22、開墾初日
「ティハヤ様は?」
「中だ。周囲はどうだ?」
「外から確認しただけですが、母屋の他、厩、倉、そして黒い建物と井戸があります」
中に入ろうとしたが扉が開かなかったと続ける部下に、イスファンは後でティハヤ様と確認に行くと答える。
「海へは二小隊送りました。少し先の丘から確認したところ小屋が二つと船がありました。そして可能なら海の中も探索する様に命じております」
「同じく二小隊は建物周辺に危険物がないことを確認後、周囲の確認に散開させました。ここに残っているのは十名程です」
「エリックはどうした?」
「先ほどの神気を確認すると建物周囲を歩いています。監視に二名つけました」
「そうか、ご苦労。ティハヤ様が外に出てこられたら、我々にお貸しいただける土地を確認する。それまで、王都から持ってきた道具とティハヤ様の生活用具を下ろしておけ」
」
荷馬車を指差し指示を出したイスファンは、荷下ろしを整然と動き出した部下たちをナシゴレンに任せ、建物の周囲を見回ることにする。
ティハヤの護衛は入り口で待つロズウェル一人で十分だろう。今はこの不思議な土地でティハヤが苦労なく暮らすために何が必要か確認する方が先だった。
母屋を背に左側にある井戸を覗く。深い井戸だが射し込んだ光に水面が輝いている。水量は十分だろう。屋根つきの覆いがあり、そこから釣り下がったロープの両端には、女の手でも持ち上げられそうなバケツと一回り大きなバケツの二つが縛り付けられていた。
建物沿いに側面に回る。平らに整えられた大岩の上に大人の背程の大きな樽が置かれていた。樽の内外にはびっちりと魔術文字に近いマークが刻まれている。埃が入らないようにか蓋もあった。壁の中に二本の管で繋がれているから、ここに生活用水を貯めて使うことになると思われる。
――――これは我々の仕事だな。水汲みは案外重労働だ。万一にも落ち人様にやらせるわけにはいかない。水が不足しないように常に気を配っておく必要があるだろう。後で台所も確認せねばならんな。
そんなことを考えながらイスファンが裏に回れば報告にあった建物が並んでいた。
一番小さいのが農具置き場か。大人の足で入り口は十歩程度。奥行きはその倍程度だろうか。真っ黒く焦げた板で覆われた小屋だ。雨戸であろう場所を開け、格子細工の窓から中を覗けば、多くの農具らしきものがあった。覗いただけでは分からないが、高い位置に小さな窓がある。おそらく二階建てなのだろう。
農具小屋から更に奥に覗くのは、見たことのない白い壁の建物だ。こちらは継ぎ目のないもので全面が覆われており、屋根は黒に近い、紺色の皿の様なものが使われていた。
二つの建物は日本人が見ればすぐわかるものだ。農具置き場は焼杉と言われる板で作られた小屋。蔵は漆喰に瓦で造られた本格的なものだった。だがイスファンが知るはずもない。無論漆喰も瓦も杉板も、神の力でその強度と耐久性を増してある。千早が存命の間に補修が必要になることはないだろう。
最後の建物はイスファンでも馴染みあるものだ。今は固く扉を閉ざしているが、明らかに家畜小屋だ。これでティハヤの馬車を引いてきた馬たちが休むところは出来た。
ただ…………。
そう思いながら周囲を見回す。
渇いた土は風に舞う。海から吹く風のせいか、砂塵が顔に当たっていた。
建物も水もあるが、やはり草一本生えていない。都から幾つかの植物や作物の種は持ち込んでいたが、実りを得るまでには随分かかるだろう。
それまでは森で狩った獲物と持たされた保存食で食い繋ぐことになる。追加を送ると宰相たちは話していたが何処まで信じていいのか……。
憂いを帯びた視線で大地を見ながら、イスファンは最悪の事態を想定し、この地だけでどうやったら生き延びて行けるのかを考えていた。
黙考を続けるイスファンの耳が、喧騒を拾う。部下達の言い争いかと視線を鋭いものに変えかけたが、歩いてくる人影に慌てて頭を下げた。
「ティハヤ様、もう宜しいので?」
「待たせてごめんなさい。天の声がここの物は私のものだから好きにしていいって言ってました。さっき黒い小屋を開けたらバケツや鎌なんかもありました。まだ見てないけど種もあるって」
右手に鎌、左手に金属バケツを持ったティハヤに、やはりこの土地の扉は落ち人しか開けないのかと納得したイスファンは、家畜小屋の扉を示した。
「お馬さん、疲れてるから早く入れてあげないと。別に私を待ってなくてもいいのに」
気楽に近づき両開きの扉を引くと、広々とした家畜小屋がある。柵の形や大きさから、数種類を飼うことを想定されているようだ。
「中を見ても宜しいですか?」
千早に確認をしてから中を見たイスファンが、荷下ろしの途中、指示を仰ぎに来た兵士に馬を休ませるように伝えた。
「ティハヤ様、何をお考えですか?」
最近ようやく当たり障りのない会話が成立し始めたロズウェルが、家畜小屋の脇に広がる不毛の地を見つめる千早に問いかけていた。
「ん~? …………うん」
キョロキョロと周りを見回していた千早がおもむろに靴を脱いで数歩前に出る。
「ティハヤ様?」
