33、到着する暗雲
イスファンが吊り橋砦に戻って数日、第四十八防衛砦を守るファンテックから連絡が入った。それを受けて、腹心の数人を連れてファンテックが待つ砦へと向かう。
「閣下……、どうされるのですか?」
「ティハヤ様に会わせるわけにはいかん。グレンヴィル殿下はまだしも、それ以外の者たちは危険だ」
「追い返すので?」
「……穏便にな」
情報を収集し、精査すること数日。先触れの告げる予定通りに到着した軍勢を迎え入れた砦は、緊張と本来であれば近くに見ることも叶わない貴人の来訪に浮き足立っていた。
「出迎えご苦労」
言葉をかけるグレンヴィルにイスファン達、砦の兵士が一斉に頭を下げる。ファンテックが代表して挨拶を返すと、グレンヴィルの背後に控えていた貴族の私兵が鼻を鳴らした。
「何か?」
直立して馬上の騎士を見上げるファンテックの顔は強張っている。
「恐れ多くも我々は王子殿下を護衛し、辺境のこの地まではるばるやって来た。早く休みたい。案内して貰えるのだろうな?」
侯爵家の旗を見ながら嘲りも露に騎士団長は問いかけた。
「無論です。宿舎のご準備は整っております。どうかこちらへ」
王子への不敬を気にするでもなく、さっさと馬を預けた騎士たちは、笑いざわめきながら砦への入っていった。
「ああ、殿下。廃棄地への出発は明日ですから、本日はごゆっくりお休みください。
そちらもそのつもりで準備を整えろ」
すれ違い様にグレンヴィルへと語りかけ、廃棄地の実質的なトップであるイスファンに命じると、女もいないのかと外まで口々に騒ぐ声を響かせる仲間たちを追って隊長も消えていった。
「何なのですか、あれは」
「すまない」
あまりの暴挙に口を衝いて出た疑問。叱責を覚悟し口を押さえた兵士に、グレンヴィルが謝罪を口にする。あり得ない王子の反応に驚く兵士達を見ながら、確実に窶れたグレンヴィルが王都を追われた自分に同行してくれた数少ない供を紹介する。
「お疲れでしょう。どうぞごゆっくりお休みください。夜は砦では大したものは出せませんが、歓迎の晩餐会を行います。どうかおくつろぎ下さい」
疲労を隠しきれない従者達を部屋に案内しようと兵士は進み出た。兵士に連れられ、ぞろぞろと歩き去る従者を見送ったグレンヴィルは屈辱に表情を強張らせたままのイスファンに近づく。
「これで宜しかったですか?」
人払いを求める視線に気が付き、本来であれば先に案内するべき王族を最後まで残した。その配慮にグレンヴィルが頭を下げる。
「無理をさせてすまない。少し時間をくれないか?
ティハヤ様にお伝えしたいことがある」
「アレらに関することですか?」
顎でしゃくるようにして砦を示すイスファンの瞳は怒りに燃えている。それに頷くことで答え、人払いを求めたグレンヴィルをファンテックの執務室へと案内した。
執務室の応接セットに廃太子を座らせたイスファンは、扉の外に見張りの腹心を立たせる。室内にはイスファン、ファンテック、ナシゴレン、そして顔色の悪いグレンヴィルが重苦しい空気を漂わせたまま向かい合っていた。
「すまない」
開口一番謝罪をしたグレンヴィルは頭を下げたまま動かない。王子が頭を下げている異常事態に誰も動じはしない。既にこの王子にはとんでもない迷惑をかけられた。少しくらいの不敬が何だという気持ちになっていた。
「それで殿下、何事で御座いましょう」
「ティハヤ様に、王家からの嘆願を持ってこちらに参った」
「嘆願? 命令の間違いでは?」
敵意を隠さないナシゴレンを見て、王子は命令の内容を知られていることに気がついた。
「箝口令が敷かれているはずだが、流石だな。ならば私につけられた護衛が危険なのも先刻承知か」
「存じております。あやつらは反落ち人派。ティハヤ様に危害を加える可能性がある」
「しかし、閣下、ティハヤ様を幸せにするのは神託での命令。危害を恐れるのは行きすぎではございませんか?」
「ティハヤ様のお心が一時でも幸せになればそれで良いと考えているようだ。
目の前で加害者を殺し、関係のない豊かな地で静かに生活させるとか……な」
諦めたように肩をくすめる王子は非常に弱々しく微笑みを浮かべた。
「あやつらから聞いたのですか?」
「侍従の一人がな。廃太子がこの世の役に立つのはそれくらいだそうだ。まあ、否定は出来ないな」
「…………それで貴方は我々に何を?」
「ティハヤ様を頼む。それと、余剰の作物があればでいい。国に譲って欲しい。労働力が足りないなら、農民を廃棄地に送り込む。ティハヤ様にお会いする機会があったら、この願いを伝えてくれ」
懐から書簡を取り出した王子はテーブルの上に置く。王家の紋章入りそれを汚らわしいものでも見るように見ていた兵士たちは誰一人として腕を伸ばそうとはしなかった。
「貴殿らはまだ落ち人様を利用する気か?」
「あの子はようやく落ち着いてきたところだ。追加の物資も寄越さず、放置し続けた都が今さら何を」
「すまない。だが……」
しばらく悩んで口ごもった王子は、覚悟を決めた様にもう一通の書簡を取り出した。魔法によって届けられた手紙はまだうっすらと魔力を宿している。
