24、神罰
兵士達の朝はとても早い。
神罰騒ぎの翌日に、千早よりも遅く起き出した事で更に早くなった。
日の出までまだ一時間以上もある頃には、全員着替えて動き出している。
二つある天幕の内、片方には神罰を望んだ者たちが、もう片方には居合わせなかった者と望まなかった者たちが寝起きしている。神罰を受けた者たちは、魘されて飛び起きることも多く双方の安眠を考えて、天幕を分けることになったのだ。
夜番だった者が引き継ぎを済ませ、起き出してきた兵士に替わって天幕に入る。
そっと足音を忍ばせて母屋に近づいた兵士たちは、千早の部屋に向けて一礼をし、今日の活動を始める。
料理番だけは裏へと回り、母屋の台所へと向かっていった。
残った全員でストレッチをしてから一部は水汲みへ、残った者たちはランニングを始める。それはロズウェルやイスファンも同様だ。
神罰組は既に起き出して動いていたらしく息が上がっている。
「今日の担当を発表する」
ランニングが終わったら整列して誰が何処に配置になるか確認する。海班と呼ばれる五人は5日に一度報告の為に寄る以外、漁と造塩に従事していた。元漁村出身で魔海の影響で兵士にならざるをえなかった青年中心に海班は組まれていた。
開墾が一段落し次第、近くで見つかった小川を千早の家に引き込む作業が待っている。魔法使いたちが主力になるとはいえ、事前の準備はしなくてはならない。吊り橋を守るための砦の建設も順調に進んでいる。ファンテックの全面協力の元、砦と言うより出城クラスになりそうだとナシゴレンから報告を受けていた。
開墾班は神罰を望んだ一般兵と農村出身の兵士。
雑務班は料理番と馬の世話に長けた者が行う。
周囲の探索には万一を考えて経験豊富な戦える騎士を配した。
夜の見張りは交換で出している。今日は開墾組と雑務班から一人ずつだった。その後数時間仮眠を取り、朝食後には合流するハードワークだが、文句も言わずに皆勤めていた。
「ロズウェル、大丈夫か?」
「申し訳ありません」
ふらついたロズウェルに座るように指示を出してイスファンは今日の作業目標を全員に割り振る。
「今日も中々に強烈だったからな……」
視る者により内容を変える悪夢は一定レベルでは共通している。自身が視たモノを思い出しながらイスファンは遠い目をしていた。
うう……。
嫌だ……。
止めてくれ……。
深夜、神罰組の天幕の中に呻き声と懇願する押し殺した声が満ちる。二重にされた天幕から漏れ聞こえる声をバックに夜番の兵士は見回りを行う。
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乾いた大地に振り下ろされる鞭の音が響く。前日失った指の痛みを堪えながら、少女は農地の邪魔となる小石や雑草を抜く。
鞭は鍬を握る男に振り下ろされ、堪えきれずに地面に伏せば待ち構えていたかの様に腹を蹴りあげられる。
転げ回り土まみれになっていく男を視界の端に捉えながら、次は自分かもしれないと小さくなって日々を過ごす。
――――ティハヤ様に手を出すな!!
どんなにロズウェルが怒鳴っても人々は千早を虐げる事をやめない。千早を守ろうと相手を殴り飛ばそうとしても、身を投げ出しても、全ては徒労。すり抜けて終わりだ。
最初は怯えていた千早の瞳が、怒りに変わり、決意の光を抱く。
ある日逃走しようとした千早が捕らわれ、引き出された。農場に戻るまでも散々殴られ蹴られ、既にぐったりとした千早を二本の柱に渡された棒にくくりつけ、見せしめとする。
浮いた足は力なく風に揺れる。頭は下を向き動くこともない。
――――ティハヤ様! ティハヤ様!! お気を確かに!! ティハヤ様を放せ!!
