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土下座その7

「うしゅしゅしゅ。ヨウヤク、エド、カラ、ハナレタ。うしゅしゅしゅしゅ。コレデ、クエルクエル」

 土蜘蛛様がすぐ後ろにいるのがわかる。身体はすでに、蜘蛛の糸に絡め取られて動かない。土下座スタイルのまま、羽化を待つサナギのように、もぞもぞすることしかできない。

 俺はもう、食われて死ぬしかない。

 くそ、なんて理不尽なんだ。こんなに土下座をしているのに、どうして許してくれないんだ。

 土蜘蛛様が大きな口を開けて、俺を飲み込もうとしているのが雰囲気でわかる。大きな口を開けたときのミギミギィという奇怪な音が聞こえる。大量のよだれがべちゃべちゃしたたり落ちる音も聞こえる。腐った卵のような異様なニオイが鼻腔を襲う。おそらく、土蜘蛛様の口臭だろう。森の草木が一瞬で枯れ果ててしまうような、破滅的な臭さだ。

 迫り来る死のニオイ――それが、俺の脳髄を刺激し、その刺激に驚いた走馬燈きおくのおうまさんが出走した。

 初めて母に土下座したあの日。

 テストの点数が悪くて土下座したあの日。

 友達から借りたCDを壊してしまったときに土下座したあの日。

 どうしても欲しかったフィギアを買ってもらうために二十四時間土下座をしたあの日。

 仲間のなかで一人だけ彼女がいないのが嫌で、俺でも付き合えそうなクラスで下から五番目にブサイクな女子に土下座して付き合ってもらったあの日。

 進級するための単位が足りなくて、大学の教授に一週間ストーカー土下座をしたあの日。

 初体験をするために、ラブホテルの前で泣きながら土下座をしたあの日。

 浮気したときに雪の上で土下座をしたあの日。

 百社以上入社試験で落とされて、自暴自棄になり、パンツ一丁で「合格と言ってくれるまで帰りません」と泣き喚いたあの日。

 営業の仕事のノルマを達成するために、怪しい水を土下座しながら売り歩いたあの日。

 仕事でミスをして、社長を怒らせたとき、社長のカツラを盗み取り、カツラを抱きしめながら土下座をしたあの日(あのときは、すぐに許してくれた。カツラを人質にとったも同然の土下座だったから、社長も許すしかなかったのだろう)。

 ――ああ、俺の人生、土下座しかしていない。

 後悔はなかった。俺の人生は土下座であり、土下座が俺の人生なのだ。このまま、土下座したまま死ねるのなら、土下座人としては最高の死に方じゃないか。

【ダメ! あきらめないで!】

 また、声がした。

 死の間際の幻聴だろうか? 耳を澄ませてみるが、声はもう聞こえない。

 その代わりに、何かの大群が近づいてきているような、森と肉体の摩擦音が聞こえてきた。この音はいったい?

「ひるむな! 進めぇ! 今こそ我々亜人の意地を見せる時だぁ!」

 感じる。この森との摩擦音を発しながら近づいてきている大群は、角ありの亜人共だ。見えないけど、える。

 角ありの亜人共は、今、土下座匍匐前進をしている。俺と同じように、土下座をしている。

 そう思うと、急に涙が溢れてきた。もう少し生きたいと思った。

 土下座共鳴とでも云うのだろうか? 見えなくてもハッキリわかるんだ。土下座をしてくれてさえいれば、俺は世界中のどこにいても、その人のことを感知できるようになったのだ。

 ――今、新たな土下座能力が開花した。

 『国境ボーダーなき土下座世界どげざワールド

 この能力を発動すると、土下座をしている人間がいる場所が、世界のどこにいてもわかるようになる。さらに、知り合いに限るが、土下座している人間が今どういう状況なのかということが離れていてもわかるようになる。

 ――俺たちは、たとえ離れても、土下座で繋がっている。 

「うしゅしゅしゅ? アジン、ドモ、ウラギッタ、ナ、ユルサナイ。ミナゴロシ。うしゅしゅしゅしゅ」

 土蜘蛛様が角ありの亜人共の方を振り返り、怒りの咆哮を放つ。

 土下座をしている角ありの亜人たちは、恐怖で身体を震わした。土下座をしている同志の感情が手に取るようにわかる。俺と角ありの亜人たちは今、土下座によって繋がっている。

