34、害獣退治
沈む夕日と競争するように、急ぎ千早の家へと戻る影を見つけ、騒ぐ子猫を宥めながら千早も上空を見上げる。昼に見送った二人とも戻ってきたのかと思ったけれど、遠くに見える影はひとつだった。
「おかえりなさい。害獣退治は終わったの?」
キョロキョロと後ろを探しながら問いかける千早に、ロズウェルは穏やかな声で答えた。
「ええ、街に出た害獣は終わりました。街道の方はまだですので、エリックは本日外に泊まります。私はもう出番なしと言われまして、戻って参りました」
「そう……。街道の方も早く片付くといいね。もしベヘムの村に被害が出ると困るもん。
ギン、今日はエリック帰ってこないって。私の家に泊まろうか」
エリックの小屋に居着いたギンジャケに話しかけて、擦り付ける体を撫でる。そのままヒョイと抱き上げられた子猫はすっかり千早になつき、顔を寄せていた。
近い内に子犬も来るはずだったが、街道に出たという害獣騒ぎで遅れていた。吊り橋砦からの報告では、廃棄地方面には入ってこないはずだ。だが万一、ここに向かう途中、千早の犬達に何かあってはいけないと、ナシゴレンに止められて、今はまだベヘムに村で預かって貰っている。
あと数日で片付くと言われていたが、今日になって近くの街にも同じ害獣が出たからと、飛行出来るロズウェルとエリックに協力要請が来た。
当初は千早の護衛が薄くなることを嫌がったロズウェルが難色を示し、エリックもまた廃棄地以外で魔法を使えるかどうか分からないと拒否していた。
だが、ベヘムの村に害獣が出ることを心配した千早からの頼みで、二人は急遽害獣退治に駆り出されていたのだ。
先に連れてきたネコ達は廃棄地を自由に歩き回り、クロダイとギンジャケが千早の家の周辺で、トラフグとシマダイが浜辺で過ごす事が多くなっていた。
望むままに餌の魚や水煮の肉を与えられるネコたちはスクスクと成長し、日に日に行動範囲が広くなっているようだ。
その中の一匹、ギンジャケは何を思ったのかすっかりエリックになついた。ここに来る間、エリックの腕の中で眠っていたから、保護者だと思われているのかもしれない。そんなことを話す居残り組によって、ちょうどいい情操教育だと、ギンジャケの世話はエリックに任されていた。
「ところで害獣ってどんなのだったの?
おっきい?」
長距離を飛んで疲れているであろう馬を水場に引きながら、千早は問いかけた。それに一瞬困った様な表情を浮かべたロズウェルは言葉を選びながら口を開いた。
「大きさは……そうですね、ティハヤ様よりは大きく、私よりは小さかったでしょうか。我々をバカにして、街の者に怪我を負わせ、女を拐っていたために処分致しました」
「人、拐うんだ。怖いね。食べる為? 肉食?」
「はい。とても迷惑な獣です。その仲間だと思われる獣がまだ近くを彷徨いておりますので、どうかティハヤ様もご注意下さい」
「注意って、ここまで来そうなの?」
不安そうな顔になった千早に慌てて否定しつつ、ロズウェルは万一という事もあるから、数日は必ず誰かと一緒に動いて欲しいと頼んだ。
「うん、それくらいならいいよ。気を付ける。
でもどんな見た目か分からないと警戒のしようもないよ」
「我々以外の生き物を見かけることがありましたら、すぐに声を上げてくだされば……」
「え、ならその害獣って二足歩行なの? ゴリラとかチンパンジーとか? 大きさ的にはゴリラなのかなぁ」
「ゴリラですか? それはどのような」
ゴリラの説明を受けたロズウェルが似たような生き物だと肯定して、千早に注意を促した。
「そっか、ゴリラかぁ。群れで動いて力が強いっていうもんね。うん、気を付ける」
納得して蒼翼馬を労う千早に、ロズウェルが悩みながら話しかけた。
「ティハヤ様……」
「どうしたの?」
「グレンヴィル殿下を覚えておられますか?」
「グレンヴィル?」
首を傾げる千早に王太子だと続けられるとようやく思い出したのか頷いた。
