1-8 燃える女
春が来て、食べられる野草が増えた。
夏には、川魚をどうにか手取りで掬い上げて、火打石で火を起こして食べられるようになった。
探して見ると甘酸っぱい果実は何種類かあるようで、夏から秋までたくさん取れて飢えることはなくなった。
油が採れる植物の実、どんな所にどういう植物が生えやすいか、火の起こし方や、保存食の作り方を教わったおかげで今年は冬の備えが捗りそう。
森の恵みに感謝だね。
お社の向こうでの習い事も大分進んだ。役割分担と集中的な教育のおかげか効率よく進み、
最近は向こうに長時間いたつもりでも帰ってみたらまだ全然日は高かった。
エーゲリーエ姉の意味の分からなかった面白ボックスも大分理解が進んだ。
凄く荒唐無稽だけど、面白いし語彙が増えた。
二の姉様の嘆きも増えたけど、礼法はちゃんとお褒めの言葉を貰っているので問題無い筈。
読み書き計算も、このくらい出来れば困ることはないでしょう、と言われるくらい。
暇な時は地面に枝で書いて、寝るときは寝つけるまで暗算し続けるように、とにかく暇さえあれば、学習を!と二の姉様は自分の担当時間外でもスパルタだ。
その割にはエーゲリーエ姉には結構甘くいつも遊んでいるのを許容している。
「昔、彼女は恋敵に恨まれてその主人に嫌がらせをされて酷い目に会った事があるのよ。わたしとネーメで治療して癒すことはできたけど、あれで意外とマナスに酷い傷を負っているの」
わたしには不公平に映るかもしれないけれど、癒えるまで好きにさせてやりたいんだって、いつも口調は厳しくエーゲリーエ姉にお小言いってばかりなんだけど、実際には結構優しい。
わたしも力になりたいといったら大層喜んでくれてエーゲリーエ姉の病気の癒し方を教えてくれた。
二の姉様は基礎教育が進んだ事で、医療方面もいよいよ教育を始めたい、との意向だ。
五の姉様が身の守り方については教えてくださっているけど、それでも避けられない病気・怪我になってしまったときの対処を教え込んでおかないと不安らしい。
四の姉様も医食同源、食事と医療の密接な関係について珍しく力説していた。
「イルンスールはなかなか大きくなりませんわね。ちゃんと日の光を浴びて綺麗な水と食事を摂っていますか?」
「はあ、最近はちゃんと食事を摂れていると思うのですが、日当たりも大事なのですか?」
「もちろんです!栄養だけではなくお日さまも大事ですよ、まだまだ緑子なのですから」
「緑子って嬰児、赤子という意味ですよね?わたしそこまで小さくはないと思うのです。そりゃあ鬱蒼と茂った深い森なので、外で活動していてもそれほどお日さまには当たっていないかもしれませんけれど」
赤ちゃんというほど小さくはないです、と四の姉様に反論する、可愛がって大事にして頂いているのは嬉しいけどそこまではねぇ。
「うーん、森の息吹を感じるのも大事ですけれど、開けた所でお日さまも浴びましょうね」
頑として譲らないようだ。
山小屋では、わたしが勝手に自活し始めた事に気づいて、マリーナも滅多に様子を見に来なくなった。
相変わらずはしたなく盗み聞きしていると今年は下界は不作で麓の村は困窮しているらしい。お陰で神殿にも食べ物が少ないのだとか。
この山には結構食べるものあるんだけどな。
物は試しと香草らしきものと蛙の煮込み料理を作ったら朝まで痺れてしまったけど、あれはどっちが悪かったのだろう。
そんな秋のある日、冬越しの準備の為に干して保存できそうな果実を探してどんどん山を下っていった。
人と接触するな、といわれているので参道沿いは歩かず、獣道を通る。
ま、森の獣だしね。
神殿に用がある人は参道を通らねばならず、お山自体は入山禁止らしい。
熟して落ちそうなノミンサープの実をバシバシ小枝で叩いて落としていると、足元に柔らかい感触がある。
お、秋の蛙だ。
持っていた木の枝を無造作に突き刺す。
らっきー、貴重なたんぱく質だ。動きが鈍くて捕まえやすいと五の姉様おススメなのだ。
ふんふーん、とご機嫌な気分で歩いていると夢中になり過ぎてすっかり日も暮れてしまっていた。
・・・まずい、油断した。
山陰に太陽が隠れてしまって暗くなる早さが尋常じゃない。
慌てて戻ろうとするが、一気に真っ暗になってしまった。
夜行性の動物が動き始めている。
普段は可愛い鹿の声も凄く不気味。遠くに響く猿の叫び声には恐怖を感じる。
非常に不味い。
火を起こすべき?何とか帰る?この暗さで山小屋まで帰りつけるだろうか。
じっと朝まで待つ?でも滅茶苦茶怖い。暗闇から何か飛び出してきそう。
藪の中から何かがこっちを窺っている気がする。
うなじから背筋にかけて冷たい恐怖の感覚が突き刺さる。
虚勢を張って想像上の何かと睨みあう、ああ、もう駄目。こんな緊張感耐えられない。
動くに動けず、どきどきしていると、悲鳴と狼の吼える声が意外と近くで聞こえた。
小さい女の子の声だ、むむむ、どうしよう。
一瞬悩んだけれど、声の方へだっと走り出した。
悲鳴の現場に辿り着くと狼が女の子の服に噛み付いて引っ張っていた。
女の子はぺしぺしと手に持った枝で叩いているけど、狼はまったく意に介していない。
初めて会う同じくらいの大きさの女の子!助けないと!でもどうやって!!