 だからこそ、わかる。亜人たちは、恐怖に負けるほど弱くない――。

「ひ、ひるむな。大丈夫。あのお方のように、身をかがめて低くしていれば、蜘蛛族は何もできない。蜘蛛族は大地に嫌われている。この姿勢でいる限り、我々は大地に守られているんだ。さあ、角を出せ! 我々の自慢の、角を出せ!」

 角ありの亜人たちは今、勇気という武器を手に入れたのだ。それが、土下座というフォームを共有している今だからこそ、身にしみるようにわかる。

 二十人の角ありの亜人たちは、キレイな燕尾服を土で汚し、額や手のひらや膝を擦りむき出血しながらも、土下座のまま果敢に進む。黒いシルクハットを脱ぎ捨て、海獣のイッカクのような立派な角をむき出し、ゴキブリのようにカサカサ進む。

「うぎゃぎゃ!」

 亜人の角が蜘蛛のバケモノに刺さる。一匹、二匹と悲鳴を上げて蜘蛛のバケモノが倒れる。

 亜人のあの角はやはり、隠して一生を終えるにはもったいないシロモノだった。

 あの角は、自分の人生を切り開けるほどに、強く恐ろしい武器なのだ。使い方を間違えれば誰かを傷つけるかもしれないが、正しく使えば誰かを守れる、強い武器だ。

「うしゅしゅしゅしゅ。アジン、フゼイガ、オロカナ!」

 バケモノ蜘蛛の中でも特に大きい土蜘蛛様が怒りをあらわにしている。八本の足を大きく広げ、歌舞伎役者の大見得のように威嚇をしてくる。 

「突撃ぃい!」

 角ありの亜人の中のリーダーが声を上げる。角ありの亜人たちはさらに勢いを加速させて土蜘蛛様に立ち向かう。もう、彼らに恐怖などない。

 角ありの亜人たちは、大地から離れ、複雑に絡み合う木の根の上に昇った。

 それを待ってましたと言わんばかりに、土蜘蛛様は巨大な足を使って角ありの亜人をなぎ払う。何人かの亜人は吹き飛ばされ、そのまま木の幹に頭を打ち付けて気を失う。

 さらに土蜘蛛様は、蜘蛛の糸をガムを吐き捨てるようにぺっぺっと吐く。蜘蛛の糸の直撃を受けた角ありの亜人は動きを封じられ、その場にうずくまる。

 一人、また一人と攻撃を受けて戦闘不能にされる亜人たち。それでも、残った亜人たちは果敢に攻め込む。そしてついに、亜人の一人が土蜘蛛様の八本の足をかいくぐり、俺のところまでたどり着いた。

「今、助けます」

 そう言うと、角ありの亜人は自慢の角を使って、俺の身体に絡みついた蜘蛛の糸を引きちぎってくれた。

 これで身体が動く。ありがたい。

「森の出口はもうすぐです。走って逃げてください」

「ありがとう」

「いえ、感謝したいのは我々の方です。あなた様のおかげで、我々は自分の角に誇りを持てた。それに、地面を這いつくばって進めば、蜘蛛族に襲われずに森の中を移動できることを教えていただきました」

「そっか、良かった。それじゃ」

 俺は出口が近いと聞いて、すぐにでも駆け出したい気分だった。

「あ、最後に、御名前を教えていただけませんか」

「俺の名前は、土屋白秋つちやはくしゅう

「ハクシュウ様ですね……。では、もし”次”があれば、またお会いしましょう」

 俺は立ち上がり、駆けだした。

 土下座をやめた瞬間、もう、後ろの状況がわからなくなった。

 『国境ボーダーなき土下座世界どげざワールド』の能力が解除されたのだ。土下座をしていなければ、土下座をしている人たちの状況は読み取れない。

 だから俺は、逃げ出す俺の後ろでどんな悲惨なことが起きているか、想像すらできなかった――。

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