1-30 来訪者②
「来ちゃいました」
アンナマリーさんの所から帰ってきたわたしに私邸で「お久しぶり、イルン」と声をかけてきたのはナジェスタ。
わたしよりひとつ上の遊牧民の族長さんの娘。ほんわかして可愛いお嬢さんだ。
え、なんでここにいるの?
「ふふ、旦那様と市長さんと族長さんで話して今年はうちで預かる事にしたのよ」
母さんが悪戯っぽい笑みを浮かべていう。
嬉しいけど、心臓に悪いよ、もう。
「ナジェスタ!」
手を広げてわたし待っているナジェスタの胸に飛び込んだ。
そんなわけでナジェスタと他の娘さんだけ私邸にお泊りして、冬の間は男性のお付きの人やうちの父さんと兄さんは本館で泊まることになった。
またか、と兄さんがぼやいている。
族長さんや本隊はギィエッヒンゲンの辺りにいるので、こちらに来ているのは数人だけだ。
「そうだ、ナジェスタに贈り物があるの。わたしが縫ったものであんまり出来はよくないのだけど、受け取ってくれる?」
夏からずっと頑張ってちまちま編んでいたハンカチを渡す。
お姉様に習ったように一刺し一刺しちょっとご加護も祈りながら編んでいたものだ。
「もちろん!私からもこれをどうぞ」
とお付きの人に持ってこさせたのは彼女が来ているような民族衣装の上着。
刺繍がたくさんついてる立派なやつだ。どことなく故郷の巫女様達の衣装に近くて袖口が広い、こんなに飾り気はないけど。
「わ、いいの?わたしのハンカチと違って凄く手が込んでいて申し訳ないのだけど」
・・・うむむ、刺繍が苦手なわたしのと違って何十倍も手が込んでる。すごい。
「もちろんです。私の贈ったものはお付きの人たちが手伝ってくれたので実は私が担当
した部分は少ないんですけど」
ちょっと恥ずかしそうに告白してくれた。
あ、そうなんだ。ちょっと親近感。
せっかくだから頂いたものを着て何か奉納しよう。あ、でも奉納対象の神様知らないや。
巫女様達が祈り、舞う姿を美しく思って真似してただけで、故郷の神様のこと何も知らなかった。住んでる所違うしここでは風神様でいいか、祝福もらったし、土地神様みたいなものだろう。
お付きの人たちにもお礼をいっておこう。
お付きの人たちは、北の厳しい自然環境で揉まれているので凛とした顔つきの人たちが多い。ナジェスタはお姫さまらしく大事に育てられてちょっとほんわかしている。
春になって暖かくなると北方の高原地帯に戻って牧畜生活を再開するのだ。
春になると帰っちゃうのかあ、一緒に花冠作る暇はないよね・・・・・・。
春に会えなくなったフィオ達の事を思い出す。
突然涙を流し始めたわたしを前におろおろしてしまうナジェスタ達にいつものことなのでお気になさらないでください、と断ってハンネが涙を拭ってくれる。うう、ごめんよ。
その日はもう会話にならなかったので、ハンネに添い寝してもらって早めに就寝となった。
ナジェスタはあれでもう乗馬も出来るし狩りにも参加する強い子で守ってくれる戦士たちもついている。なんとなく思い出してしまったけれどフィオ達とは違うのだ。
翌日、ナジェスタ達にちょっと情緒不安定なだけだから、と無作法をお詫びして冬の間はアンナマリーさんのところへ行くのを止めて北方の言葉や神話、地理、風習を教えて貰った。
北方はとても広大でナジェスタ達の民族以外にも定住民族やそのはるか北には帝国の支配を退けた蛮族も住んでいるんだって。帝国も攻めても逃げて奥地に引っ込んでしまう蛮族にいつまでも構っておられず、国境線にして守りやすい大河までの地域だけを屈服させて後は放置しているそうな。
そこらへんの細かい説明は本館に滞在中のお爺さん達があとで説明してくれた。
お爺さんの説明を聞くとうちらへんからは北国の人だけどナジェスタ達も帝国政府の行政区分ではいちおう東方圏の民族とされているそうな。
わたしにはちんぷんかんぷんです。
教えてくれたままの話ではナジェスタ達は帝国の支配を受け入れた遊牧民族のひとつでラマ氏族といい、大した人数はいないので定住を強制されることもなく北の高原地帯の外れで昔ながらの生活を続けている。
意外と寛容な帝国である。まあ脅威にもならないし、土地を提供しているのは東方の国々だし帝国本土には無関係だからだろうとなんとか。
ギィエッヒンゲンのような自由都市との利害関係を調整しているのは東方行政区の長官で皇室の直轄領やら駐屯軍の司令官やらもいて利害調整は大変らしいけど、わたしには関係ないからどうでもいいや、ヨハン兄さんは将来頑張ってください。
本館では獣害に困っている事が話題になっていたので、ラマ氏族の男たちが協力を申し入れて許可されると喜び勇んで飛び出していった。
