13、絶望の神託
灯りを節約する為に照明をギリギリまで減らした薄暗い室内に、疲労の色が濃い数人の人影があった。
「とうとう落ち人様がここを去りたいと口にされた」
「殿下、いかがされるのですか?」
「仕方ないだろう。我々が行った事を思えばいままで滞在していただけたのを幸運だと思わなければならない」
仕掛かっていた書類から顔を上げて、グレンヴィルは羽ペンを置いた。うず高く積み上がった書類をひたすら片付け続けて早三ヶ月。日々増えていく書類に悲鳴をあげそうになりながらも、必死に取り組み続けていた。
今回の事件に関する事後処理。罪人の証である紋を刻まれた兵士たちの代替人員の補充。遠からず廃太子となる自分なきあと、迷惑をかけることになる二ノ姫を支える為の布陣。そして何より落ち人ティハヤへの賠償と保護政策作成。
終わることのない仕事の山に、紋を持たない部下たちは早々に王太子の元を去った。王太子一派が何をしたかは民には隠されたままとなっている。だが側近たちはこの場にいても出世はないどころか、神の不興を買うことになりかねないと知っていた。少しでも先が読める人間なら王太子を見捨てて当然だった。
人が減っても仕事は増える一方だった。身なりに構う余裕がなくなり、人前に出ないからとシンプルな作りに変えたシャツの袖口は、毎日黒く汚れペンだこはすっかり硬くなっていた。
同じく紋を持つ残った側近たちも、表舞台に出ることは許されなくなった。ある者は少しでも償う為にと神殿が運営する救護所へ働きに出かけ、またある者は王太子グレンヴィルの片腕として必死になって働いている。
王太子の護衛兼側近であったロズウェルは、都近郊での魔物討伐の任につき、人知れずひっそりとこの地を離れた。その他の紋を持つ元砦の兵士たちも五班に別れ、東西南北、そして中央部の巡回に出かけている。少しでも魔物の被害を減らすためと、王命が下されていた。
「皆様はどうなさるおつもりなのですか?」
「落ち人様のご意志を妨げることは出来ない。だが父上や宰相は何とか我々の影響下へ留まらせようと考えておいでだ」
室内にいた紋を持つ者たちから重いため息が漏れる。
落ち人には知らされていないが、落ち人を害したとして、既に魔法院の代表及び導師二名、そして側近の一人とその父親は公開処刑されている。魔法院の三人は喉を潰され、罪人の紋を布を巻いて隠した状況で民衆の前に引き出された。
側近と父親は、妻と他の子供に累が及ばない事を約束され処刑を受け入れた。
勝手に召喚を行った罪、召喚呪を改竄し無為に失わせた罪、その失策を隠蔽しようと落ち人を田舎に押し込めた罪、国を謀った罪、その全てを被って処刑されたのだ。
罪人たちが反論できない状況で語られた内容を民は信じきり、苦労した落ち人に同情した。
この都市から旅立った兵士たちも手袋等で罪人の紋を隠すように命じられていた。王太子たちも部屋の外に出るときには紋を隠すようにと命じられている。
国は王太子や兵士たちが行ったこと、それに伴い肉体的及び精神的に落ち人が傷つけられていたことを隠蔽することに決めていた。
「神託は何と?」
「神託は変わらない。落ち人の行動を妨げること無かれ。落ち人に幸福を。落ち人に最も幸せな人生を与えよ」
何度も繰り返された神託に側近たちは頭を抱えた。
「悩むのはまだ早い。落ち人様について更に神託があったそうだ」
乾いた笑いを浮かべたまま、王太子は側近を見る。
「魔法院のエリックからの報告は聞いたか?」
「召喚実行者エリックでございますか?」
「ああ神託で落ち人ティハヤに、我々が盗んだ力を戻す術式を作れと命じられたそうだ。そこで神から召喚に関する理を聞いたらしい」
「理?」
