26、収穫
夜明け前の薄明かり。今日も天気に恵まれて畑日和となりそうな一日だった。朝から妙にうるさいと思ってまだ眠い目を擦りつつ、千早がベッドで伸びる。
チュンチュン、ギィーギィー。
「え?」
はっきりしてきた意識に、予想もしていなかった音を聞いて飛び起きた。そのまま着替えもせずに外に飛び出した。
畑の向こうをランニングしていたロズウェルが千早を見つけて駆け寄ってくる。
「どうされましたか?」
荒い呼吸は走っていたからだけではあるまい。何かあったのかと、腰に下げた剣に手を伸ばしながら警戒の視線を左右に走らせる。
「鳥の声がしたの」
「鳥、でございますか?」
「そう。可愛いのとイマイチな声」
そう話しながらも声の主を探して千早は屋根を見ていた。
「おはようございます、ティハヤ様。今日はお早いですね」
千早を見つけた兵士たちが次々と集まってくる。鳥を探す千早を手伝おうと、周囲を見回していた一人が、家畜小屋の一角を指差した。
「あ! あそこだ」
小鳥と呼ぶには抵抗のある大きさだ。千早の知識で言えば、鳩と同じか少し大きいくらいの太った鳥だ。
「あれは、ホンネスだな。近くの森に住む鳥だ。うまく捕まえれば旨いぞ」
ギィー!!
人々に注目されていると気がついた赤い觜で濃い灰色の鳥は、イマイチと称された鳴き声を上げて、海岸へと向かって飛び去った。
「チュンチュンは小鳥かな」
可愛い方の声の主を探す千早だったが、もう逃げてしまったのか見つけることは出来なかった。
「ティハヤ様、その格好では冷えます。どうか御召し替えを」
「……あ、はい。ごめんなさい。
でも、ようやく鳥が来てくれたんだね」
イスファンに促されて家に戻りつつ、千早は感慨深く呟いた。鳥が来れば草の種も運んでくるだろう。遠からずそれに惹かれて虫もやってくる。いや、もう既に来ているのかもしれない。
虫は嫌いだけれど、いなくてはいけないのは良くわかっていた。前ほど嫌いだと騒がなくて済むだろう。
花を手に持って受粉させたこの数ヶ月を思い出して、千早はうっすらと微笑んだ。
「ティハヤ様、今日は収穫をなさるご予定でしたね。食事が終わったら皆で取りかかりましょう」
砦で山羊飼いに向けて以来の表情に、ロズウェルやイスファンたちは驚きながらも訓練を切り上げて、一日の準備に入った。
目の前に広がる畑は青々とし、早く収穫できる葉物野菜と、時間がかかることを覚悟で植えた根菜類に分かれている。
葉物野菜は植えて一ヶ月もしない内から、千早の食卓に登っていた。小松菜、水菜、ルッコラ、サニーレタス、そしてこの世界の野菜……、飽きる程に採れるそれらではなく、今日は初めての根菜の収穫日だ。
以前から収穫の時期を見ていた人参と夏大根。秋に収穫を目指し駄目元で植えたジャガイモ、ようやく結球し始めたキャベツ。
肥料がいいせいか、見える分は全てが大豊作である。採れない事を前提に、沢山植えすぎたそれらを消費するのが大変だろうなと内心思いながら、千早は刃を返した鎌で人参の茎を乱暴に払った。
「ティハヤ様、何を?」
「人参にはイモムシがつきやすいから。頭にトゲがあって刺されると痛いやつ。だから抜く前に茎を乱暴に払って落とすの」
ザッザッと人参の葉を揺らしつつ、千早は答えた。
「まだいないとは思うんだけど、一応……」
朝に鳥が来たんだから、一匹くらいイモムシがいてもおかしくはない。そう思いながらあの黒い角付きイモムシを探す。
「大丈夫かな……」
とりあえず自分の前にある人参は確認した。試しに一本抜いてみようと、葉をまとめて握り上に引く。
「…………うわっ!」
歯を食い縛り必死に抜くと、大人の手より大きい三十センチ近い人参が抜けた。
「おっきい……」
「立派ですね」
「さてこれだけ育っていれば大丈夫でしょう。では収穫にかかります。ティハヤ様は他の野菜も見ていただけますか?」
千早の動きを真似して、人参の葉を払いながら兵士が頼む。収穫した野菜はザルに入れ穀物庫に持っていく予定だ。床一面に紋様が刻まれた穀物庫では穀物以外の野菜の低温保管も出来るようになっていた。
「大根は葉っぱが固くて刺があるから、軍手使って……」
小屋にあった軍手をポケットから出した千早は、トゲに触らないように葉を持つ。大きい分力も入れやすいと、跨ぐような形になって引き抜いた。
「これもでっか……」
こちらは七十センチ超えの大物だった。ただ育ちすぎというわけではないようで、割れてもおらず瑞々しく輝く大根だ。
「こちらも大丈夫ですね」
数人の兵士が大根の収穫にかかる。
ジャガイモは兵士が引き抜いた茎から芋を外し、地面に残ったジャガイモも掘り出す。それぞれが無駄口一つ叩かず、自分の担当をこなす中、まだ手付かずの一角が残った。
「ティハヤ様、あちらはいつ頃収穫するのですか?」
「ん? カボチャは出来たところから蔦でだいたいは分かる。その奥のさつまいもは私も初めて作るからわからない。いい感じになったら天の声が教えてくれるらしいよ」
何とも贅沢な神託の使い方だったが、千早ならば当たり前だろうと納得して、ロズウェルは質問を続けた。
「サツマイモは初めて作られるのですね」
