1-39 ある魔術師の迷い
どうにもこうにも不思議な子じゃな。
世界中を旅した儂に故郷を知っているかと問うので軽い気持ちで答えたら成り行きで面倒な事になったのう。
大つばの帽子で隠しておるが、古傷の後遺症で顔の左側が時々ひきつるようじゃ。ゆったりとした服に隠れておるが、枯れ木のように細く頼りない体つきをしておる。そんな容姿に似合わず激情的で今にも身を焼き焦がしそうな危険さがある。
その感情的な性格に似合わずやたらとよく神に祈り、週に一度の神殿参り以外にも毎朝長時間神に祈る敬虔さもある。
魔力は少ないが操るのには長けており、いろいろな才能があるようじゃ。
流行り病に効果的な対処を自力で見つけ出した。
儂の知っておる範囲においても医学知識は何度も誤って民間に流布しかつての医聖の業績は台無しになってしもうた。医療ギルドでさえ何が正しいのか、もはやわかっておらん。医学の探求より身内で足の引っ張り合いに忙しい。
あの娘は物知りなようでいて帝国については何も知らなかった、帝国が有史以来ずっと存続している人類社会の守り手なのじゃと説明してやると吃驚していた。
あの娘は自分が住んでいる国の名前も知らんし、自分の住んでいる国が大陸の何処にあるのかすら知らん。まあ年相応ではあるのかもしれんが、一部の知識が突出しておるので違和感が激しい。
ひとまず彼女の保護者の望み通り、火属性の魔術の制御方法、遠見の魔術、魔術を行使している事を悟られない為の偽装魔術などを教えてやった。
保有魔力量が少ない割に世に満ちるマナの扱い方が巧みなので意外と習熟が早い。
エドヴァルドの奴が珍しく連絡を取ってきたのもわかる。
が、追及する前に大失態をしてもうた。まさかあの子が代官の娘さんじゃったとはの。
やりづらいことになってしもうたのう。
今更根掘り葉掘り素性を追及するのは保護者や周囲の人間の注目を浴び過ぎてしまった。
エドヴァルドの奴はとりあえずいったん魔獣退治に追い払い、ついでに近隣領地の分も狩ってこいと申し付けたが、もう退治したと使い魔から連絡が入ってしもうた。
エドヴァルドの奴は街道巡回の旅の途中で南方で今まで誰にも倒せなかった火山に住む鼠の魔獣を退治したという噂じゃったが、それも本当なんじゃろうな。
話を聞く限り、魔獣アープという巨猪の類じゃった。そこらの狩人程度では敵わんだろうな。素朴な農民からは森の小神ともいわれるくらい強力な獣で長年を生きて体内の魔力を自在に操れるようになった危険な奴じゃ。
若い頃から規格外だったが、一層腕を上げたようじゃ。
はぁ・・・、それにしても憂鬱じゃ。
あんなちっさい娘をからかって、その寿命を縮めてしまう事になるとはのう。
む、あれは村の神殿におった別嬪の女神官ではないか。
ヴェールで隠しているが金髪の美人であんなさびれた村で神官をやらせておくにはもったいない、良い女じゃ。
慌てた様子で駆け込んできたが、どうしたのかの。
ちょっと盗み聞きしてみるか。
風よ声を運べ、と念じて杖を振るう。
あの嬢ちゃんは儂の魔術の使い方を嫌がって。
はあ、ほんにやりづらいの。
女神官と代官の妻や補佐官達との話を聞くと、むう・・・、ここの領主である男爵が嬢ちゃんを連れ去った、とな。
週に一度の神殿参りを狙われたとなると計画的か。
横槍が入ったか?
