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30、禍津風1

虫が苦手な方、爬虫類が嫌いな方はスキップ推奨。


 王国最大の穀倉地帯であり、国民の台所と呼ばれる地方がある。広大な農地の多くではプランテーション農業が行われており、十数人の農場主とその家族、そして沢山の奴隷が生活していた。都市部のみならず領地全てに、その豊かな恵みを各地に出荷するための交通網が張り巡らされている。


 農場主の上には更に領主がおり、多大な利権を農場主に与えてる代わりに、食料供給を担う自負と責任、そして多大な影響力を全国に得ていた。


 そんな大規模農園のひとつが最近国営化されたのは記憶に新しい。国の介入かと一刻は噂が駆け回ったが、落ち人に対する虐待が明らかにされてからは、表立って批判する者たちもいなくなった。


義親父(オヤジ)殿はお変わりなかったかい?」


 時には使用人達に交ざり働くこともある若い農場主は、日に焼けた鼻の頭を掻きつつ、身重の妻に問いかけた。


「あなた、もう畑で働くのはお止めください。農場主なのですから、指示を出せば良いのです。あなたの仕事は日に当たり土にまみれる事ではなく、この農場全体をどうやって大きく、そして儲かる形にするかです」


 大農場主として有名だった父に良く似た娘は商魂たくましく、上への賄いも欠かさない。性格は少々キツイが、人は良いがトップとしては少々頼りない若い農場主を支えるにはちょうど良いと乞われて嫁に来ていた。


 それが幸いし、一家全てが市民の地位を剥奪され、罪人に落ちた農場主の娘であっても、いまだに特権階級のままであった。


「お父様でしたらお元気でしたわ。あのバケモ……、いえ、落ち人様のご加護がまだ私どもの農場にはありますから。この冷害でどうなるかと思いましたが、無事に例年の八割ほどは収穫できそうです」


「流石はアディク・ジョン殿だな。それで領主様や国から派遣された代官様との約束は果たせそうなのだね?」


「ご安心くださいませ。我が家が罪人と蔑まれるのは今年一年だけのこと。今年例年通り国庫に納めれば、一度は国有化された我が家の農場は全て戻ります」


「それは良かった。産まれてくる子に、祖父の事を伝えなくても済むからね」


 優しげな手で妻の腹を撫でた男は、微笑んで仕事に戻っていった。





 深夜、寝室に響くカンカンという何かが壁に当たる音で、若い農場主は目を覚ました。眠る妻を起こさないように気をつけてベッドから滑る降りる。


「何事だ?」


 ハンマーで壁を叩くような音は断続的に続いていた。寝室から外に出て、雨戸を細くあける。


「?!」


 月明かりに照らされて、うっすら見えた影に驚き、慌てて戸を閉める。一瞬だがアレを見間違えるはずはない。恐怖でじっとりと汗ばみ始めた身体を無理に動かす。足音を発てないように最大限の注意を払い、急ぎ足で寝室に戻った。眠る妻を揺り起こし、声をあげようとするのを制する。


「野盗ですか?」


 落ち着き小さな声で問う妻に、首を振ることで否定した農場主は、両手足を覆う厚手の上下を着込み、更に革製の厚いマントで身体を覆う。


 妻にも同じように厚着をさせて、母屋に隣接し、直接行けるようになっている馬屋へと急いだ。


 途中、怯える目をした使用人達が合流する。己の息の音にすら怯えながら、先を急いだ。


「馬車に馬を。二頭だ。お前たちも他の馬車に乗れ。馬車に繋げない馬は、我々が出る前に放つ」


「あなた、何なの?」


「蝗帝だ。気休めだが肌は露出するなよ。噛み千切られるぞ」


「ッ?!」


 一地方を壊滅に追い込んだ魔物の出現にガタガタと震えだした妻を支えつつ、農場主は一台だけある箱馬車に乗り込んだ。馭者がすぐに手綱をとる。要所要所は金属で補強してあるが、蝗帝相手では心もとない。だが他の馬車よりはいくらかマシであろう。