「うん。サツマイモは水捌けのよい暖かい所でつくるのだから。私が住んでたのは寒いところ。だからジャガイモとかも植える時期とか収穫までの期間とかずいぶん違うんだ。
天の声が教えてくれなきゃ、色々失敗してたかも。今年来年くらいまで、作り方書き留めてこれからは自力で作れるようにするつもり」
自然に会話を交わすようになった千早は、懐かしそうに話ながらも手は止めない。異世界産の野菜も同じように育ててはいるけれど、贈られた種程は育たなかった。
「収穫が終わったら秋から冬にかけて植える種の準備しないと。玉ねぎとか白菜とかほうれん草とか楽しみだな。皆が沢山開墾してくれたお陰で作れる。……あの、ありがとうございました」
次にやることを話し働く千早が地面を見たまま呟くようにお礼を言う。それに当然のことだと首を振る兵士たちは、収穫の速度を更に上げていった。
数人の目に『偶然』ゴミが入り、汚れた手で顔を擦る。顔を汚している事にも気がつかず燦々と輝く太陽の下で黙々と働いていた。
その日の夕飯は収穫の祝いということで、豪華だった。収穫した野菜と海班が持ってきた魚の煮物。蒸したジャガイモをバターで味付けたじゃがバター。葉物野菜と根野菜とコトコトスープ、大根の葉の油炒め等々、廃棄地の恵みが並ぶ。
それだけではと言うことで、薄切りジャガイモの上にベーコンとチーズを上に散らしピザ風にした焼き物や焼き魚などメインとなる食事も豊富だ。
それ以外にも無発酵のナンに近いパンがそれぞれに配られる。
「ティハヤ様、これが今出来る精一杯です。どうぞご賞味ください」
久々に違う食材が手に入った料理番が瞳を輝かせ、ドヤ顔をしてテーブルを指差す。天幕の中に笑い声が響く。
「美味しい」
千早はにこりと明確な笑みを浮かべて、料理番にお礼を言う。
「来年はもっと早くから頑張って夏野菜も作ろう。トマトに茄子にキュウリに、トウモロコシ、パプリカに……少しはゴーヤやピーマンも。あとは豆類」
「豆ならば畑にあるのでは?」
「うん、一種類だけは植えたけど、他にもササゲとか小豆とか金時豆とか色々あるから」
「ならば気合いを入れて更に開墾せねばなりませんな。なぁに、冬中行えば今よりも三倍は広くなりましょう」
「ああ、任せてください。これからもどんどん広げますからね。好きなだけ作れますよ」
「こら、そんなに広げたらティハヤ様が大変だろう。いっそ砦から何人か畑を手伝う人員でも呼ぶか?」
酒も入っていないのに陽気な兵士たちと共に時は過ぎていった。
「あの……」
「どうされました?」
天幕での食事も終わり、母屋で後片付けをしている料理番に声がかかった。見れば台所の入り口に千早が立っている。
「あの……今日の余りってありますか?」
「エリックですね。少しお待ちを」
ほぼ毎日の事だから料理番も阿吽の呼吸で、大皿に今日の残りを盛ったものを出した。
「それとパンを……」
ヒョイと食べ物の上にパンを置くと千早に差し出す。
「いつもありがとうございます」
「いえいえ、ティハヤ様がお礼を言うことじゃありません。あの引きこもり野郎が悪いんです」
餓えで倒れたエリックを見つけて数日後、やはり食事に来ない相手に、死なれると困ると千早が自分の食事の一部を届け始めた。
それに気がついた料理番が、日に二回こうしてエリック用の食事を準備して千早に渡している。
「……行ってきます」
「はい、いってらっしゃいませ。あのグズ野郎に何かされたら、このジンに教えてくださいよ。すりこぎでボッコボッコにした上で、肥料置き場に叩き込んでやりますからね」
お互いに会話もなく、ただ食事を置くだけだとは言われていたが心配である。毎回同じようなやり取りをして千早を見送っていた。
母屋を回って小屋に着く。慣れた手順で扉を叩き、大皿を持ったまま器用に階段を上がる。
コトン。
無言のまま階段を上がりきった所に皿を置いて、隣にあった朝に持ってきたバスケットを回収する。
壁に向かって座ったままのエリックは微動だにしない。いつもの事だと気にせずに、千早は下に降りかけた。
「…………おい」
久々に聞く声に最初は誰だか分からなかった。ここには自分とエリックしかいないと気がついて驚きながらもエリックを見上げる。
いつの間にか振り替えって千早を見下ろしていたエリックは、ためらうように口を閉じた。用がないなら帰ろうと千早はまた階段に視線を戻す。
「……待て。何故俺に構う?」
「死なれたら迷惑」
角が取れた声で投げ掛けられた質問。日々憔悴していったエリックの声に覇気はない。
どこまでも素直な口調につられるように、千早もまた本音で答えていた。
「農具置き場で死体は困る」
「………………悪かった」
手を伸ばそうかどうしようかと悩んで、結局何もせずに下に下ろし、呟くように謝罪する。俯けた顔には深い影が刻まれて、この数日でまた年をとったようだ。
「…………? 悪いと思うなら明日からちゃんと食べに来て。いい加減面倒だし、ここの階段怖い」
「…………分かった」
妙に素直な反応に気持ち悪くなった千早は、早々に小屋を出る。足早に母屋に向かいながら、満天の星空を見上げた。
―――いいお天気なのに、明日は嵐かな?