25、王都
秋の初め、夏の名残の強い日差しを受けながら、豪華な馬車は粛々と進んでいた。
「落ち人は廃棄地に到着したか」
「旧マチュロス領に到着。既に生活を始めたと砦に忍ばせた手の者から報告が来ております」
向かい合わせに座った事務官が淡々と答えた。
「それで?」
「何でございましょう、閣下」
不機嫌さも隠さない雇い主に、事務官は問いかけた。
「しらばっくれるな。落ち人の現状だ。幸せか?」
「さあ……それは。マチュロス領を囲む霧は濃く、現状領内に入れるのは落ち人と罪人たちのみ。砦にいる者に探るようにと命じておりますが、こればかりはいかようにも」
顔面に向かって投げられたクッションが当たるも、言葉を切ることなく報告した事務官は、投げつけられたクッションを雇い主に差し出しつつ答えた。
これくらいの扱いなら既に慣れた。剣を向けられないだけマシだろう。前任者の最期を思い出しつつ、同じ轍は踏むまいと気合いを入れる。
「探りを急がせろ。それと私兵の準備は整っておるな? 落ち人を『幸せ』にするため、救出せねばならぬなら、急ぎ動くぞ」
「それは無論でございます。あと数日もせぬ内にご子息様に率いられた主力騎士団の準備は整いましょう」
「この国を救えぬ落ち人ならばさっさと『幸せ』にし、急ぎ退場して貰わねばならん」
盗聴面での防御が高い馬車内とはいえ、相手は神が気にする小娘の処遇。これ以上口に出すことは危険だと判断した男はただ不機嫌そうに黙考をし始めた。
砦から至急の使者が早馬に乗って王都に来る。落ち人についてはどんな些細な報告であっても、最重要の機密として扱え。その勅命を受けての扱いだった。
「して、報告を聞こうか」
使者を国王自ら報告を聞くため、私的な執務室に呼び出した。傍らにいる宰相もまた固唾を飲んで報告に耳を傾ける。
「はっ! 懲罰隊イスファンからの定例報告書でございます」
一度従僕に書類を渡そうとして下士官を留め、王自ら書面を確認する。
「…………何ということだ。………………ああ、何ということだ」
一度目の言葉は驚きで、二度目の言葉は喜びを含み、王は二度同じ言葉を呟いた。
「陛下?」
「宰相も読め。それと君は砦の兵士か? それとも懲罰隊の人間か?」
宰相に報告書を渡す傍ら、王は下士官に問いかけた。
「はっ! 懲罰隊のものでございます」
証拠として手袋の下に隠していた紋を見せた。それを受けて王は人払いを命じる。従僕や女官たちがみな下がる頃には、宰相も報告書を読み終わり、兵士に視線を向けていた。
「して、この報告書は事実か?」
「はい。確かに事実です」
「廃棄地……いえ、旧マチュロス領、現落ち人直轄地に神託が降り、神罰が下された?
しかも聞いたこともない神が複数……」
「はい。廃棄地で居を定める際にティハヤ様に御助言されたと思われる『オシラ様』、そして我らが神オルフェストランス様と同時に神託を下されたアマテラスとおっしゃる女性の神。そしてその神が更に二人の神の名を口にされていました」
「四人もの神が……」
「ありえぬ。それは一人では全足る者になり得ぬ出来損ないではあるまいな? もしくは魔物にでも化かされたか……」
「残念ながらそれは考えにくいと思われます。神託後、私はしばらくティハヤ様の近くで働いておりました。神罰を受けた者達の近くにもおりましたが、あれはまさしく神のお力が働いておりました」
分かる範囲で誠実かつ端的に答える下士官に王は鷹揚に頷いた。
「して土地の復活だが」
「はっ! 廃棄地に神からの慈悲が下され、落ち人様が居られるのと同様の効果を持つ肥料置き場が現れました。効果も分からぬことから、一度放牧予定地に撒いた所、問題なく牧草の種が芽吹き、馬達の食料問題は解決しております。
またマチュロス領内において問題となっておりました魔海の復活も確認。魔物の死骸の除去も行われております」
「そうか、そうか! お前の見込み通りであったな! 宰相よ!!」
喜色満面の王に手放しで称賛されて、心持ち胸を張った宰相は、口先だけの謙遜を言う。
「これも全ては落ち人様のお力」
「して、エリックの研究はどうなっておる? 落ち人に力は戻せそうか?」
「それは……」
口ごもった下士官の態度を見た王達が肩を落とす。
「エリックを急がせよ。わしも長くは貴族どもを抑えてはおけぬ。特にわしと血の源流を同じくする者たちはな……」
「此度の落ち人が世界を救えぬならば、退場させようという過激派がいる。
今まで豊作であった北西の穀倉地帯も、今年は冷夏と長雨で恐らく収穫は見込めない。それに気がついた者たちは既に食料の買いだめに入っている。
これが何を意味するか分かるかね?」
あからさまな憂いを込めたため息に、下士官はいっそう背筋を伸ばして改まった。
「このままでは、落ち人の地位は地に落ちる。民はいつまでも己たちを救わぬ落ち人を歓迎すまい。
そうなれば更に落ち人の安全は脅かされ、我々国であっても大貴族たちを抑えることが出来なくなる」
「冬前までに何らかの進展を出せ。そう伝えよ」
マチュロス領の死んだ土地の復活でも、落ち人への力の返還でもいい。民と貴族と国を納得させるだけの成果を出せと命じられた下士官は、咎められる事を覚悟で口を開く。
「お言葉ではございますが、落ち人様の境遇を鑑みれば、今この状況すら僥倖ではありませんか。落ち人様を幸せにせよと命じられたのは我らが至高神様であられます。
そのお言葉を無視し、これ以上を望まれるのは……」
タンッ!!
