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28、廃嫡

 王太子グレンヴィル廃嫡。

 一年近くもの間、病に臥していた王太子の廃嫡の知らせを受け、国民は大いに嘆き悲しんだ。


 同時に知らされた二の姫の離縁と王家復帰、そして立太子の儀の知らせは、驚きと動揺をもって迎えられることとなる。


「グレンヴィル殿下」


「姉上……いえリアトリエル殿下、お久しぶりでございます」


 碧の間と呼ばれる格式高い部屋で噂の渦中にある二人が再会する。既に人払いは済み、王太女の御付きである乳兄弟の娘だけが壁際に控えている。


 元王太子グレンヴィルに近づいたリアトリエルは、顔を目掛けて手にしていた扇を振り下ろした。


 乾いた打擲 (ちょうちゃく)音が室内に響く。打たれた頬に赤い筋書き刻まれても、抵抗することも抗議することもないグレンヴィルに、リアトリエルは何度も扇を叩きつけた。顔、胸、肩、女の細腕とはいえ痛みはあるだろう。だがただ打たれるに任す弟に、しびれを切らした王女は怒りを露にする。


「何故なにも言わぬのです!」


 息が上がり、扇を持つ震える手を庇うようにしながらリアトリエルは問いかける。


「言い訳のしようもございません。此度は私の不手際により、姉上には大変なご迷惑をおかけし……」


「ええ、ええ!! そうですとも!!

 稀なる落ち人様を実験材料にするなど何を考えていたのです!!

 その上、虐待、追放、流刑?!

 愚かにも程があります!!!」


 憤懣やる方ないと風情で声を震わせるリアトリエルと、無表情を心がけていても非難の眼差しが隠しきれていない侍女はかなり詳しい所まで知っているのだろう。


「そしてその後始末を私に押し付け、お前はなんとするつもりですか?」


「押し付けてなど……」


「黙りなさい。

 先の正妻の子ゆえ殺すこともできず、さりとて今の王妃様の産む子供が国を継ぐことに脅威になると放置もできぬ、それが私です。上の姉上、兄上達も次々と不幸になられる。私が三つの時に母上がお隠れになってから、王家に属する間、一日たりとも心の平穏はありませんでした」


 被せるように話すリアトリエルの顔には、うっすらと涙が浮かんでいる。折れんばかりに力を込められた扇がミシリと不吉な音を発てた。


「それを憐れんだ閣下が子供ほど年の離れた私を救うために妻にと望んでくだされた。たった六つの子供をです。

 もう大丈夫だよ、と微笑みかけられた私の気持ちがお前に分かりますか?!

 子供心に閣下をお慕いし、いつか本当の妻にと望んで幾年月。結局、真実の妻にはしていただけなかったけれど、それでも愛したお方の側にいられれば、私は幸せでした。

 それなのに、それなのに、何故?!

 お前のせいで私は、愛した方から引き離されて、誰とも知れぬ男にこの身を任せねばなりません。それが王家の義務です。たった六つで王家を去った私が、国を率いねばなりません。帝王学はおろか、王族としての礼儀作法すら満足に学んでおらぬのです。

 臣下たちは既に政争を始めています。陛下がご存命のうちはまだ抑えも利きましょう。でもお隠れになったら……この国は終わりだわ」


 一気に激情を口にしたリアトリエルは、フラフラとソファーに近づき座った。


「申し訳ございません。全ては私の不徳の致すところ。姉上にはどのようにお詫びしても足りません」


 左胸に手を置き、深々と頭を下げる弟に、扇で椅子を差し座らせると、リアトリエルは深々とため息をついた。


「悪かったわ。どんな理由があれ、私は王女です。貴方を叩くべきではなかった」


 頬に走る紅の筋に視線を合わせてリアトリエルは謝った。


「いえ……これくらい何でもありません」


 下を向いたまま首を振って否定し謝罪の形をとる弟に、顔をあげるように伝える。


「お茶を飲みなさい」


 互いの心を落ち着かせる為に、一口紅茶を含み芳醇な香りを楽しむ。


 無言で茶器を傾けていた二人だったが、どちらともなく視線を合わせた。


「…………貴方が準備してくれていたお陰で、王太女の仕事もスムーズよ。ありがとう。

 あの方は良い教師ね」


「お言葉有り難く思います、殿下。彼もまた私に巻き込まれた犠牲者でございます。側近たちの中で最後まで残り働いてくれた忠義者です。どうか……あとはよろしくお願いいたします」