「……馬を放て!」


 怯えて暴れていた馬が馬屋を飛び出す。蝗帝が集まり襲う羽音を聞きながら、馬車も遅れて走り出した。


 数匹の蝗帝にまとわりつかれかけたが、何とか四方に立てた松明で追い払う。


 幸運なことに蝗帝の数は少なく、馬たちの多くは傷を負いながらも、四方に逃げ去っていった。


「何故我が家に蝗帝が?」


「旦那様、とりあえずわたくしの実家に。あそこならば常駐兵がおります!」


 怯える妻に促されるまま、農場主は国有化された農場へと向かった。そこには駐屯している軍人もいる。蝗帝の脅威を知らせ、一刻も早く討伐して貰わねば、農地全体が壊滅する恐れもあった。


 使用人達が乗る別の馬車には、それぞれ別の農場主の家へと知らせるように命じた若い農場主は、馬に鞭を当てた。





「おぅい!!

 おぉぉい!!」


 国有化された農地との境近くにある、兵士達の詰め所に向けて農場主が呼び掛ける。


「どうしたー?」


 疾走する馬車を見つけて警戒していた兵士は、剣に手をかけたまま呼び掛けた。


「蝗帝がっ!!

 蝗帝が我が家に」


「おまえは……ああ、アディク・ジョンの娘婿」


 松明で照らされた顔を見て、警戒を解いた兵士は近づくように命じる。


「早く人を出してくれ!! 蝗帝にやられたら、作物が全滅する!!」


「分かった。隊長を呼んでくる。

 無事で何よりだ。母屋の方に行くがいい」


 兵士達が自分の農場に向けて出発するのを確認した農場主は、また馬を走らせる。母屋へ報告の為に同行する若い兵士は、緊張に顔をひきつらせていた。


「あの、大丈夫です。蝗帝と言えども、我々の敵ではありません。第一、報告では数十匹しかいないんですよね? なら魔法使いが出ればすぐ片付きますよ」


 顔色を青く変えながらも、安心させるために話す年若い兵士に頷いた農場主は、馬車の窓を固く閉めた。


「すみません、奥方様に確認して頂きたいのです。あちらを見てくださいませんか?」


 兵士が指差したのは母屋にも近い林の一角だった。


 風とは関係なく揺れる果樹を指差しながら、あれはいつもああなのかと尋ねる兵士に、怯えた目をした女は否定する。


「うわッ!」


 馭者が顔に風を感じると同時に、月明かりに目を凝らしていた兵士が顔を覆い落馬する。何かを叩き落とそうと暴れる兵士に松明を向けた瞬間、馭者は悲鳴を上げて馬に鞭を当てた。


「何事だ?!」


「蝗帝でごぜぇます!! 顔にかじりついておりましただ!!」


「ッ?! 早く! 早く逃げろ!!

 アディク・ジョン殿の母屋には石造りの地下室がある!! 蝗帝の歯と言えども石は食いちぎれないだろう。そこまで逃げれば大丈夫だ!!」


 馬も危険を察知しているのか、農場主に急かされるまま、よだれを流しつつ疾走する。


 あと母屋まで少しのところで、突然馬が暴れ、馬車が横倒しになる。綱が切れた馬は一目散に走り去り、投げ出された農場主夫妻と馭者は怪我を庇いつつ地下室を目指した。


「旦那さま! あれを!!

 なんて酷い」


 馭者の指差す方向を見れば、月明かりに照らされた半分白骨化している死体があった。


「あれは下男のっ!!?」


「止まるな! 急げっ!!

