17、夜営
夜。幸いな事に雨も降らず満天の星空の元、兵士たちは思い思いに休息をとっている。
「それで何があったのですか?」
焚き火のひとつを囲んだ陰から、詰問に近い声音が聞こえた。
「何が……とは?」
問い返すロズウェルの声には動揺が滲んでいる。
「誤魔化さないで頂きたい。貴殿と落ち人様との関係です。昨日、宿に行くまでは貴殿を拒絶していなかった。それが今日は話もせず目も合わせず、ただ無言で馬を操っておいでた。
ティハヤ様はつい先ほどまで星を見上げておられたが、我らの天幕での休息を断り、今はご自身の馬車の下で地面に直にお休みになっている。
ただごとであるわけがない。何があったのかお聞かせ願いたい」
誤魔化すことは許さないと強い視線でロズウェルを睨みつつ、砦の元指揮官であるイスファンは焚き火に小枝を投げ入れた。
その手にもやはり罪人の紋は刻まれている。王都を離れ、隠す必要がなくなった手を多くの兵士たちは晒していた。
「これの意味は貴殿もご存じの通りだ。我々は落ち人様を幸せにしなくてはならない。それにも関わらず今日の落ち人様の態度では……。何があったかお聞かせ願おう」
三度目の問いかけは命令だった。昔から辺境を守り転戦を繰り返してきた壮年の英傑からの圧に耐えきれず、ポツポツと昨日の宿屋での出来事をロズウェルは語り出した。
「…………それは、本当か? 本気でそんなことを」
話が進むにつれて眉間の皺を濃くしていったイスファンは、聞き終わると深いため息交じりに問いかけた。
「はい。私はティハヤ様に忠誠を誓うつもりで……」
「バカか? いや、違うな。これはもっとタチが悪い。英雄殿、お前幾つだ? 確か二十三、四だったか?」
ぞんざいな口調と、突然話が飛んだことに驚きながらも、ロズウェルはもうすぐ二十五になると返答した。
「それで、コレかよ。これだから苦労知らずのボンボンは……。なぁ、英雄さんよ。お前、何でティハヤ様があれほどお前を拒絶するか分かってないだろう。ちびっと年長者の年寄りクセェ説教を聞く気はあるか? あと、とりあえず一発殴らせろや」
炎に拳をかざし本気の怒りを込めて睨み付ける英傑にロズウェルは頷き、教えを乞い頭を下げた。
「閣下?! 止めてください!!
ロズウェル殿は伯爵家の次男ですよ? 貴族のあんたは良いとして、我々が報復されます!」
それまで成り行きを見守っていた兵士たちの中から、副官が飛び出してきてイスファンを諫めた。転戦を繰り返す彼らの多くは、職にあぶれた平民たちだった。
「黙れ、ナシゴレン。騒ぐんじゃねぇよ。ティハヤ様がお目覚めになるだろうが」
冷たく言い切られ、副官は二の句が繋げずに押し黙る。兵士たちは、千早が眠る馬車の方向を窺う。起きた気配がしないことを確認して、安堵に息を吐いた。
「……実家からは既に勘当されています。私に何かあったとしても、伯爵家は関知しません。ご安心ください」
しばらくして先程よりも声を落としたロズウェルが囁くように話し出した。
「ほう。ミューレスラン家は英雄を切ったか」
「我が家には兄も弟もおります。私ひとりがどうなろうとも問題はありません。ですので今はただのロズウェルです。そして私が英雄と呼ばれるのも相応しくないのは分かっております。一介の大罪人として遇していただければ幸いです」
「そうか。なら覚悟はいいか?」
立ち上がり再度頷くロズウェルをみたイスファンは焚き火を回り込む。そして仁王立ちになると全身の力を込めて拳を繰り出した。
てっきり顔を殴られると思っていたロズウェルだったが、イスファンが打ち抜いたのは腹部だった。重い一撃に反射的に腹筋に力を込めそうになり、意思の力でねじ伏せる。衝撃に体をくの字に折ったロズウェルは、内臓を打たれる不快感と痛みに堪えきれず、口から夕食の残骸と胃液を洩らした。