靴が床を打つ乾いた音が執務室に響いた。
音で下士官の言葉を遮った宰相は、不快さを隠そうともせずに下士官に向かう。
「君は誰に何を言っているのかね?」
「はっ! 申し訳ございません!!」
長く叩き込まれた絶対服従の精神が、下士官を反射的に謝罪させる。
「落ち人は世界を救う為に界を越える。その役割を果たせぬ者に何故我らが膝を屈せねばならない?」
「しかし……ティハヤ様は元々世界を救う為ではなく、グレ……」
「黙れ!!」
ツカツカと足音高く近づいてきた宰相は、平手打ちし兵士の口を閉じさせた。文官あがりの宰相の細腕では、叩き上げの下士官に有効打を与えることは出来ない。それでも殴られたという事実が兵士の口を閉じさせた。
「宰相、落ち着きたまえ。君もだ」
胸ぐらを掴まれ睨んでいる宰相を宥めた王は、慈愛深い微笑みを下士官に向ける。
「少し疲れているようだな。ティハヤ様、当代の落ち人様は、魔法院の暴走により一時的にお力を奪われた可哀想な方だ。お疲れが癒えればまた世界を救う力を奮ってくださる。
そうだろう?」
「は……いえ、しかし……」
「ああ、疲れている所、長く報告させ大義であった。少しゆっくりするといい。返事を持たせるから、それまで待機しているように」
王が近くのベルを鳴らすと、近衛兵達が入ってきた。そのまま下士官を囲むように執務室から連れ出す。一礼して下がる兵士に、宰相は予定通りにとだけ短く伝えたのだった。
運び込まれる書類も少なくなり、逆に平穏が恐ろしくなる自室で、王太子グレンヴィルは残った数少ない側近と午後のお茶を楽しんでいた。
王家の威信を傷付けたとして死でも賜るかと一時は覚悟していたが、その動きもない。近くに控えた廃嫡の儀とそれに伴う王女の立太の儀で王城は慌ただしく動いている。
「それで……懲罰隊の者と接触できたか?」
軟禁生活ですっかり青白くなった王太子は、報告の為王都に来た兵士を探すように命じていた側近に問いかける。
「いえ、それが……」
「なんだ? どうした?」
「王命で疲れを癒すために神殿に滞在していると聞き出しました」
「こちらは自分の罪を懺悔するために、神殿に籠っていると……」
聞き込んできた噂を口にする側近たちはどこか悩んでいるようだ。グレンヴィルもまた嫌な予感を感じながら一人の側近を手招く。
盗聴を恐れて小声で話す。恐らくここで話したことは全て父王に伝わっているとはいえ、足掻かずにはいられなかった。
「救護所で働いていたな? そのツテで内情を探ってもらいたい」
「しかし神殿内部は治外法権。調べたとしても何も出来ません」
「廃太子となることが決まっているとはいえ、俺はまだ王族の地位にある。もしその兵士が困った情況になっているなら何か出来るかもしれない。どうか、頼む」
傲岸不遜であった王太子が側近に頭を下げる。その変わりように愚弄する臣下もいたが、この姿こそが王太子本来の姿であると知る側近が決意を込めて頭を下げた。
「廃嫡まであと五日か……。何事もなければいいが……」
それぞれの仕事に側近達が散り、人の気配が絶えた部屋に憂いを帯びた王太子の呟きが漏れた。