何かに気をとられた雰囲気でぼんやりと歩く千早に、また何か神託でも聞こえてきているのかと、少し離れた所で二人は見守っていた。
「…………うん、ここでいっか。
ご飯どころと家は近い方が良いもんね」
千早は荷物を一度下に降ろし、両手共に腕まくりをする。サッと屈んで鎌を右手に持つと、迷うことなく左腕、肘の内側から手首にかけて、一気に切り裂いた。
千早は痛みに鎌を取り落としかけたが、鎌を握り直すと座り込む勢いと体重をかけて左足の甲に鎌を振り下ろす。
「ティハヤ様?! 何をなされて」
一気に赤く染まった千早の姿に慌てた二人が駆け寄る。涙目のまま足の甲に鎌を突き刺していた千早をイスファンが抱き起こし、地面に膝を突いたロズウェルが傷の具合を確認する。
「何故!」
「痛い……」
「当たり前です!!」
話している間にも溢れ出る血を止めようと、男たちに強く腕と足首を握られた千早は、勿体ないからとバケツを取ってくれと頼んだ。
「何を馬鹿な事を。すぐに治癒魔法の使える者を呼びます!」
「誰か! 衛生兵を呼べ!!」
「…………いらないよ。これくらい、大丈夫。慣れてるし、死なないよ」
顔色を変えて動揺する大人たちに、不思議そうな表情を向けて、千早はバケツをまた要求した。
傷口を押さえようとする二人の動きを拒否し、左手で持ったバケツに流れ続ける血を溜める。息を止めて刺さったままだった鎌を引き抜いた。
そして歩く度に新しく血が溢れる素足のまま、不毛の地を歩き始める。
千早の異常な行動に言葉を無くしていた大人たちだったが、騒ぎを聞き付けた部下たちが揃い、衛生兵が千早に恐る恐る近づく。
「ティハヤ様、どうか手当てをさせてください」
「いらない……別にどうってことない。これくらいなら何度も経験あるから……」
痛そうに眉を寄せながら、片足を引きずり千早は歩く。
「ティハヤ様! これ以上はどうか!!」
見ていられないとロズウェルが千早に駆け寄り抱き上げた。
突然中に浮いた事で落としそうになったバケツを抱き寄せながら、千早は首を傾げている。
「何で邪魔するの? お馬さん、食べるものないと可哀想だよ。私の血が混じった大地じゃ気持ち悪い? 大丈夫、みんなの畑は、聞いてからやるから」
「何をおっしゃっているのですか!」
血相を変えたロズウェルに、頭上から怒鳴り付けられて千早は小さく跳ねた。怯えた瞳の千早は小さくごめんなさいと謝ると、暴れてロズウェルの腕の中から逃げる。
「ごめんなさい。怒らないで。そうだよね、これくらいで大地が戻る訳、ないよね」
ジリジリと兵士たちから距離を取りつつ、千早は握ったままの鎌に力を籠める。
「甘えた考えをして、ごめんなさい。
神様が治してくれたから、出来たら失いたくなかったの…………」
小さく呟き涙を浮かべる千早の両手は、小刻みに震えていた。
何か間違ったと気がついたロズウェルが謝罪を口にしようと一歩足を踏み出す。
それがきっかけになったのだろう。左手を大きく開いた千早は、小指に向けて鎌を振り下ろした。
「駄目だ!」
最も近くにいたロズウェルが腕を掴み千早を止める。それと同時に神託が降りてきた。
『落ち人を傷つけること無かれ!!』
『告。落ち人の怪我を感知! 治癒を! 治癒を! 原因に鉄槌を!!』
意識ある神託と無機質な告知。ガンガンと大音量で鳴り響く『声』に全員頭を抱えた。
ズズズズズズズ………………。
地響きを立てて、何かが競り上がってきた。状況が分からないまま、千早を庇う位置取りをする。ロズウェルに抱き上げられたまま固まる千早の怪我に光が集まり、血が止まる。
『千早ちゃん! 何でこんなことするの!!』
「女?」
千早を抱き上げていたロズウェルの頭に、心配で鋭く尖った声が響いた。悲鳴に近いヒステリックな声に千早からとうとう涙がこぼれた。
「あの、アマテラス様、ごめんなさい……。でも死ぬ事もないし……、この不毛の地を早く蘇らせる為にはこれが一番いいかなって。私が出来るのはこれくらいだから」
これ以上ないほど身を縮めて言い訳をする千早に苛立ったらしい女の矛先が向かってきた。苛立った女神の声は、この地にいる者達の全てに聞こえ始めたらしい。
『大体、この下衆どもが私の愛し子を拐かすから!! ああ、腹立たしい!! 本当に滅ぼしてやろうかしら!!』
『やめてください、どうかご容赦を、アマテラス殿!!』
戦いに慣れた者達は女の声が暴れながら発せられていることに気がついていた。必死に宥める声がこの世界の主神オルフェストランスだろう。
そして主神と同等かそれ以上の力を纏った声に、他の誰か……アマテラスと呼ばれる女神が存在することに気がつく。
「あの、ごめんなさい。どうしてもダメならもうしないから……。仮令飢えても……、私だけで済むように……他の人には帰って貰うから……どうかお鎮まりください」
荒ぶる天空の雰囲気を受けてすっかり萎縮した千早が、手を合わせて祈る。
『…………違うの、違うのよ、ちぃちゃん。貴女は悪くないの。この大地が死んでいるから、何とかしようと血を捧げてくれたのよね?
