1-17 ある町の医者
「レベッカ先生、手をお貸しいただきたいのですが、今日は空いてますでしょうか?」
アンナマリーが、直接この領主の館へやってくるなんて珍しい。
この近隣じゃあ、医療の心得があるのはわたしとアンナマリーだけ。
治療が必要な子供がいるので海岸の村まで来て欲しい、という。
「出張手当は弾んでもらうよ?」
「村の子供達にエルムットの葉を籠いっぱいに摘んでおいてもらいましょう」
アンナマリーがいないとあたしの仕事も増えて困った事になる。
仕方ないね。
アンナマリーは徒歩で来たようだが、今から村までいくと日が暮れる。
この館の主人に馬車を貸してもらうとしよう。
オイゲンはここの主だが、行政区が派遣してきた平民の代官なのでそれほど気難しくもない、許可は貰えるだろう。
「そうか、先日村長から話があった漂流者かな。まだ生きているなら助けてやるといい」
「では、診療費はお代官様持ちでよろしく」
苦い顔をしていたが、反対はしなかった。
まーほんと、お人好しだこと。
村について村長の家に馬車を預け、薬箱だけ持って漂流者を発見した鍛冶屋の家に行った。
さっそく診断してみたところ、何か所か骨折しており衰弱は激しく左目の状態がかなり悪い。生きてるのが不思議なくらいだが、今まで生きていたならなんとか命は助かるだろう。
アンナマリーが骨を固定し傷口を洗浄して、解熱剤や消炎剤を投与していなければわたしが来る前に死んでいただろうけどね。
「大丈夫、あたしを呼ぶまでも無かったよ。この子は持ち直すだろう。あんたはよくやったよ、たいしたもんだ」
「先生の教えの賜物です。しかしここの環境で大丈夫でしょうか」
確かに、汚い子供が出入りするし、別の病気にかかる可能性はあるね。若いのによく気の付く娘だ。田舎の村は衛生観念が薄いってのに。寂れた村の神殿に置いておくのは惜しい。
「とりあえず村長の家に清潔な部屋を用意させて、腫れが引いて容体がもう少し安定したら領主の館に預かってもらえないか聞いてみよう」
「この子を領主の元まで連れて行くのは危険ではありませんか」
「ああ、わかってる。だがオイゲンなら悪いようにはしないだろうさ」
アンナマリーがどうにかして外させたようだが、首や手の痕から奴隷なのは察しがついていた。奴隷船から逃げ出したのなら、見つかれば荷主の元へ返される。見つからなければ領主の奴隷となる。どちらにしてもこの子の将来は奴隷しかない。
アンナマリーは私がこの娘が奴隷であることに気づくのを承知で相談してきたのだ。
そして私が奴隷としてこの子を扱わない事を期待している。
「オイゲンに頼めば、オルニッヒの蜜も分けて貰えるだろう。この子が助かる可能性も上がる。どうせ村長から連絡は行っているのだし」
優れた栄養剤となるオルニッヒの蜜は庶民の月収ひと月分はゆうにするが、元商人で今は代官の彼なら入手は容易だろう。
アンナマリーはそこまでして頂けるのでしょうか、と疑っているが助けてやれといったのは彼だ。
村長の家でしばらく預かってもらい、まぶたがぴくぴくして目覚める気配が出てきたのを見計らい、ヨハンナの侍女達に手伝ってもらって領主の館の一角にあるオイゲンの私邸へ移動させた。
村長には礼といちおうの口止めをしておいた。
彼女は目が覚めるようになると、面会に来たオイゲンにもしばらく怯えていたが、彼の妻ヨハンナやアンナマリーにはだんだんと懐くようになった。
オイゲンと代官一家の唯一の子ヨハンにはまだ怯えている、奴隷の頃、余程男に酷い目に遭わされたんだろうなあ・・・・・・傷を見てわかっていたことだが。
はっきり聞けないのは、この子には言葉が通じないのだ。
この東方共通語も中央の共通語もまったく通じていない。まったく別の地方から来たのか、まるで教育を受けていないのか。
骨折を治療した時に触診した肉付きや骨の形から推定して5~7歳以上ではあるようだが、かなり栄養状態が悪かったのだろう、年齢ほど身体は成長していないと思われる。
しかし、よく生きてたな。これ。
アンナマリーの処置が良かったとはいえ、何故死ななかったのか、死ねなかったのか、よくわからないくらいの深手だった筈だ。
砕けた顔面を見ても子供がこんな怪我をして意識を保てたとは思えないが、実に不思議だ。
体が癒えるにつれ、気力も回復したのか殺気立ってきてしまい、懐いてきていたアンナマリーが相手でも暴れる事があった。
後で状況を聞くと、体を起こさせた際に鏡を見て取り乱してしまったようだ。
