が垂れる。
「殿下……」
「なんと独りよがりな……」
同情したロズウェルと呆れ返ったイスファンの声がほぼ同時に部屋に響く。
己の反応を恥じ入るロズウェルとは対照的に、部屋にいた他の者たちは怒りの視線をイスファンに向けた。
「グレンヴィル殿下、それを独りよがりと言わずなんと言いましょうか。
これ以上ティハヤ様のお心を乱すようならば、私が対処させて頂きます」
「どういうことだ?」
「貴方は贖罪と言われた。それなのに安易に死を口にされるか。そんな楽な贖罪で赦される罪だと思っておいでか?」
「ならばどうすればいい!!」
激昂する王子へ、イスファンは憐憫すら含んだ同情を滲ませた視線を向ける。
「それを考えるのはご自身の仕事です。考えることが反省と贖罪の第一歩。
己の罪を見詰めれば見詰めるほどに、苦しく奈落に落ちるような気持ちになるでしょう。ですがそれから逃げてはなりません。
貴方は生まれながらに上位者でした。更に上へ上へと望む余り、周りが見えなくなったのでしょう。
今一度、己が仕出かした事をよくお考えください」