怒鳴るロズウェルの事を誰も見ない。存在しないものとして、ただ逃げた化け物を口汚く罵っていた。
猛獣用の一本鞭が渡される。決して人に向かって使ってよい品ではないソレが情け容赦もなく全力で振り下ろされる。
垂れていた頭を仰け反らせ、千早は一拍遅れて悲鳴交じりの吐息を漏らす。息が整う間も与えずに、次々と振り下ろされる鞭になす術もなく身体が揺れる。
水を掛けられて意識を戻され、また鞭打たれる。厚い布越しのはずだったが、それをただ見つめるしかないロズウェルには、千早の瞳にあった決意の色が段々と絶望に染まっていくのを感じていた。
*
乾いた風の中に少女の悲鳴が響く。意味のない音を発する自分と同じ人間に虐げられた少女は、ただ自分の飢えと渇きを満たしたかっただけだった。
神の視点で見ることしか出来ないイスファンは必死に助けに向かおうと足掻いていた。
珍しく降った恵みの雨。地面に溜まったソレを残った片手で掬う。泥が混じりの茶色い水を躊躇うことなく口にした。
片手で掬える量など決まっている。次の千早の行動はある意味当然のことだった。顔をそのまま水溜まりに突っ込み直接水を啜る。
浅ましいその姿を見ていた奴隷たちが嘲笑う。通りかかった農場の使用人たちが戯れに千早の頭を踏みつける。ガボガボと水溜まりから空気を吐き出す音を聞いて笑い転げる。
――――止めてください、ティハヤ様! 貴女様はそのようなことをなされることはないのです。
ギリギリと食い縛った歯で唇を噛み千切ったイスファンは、全員殺してやると決意する。だがそれもまた無駄なことだ。この夢では決してイスファンの望みが叶うことはない。
*
バケモノが家畜の餌を盗んだと農場主の娘が叫ぶ。逆さに吊られた千早の腹部を手加減無しで木刀で叩く。
胃液を吐いても止まらずに、血を吐いても止めない。ただ人間のものに手を出せばこうなると、バケモノに教えるために今日も苛烈な罰は続く。
――――止めてくれ……もう、止めてくれ。ティハヤ様を解放してくれ。
知らず知らずに涙を流しながら、ロズウェルは誰とも知らないナニカに懇願する。
――――分かった。もう十分だ。俺は罪なき少女を地獄に落とした鬼畜だ。
イスファンが長年の矜持を投げ捨てて、己が鬼畜であることを認める。
――――何故我々がと思っていた。巻き込まれただけだと高を括っていた。だが、確かに私たちも利益を得ている。認めよう。私もまた犯人の一人だ。
遠い空の下、神罰を望んだナシゴレンが悔恨を滲ませて呟く。
――――身代わりがいるなら俺が(私が)受けよう。だからもう、ティハヤ様を解放してくれ。
いつの間にか拘束がなくなった暗い小部屋に蹲る男たち。その正面には千早の記録が、様々な絶望が映し出されている。
『理解しましたか?』
千早に向けて頭を垂れる男に問いかける。
「どうあっても理解できないことが分かった」
理解できるなど不誠実な事をどうして言えるかと、壮年の男は力なく床に拳を振り下ろして答える。
『理解しましたか?』
「はい、俺がどれほど無自覚に傷つけていたか分かりました」
感謝しますと青年は続ける。そしてどうかこの罪も罰してほしいと心の底では神罰の強化を願う。
『理解しましたか?』
「己の卑怯さを突きつけられました」
表情をひきつらせた男は、コマ送りのように傷つけられる少女から瞳をそらさずに答える。問いかけを受けて、絶望した者の浮かべる不格好な笑みを滲ませていることに気がついていない。
穏やかだが嘘も言い訳も許さない声が男たちに問いかける。その答えは千差万別。なれどひとつも嘘はない。それぞれの夢と繋いで己を顕現させていた心優しい神は悲しげに問いかける。
『いまだ神罰を望みますか?』
望む者、望まぬ者。それぞれの選択をする罪人たちを、ただ静かな表情で見つめる神は光に向けて指差す。
後悔した者をこれ以上痛め付ける気はなかった。過剰な罰は人の世の為にならぬ。人は神ではなく人の世に裁かれるべきである。
此度は母たちに頼まれたがゆえ動いたが、本来であればこれは私の仕事ではない。だが他の神に頼めば十中八九壊してしまっただろう。
それではあの子がまた苦しむことになる。それを認めることもまた出来なかった。
眠りをもたらす慈悲の神は、幼子の幸せを祈って罪人たちの帰還を見守っていた。
作中の暴力を作者は決して推奨していません。
決して真似しないでください。