他人の領域を荒らすことになるので、基本的に遊牧民の彼らはこちらの地方では狩りをしない。冬とはいえこの辺りは滅多に雪も降らないので、彼らにとっては冬とは思えないらしいけど。
ナジェスタを連れてきたグスタフお爺さんも一緒に行ってしまっていた。
息子に族長の座を譲って悠々自適らしい。
ところで、ラマ氏族の男が誰ひとり残ってないけど、お姫様置いてっていいのか・・・。
今日はナジェスタが涙目じゃん・・・。
たくさんの獲物を持って帰って来て自慢げだったが、女性陣が文句をいうともっともらしいこと弁解してた。でもイャッハーとか叫んで馬に乗って飛び出していったよね。
あれ、絶対忘れてたよね。見てたもん。私邸まで聞こえてきたもん。
翌日はナジェスタも馬に乗って飛び出していった。
わたしも行きたいと駄々を捏ねたけど、誰も許してくれなかった。
レベッカ先生も乗馬はできないのだ。
馬車では狩りについていけない。
ナジェスタもほくほく顔で帰ってきて戦果を報告してきた。得意げだ。
たっぷり褒めて持ち上げてから、わたしも連れてって欲しいので乗馬を教えてとおねだりした。気を良くしたナジェスタは熱心に教えてくれようとしたけど、馬の高さに目を回してしまって自力では乗っていられなかった。
背の高いお姉さんに抱いてもらって乗って少し走ったけど、わたしの体はゆっくり歩いていても結構辛く、少し速度を上げただけで耐えられなかった。振動が頭痛を悪化させてしまう。
レベッカ先生に止められて馬術も禁止になってしまった。
なりは小さくとも山育ちで昔は体の頑丈さには自信があったのに。
まあラマ氏族の娘さんならこれくらい当たり前ってだけでハンネもレベッカ先生も乗馬は出来ないというから別にわたしが駄目な子ってわけじゃない。
ラマ氏族の面々もある程度満足したらしく、冬の間毎日狩りにいくことはなかった。
高原地帯に生活基盤がある彼らは森での狩りはしないらしいし、館から行ける範囲じゃ限りがあるもんね。
せっかく他の地域ひとが来たのでハンネにアンナマリーさんも呼んでもらって兼ねてからの疑問を訪ねてみた。グスタフ爺さんも一緒である。
「そうじゃな、儂らも帝国と同じ暦を使っているので差はないが、他の氏族やナルガ河の北の蛮族共は違う暦を使っているな」
「ナルガ河の北方民族はともかく、他の氏族もですか?」
アンナマリーさんが問い返す。
「蛮族共の場合はまったく別の概念のものを使っているので別口だが、他の氏族は帝国の命令に従わなかったものもいるからのう。主にこちらの東方の奥地に居住地がある連中だな、儂らともあまり交流はない。それと大神の定義だが連中は今も樹木の神を大神として扱っている。だが風の神も同様に信仰しておるし、別にどうでもよかろう」
へー。
別の神様を信仰したんならともかく、別にそういうわけでもないので今も同胞扱いしているけど、帝国からは迫害されたので彼らはあちこちに分散してしまったという。
「ラマ氏族には帝国からどういう指示があったんですか?」
「五大神のひとつを樹木の神から風神へ変えろというのがあったくらいと聞いているが遥か昔の話が口伝として残っているだけで信憑性は無い」
じゃあやっぱり7つの主要な神々が暦に割り振られたのかな?
「北方民族はナルガ河や大河が多いので水の大神と眷属神を持ち上げる伝承が多いし、こちらは草原の風の神や森の神々を称えるものが多い。帝国が大陸を統一するのに大陸中の神話を編纂しなおした際、お互い角が立たないものに調整しなおしたんじゃろう」
そんな感じでアンナマリーさんとわたしはラマ氏族のひとたちに取材して、得た知識を写本に加えた。ちょっと、もう写本じゃなくなってきたけど。
冬の間中はナジェスタとめいっぱい遊び、一緒にお風呂に入ったり、夜更かしして話し込んでそのまま眠ってしまったり、生活を共にした。ヨハン兄さんも望遠鏡を貸してくれて、ラマ氏族の面々を楽しませることができた。彼らは目の良さが自慢だったらしいけど、さすがに望遠鏡の拡大率には勝てなかったね。
他にも北方民族の踊りや伝承を沢山習った。
北方では冬の期間が長いので、春になっても少しだけナジェスタはこちらに残り、一緒に春の花で花冠を作り贈り合う余裕があった。北の高原に帰ったらあちらの種を送ってくれるって、ほんとにいい子だなあ。
来年も来るそうだからお返しにお守りとか小物類の制作を頑張ろう。
レベッカ先生はいつの間にか馬術を習って馬に乗れるようになっていた。
え、最近暇だったって?