五の姉様にちゃんと身の守り方習っておけば良かったああ。
どきどきしてた心臓がさらにどっきんどっきんバクバク激しく鼓動している。
えぇっと・・・偉そうに命じて睨みつけて退散させればいいんだよね、気魄だよね。
エーゲリーエ姉に聞いた物語の中からそれらしき場面を引っ張りだす。
火打石を打ち鳴らして注意を惹く。真っ暗なだけに鮮やかな火花が散って狼たちがこちらを向く。
うわっ爛々と光った目が思ったよりたくさん。もう後戻りできない。
すぅっと息を吸ってため込んでから、お腹に力を入れて吐き出すように狼たちに警告する。
<<分別の無い愚かな狼め!それはお前たちの餌食にして良い物ではない!疾く去ね!!>>
果実を叩き落す為に持っていた木の棒を収穫用の籠から引き抜きビシッと突き付ける。
決まった・・・、決まったよ、エーゲリーエ姉!
練習した通り最高の演技だと思うよ、褒めて!
今なら木の棒の先から火の玉打ち出せそう。
馬鹿な事を考えている間に、狼達は怯えたようにざっと一斉に逃げ出した。
わぉ、効果あったよ、五の姉様有難う、ほんとだったよ。疑って御免なさい。
狼達の気配が無くなったのを確認して、ふぅと力を抜くと、手に持っていた棒がぱちぱちと燃え始めていた。
あれ、引き抜いた時に火打石か何かと擦れたのかな?
ちょうどいいので、火種用に持ち歩いていた獣の毛や枯れ木で大きな焚火を作る事にした。
女の子のほうは少し噛まれたくらいで無事だ、なんだか物凄く怯えているので落ち着くのを待って枯れ木を探すことにした。
どうにか朝までは手近な枯れ木で持ちそうだ。
わたしが腰を下ろして焚火に当たり、今日取ってきた果物を黙々と食べ始めると、女の子がこちらに寄って来た。
「あ、あの助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
言葉が続かない。。。
どうしよう何しゃべったらいいの?これ凄くシュールな状況じゃない?
あちらも困ったようにしてるけど、おずおずと話しかけてきてくれる。
「わたしフィオ、あなたは?」
「わたしはノ・・・ノラ」
危ない危ない、名前名乗ったら巫女長に怒られるよね。
巫女様達にも迷惑かかるもの。
「あの、ノラちゃんはどうしてこんな時間にこんな所に?」
次々話しかけてくれる、いい子だ。お友達になりたい!
助けに来たわたしがいろいろ聞くべきかもしれないけど、本来私、他の人間と関わりもったらいけないみたいだしね。仕方ないよね。
「果物採ってたの」
「この山のもの勝手に取ったらいけないんだよ?」
この山で一番偉い巫女長が勝手に取って食べていいって前にいってたもん。
わたし悪くない。いけない子じゃない。
ムっとしながら返答する。
「わたしはいいの、フィオこそどうしてこんな所に?」
わたしの不機嫌さを感じ取ったのかフィオがびくびくと怯えてしまった。
あっ、しまった、人生初のお友達候補が!
「ごっごめんなさい、お父さんと来てはぐれちゃったの」
そうなんだ、心細かったろうね。怯えてるけど泣きださないなんて偉い!
そういえば怪我してたんだっけ、水筒の水で傷口洗ってやり、切り傷に効くお薬を作って持ち歩いてたから塗り込んであげよう。
「こんなものかな、じゃあ朝まで寝てから下山しようか」
フィオはわたしに改めてお礼いったあとすやすや寝てしまった。
結構度胸あるよね。
わたしは出来る限り起きていようとしたけど、眠気には勝てそうもなかった。
凄く疲れた。体が熱い。
大きな木を背にして首筋庇ってれば、熊に不意打ちで一撃叩きこまれない限りなんとかなるよね・・・。
何か忘れているような気がしたけれど、希望的観測で意識を投げだした。
フィオちゃん視点ではわけがわからないですねえ