1-20 ある一家の長男
暑くなってきた頃、母さんがようやくうちを乗っ取っていた女の子を紹介してくれた。
さすがにいつまでもこの状態を続けられないから徐々に慣らしていきたいらしい。
彼女のお許しが出たら家に帰って寝泊まりしてもいいそうだ。昼間は一緒に元の家で食事をするだけ。何それ。
不満に思ったが、冷たい眼差しで見下ろすアンナマリーさんとぶっとい脚にひしっとつかまる女の子を庇うように腕を組んで立っているレベッカ先生のふたりに、意地悪したら容赦しないと宣言されては受けいれるしかない。
・・・・・・なんか大事な所がヒュンとするんだよ。
最初にあの子を見つけたエルマーから聞いて酷い怪我をして傷ついていたのは知ってるし、本館の部屋の方が豪華だし寝るのはこっちでもいい。
・・・レベッカ先生は代官の長男のオレにもほんとに容赦ないし。
望遠鏡に興味津々らしいとレベッカ先生が教えてくれたので、貸してあげるとオレとも多少話してくれるようになった。
レインヴァールを初めて見つけその巨体が勢いよく海面を飛び出した時は、漁船と大きさを何度も見比べていったり来たりさせていたのが面白い。
ここは町を見下ろす高台にあるので、望遠鏡を貸してやるならちょうどいいからイルンに周辺の地理を教えてやれ、とレベッカ先生にいわれている。
「海岸より少し高い所にあってずっと続く長く、石畳で出来た白い街道があるだろ?所々脇に柱が立っている奴だ」
「う、うん」
素直に街道を望遠鏡で追っかけている。
「あそこには子供は絶対に近づいちゃいけない。何かしちゃったら、代官である父さんでもどうしようもできない」
ちょっと脅かすようにいう。
当分あそこまでは降りないから今はこれでいいだろう。
「それから時々聞こえる町の神殿の鐘が聞こえるだろ?あの音が聞こえる範囲外には行かないよう注意しろよ」
「・・・・・・行かないけれど、なんで?」
「アンナマリーさんは神殿の鐘は邪気を祓う効果があるので、悪い物が近づかないと説教してたから」
いった本人があんまり信じてなさそうだったけどね。そんな効果があるなら犯罪なんか起こらないだろう。そうレベッカ先生に言ってみたら面目を失った神殿の権威付けさ、といつもの皮肉気な回答が返ってきた。
「そうなんだ、すごいね!」
イルンは顔を輝かせて、あっさり信じ込んてしまった。
アンナマリーさんの説教を嫌がらずに唯一最後まで聞くだけあって、随分信仰心が篤くなっている。今も跪いて神に感謝を始めてしまった・・・・・・洗脳し過ぎだよ・・・アンナマリーさん。
皿洗い女中の小さい子にも笑われているし。
イルンときたら外に出て帰ってくると必ず玄関でもお祈りしている。
なんか不浄だとか汚れを払い給えとか、よっぽど自分の事を汚い子供だと思っているらしく神様に清めのお祈りを始めるのだ。
あんまり長時間玄関で止まっていられると正直邪魔なんだけど。
いちおう時間を知らせる鐘で、日の出から日暮れまで7回鳴って正午が一番うるさくたくさん鳴ることを教えておいたが、むむむ、生活に貢献しているなんて尚素晴らしい、と余計神への感謝が深くなってしまった。もう手が付けられないよ。
午前中はオレも家庭教師に基礎教育を習っているので、私邸の庭で一人で遊んでいる。
木の棒で地面に何やら落書きして過ごしているようだ。
母さんが今年は全然雨が降らなくて困るわねえ、と菜園に水を撒いているとアイツはそれを聞いて井戸から自分で水を汲もうとしてみんなに止められてしょげていた。
どうしてもお手伝いがしたかったらしく、雨よ降れー、降れー、と棒きれを振り回してくるくる回っていたら目を回してばたり、と倒れてしまい結局レベッカ先生に抱かれて自室に連行された。
お祈りが通じたのか、夜には雨が降り出したので母さんも近隣の農園も助かったんじゃないかな。物心ついたばかりの幼児らしく微笑ましいと侍女達からもアイツは評判がよく可愛がられている。あいついつも眉間に皺寄せて目つきも怖いんだけど、一部からは評判がいい。
ところで、最近オレの扱いがぞんざいな気がするんだよね。気のせいかな。
皿洗いや掃除の奉公に来ている小さい子達も昼過ぎの二つ目の鐘が鳴るころは鐘一つ分は暇になるので、イルンも一緒に遊ぶようになった。
オレ以外の男はまだ小さくても避けているが、同年代の小さい女の子なら普通に話せるようになると、今度は父さんも交えて食卓を囲むようになり、私邸に帰っても良いとお許しが出た、長かった・・・・・・。
そんなに心配しなくてもイルンは大丈夫だったと思うんだけどな。
話していると、時々生来と思われる気の強さを感じるときがあるし。
なんだかんだいって望遠鏡を借りて行ってしょっちゅう小高い所から遠くの船を眺めている。
館の奉公人の男の子を避けていたイルンも秋には一緒に遊ぶようになり、そして事件は起きた。