「姉上……王太女様からの書簡だ。今朝届いた。読んでくれ」
イスファンが腕を伸ばして手紙を受けとる。短く用件だけ書かれた内容に目を見張る。
「まさか……そんな……」
「閣下?」
「殿下、構いませんか?」
頷く王子を確認してから、部下たちにも読むように指示する。
内容を確認した二人は、知らず知らずに呻いていた。
「これは誠ですか?」
「ああ、姉上も落ち人様を利用するのは拒否されていた。その姉上が寄越した書簡だ。間違いはなかろう」
【この手紙を受けとる貴方がまだ無事だと良いのですが。グレンヴィル、状況が変わりました。
穀倉地帯壊滅しました。秋の収穫は絶望的です。今、王家や高位貴族は蜂の巣を突いた様な騒ぎです。
穀倉地帯を滅ぼした蝗帝は王都を目指しております。
グレンヴィル、このままでは民が死に絶えてしまいます。どうか落ち人様に避難民の受け入れを打診してください】
落ち人に対する深い謝罪の念を伝えながら、グレンヴィルに懇願する手紙。走り書きに近い筆跡からも焦りを感じた。
「これは……だが……」
「閣下、いかがなされるので?」
「イスファン、お前達がティハヤ様に話せないと言うならば、こっそり会えるように手配してくれるだけでもいい。私が伏して懇願する。……どうか、頼む。あのように危ない連中を連れた私をティハヤ様に会わせるなどと、論外と思うのは当然だ。だが……お願いだ。民には罪はない」
悩むイスファンにグレンヴィルが恥を捨てて頭を下げる。
「すぐには無理です」
「しかしッ!!」
「あの連中をどうにかせねば、無理です。危険すぎる」
「…………殿下、この情報はまだやつらは知らぬのですね?」
「ああ、王家抱えの魔術師だからこそ、送れた手紙だ。侯爵の手の者とはいえ、同じ速度で連絡は来るまい」
「ならばこれを使い、やつらを追い返します。
殿下、貴方と供の方々は王命でこちらに来られた。だから都がどうなろうとも帰る家はない。左様でございますね?」
「ああ……」
容赦なく事実を突きつけるナシゴレンに、王子は頷いた。
「閣下、今日の晩餐はそのままに。出来れば上物の酒と女でも準備して、明日の出発を遅らせましょう。ファンテック殿、倉に酒はあるか?」
「それは可能だが、もったいないな」
「必要な事です。そしてやつらを吊り橋砦まで案内してやりましょう。そして……」
そこまで話すと、グレンヴィルの同席を思い出したかの様に、ナシゴレンは口ごもった。
「イスファン殿、すまないが少し疲れた。自室に下がらせてもらってもいいかな?」
軍事作戦を己に聞かせるのを躊躇っているのだろうと気がついたグレンヴィルが席を立つ。兵士に送らせてから、三人は廃棄地の地図を出して打ち合わせを再開した。
「……それで何を言いかけた?」
「はっ! 吊り橋砦で足止めしている間に、侯爵からの使者を装った者に穀倉地帯と王都の現状を伝えます。アレらは私兵。その状況下でしたら、すぐに帰還を命じられても受け入れるでしょう。
落ち人様に続く入り口は分かったのです。また来ればいいと判断するはず」
「やつらに情報を与えるのは危険では?」
「……森から街道に抜ける道は、慣れねば厳しいものです。やつらはこの砦経由の道を選ぶでしょう」
一段声を潜めて、ナシゴレンは地図の一ヶ所を指差す。
その場所を見た二人は、ナシゴレンがやろうとしている策に気が付き、表情を引き締めた。
「何人必要だ?」
「最低でも二十人。すぐに準備にかかります」
「エリックにも協力させよう。ロズウェルがいればティハヤ様の守りは大丈夫だ」
「万一突破された時を考え、ティハヤ様の護衛は増やしましょう。吊り橋砦へはこちらの兵を夜陰に紛れ移動させます。ここの者たちは閣下に忠誠を誓っております。存分にお使いください」
ファンテックから兵の貸し出しを受けて、一気に動きやすくなったイスファンは、吊り橋砦への連絡、そしてエリック招聘に関する使者を放つ。
「さて、では私も少し頑張りますか。せいぜい深酒して明日は呻いていただきましょう」
にやりと笑ったファンテックは、料理番とメニューについて話すと執務室を出ていった。
「ナシゴレン、本当に良いのか?」
二人きりになった執務室でイスファンが問いかける。
「青臭い正義感など捨てます。私もまた罪人。ティハヤ様のお為になるならば如何様にでも手を汚します。それは王族と言えども例外ではありません。もし殿下がティハヤ様の害になるならば…………」
暗い瞳で言葉を切ったナシゴレンの肩を叩くと、それは俺の仕事だとイスファンは苦く笑った。
「ティハヤ様のお心が我らの全て。だが無辜の民を見捨てることも出来ない。
叱責は俺が頂戴する。お前は悩まずになすべき事を成せ。
しかし、意外だったぞ。神職の家系のせいか今までこんな黒い策を作ることなど無かっただろう。無理はするなよ」
「平気ですよ。いまだにオヤジ気取りですか?
私も覚悟を決めただけです。
都の状況は実家の伝を頼って調べてみます。定例報告に出した部隊もまだ戻らない。何か起きたのやも知れませんからね」
そんな会話を交わし、決意を込めた表情を浮かべた男たちは、それぞれの成すべき事の為に執務室を後にした。