37、隠蔽
防衛砦に泊まった客人達は昼近くになって、ようやく動き出した。まだ気だるげな護衛を連れて、王太子グレンヴィルは旧マチュロス領へと向かう。
前日の深酒と歓迎が祟ってか、口数も少なく、顔色も何処と無く青白い隊長に、王子は冷えた視線を送る。
元王太子の視線を感じたのか、隊長は馬車に視線を向けるとあからさまに侮った表情を浮かべた。意識して無表情を貫いていても、王子としての矜持は傷つく。己は王子であるという自負と、世界を滅びに瀕させた罪人だという良心の呵責がグレンヴィルの心を荒立たせていた。
「……殿下、もうすぐ吊り橋砦です。イスファン殿は先に砦にお戻りになっております。そう緊張なされずに」
そんなグレンヴィルの心情を知ってか知らずか、鉄壁の無表情でファンテックが馬上から報告する。
「ああ、ありがとう。世話をかけてすまない」
砦の責任者であるファンテックとその部下数名が、グレンヴィル達の案内役として同行していた。油断なく周囲を見回し、何かあっても即座に対応出来るように準備する動きは称賛に値した。
少し前から霧が流れ始めていた。それを不思議に思っていると、深い森が突然途切れ、目の前に深い崖が広がる。ここが旧マチュロス領と大陸を繋ぐ唯一の出入口だった。
報告にあった通りに飛び越えることは明らかに不可能な崖の両岸に、一本の吊り橋が渡されているのが霧の中でも確認できる。
「何者か!」
吊り橋の手前、森との境に小屋が建てられ、数人が歩哨として配置されていた。槍を手に吊り橋を封鎖する位置に立つ兵士達に油断はない。
霧のせいで見えにくいが、対岸をよく観察すれば弓兵の他にも、バリスタや投石機のような物も確認できる。どうやって手にいれたかは分からないが、人ひとりを守るにしては過剰とも言える装備のようだ。
当然、その武装は護衛達も気がついたようで、頬をひきつらせて砦を見ていた。
「グレンヴィル王子をお連れした! イスファン殿には昨日挨拶を済ませている。代表者とお会いしたい!!」
少し離れたところで兵士の一人が答えている。その声を受けて、吊り橋砦を囲む木塀の正面が開き、前日遅く部下達と共に戻っていたイスファンが現れる。ここまで到着が遅れるのならば朝に戻っても十分に間に合ったなと、内心苦笑しつつも表情はひどく真面目なものだ。
「昨日は十分にご挨拶も出来なかったな。改めて私はイスファン。落ち人ティハヤ様を護衛する部隊の代表だ」
「確かにそうですな。宴にも参加されずにすぐにこちらに戻られたと聞き、残念に思っていた。辺境を守る英雄の勇姿を是非お聞きしたかった。
私はルクエ家赤騎士団団長、ホロック。王命を受け、グレンヴィル殿下をマチュロス領までお連れした。お会いできて光栄に思う。
王子は落ち人ティハヤ様との会談をお望みだ。取り次ぎ願おう」
「……ほう、勇猛果敢と言われるルクエ家の赤虎殿か。しかし王都からの知らせでは殿下の護衛はルクエ家の御嫡男、メジロン殿と聞いている。昨日も不審に思ったが、御嫡男は如何された?」
「メジロン殿は体調を崩されてな。旅程に影響が出る事を憂慮されて、断腸の思いで近くの街にて休養されている」
「おや、それはそれは、お大事に。状況はお悪いのか?」
「何、慣れぬ御移動でお疲れになったのだろう。街の水も合ったようでしたから、帰る頃には体調もお戻りだろう」
意味深に微笑みつつ言葉を濁すホロックに頷き、グレンヴィルに挨拶するために馬車に近づく。
早く落ち人に会わせろと苛立ちを隠しきれないホロックは、神経質に太股を叩いていた。
「殿下、おはようございます。お出ましをお待ちしておりました」
「うむ。昨日は防衛砦で大層な歓待を受けた。予定よりも到着が遅くなってすまない。ティハヤ様をお待たせしていなければよいのだが」
会話を続ける二人の耳に、かなりの速度で馬を駆る蹄の音が聞こえてきた。
警戒する人々の目に旗が飛び込んでくる。それがルクエ領の急使が背負う旗だと気がついて、ホロックは部下を迎えに走らせた。
「ホロック・トルナフサン隊長!