こんな地に貴女を封じたこの世界の下衆どもに怒りは感じているけれど、貴女は悪くないわ。
それどころか、ごめんなさい』
一転して慈悲深く悲しみを湛えた声になった女神の声に、兵士たちはみな一様に両ひざを突いた。
ロズウェルの立てた太ももに座らせられた千早もまた立ち上がり正座しようとしたが、抱き止められた腕をほどく事が出来なかった。
『こうなるとわかっていたら、最初に大地を蘇らせるべきだったわ。ちぃちゃん一人が食べていく分は復活させておいたけれど、それだけじゃ不安よね。
さっき、もうひとつ施設を追加したの。ちぃちゃんの血や肉と同じかそれ以上の効果があるものだから、もう自分の身を削るのはやめてね。約束よ?』
地響きを立てて現れたのは、コンクリートで床を作りブロック塀で三方が囲まれた堆肥置き場だった。
ただ異世界らしく床に東洋と西洋ファンタジーが融合したような緻密な魔法陣が描かれている。
「肥料?」
『ええ。この世界は少し効率が悪いから、それを集めて有効な肥料にする魔法の肥料置き場よ。これを撒けば大丈夫。なくなることも気にしなくていいわ。素材はいっぱいあるから』
分かりましたとまだ空の肥料置き場を見た千早を確認して安堵の息を漏らす神々に、頭を下げている兵士たちも強張っていた身体から力を抜いた。
『それとゲスども』
どうやら千早には聞こえない声での『神託』らしく、再度身体を強ばらせた兵士たちを不思議そうに見る。オルフェストランスから神託と言う名の謝罪が続けられているらしく、小さな声で気にしないで、ごめんなさいと答える千早の声がしていた。
『聞いているのか、下郎ども』
「「「「「はっ!!」」」」」
『今回はこれで済ませてやる。だが次にこのようなことになったときには、覚悟せよ』
「「「「「「はっ!!」」」」」」
『それでこれにも駆け付けず、観察に忙しい羽虫はどうしてくれようか……。直接的な手出しは出来ぬ。なれどこのままでは我らが愛し子があまりにも憐れ。
…………ああ、ニュクス様、感謝いたしますわ。
あの塵にもこれすら勿体ないが、せめて我らが子がこの世界であった目と同じものを視て貰おう』
魔術師エリックに対する神罰、その怒りの深さに兵士たちは頭を下げて嵐が過ぎ去るのを待っていた。
「女神様」
その中で一人、千早を膝に乗せたロズウェルが声をあげる。不思議な力でロズウェルの声は千早に届いていない。
『私に呼び掛けるとはいい度胸だな、クズめ』
冷たい声がロズウェルの 耳朶 を打つ。
「謹んで女神様に申し上げます。どうか私にも同じ神罰を下しては頂けませんか?」
『ほう、何故か?』
「私は経験したことしか分からぬ愚か者です。既に何度もティハヤ様を傷付けてしまっております。此度のことも、もっと早くにお止め出来たことです。
どうかティハヤ様の悲しみを理解するためにも、己が罪を自覚する為にも、神罰をお与えください」
「そうだな。異界の女神よ。落ち人様を理解するためにも、その罰俺にも下してくれ」
しゃーねぇーなと頭を掻きつつ、イスファンも神罰を求めた。
『神罰を受けたからといって、我らはそなたらを赦しはしない』
「ああ、構わんよ。ただ俺たちが何をしてしまったのか、それを知りたいだけだ」
「赦しなどそもそも求めておりません」
覚悟を決めた男たちに、女神はため息交じりに神託を下す。
『ではニュクス殿の息子、ヒュプノスの力が及ぶ限り、そなたらの望むものには落ち人の生を視てもらいましょう。あの子の悲しみを知り、苦しみを知り、そなたらがどれ程赦されざる者なのか自覚せよ』