 兵士たちは何処だ?!」


 キョロキョロと周囲を見回す農場主だったが、兵士たちはおろか戦いの音すらしない。まさか逃げたのかと思いながら、静寂に包まれて平穏にたつ母屋の扉に手をかけた。


「旦那さま!!」


「何をするっ!!」


 突き飛ばされ、床に這ったまま叱責の声をあげ、馭者を振り返る。顔にかかった生暖かい液体と、視線の端に映る妻の蒼白な顔色を見て何かが起きたのだと理解した。


「ぉ逃げ……」


 最期の力を振り絞った馭者はそう話すと仰向けにゆっくりと倒れた。母屋の室内からは硬質な羽音とバリバリと固いものを噛み砕く咀嚼音が続いている。


 馭者だったものの首にも同じ塊がおり、一心不乱に食事を続けている。


 目が合った。


 月明かりを反射する黒い複眼。強靭な歯は骨すら気にせず食いちぎる。胴体を紅に染めたソレは、ゆっくりと次の(ターゲット)を見定めていた。


「う……わぁ!!」


 妻を連れることすらせずに、転げる様に農場主は走り去ろうとする。だが数歩もいかず転倒する。悲鳴を上げて暴れる農場主を新鮮な獲物だと思ったのか、母屋からも追加で仲間が現れて食い付いていた。


 生きながら喰われていく夫の姿を見ていた身重の妻は、魔物たちを刺激しないようゆっくりと後退る。たが微かな振動を感知したのか、新たな蝗帝が現れた。


 緑の地に黒の柄。そこまでは他の蝗帝と同一であるが、歯は更に鋭く、肉食獣と比べても遜色ない。大きさも多くは大人の肘から先ほどであるにも関わらず、その個体だけは優に腕一本分の大きさはあった。


「…………っ……ぃや、来ないで」


 飛びかかろうと脚に力を入れる蝗帝に懇願しながら、妻は建物沿いに逃げ裏に回った。


 裏には家畜小屋や農具置き場、そして奴隷小屋が目立たないように建っているはずだった。


 だが、月明かりを遮るものは何もない。


「何故? どうして……」


 実家の変わりように絶望したように呟いた女はそれでも諦めずに逃げようと足掻いていた。


 少し離れた農地がぼんやりと光っていることに気がつき、人がいるかもしれないと女は足を進める。何故かあの大きな魔物もいなくなった。今が逃げる最大のチャンスと思った女は必死に助けを求めて歩みを進める。


 十分近づいたところで、ぼんやりと光るモノの正体に気がつき、恐怖で凍りついた。


『ソレ』は魔物だった。


 地面がぼんやりと光り、土を割って頭を出す。うぞうぞと休むことなく次々と生まれてくるソレ。ぶるりと一度体を振り土を落とすと身近な作物にかじりつく。食べ物がなければ土すら食んだ。


 その光が実家である農園のあちこちにある。


 ひときわ強い光に誘われて、凝視しているとそれまでとは明らかに違ったシルエットが現れた。


「アレは……何?」


 白くぼんやりと浮かび上がるのは、菱形の頭部とその下の大樹のような胴体。手足はない。蛇だろうとは思ったが、それにしてはサイズが大き過ぎる。


「角に牙……そんな魔物、知らない」


 理解不能の事態が続き過ぎて、フリーズした女は後ろからきた何かに撥ね飛ばされ空を舞う。


 強い衝撃に悲鳴すら上げられず、満天の星を見上げたまま、ただ落下した。幸か不幸か落ちた場所は柔らかく、衝撃を吸収してくれたらしく何とか起き上がることが出来た。


「ヒィ……」


 落ち着いて周囲を確認し、女は絶望に悲鳴を上げた。


 食事中の蝗帝の真ん中に落ちたらしく、周囲は全て蝗に囲まれている。


「ロッテ…………か? なぜお前が、ここに。

 おお、神よ、何故ここまでわたしどもを苦しめるので…………」


 努めて視界に入れないようにしていた地面から、名前を呼ぶ懐かしい声がして、恐る恐る確認した。


「お父様!! みんなも」


 半死半生の父親そして既に動かない母親と兄弟達が魔物達の中央にいた。


 駆け寄ろうとする女と父親の間に、母屋で出会った巨大な蝗帝が立ちはだかる。


「魔物め!! このばけもの! よくも家族を!! そして何故娘までここにいるのだ!!」


「退いて!! 退きなさいよ!! 気持ち悪いわ!!」


 激昂する父娘をその意思を感じさせない複眼で睨み付けた蝗帝は、ギチギチと羽音を立てながら双方を威嚇していた。











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