伯爵からのご命令です!!」
落馬でもしたのか、顔を汚し、ひどく汚れたお仕着せ姿の相手に見覚えはなかった。
だが焦りからかルクエの下町訛りが出ていた。上下に揺れる言葉はルクエ領独特の癖だった。
「何事だ? メジロン殿とは会ったのか?」
「ご子息様は既にご命令を聞き、帰路に着かれました。ホロック隊長もお早く部隊を率いて領地にお戻りを!!」
「何故だ?」
己が呼び戻される理由に心当たりがないホロックは、高圧的な態度で使者に問いかけた。
「王都に蝗帝がっ!」
「知っている。閣下は既に王都を離れておいでだ」
焦る使者に冷静に返すホロックの瞳に疑いの色が宿る。
「王都を蹂躙した蝗帝は、進路を南東に変えました」
「いつだ?」
「は?」
「蝗帝が進路を変えたのはいつだ?」
「3日前です。王都を出た蝗帝はゆっくりと全てを食い尽くしつつ、ルクエを目指しています! 閣下より守りを固めよとのご命令を受けました! ホロック殿もお早く帰還してください」
「しかし……我らは」
王都の被害を聞いても動揺がないホロックに、一瞬動揺した使者であったが、表情にありありと焦りを乗せつつ帰還を求める。
「お前は何処から来たんだ? 何処にいたらたかが3日でこの地まで来られる」
疑いの視線を受けた兵士は、馬への強化魔法を披露してみせた。
「魔法が使えるのか」
「はい、私が使えるのはこの強化魔法だけですが、その為に伝令を命じられました。もしもの時に備えて、閣下のご命令により王都近郊におりました。別の観測班からルクエ領に報告を入れ、私はこちらに知らせに走るように命令を」
そうだと思い出して懐に手を入れ、一枚のプレートを差し出す。それはルクエの高位の者達からの命令を受けた際に持たされる身分証であった。
「疑って悪かった。ただタイミングがな……。部隊を二つに分け、殿下の守りと……」
「ホロック、それは不要だ」
馬車から降りてきていたグレンヴィルがホロックに話す。
「しかし殿下!」
「国の大事だ。本来であれば私も戻るべきであろうが……ほぼ流刑だからな。戻る地があるお前達は戻るがいい。今ならまだメジロンに追い付けるだろう。王都が落ちたならば旅路も安全とは言えまい。メジロンに何かあっては叱責を受けよう?
落ち人様への懇願は私が行う。落ち着いたら戻って来るがいい」
暗い表情を浮かべたまま話すグレンヴィルと、焦れたように急かす使者を交互に見てホロックは覚悟を決めた。
「総員、ルクエ領へ急ぎ帰還する!
イスファン殿、殿下を頼む」
「承知した。森を抜けるまで誰か道案内を着けよう」
「かたじけない」
雇い主がいなくなれば、たとえ落ち人への命令を果たしても本末転倒。何より家族や一族が心配であった。
慌てて馬を駆るルクエ兵の背中を見送るイスファンの瞳は酷く冷たいものだった。
****
「こちらです!」
先頭で案内役の兵士がルクエ兵を誘導する。森を抜け防衛砦で案内していた兵は一人を残し別れた。
一番道に詳しいという兵士だけが馬を疾駆させて、街へと続く最短経路を案内する。
「この先が一番の難所です。道幅が狭くなっていますから、お気を付けて」
裏街道だという道は確かに狭く、両脇には鬱蒼とした森が広がる。片側は山がちな地形で、土砂崩れが起きたのか、所々大岩が転がっていた。
この程度の悪路ならば問題ないと、ホロニックは部下達を急かす。難所の半ばで強化された使者の馬が案内の兵士に追い付いた。
「ふん、砦一番の案内役もこの程度か?」
明らかな挑発に怒った兵士は馬に鞭を当てた。競いあい先へと進む二人と、その他の兵士達の間が少しずつ開いていった。
もう少しで難所を通りすぎる頃には、隊列は長く延びきっていた。後方を待つために、ホロニックが先頭に声をかけようと口を開きかけた時、パラパラと顔に衝撃が走る。
「なんだ?」
上を見上げれば、木や岩を巻き込んだ山津波が迫ってきていた。
ここ数日晴天で、土砂崩れなど起きるはずがない。
「総員、たいっ!!」
部下に指示を出す最中、土に押し潰され流される。
難を逃れた先頭にいた二人は、冷静に土砂で埋まった道を見ている。土が動き、馬が立ち上がる。当たり処が悪かったのかピクリともしない乗り手を心配そうに鼻で突っついている。
そんな地獄絵図に動揺することもなく、森の中から男達が現れた。統一感のない防具に使い古された弓、腰に下げた山刀。近くの森で狩れる毛皮のベストを着込んでいるものも多い。
後方から来る数人は、拘束した貴人を連れている。
明らかに堅気ではない雰囲気の男達に囲まれつつある最中だか、案内役の男は動揺することもなく周囲を観察している。
「…………生存者は?」
案内役の兵士が静かに立つ使者に問う。迫る男達を確認した使者の顔が、砦で害獣退治に参加しているはずのエリックに変化した。
「人使いが荒い」
エリックは憮然とした表情を浮かべつつ、それでも魔法を行使し生き残りを探す。
生き残りが指差され、堅気ではない男達に止めを刺されていく。全員死んだと確認した後、馬を集めて治療する。
「なんだよ! 放せ!! 僕を誰だと思っている!! 僕はルクエ領総領息子、メジロンだ!! こんな事をして無事で済むと思うなガァ!! た、叩いたな! 本当に許さないからな!!」
喚く青年を見た山賊の一人がエリックに声をかける。
「エリック、早くしろ」
「黙れ、お前達もう少し魔法使いを労ろうという気はないのか?