「殿下が近くまで来ています。ティハヤ様にお願いしたいことがあるとのことで、謁見を望んでおいでです。もしご不快でなければ、会っては頂けませんか?」
「……別にいいけど、何だろう? 何か聞いてる?」
「いえ……私の口からは」
「そう。でも納得した」
「納得、ですか?」
「うん。なんで突然二人が呼ばれたのかなぁって思ってたんだけど、王子様が来たからなんだね。王族を危険に晒すわけには行かないもん、そりゃ害獣退治に力も入れるよね」
にっこり笑って話す千早を見て、良心のうずきを感じたロズウェルは微妙に視線を外しながら謝罪を口にした。
「何で謝るの? 何も悪いことしてないじゃない。ああ、もしかしてみんなを返してほしいって伝えに来たのかな? そうだよね、兵士の人達にしろ、エリックにしろ、優秀な人達だもん。いつまでもここにはいられないよね」
「そんなことはございません。ティハヤ様のお許しさえ頂けるのであれば、我々は終生お仕え致します。そうではなく、此度殿下がいらしたのは……」
「いらしたのは?」
口が滑ったと後悔しても遅い。問いかけた千早は動きを止めて続く言葉を待っている。どうやら王子に聞かされた近状に思いの外動揺しているようだと、ロズウェルは心の中で苦笑する。
「……今年は全土で不作となります。ですのでティハヤ様に与えたこの旧マチュロス領を開墾させて欲しいと。それに伴い、人々をこちらに移住させる許可が欲しいそうです」
中途半端に答えても誤解を生むと、ロズウェルは話せる範囲での現状を報告する。だがやはり王都にいるもの達が、厚顔無恥にも落ち人に税を払わせようとしていることは口には出来なかった。
「人……、移住者は嫌……かな、やっぱり怖いから。ごめんなさい」
一瞬で暗い表情になった千早は、伸びてきた髪を弄りながら下を向く。
「御目に触れぬようにすることも出来ます。……どうか一度、グレンヴィル殿下のお話を聞いては頂けませんか?」
「会わなきゃ駄目?」
「我々がティハヤ様に何かを望める立場ではありませんが、どうか是非にもお願いいたします」
膝をついて懇願するロズウェルの脳裏には「蝗帝、王都に迫る」の一報があった。何人避難できるか分からないが、王都から逃げ出した人々が身を寄せる場所も必要だ。受け入れる側に余裕があれば良いが、不作の今年、避難民を受け入れる余力のある領がいくつあるかは分からなかった。
何より自分達が落ち人の力を盗まなければ、世界は救われ、既に魔物騒ぎも収まり出なかったはずの犠牲だ。ひとりでも多く救いたい。一人でも多く逃げ出して欲しい。
自身の罪悪感を軽くする為に、最大の被害者であるティハヤにすがるのは本末転倒ではあるが、ロズウェルにしろグレンヴィルにしろ、他に手段を思い付かなかった。
落ち人の影響について、全てつまびらかに話せば、またティハヤを傷つけることになりかねない。この優しい落ち人は、自分が力を失ったことで起きた災害を知ったら、きっと己を責めるだろう。
この数ヶ月共に過ごして、千早の優しさと強さに触れていたロズウェルを始めとした兵士たちは、何よりもまず千早の心の平穏を優先したかった。
だが現状を考えると、今回は千早の不興を買っても話さなくてはいけない。知らずにいられればいいが、何処かで知られてしまえばきっと気にするだろう。
グレンヴィル廃太子が直接会って説明すると話していたが、その前に心の準備をして欲しいと願っていたロズウェルは、うっかり口を滑らせてしまった。
暗い表情のまま馬の首を撫でる千早に、どうしても嫌ならば、断ってくれても構わない。我々が望めることではないけれど、どうか話だけでもと、服が汚れることも厭わずに、額を大地に擦り付ける。
普段は遠くにある頭が下に来たと、ネコ達がロズウェルの頭にネコパンチを入れ、じゃれ始めた。そんなやんちゃな子猫たちを好きにさせたまま、ロズウェルはもう一度懇願する。
「他の人……………か」
そう呟いた千早は、ロズウェルによじ登って遊び始めた子猫を抱き上げ、家へと戻っていった。