「……ったく、俺だって同じ穴の貉だ。本来お前さんを殴る権利なんかない。これはただの私怨で私刑だ。自分の息子でもおかしくない年の小僧に何やってンだろうな。胸糞悪ぃ」
地面に倒れ呻くロズウェルに吐き捨てるようにイスファンは告げた。そのままドサリと音を発てて呻くロズウェルの隣に座り、話し始める。
「お前さんがティハヤ様を救出したと聞いている。間違いねぇよな?」
「……ゲッ……ゴフッ。は……い。間違いありません」
涙目になりながら答えたロズウェルを見据えて英傑は続ける。
「保護された当時のティハヤ様の姿を思い出せ。まさか忘れたとは言わせないぞ」
底光りする瞳に撃ち抜かれてロズウェルは口元を拭うこともせずに姿勢を正した。
「酷いお姿でした。全身を覆う汚れた布は泥と汗と血に汚れ、痩せ細り、異臭を放ち、両手を喪い。複数の男が馬乗りになりティハヤ様に拳を振るっておりました」
一つ一つ思い出し語るロズウェルの言葉を聞くたびに、周囲の兵士たちの表情が曇る。噂で聞いた以上の千早の姿に心を痛めていた。
「俺たちのせいで」
「可哀想に」
「どうすれば」
ざわめきが伝播していく。
「黙れ。うるせぇよ。俺たちに謝罪する権利なんてあると思ってんのか? 甘えたことを抜かすんじゃねぇよ」
戦場での姿そのままの恫喝に、兵士たちの背筋もまた一様に伸びた。
「イスファン殿?」
「……英雄殿よ。正直に言えばな、俺は落ち人様に謝る術はないと思っている。っつうか、どの面下げて落ち人様の前に顔を出せるって言うんだよ。
俺にとっては処刑はある意味救いだった。それをお前らが……」
何を思い出したのか、ガシガシと頭をかき混ぜたイスファンは頭を抱えた。
「…………とにかく、今のままではティハヤ様に申し訳がなさすぎる。特にロズウェル、お前の対応は、はっきり言って最悪だ」
本気で分かっていないロズウェルに、どう伝えるかと頭を悩ませる。
「お前は一度でもティハヤ様の立場になって考えたことはあるか?」
「ティハヤ様の?」
「ある日突然、親元から引き離され連れてこられた異世界。言葉も通じず暴力に晒される日々。
控え目に言って虐待。有り体に言えば拷問を受けるに等しい日々を四年もだぞ?
救出されたと思ったら、落ち着く間もなく化け物だと思っていたやつらの仲間から、いきなり幸せになれと詰め寄られる」
一度もそんな風に考えたことがなかったのか、驚いた顔で見つめるロズウェルに、軽い絶望を感じながらイスファンは続けた。
「俺ならこの世界の生き物全てが化け物だと思うな。全てが敵でどんな目に遭わされるか分からない、常識も通じず信用も出来ない、そんな生き物だと判断されても仕方ないだろうよ。
俺だってな、ティハヤ様が我々に怒りを感じているなら、その怒りを受け止めることに否やはない。
俺が悶え苦しむ事で少しでも溜飲が下がると言うなら、矜持も何もかも投げ捨てて身を投げ出すさ。逆に声一つ発てずに堪えろと言うなら例え足先から擂り潰されようとも、呻き声ひとつ上げずに耐えてみせる。
だけどよ、今のティハヤ様のお心は明らかに違うだろが。正直にいって都の連中やお前たちがやったことを知ったときは、絶望すら感じた」
「お心が違う……とは?」
「ティハヤ様は怒りなんか感じてない。おそらくそれ以前の状態だよ。
必死に気を張って、細っこい糸一本を張りつめたようなそんな精神状態で、必死に壊れないようにこの世界に耐えているとしか思えねぇんだ」
「まさか、そんな」
「身体の傷は治るだろう。だが心の傷は目に見えないし治りにくい。心当たりはないか?」
「では昨日私の言葉を拒絶したのは……。それ以前にも謝罪の場での態度は……」
「今はお疲れになっているティハヤ様のお心が少しでも穏やかでいられるように心を砕くべきだ。刺激するような事は言うな。そしてするな。ましてや昨日の事を謝ろうとか思うなよ?