昨日から街へと兵士を送り、その下衆を捕らえて、この土地に細工し、とって返して脳筋を騙す。その上まだこき使う気か」
「下衆?! この高貴なる僕を下衆呼ばわりとは、命がいらな……」
「五月蝿い」
魔法を使って声を封じられたのか、怒鳴り続けているらしいメジロンの声は全く聞こえなくなった。
「……まさか街で女を……それも未婚既婚を問わず拐かして、乱痴気騒ぎしているとはな。体調不良が聞いて呆れる。この屑めが」
「しかも助けにきた夫や家族を護衛に命じて痛め付け、それを人質に奉仕を迫るとはな……」
護衛と言うには華美な格好をした青年を別の兵士が締め上げた。無理な方向に捻り上げられた腕から乾いた音が聞こえる。
声なき絶叫を上げて身を捩ろうとした男に、暴れたらもう一本いっとくか? と涼やかに脅した相手をよく見ればナシゴレンであった。その他のメンバーもよく見れば全員がティハヤに同行した罪人達であった。
「おい、エリック」
「ああ、さっさとそいつらも始末しろ。それで最後だろう」
「そうだな。本当は街でやってくれた事のお返しもしたいが、逃げられたら本末転倒だからな。……やれ」
必死で腕を振り回し慈悲を乞うメジロンとその護衛達を無造作に切り捨てる。
「一ヶ所に固まれ。俺の後ろだ」
馬から降りたエリックは、預けていた杖を受け取り地面を叩く。
土砂崩れで埋もれた道の中央が割れ、柔らかな土と一緒に全てが地の底に呑み込まれていった。
「ああ……これもだな。快く貸してくれたこと、感謝しよう」
既に地の底に呑み込まれたメジロンに向けて礼を口にして、魔力でバキバキと折り畳んだプレートを地面に投げ入れる。
もう一度エリックが地面を叩けば、地割れは閉じ何事もなかったかのような静寂が辺りを支配した。
「念入りな扮装だな」
「ふん、万一にも我々だと知られてはいけない」
「まあ、確かに」
「ルクエ一行の代表メジロンは領地を憂慮し帰還を選択。砦の兵士を案内にと提案し、街道にて別れる。
その後は何も知らない。いいな」
「ああ、俺が貸し出されたのはあくまでも『害獣退治』だからな。第一、ティハヤ様に関すること以外で魔法を使うことを禁じられている俺が、何が出来る?」
「全くだな。それでは一刻も早く、我らが落ち人様の元へと馳せ参じよう」
「副隊長、その前にこの格好何とかしなけりゃ、仲間に不審者だと射たれますよ」
一仕事終えた安堵で軽口を叩く部下を叱りつつ、傷付いた馬を引き一度森へと消える。次に山賊の風貌になっていたナシゴレン達が戻ってきた時には、普段の姿に戻っていた。隠していた馬を連れてきたのか、明らかに騎馬の数が増えていた。
代表でナシゴレンだけが道の際まで進むと、エリックへと目配せする。
面倒そうに肩を竦めたエリックは杖を一振りして頷いた。
地面にあった無数の蹄の跡や、崩れた崖の真新しい痕跡が消えていく。
「これでこの地で起こったことを知られることはない」
「誰であれ知られてはならない。
全ては知られぬままに、闇から闇へ。
この虐殺の全ての罪は私にある。決して勘づかれるなよ」
「分かっている。何、今にコイツらが消えたのなんか誰も気にしなくなる。穀倉地帯が壊滅し、備蓄があったはずの王都には蝗帝が迫っている。大飢饉が起きるのは確定だろう? 誰が気にする余裕があるか」
「馬鹿が。違う、他の誰に気が付かれようと、非難されようとどうでも良いことだ。私はティハヤ様に勘付かれるなと言っている」
「それこそ……だな。ティハヤは誰が訪ねてきているのかも知らんし、世界の現状も知らん。神だとて真実よりもあいつの心の平穏を選択するさ。
だからこそ、今回、害獣退治に俺の力を振るえた。違うか?」
「まあ、そうだな。
今回関わった全ての者が共犯だからな。
ではさっさと帰れ」
「言われずとも」
憎まれ口を叩いたエリックはフワリと宙に浮き上がり、空へと消えていった。
「良かったんですか、副隊長」
「何がだ?」
「あのエリックが、ティハヤ様の事を考えて行動するとは思えません。心理実験となどと称し、真実をティハヤ様に暴露するのでは?」
「…………大丈夫だ。その危険があったなら、エリックに力は戻らんだろう。あいつの力はただティハヤ様に役立ち、そして守る為にある。
今はそれよりも、グレンヴィル殿下の方が心配だ。ティハヤ様のお心を乱さなければいいのだが」
エリックも向かった廃棄地の方角を見つめながら、ナシゴレンは不安を口にする。
「帰るぞ」
その声をきっかけに、罪人達は森の奥へと消えていった。
ここ数話の補足を活動報告に載せます。気になるかたはお手数ですが活動報告(2019,7,14)にてご確認下さい。