土下座その40
最初は、地震かと思った。
しかし、すぐに、違うと感じた。この揺れは、地震の揺れとは違う。普通の地震なら、横とか縦の一方向に揺れるはずだ。少なくとも、揺動の最中にあっても天と地の区別はつくだろう。
でも、この揺れは、なんというか、ありとあらゆる方向に揺れている。自分の頭が地面に向かっているのか、天に向かっているのか、それすらもわからない。
そう、これはまるで、巨人が巌を掴んで、前後上下左右に振っているみたいな、そんな揺れだ。
まだ善悪の分別もつかない子供が、虫の入った虫かごを振って、残酷に遊んでいる――そんなイメージが思い浮かぶ。
俺は虫かごの中の小さなウジ虫そのものだ。無抵抗に、ただ揺さぶられ、もてあそばれている。
あまりの揺れの激しさに、三半規管が早々にイカれた。気持ち悪くなって、我慢する余地もないほど流滑に吐いた。嗚咽が止まらなくて、涙や鼻水や涎や胃液といった汁という汁をまき散らした。さらには耳からも汁がでてきた。なんだこれは、耳汁か? そんな些末な疑問も、激しい揺れによってすぐに消し飛んだ。
死ぬと思った。いや、死んだと思った。もはや、死んでいると思った。
三途の川が見えた。橋の向こうにいる懸衣翁と奪衣婆の姿も見えた。この橋を渡って、あの鬼のような懸衣翁と奪衣婆に衣を剥がされ、衣領樹の枝にそれをかけられたら終わりだと思った――。
懸衣翁? 奪衣婆? なんだそれは? 俺はいったい、何を言っているのだ? そんな言葉、初めて聞いたぞ? なぜ、初めて聞く言葉を自分の口から聞いたんだ? 誰の記憶だ? 誰の知識だ? 俺は知らないぞ?
自分の知らないはずの知識や記憶さえも、脳が創り出してしまうほどに、俺の脳みそは今、激しくシェイクされているみたいだ。
脳が混線を繰り返す。
今ならば、生まれる前の記憶や未来の記憶でさえも、思い出せる気がした。
懸衣翁と奪衣婆がこっちへ来いと、まねいている。
俺は、このままでは本当に”戻れなくなってしまう”と思った。
だから、俺は許しを請うために、土下座をした。
懸衣翁と奪衣婆に向かって、ただひたすらに、土下座をした。
その土下座が通じたのか、急に揺れが止まった。俺は挟まっていた巌の隙間から放り出され、目映い黄金の上に背中から落ちた。
助かった。
俺は安堵した。ふと、右手を見ると、そこにはキンノコがしかと握られていた。あの激しい揺れの中、よくもまあ手放さずにいられたもんだと思い、感心した。
俺は立ち上がろうと思ったが、まだ、酔いが続いていた。目眩がして、平衡感覚が麻痺している。立ち上がるのは、無理だった。今もまだ、天井は激しく回転している。
とりあえず、顔にベターっとついた、ゲロや涙や涎のまざった汁を、拭こう。そう思い、左腕のスーツの生地を使って、顔を拭いた。
そのときだった。
急に、星が見えた。
星は激しく回転している。よくある天体写真のように、星の軌跡が線状に見える。
え? なぜ星が見えるのだ?
そう思った矢先――今度は巨大な天狗の顔が見えた。