我々……いや、この世界の住人が今後ティハヤ様に害を及ぼすことはないということを、いつかは分かっていただければ、それだけで十分だと思え」
それではどうすればと悩みだしたロズウェルに、しばらく護衛以外で近づくなと助言したイスファンは、部下達にも同じ命令を下す。
「いいか? 今話したのはあくまで俺の予想だ。的外れでまったく違っているかもしれん。
今、本当はティハヤ様がどう思われているかは分からん。予想するしかないからな。だが自分がもしも同じ状況になったらと、仮定してみろ。想像してどう動けばいいか、考えてみろよ。
謝られて許せるか? 幸せになれと言われて、はいそうですねと幸せになれるか? 幸せになるために行動しようと思えるか? それよりも幸せになるために、自ら命を絶ってもおかしくないとは思わないか? 自分なら耐えられるか? 年端もいかない少女が、四年。四年もだぞ?」
声の震えも隠せずに、イスファンは話し続ける。誰も相づちすら打てずに聞き入っていた。
「己が命を断たずに、これだけ無神経に刺激し続けた我々に、何もせず反論もせず耐え続ける事に、ティハヤ様の絶望を感じないか?
他の生物がいない場所に移住するだけで、済ませてくれているティハヤ様は、とても強く優しい。その慈悲だっていつまで続くか分からん。
俺たちは一緒に住む訳じゃねぇ。英雄殿と魔術師殿がお側近くに控えるんだ。エリックはああだ。何の期待も出来やしない。
英雄どのよ。頼むからもう少し頭を使ってくれや」
考え込んだロズウェルに顔を洗ってこいと小川に追い立てその場は解散となった。
ロズウェルが汚した地面を片付け、夜営地がまた静寂を取り戻した頃に、副官は思考の淵に沈み込む上司に話しかけた。
「閣下……」
「ああ、どうした?」
「大丈夫なのでしょうか?」
「神のご意志だ。仕方あるまい」
視線でロズウェルが休む辺りと千早が休む馬車を交互に見ながら問いかける副官に、イスファンは吐き捨てるように答えた。
「神、ですか。ティハヤ様の神も我々の神と同じなのでしょうか?」
「どういう事だ?」
「いえ、異世界から来られた落ち人様です。もしや他の神を信仰していらっしゃるのではと……」
「なら何だと言うのだ?」
「神託の一節です。神殿関係者たちでも解釈が異なっているとか」
身内の神官から聞いた話だと前置きをして、副官はその一節を口ずさんだ。
「落ちた星は輝きを盗まれた。
吾はその輝きを惜しむ。
盗人達を許すなかれ。
盗人の地を赦すなかれ。
星神は星が至高の輝きを取り戻すまで
この大地を赦さず」
「ああ、あの神託な。いつも通り比喩と暗喩に満ちて、神官達ですら解釈に戸惑っていると聞いている」
「気になってはいたのです。吾と星神。なぜ同じ神なのに表現が違うのかと……」
「もしも落ち人様の神が星神であるならば、大地に恵みをもたらす落ち人をくださる方は我らが神とは違うと言うことか」
薄ら寒いものを感じて二人は沈黙する。ややあって枝の爆ぜる音が焚き火から響いた。
「俺たちが出来ることをしよう。今はそれしかないだろう」
「そうですね。一応、この思い付きを従兄弟に伝えておきます。ただ罪人の私の言葉など聞いてくれるか分かりませんが……」