3、神を出し抜いた人間
悔しそうにうつむいたまま、オルフェストランスは続ける。
「君がこちらに呼び寄せられる事になった原因は王子が大怪我をしたからだ。出ずとも良い前線で死に至る怪我を負った王子とその部下たち、そして当時砦にいた負傷者達を助けるために、召喚術は使われていた。
主導した魔法院の貴族も実行した魔術師も特定している。必ず神罰を下すから、安心して欲しい」
話がずれていると感じた天照が軽く咳払いをする。オシラも言い訳を続ける神に怒りを感じているようだが、神格の違いから何も言えないようだ。ただ全てから守るように千早を抱き締めている。
「召喚自体は構わなかった。リソース不足は深刻で、早晩召喚をするように神託を下していたはずだから、問題はなかった。けれど、君を召喚した後が悪すぎた。
あの日の事を何か覚えているかい?」
「グラッとしたら目の前が暗くなった。気がついたら人が一杯。でも何を話しているのか分からなかった。その人に棒みたいなのを向けられたらまた、グラッとして……。
次に目が覚めたら、人が一杯で明るくて。みんな笑っているけど、何も分からなくて。私が声を上げたら、みんな不愉快そうな顔になった。布を投げつけられて、顔も身体も隠すように巻かれて……。怖くて逃げようとしたけれど叩かれて……。気がついたら農場にいた」
過去の記憶を途切れ途切れに話す千早は震えている。その姿を見た少年神はもう一度深く頭を下げた。
「本来、君がこの世界に適応する為に使われる力、分かりやすいように生命力としておこうか。それを君を呼んだ魔術師は砦にいた王子を始めとする負傷者たちに与えたんだ。
移転直後、この世界に活力を与えるはずのリソースは君の生命力なんだ。君が生きていてさえいてくれれば、生涯漏れでた分で足りる。だがそれも盗まれている。今もだ。
君の身体が適応すれば、たかが人間の魔法なんかに僕らの神の技が影響されるはずがないんだけれど、魂がこの世界に定着する前の一瞬を狙われたみたいなんだ」
「…………?」
「分からないか、そうだよね。なら、具体的な例を出すよ。
君が世界に認識される為の力を使って、瀕死だった王子を助けた。だから君はこの世界に受け入れられず、人々から化け物と思われた。王子は稀代の天才と呼ばれて王太子になったよ。
君の言葉を通じさせる為の力によって、側近達を助けた。だから君は言葉を使い、助けを求めることもできなかった。側近たちは王太子を支える英雄と呼ばれている」
「え…………そんなの」
理解を超えた話を止めようとする千早に向けて少年神は続ける。
「君の身を守る力を奪って、砦にいた負傷者達を癒した。王子達の咎とならないようにするためだ。だから君は身を守る術を失った。砦の負傷者たちは君を害した者たちの共犯となり、当代において一騎当千の強者として名を馳せている。
君の攻撃する術を取り上げて、王子を含む全ての負傷者達は新しい力を手に入れた。だから君は逃げることも戦うことも出来なくなった。君の不幸の上に、彼らの幸せがある」
「力を奪い取られ一時的に気を失った君を、あの国の連中は『落ち人としての能力を失った』として売り払った。リソースが何か、やつらはわかっていない。殺せと言う話も出たが、落ち人を殺す覚悟が決まらなかったらしい。
危険察知能力だけは一人前にあるようだ。もしも千早さんを殺していたら、僕はこの大陸を迷わずリセットしていただろう」
失笑して宙を睨み付けたオルフェストランスの視線の先には、実行犯たちがいるのだろう。憎悪をその瞳に覗かせていた。
「そして奪う術式は、君の身体に刻まれたままだった。だから砦にいた連中が怪我をする度に、命の危険に晒される度に、君の生命力が奪われ続けた」
「なら私の身体を切り取ったのは……」
話を聞く内に暗い予感が頭を過ったのか、千早は怯えながら問いかけた。
「君の力が目当てだ。身体の一部でも埋めれば、その土地は劇的に改善するだろう。何せ神が求める生命力だからね」
「いや。……もう、いや。せっかく治して貰っても、また傷つけられる。爪を剥がされ、刺されて血を集められる。手足の指を一関節ずつ切り取られ、腕も斬り落とされた。やめてっていっても殴られるだけだった。
食事も私には与えられない。何でか死ねないこの身体。家族に会いたくて帰るために頑張ってきたけれど、もう帰れないなら意味はない。
有効ならまた絶対に傷つけられる。もう、いや。誰か助けて。誰か、殺して。お願い死なせて……」
パニックを起こした千早を落ち着けようと、神々は声をかける。だがその言葉が千早に届くことはなかった。
「天照大御神様!!」
泣きながら暴れていた千早が近づきてきた天照の足許に身を投げ出して懇願する。
「先程、肉体があるから無理だっておっしゃいましたよね? ならお願いです。今すぐに心だけでも、日本に帰してください。自分で死ねって言うならすぐに死にますから!! ただこの身体は何故か丈夫で死ねないのです。だから死ねる方法だけは教えてください。あとは自分でやります。
お願いします。私はもう、痛いのは嫌なんです。お願いします。私は日本に帰りたい」
泣きすがる千早の頭を撫でながら、天照は怒りを湛えてオルフェストランスを見つめた。
「幸せにしなさい」
「は、はい。もちろんです!」
「歴史上、最も、幸せに、しなさい」
「え? さっきまでと条件が違っ?!」
押し寄せた威圧に息を詰めて少年神は首を縦に振った。豊かな世界とはいえ多神の中の最高神一柱に過ぎない女神と小さいとはいえひとつの世界を統べる最高神の自分。神格としては変わらないはずだったが、逆らおうという気は起きなかった。
「よろしい。ではこの子の扱いを見て、今後も援助を続けるか決めます。これ以上傷付けてごらんなさい。今までの支援分も含めて、一括で返済して貰うわよ?」
優しい女神だと思って何度もリソースの融通をして貰っていたオルフェストランスは真っ青になった。一括での返済となったら確実にこの世界は滅びる。それどころか、返済しきれない分は己の神格で払うことになるだろう。それでも足りるかどうか……。
「千早、ちはやちゃん。ちぃちゃん」
女神は視線を合わせて何度も呼び掛ける。何度も何度も呼び掛けて、ようやく千早の焦点が合ってきた。
「あのね、ちぃちゃん。この世界は貴女が生きていてくれないと滅んでしまうの。もちろん、こんな目に遇わされたんだもの、滅びろと思ってくれてもいいのよ」
「天照殿?!」
悲鳴を上げるオルフェストランスを黙殺して天照は続ける。
「でも、出来たらお願い。この世界でもう少しだけ生きてみてくれないかしら?
