15、出発
今は夏真っ盛りのはずだが、今年の夏は妙に寒い。そんな風に住人達が首をかしげる夏のある日、神殿には珍しく多くの荷馬車が止まっていた。
その荷馬車のいくつかには幌がかかっていて中は見えない。だが剥き出しの分の荷台には、大小さまざまな木箱が積まれていた。
「ティハヤ様、本当に行かれてしまうのですか?」
何度目かわからない質問を受けて、内心ではうんざりとしつつ千早は修道女長マリアに頷いた。
「今までお世話になりました」
深々と頭を下げて別れを口にする千早に向けて、伸ばしかけた手を握り締めマリアは首を振る。
「そんな、私たちはいつまででも滞在して頂いて良いのです。ティハヤ様はまだ本調子ではないのに。なのに、何故……」
涙を浮かべて自分を案じるマリアにもう一度別れの挨拶をすると、千早は荷馬車の列の真ん中にある一台によじ登った。馭者台に収まった千早を名残惜しそうに見送る人々の数は少ない。
だが、柱や壁に隠れるように千早を見つめる瞳があった。まとわりつくような嫌な視線を向ける相手を、意識的に見ないようにして千早は正面を見つめた。
今回の旅立ちにあたって、貴族や王家から受け取っていた贈り物は、天の声に力を借りつつ、失礼のないように書いた御礼状を付けて送り返していた。甘味等の千早が知らない間に侍女や修道女達が食べてしまったものについては、御礼状だけでなく高価すぎない品物を付けて届けて貰った。神殿や国からいつの間にか押し付けられていた寄付金や賠償金が初めて役に立った。
馬車旅と言うことで、最初は千早専用の馬車で旅する予定だった。目立たないように荷馬車に偽装すると聞いた千早は拒否し、馭者の訓練を受け何とか前に続いて歩かせるくらいは出来るようになったのだ。二十日程度の短い期間であったが、千早の努力は凄まじく、それ以外にも夜営の用意、最低限の馬の世話まで習得していた。
ただ付け焼き刃の知識であり、専門的な知識や突発事項に対処するまでは出来ない。何らかの問題が起きた時には、同行する兵士たちや神殿関係者がサポートをする手筈となっていた。
二頭曳きの荷馬車は練習に使っていたのと同じ形のもので、千早も気負わずに手綱を握ることが出来た。無意識に力が入っていた肩が落ちる。
今の千早は平民の少年が着るような服装をしていた。薄いブラウンのズボンに生成り色のシャツ。薄い藍色のベスト。それに日差しと埃避けのマント姿だ。フードを深く被って頭と顔を隠す。都の中でフードを被るのは少々異質だが、悪目立ちすることはないだろう。
荷馬車の列の先頭から半分程度までは、砦に運ぶ物資だ。駐屯する予定の兵士達が操る予定であり、体格のよい男たちが馭者台に乗る。
そこから後ろは、各地の神殿に運ぶ救援物資となる。神殿関係者と避難民救済事業で雇われた難民出身の馭者たちが手綱をとる。
千早は兵士と馭者の境にいた。よく見れば細すぎ小柄な身体つきを心配されるかもしれないが、マントを被った姿のため遠目には何とか違和感はない。ようやく骨と皮の間に薄い肉がついてきた身体は体力もなく辛いが、一人何もせずに守られて移動することは受け入れがたかった。
千早自身は周囲の人間に話していないが、荷台で運ばれるのにも少々トラウマがある。一週間以上かかる旅程の間、ずっと荷台に閉じ籠っていては逆に体調を崩しそうだと言うのも努力の原動力のひとつだった。
「ティハヤ様、もうすぐ出発となります」
「わかりました」
羽を持つ馬に乗ったロズウェルが先頭から離れて千早に話しかけた。一応、人目を気にしてか、馬上からだったが、後ろの馭者たちが英雄の登場に色めき立っている。
「ロズウェル様、一介の馭者にわざわざ話しかけてこないでください。貴方が来ると目立ちます」
千早の旅立ちを受けて、無理にでもと同行を求めた元兵士の罪人たちは列の先頭付近にいた。初めは国が難色を示したらしいが、王太子の説得、そして神託により全員が千早の住む廃棄地近くへと配置換えになっていた。彼らは目的地である廃棄地の側にある砦に駐屯し、千早の生活を助ける手筈となっている。
約百名のうち半数が砦に詰め、残り半数が千早の領地と王都を結ぶ街道を守る予定だ。それが引き出せた最大の譲歩だった。