それとも代官が慌ただしくしておった何事かと関係があるのか。
代官は自由都市連盟側の人間じゃから、契約に従っている限り領主には命令で強制はできん。嬢ちゃん本人が目的なら傷つけはしないだろうが、代官が目的だとあの娘はどうなるかわからん。問題は意図がどうあろうと嬢ちゃんの機嫌を損ねた場合、魔術を暴走させて勝手におっ死んでるかもしれんということじゃな。
侍女も一緒に連れ去ったようじゃから、一緒にいる限り巻き添えにするほど暴走することはなかろうが。レベッカは既に後を追ったようじゃ。
ひとまずエドヴァルドへの使い魔には最速で戻れ、と出しておくか。
手紙を書いて首輪につけた装飾を施された入れ物に入れ、魔力を注いで回復させて飛びだたせてやる。この使い魔の魔鳥は調教して家畜化し、ある程度の意思疎通が可能になっている。そして憶えこませた魔力の持ち主の元へ飛んでいく特性を持つ。
さて、まずは話を聞きにあちらへ降りてゆこう。
そんなに慌ててどうしたのか、と何も知らなかったように、彼らに尋ねた。
「イルンさんがここの領主に連れ去られた為、わたくしは奥様や補佐官達に救出の依頼に来ました」
「ここは領主の土地で彼が法じゃろう。国王にさえ介入する事は出来ぬ」
素知らぬフリで一般論を諭す。
「いいえ、イルンさんは男爵領の民ではありません。彼女は領主の資産ではないのです。もし領主に正当性があるならば普通にこの館の主に戻り何事か要求があるのなら代官様に要求するべきです。それが出来ないのは後ろ暗いことがあるのでしょう」
「なるほど、だがどうやって追跡するのじゃ。馬に乗れるのか?目的は?どこへ向かった?」
女神官は、質問に対して苦々しい表情を浮かべて返答した。
「馬には乗れませんので馬車を出して頂きたく参りました。目的地はわかりません。目的など知りません、わたくしも近所の子供から話を聞いて駆け付けただけなのです。馬車や馬に乗った一団が町で強引に連れ去った、と」
本当かの?前々から何か隠しているような言葉の濁し方を続けておるようじゃが。
「魔術師様、もう結構です。急いで追いかけましょう。馬車なら街道を北か南へ向かった筈です」
代官の妻が話はもうたくさんだ、と打ち切って玄関へ向かうが衛士たちが槍を構えて塞ぐ。
「貴方たちどういうつもりですか!?」
「申し訳ありません。奥様。男爵の命令なのです、皆さまを拘束せよ、と。悪いようには致しません、次の命令があるまで屋敷から出ないでください」
むう、代官の妻たちが顔色を失っておるな。
長年仕えてきた部下でもやはり借り物、領主本人から命令が出ているのでは彼らも従わざるをえまい。
新しくやって来た衛士が既に代官を逮捕している事を伝え、くれぐれも馬鹿な真似をしないよう釘を指す。
それにしても嬢ちゃんは強引に救出しようとして面倒を起こすより、後で穏便に男爵から奪い取ってしまおうかと思ったが、自由都市連盟まで敵に回しかねん手段を取るとは信じられん。
これは下手をするとしらを切って二度と世に出さずに幽閉されてしまうかもしれんな。
「ヨハンナ殿、アンナマリー、良ければ儂が男爵と話して助け出してもよいが、いったい何故こんな事態になったのか少しは何か思い当たることはないのか。助けに行っても向こうに正当性があったのでは儂も困る」
それを聞いて儂を無視していた衛士たちがこちらにも槍を向けてくる。
「よせ、儂は引退しているとはいえ元々は帝都の宮廷魔術師。其の方らでは相手にならぬし、家族にも累が及ぶぞ」
儂の警告に衛士たちは顔を見合わせて、代官の家族らの拘束の邪魔をしないなら、と槍を下げる。
儂の疑問に代官の妻が代表して答えた。
「魔術師様、私達が知っている事などそうはないのです。あの娘は知っての通り物心のつく前に船から落ちて漂着し、私達の養女にしたこと。せっかく魔術師様に教えて頂いているのにそれほど才能は無かったこと。それだけです、お願いですから早く助けに行っていただけませんか、お礼は後で夫が財産からいくらでもお支払いするでしょう」
ふむ、やはりどうしても教えてはくれんか。しかし借りもあるし、時間を失うと本当に不味いかもしれん。まずは捕まえて話を聞くか。
すぐに追おうとしたが、馬は貸せません、と断られてしもうた。
そりゃそうじゃな、しかし町で馬を借りてもよいが向こうが馬車ではなく馬に乗せていて全速だった場合追いつけん。
魔術で飛んでいくしかないか、飛行用の魔術装具がなければ長時間は無理なんじゃがな。