頭に至るまで全身包帯だらけで顔の腫れも引いておらず、顔半分は包帯で覆われ、残り半分も全身も痣だらけの状態をアンナマリー越しに後ろの鏡を見て気づいたのだろう。
せっかく直ってきた腕もまた折れて悪化してしまい、高熱を出して皆焦ってしまった。
彼女が何度か上げた叫び声も我々に意味がわかる言葉はなかった。
どんなに暴れてもヨハンナは辛抱強く接し、虐待の痕を見る度に酷く泣いていた。
私達は代官の私邸から鏡を外して回った。わずかにヨハンナの手鏡を残すのみだ。
彼女が再び落ち着いて来たのは、夏も過ぎ、秋まで過ぎて、冬になろうかとという時期だった。
この頃になってようやく目立った傷が癒えてきて、自分の傷を見て取り乱す事も無くなった。赤黒く変色して腫れていた肌も大分綺麗になってきた、顔立ちはあの暗い顔つきがなんとかなれば将来はマシな顔になるだろう。左目は幸い失明せずに済んだが、その周辺が少しひきつったようになっているのが残念だ。
奴隷船の噂も聞こえてこない、どうやら誰も捜してはいないようだ。
相変わらずオイゲンやヨハンには懐いていない。
そして私にも懐いていない。
「おい、お前どういうことだ。誰が治療してやったと思ってるんだ。ん?全身の骨を綺麗に整えなおしてやらなきゃ、お前の体は元に戻らなかったんだぞ」
腕の骨折だけではなく、あちこちひん曲がっていた。
幼いだけに骨も柔らかく頭蓋骨にもひどい歪みがあった。私の初期の見立てより酷い傷だった。彼女からは死にゆくものから感じられる特有の気配がしなかったのだが。
全身の骨の歪みをそのままに大人になった時、そうとう苦労したことだろう。
それを直してやったというのに。
この可愛くない子供はフン、とそっぽを向いている。
「お前が身動きできない間、私たち3人はお前のババの処理までしてやってたんだぞ」
びくっと肩を震わせたが、相変わらずそっぽを向いている。
「あーあ、昨日も体を拭いて、汚れたシーツを交換して、このあたしが手ずからお洗濯してやったというのに」
頬に赤みがさしている。
このガキ、やっぱり言葉を理解し始めている。
「先生がそうやっていつもからかうから、この子が懐かないんですよ」
この子の年齢だったらまだおねしょくらいしますよ、ねー?とヨハンナは微笑みかけた。
ふうむ、昨日読んでやった死霊の島の絵本が怖かったのかな?
今度は涙目になってきた、ぷぷっ、面白い。
「そういうが、そこまで幼くはないんじゃないか。おい、お前いまいくつだ?7,8,9?それとも10以上か?」
指を立てて、聞いてみる、意味は通じるだろうか。
<<?******>>
何か言葉を返したようだが、意味がわからない。なかなか高く、澄んだ綺麗な声をしている。ヨハンナは初めて言葉を返してくれた事に喜んで、もっとお話ししてみて、と声をかけている。
もともと熱心に世話していたが、体も癒えてきて、栄養状態もよくなって肌や黒い髪に艶が戻り、少し険も取れて幼いながらも整った可愛らしい顔立ちで、時折ためらいがちな微笑みが見える様になるとヨハンナはますます彼女に入れ込んだ。
「うーん、どうして売り飛ばされちまったんだろうな。間引くにしてもあんな扱いをする所にやるにはもったいないだろうに」
わたしがヨハンナを眺めつつ、ぽつりと疑問を呟いたところ、彼女ははっとした目でこちらを見て、少し間を置いてその目は憎々しげに変わり瞳は怒りで赤く灯っていた。
どこにそんな力があったのかと思うほど、彼女は大気をびりびりと震わせるほどの声で叫ぶ。
<<****!*******!!>>
激高して、彼女は意味の分からない言葉を叫び、わたしに掴みかかろうとしてきた。
ヨハンナが止めてくれなければ、彼女は飛び出そうとして寝台から落ちて怪我をしていただろう。
ぞくり、とした。
周囲の気温が一瞬で上がったかのような錯覚と背筋に氷を当てられたかのような感覚に悪寒が走った。
「すまん、悪かった。酷いことをいってしまった」
真摯に謝った。
決して私がこんなガキにびびったわけではない。
こんな子供を傷つけていいわけないのだ。
彼女は憤然とした面持ちでしばらく私を睨んでいたが、ヨハンナに宥められて段々落ち着いて来たようだ。
ヨハンナによしよし、と背中を撫でられて気が抜けたのか今度はしくしくと静かに泣き始めた。感情の起伏の激しい奴だ。
「な、なに!?今の声、何があったの?」
そこへ間が悪く近くで遊んでいた息子のヨハンが顔を覗かせた。
突然顔を出した男の子に彼女は吃驚して、続いて大声で泣き始めてしまった。
あたしは彼を連れて出ていくようにヨハンナに命令され大人しく従う事にした。
とりあえず一安心です