またロズウェルとエリックの二人については、千早に同行し側近くで守る予定となっている。千早は拒否したが、魔物の脅威から身を守る為と術式の開発のためにどうしてもと説得された。そうして長く続く説得に疲れた千早が頷いたのだった。
宰相と王太子の説得を受けて二人を受け入れたが、個別の顔合わせは今日まで拒否し続けた。だからまだ、ロズウェル達との挨拶も済ませていない。理性では早目に挨拶をしなくてはいけないと思っていた千早だったが、会いたくないという感情を優先させてしまっていた。
救援物資を運ぶ神殿関係者は二日目の昼には別の街道に別れる予定だ。元兵士たちやロズウェルとの挨拶はその後になるだろう。
千早の目立ちたくないという主張と、王宮側の思惑を受けて、落ち人の出発は極秘扱いとなっている。罪人たちと神殿関係者の上層部は知っているが、その他の人々は千早を辺境の親類を頼って旅する騎士と縁ある孤児の少年と認識していた。
だから大々的な見送りもなく、極力目立たない様に出発するのに何故来るのだが。そんな事を思い出していた、千早の声に苛立ちが混ざる。
「申し訳ございません」
人目を気にしてか、軽く頷く程度で済ますロズウェルに、千早は早く何処かへ行って欲しいと願いながら無言で頭を下げた。
神殿から高い鐘の音が響いて、出発の時間が告げられる。何か言いたげに千早を見つめていたロズウェルだったが、鐘の音を聞き隊列の先頭へと戻っていった。英雄としての仕事をしに行ったのだろう。
ゆっくりと先頭が動き出す。魔物狩りの兵士たちの出発と、各地に物資を届ける部隊の出発と聞き付けて多くの住人が手を止めて見送りに来ていた。
神殿は街の中央、王宮に隣接して作られている。殊更ゆっくりと進む隊列につられるように、千早が何もしなくても賢い馬たちは歩いてくれた。
「へぇ……、こうなってたんだ」
初めて街並みを見る千早は、興味深く周りを見渡しそうになったが、慌てて顔を正面に固定する。
瞳だけを動かして周りを確認していた千早は、豊かそうな人々を見て、何とも言えない気分になった。
馬車で走っても問題がない程度には整った石畳の道。両脇に並ぶ食品を扱う商店。花を売る屋台。菓子を背負って売る道化。溢れる商品。
少し進むと広場のような場所の脇を通る。見間違いでなければ、花壇で囲まれた噴水があるようだ。
人々は笑顔で兵士や神殿関係者たちに手を振っている。馭者として雇われた人々の家族も見送りに来ていたようで、駆け寄ってくる女たちもいた。
建物が切れた場所から、門が見えた。次第に近づいてくるその門は、幌馬車三台程度ならば並んで通りすぎることが出来るほどに大きい。もちろん高さもそれに見あったものだ。
ゆっくりと両開きの扉が外に向けて押し開けられる。
「いってらっしゃい!」
「気をつけて!」
「我々の誇り!!」
「ガンバレー!!」
住民達がこれでもかと手を振り帽子を振り、笑顔で隊列を見送る。
誰とも視線を合わせないように気を付けつつ、無事に通りすぎて千早は安堵の息を吐く。
「外も……豊かだね」
街から漏れでる喧騒で千早の呟きはかき消された。だが誰に向けて話したものでもない。気にせず千早は街道沿いの景色を見つめた。
道の両脇には小麦のような尖った葉の青々とした畑が続く。そこで働く人々は兵士たちと馬車の集団に気がつくと仕事の手を止め、手を振り頭を下げる。
少し奥の方には森があるのか、濃い緑が広がっていた。その森の上空には鳥が沢山飛んでいる。豊かな森なのだろう。
王都から出てしばらくは魔物の脅威なく進むことができた。人も畑も疎らになり始めた場所に差し掛かり、一行は隊列を変えた。
騎馬の兵士たちが前後に別れる。一部は神官たちを乗せた馬車は隊列中央、千早の馬車の近くに固まる。それに合わせて、神官たちの護衛である神殿付きの護衛たちも中央に移動した。
大人数の一行を襲う野生動物はいない。それどころか人の気配を感じ逃げ去っているのか、千早の目には生き物の姿が映ることはなかった。
ごく稀に表れる魔物は兵士たちに瞬殺されていた。その度に後ろの馭者たちから歓声が上がった。