千早ちゃんが死んだ時に今と同じ気持ちなら、私が責任を持って日本に連れて帰るわ。信じられないと思うけれど、この世界も悪いところじゃないのよ」
神からの願いを断るわけにもいかず、さりとて受けるわけにもいかない千早は、命綱にすがるように天照大御神の着物の裾を強く握りしめた。
「千早や、私からも頼むよ。どうか自ら死ぬなんて哀しいことはやめておくれ。そんな選択をしたと、お前の家族が知ったら立ち直れないだろう」
オシラはただ守護する愛しい幼子が死す事に耐えられず、生きて欲しいと懇願する。今日ほど神格の低い家神の立場を口惜しく思ったことはなかった。長く祀られているとはいえ所詮は家神。異界には手を出せない。
顔を俯かせて何かに堪えるように考え込んでいた千早は小さく頷く。
「本当に死んだら迎えにきてくれますか?」
「ええ、約束しましょう。貴女が望むなら必ず魂だけでも連れ帰るわ」
「オシラサマ、皆は元気なの?」
「ああ、だがずっと千早を探しているよ。みんな心配している」
「………なら、天照大御神様にお願いがあります」
決意を込めて顔を上げた千早は天照を見つめた。
「何かしら? 私に出来ることならなんでもするわよ」
優しく微笑みながら先を促す天照に勇気付けられて、千早は悩みながらも口を開いた。
「どうか、家族から………私の記憶を、消してください」
「何を言っているの。本気?」
「どうか、これ以上家族に悲しい思いをさせないで下さい。神様の言うとおり、私はこの地獄に残ります。
私たち家族が何か神様の怒りをかう様な事をしてしまって、こんなことになったのなら、罪は私が一人でこの世界に残って償います。魂だけでも帰りたいなんて我が儘は、二度と言いません。だからどうか、これ以上家族を苦しめないでください」
綺麗な土下座でそう慈悲を乞う千早の姿に、天照は堪えきれずに涙を流した。
「可哀想に、こんなに傷付いて。お願いよ、そんな悲しいことを言わないで。貴女たち家族に罪なんかあるわけがない。今時珍しい、私たちを祀り信じてくれる大切な人の子よ。貴女が家族から忘れられたいだなんで、罪を償うなんて…………そんな悲劇を許せるわけないでしょう」
自分を抱き締めたまま否定する天照大御神に、千早はどうかお願いしますと何度も涙ながらに繰り返した。その姿を見ていたオシラも涙を堪えきれずに床に伏せ号泣している。
「貴女の記憶を消すことは出来ないけれど、これ以上探されないように、貴女を死んだことになら出来る……わ」
「本当ですか?! 是非、ぜひにでも……おねがいじまず」
必死に日本に残る家族の幸せを考える千早の熱意に、とうとう天照は任せなさいと頷いた。中途半端な希望があるよりもと判断したオシラも、今後も家族を見守り続けるから安心してと泣いている。
「さあ、そろそろ千早さんを返さなくては」
ひとしきり泣いて全員が落ち着いた頃、オルフェストランスが話しかける。一瞬反論しかけた天照であったが、長くこの神の間に留め置けば魂に負担が大きい事を思い出して、抱き締めていた千早を放した。
「……やくそく、は、まもり、ます。
天照大御神様、オシラサマ、来てくださって、ありがとう……ございました」
えずきながらもそう話した千早は深々と一礼する。
「ちぃちゃん。貴女の肉体は形だけは何とか修復出来たけれど、髪は伸びるのを待つしかないわ。それと貴女は生命力を失いすぎた。神の力をもってしても身体を修復する事だけしか出来なかった。
今後は少しずつ本来の形に屑神が治していくから、もう少しだけ我慢してちょうだい」
「千早さんの安全は守ります。心配しないで」
「千早や、辛くなったらいつでも祈っておくれ。何とか力になれるように動くからね」
三者三様の言葉を受けて、千早の意識はまた途切れた。