「落ち人が世界を越えるとき、膨大な力を纏ったまま落ちてくるそうだ。本来であればその力を使い、落ち人は我々の世界に馴染み、余った分の力が魔物を滅し世界を力で満たす。それにより我々の世界は豊かさを取り戻すことになる」
側近は何か口にしなければと思いつつも、嫌な予感に声を出すことも出来ずに唇を戦慄かせた。
「報告を受けた宰相と同じ表情をしているぞ。落ち着け、とりあえず口を閉じろ」
「殿下は何故そんなに落ち着いておいでですか?!」
「驚きすぎて驚くことも出来なかっただけだ。まだ続くぞ? 聞くか?」
「もちろんです。私は地獄の底までお供するしか道はありません」
「我々……いや、瀕死の私を生かす為に世界を豊かさで満たすための力を使ってしまった。更にエリックは我々と落ち人ティハヤを結ぶ術式を双方に植え込んだ。
変だとは思わなかったか? 我々はどんな重い怪我をしても死ぬことはなかった。兵士たちの中には、新しい力に目覚めた者もいる。
命に関わるような怪我も、神殿の癒しを受ければ癒えた」
「まさか……」
「ああ、落ち人ティハヤの異界の力を我々は奪い続けて、己の命を繋いでいたらしい。そのせいで必要な力が貯まらなかったティハヤは、いつまでもこの世界に受け入れられずにいたらしい」
「そんな……。では落ち人様はこの世界を救うことが出来ないではありませんか?」
貴賤を問わず、落ち人が世界の危機を救ってくれるのはこの世界の常識だ。今、国民たちが落ち人に同情的なのも、救ってくれるはずの娘がこの世界で苦労したからだ。
「そうだ。落ち人ティハヤは歴代の落ち人の様に世界を力で満たすことは出来ない」
「では早急に次の召喚をっ!」
「それも不可能だ。あまり知られていないが前の落ち人がいる間は次の落ち人を召喚することは出来ない。世界に過剰な力が満ちればバランスが崩れる。神がお許しにならないと言われた」
「ではどうせよと? 高位の貴族がこの事実を知ったら、落ち人ティハヤを亡き者にするのではありませんか?」
「そうだな。既に一部の王家に近い貴族たちが画策を始めたとの報告もある。
だが神の指示は落ち人ティハヤの幸福。それを満たさず命を奪えば、更なるお怒りに触れるだろう」
八方塞がりの現実を聞いて、側近たちは頭を抱えた。
「父上も宰相もこの事は知っている。故に王家直轄領へとティハヤを封じ、その地を禁足地とする事を父上は提案した。
エリックの報告だが、落ち人ティハヤからは微弱だが今も力が漏れているらしい。それは大地を潤す効果があるだろうとのことでな。
宰相は廃棄地である辺境に落ち人ティハヤの住居を定め、そこで生活させる事を提案した」
大地の実りから見放され、更には魔物の脅威を打ち払えなくなることで、年々増加している廃棄地。宰相はその中でも今年の早春「全てを喰らう暴虐」の被害があった地を指定した。確かに一人が所有するには広大すぎる土地ではあるが、草一本すら生えなくなった不毛の地を与えられて何になるのか。
ティハヤが提案を検討すると自室に戻った後、同席を許されていた王太子は必死になって反論した。交渉の結果、廃棄地の近く何とか実りのある森を少し落ち人の領土に加えることが出来た。
「今日になって落ち人ティハヤは宰相の提案を受けると返答した」
「なんと。死にに行くようなものです!」
「宰相はそうは思っていない。今は草すらも生えぬ地だが、落ち人が住めば変わると考えている。しばらくの間、命を繋ぐだけの物資は、こちらから持ち込ませればよいとのことだ」
苦く笑いながら王太子は諦めたようにため息を吐いた。
「私が言って良いことではないが……愚かとしか言いようがない。これではどうやって落ち人を幸せにせよと言うのだろうな……」
疲弊した表情で語る王太子に掛ける言葉もなく、側近たちはただ現状に絶望していた。