「私は王家の者として、一度師と仰いだ方をないがしろにはしませんわ」


 罪人だが抜群の事務能力を買われ、次期宰相と謳われた者をリアトリエルは引き抜いていた。本人も国に対する罪滅ぼしになればと寝る間も惜しんで働いている。


「それで例の落ち人様の件はどうなったの?」


「旧マチュロス領におられます」


「そうではないわ。私だって通り一辺のことは報告を受けています。今、聞きたいのはそういうことではないのは分かるわよね」


「…………落ち人様は『死』を望んでおられるのかもしれません」


「まあ、そうでしょうね。私だったら耐えられないわ。でもね、殿下、今お聞きしたいのはそういうことじゃないの。私が何を言いたいか、分からないのね」


 ピンと背筋を伸ばしたリアトリエルは賢妃と名高かった先代正妃を彷彿とさせる威厳に満ちた姿である。


「貴方と協議したいのは件の落ち人様への父上の対応の不味さよ。貴方たちも大概だけれど、陛下や宰相に至っては、狂っているのかしらと思うレベルよ。

 落ち人様は世界の犠牲者。世界の恩人。稀なる救い主。決して失礼があってはいけない。そんなこと私だって寝物語に聞かされ続けていたわ。王家に属する子供ならずも、一定以上の貴族ならばみな知っているでしょう。なのにあの対応は何なのよ」


 率直な物言いで問いかけてきた姉に目を白黒させていると、畳み掛けるようにリアトリエルは続ける。


「陛下は貴方の保養地をマチュロスに定めたわ。既に耳に入っていると思うのだけれど、落ち人様の地は大豊作だそうよ。それに対して落ち人様が去った穀倉地帯は散々な有り様。報告はきているわよね」


 無言で頷くグレンヴィルは、穀倉地帯の領主からもたらされた今期収穫は例年の半分以下の見込みとの報告を思い出す。混乱を避けるためにその場で箝口令がしかれたが、大貴族たちは既に対策に動いている。


 王は一年だけ乗り切ればよいと考えていた。リアトリエルはそれが何故か調べ続けたが、情報がなく調査は暗礁に乗り上げた。その時グレンヴィルの旧マチュロス領へ赴任の話が出たのだ。


 王家に戻ったばかりのリアトリエルでは調べることが出来なかった、王とグレンヴィルの会話を聞く。恐らくこれが妙な国王の自信の源だろうと予感していた。


「…………陛下は貴方に何を命じたの?」


「私がマチュロスの代官となり、貧民を使い捨てにして開墾を指揮すべしと。来年以降については税も徴収出来るように落ち人様に交渉せよのご命令です」


 予想はしていたが、まさかの命令に鼻を鳴らしたリアトリエルに、侍女が咳払いをし注意を促す。


「お黙り。これが呆れずにいられるかしら」


 不快そうに壁に一瞬視線を向けるも、すぐにそれどころではないとグレンヴィルに向き直る。


「それで? 落ち人様がそれを認めるとは思えないわ。貴方はどうする気なの」


「此度の件で毒杯を賜ってもおかしくはなかったのです。国王陛下のご命令は絶対。国を思えば、動かなくてはならないでしょう。私をかの地に送り届ける人員の手配も済んでおります。

 今は何を言っても覆ることはないと思われます」


 グレンヴィルはしぶしぶという風情で廃棄地への出発を口にする。


「諦めるの? 落ち人様にそのような無礼を口に出来るの?」


「私の護衛は大貴族ルクエの私兵、それを率いるのは嫡子との事。私自身の手勢はもうおりませんが、私の側近だった罪人が数人同行致します」


「それだと下手すれば殺されるわね。陛下も覚悟の上かしら? ルクエ卿は反神殿派で反落ち人派、今の落ち人様への対応について何度も陛下に噛みついているそうだもの。皆、気がついているわ。卿は自分が王位を望んでいる」


「それでもいかねばなりません」


「死にに?」


「おそらく廃棄地に到着し、ティハヤ様にお目にかかるまでは、やつらも手出しはせぬでしょう。私がいなければ多くのものが警戒します。

 せめて我が国に食料の支援を求めるのはさておき、落ち人様に危険をお知らせしなくてはなりません。罪人部隊が廃棄地側の砦にいます。直接お目にかかれなくても、彼らに危険を知らせれば落ち人様にも伝わりましょう。それで十分です」


「…………そう覚悟を決めているのね。ならば好きになさい。でも犬死には王家の恥です。貴方も一度は王太子の地位に就いたのだから、それなりの結果を出しなさい」


 旅の途中で己が死に、落ち人への脅威となるルクエ騎士団を王都に戻す計画を準備しているグレンヴィルは静かに肯首した。


「ああ、そうだったわ。廃棄地の罪人部隊と言えば、一小隊報告に来たまま神殿に拘束されているわよ」


「存じております」


「連れていかないの?」


「残念ながら、神殿、国の双方から彼らの仕事はまだ終わっていないと却下されました」


「……どんな仕事があると言うのかしらね? 彼らの定期報告はとうに終わっているでしょうに」


 視線を交わす姉弟の脳裏には、いくつかの予想が渦巻いている。どの予想でも後ろ暗いものしかなかった。


「貴方が旅立っても、解放されるように私も動くわ。もし何らかの方法で、落ち人様に害を及ぼそうなどとしていたら、それこそ身の破滅だもの」


 既に為政者としての顔になりつつある姉に深々と頭を下げながら、グレンヴィルは己の無力さと愚かさを噛み締めていた。



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