土下座その37
クルミさんは一心不乱にキンノコを追いかける。その走り方はターミネータを彷彿とさせる。クルミさんが巻き起こす風の濁流に巻き込まれるように、ホタルきのこの光る胞子がせわしなく浮沈している。
俺は必死になってクルミさんの後を追った。クルミさんの足はとても速くて、なかなか追いつけない。あんなに細い足で、なぜああも速く走れるのだろうか? ああ、息が苦しい。肺が痛い。運動不足だな。
俺は途中何度も躓きながら走った。どうにか、クルミさんを見失わずにいるが、キンノコの姿はもはや見えない。俺の目がとらえているのは、クルミさんの生白いふくらはぎの筋肉と、激しく揺れる青髪だけだった。
しかし、その二つのシンボルでさえも、徐々に遠くなり、徐々に小さくなり、徐々に闇に浸食されていく。
今はまだ繋がっている二人の距離が、少しずつ離れていく。このまま離れてしまえば、繋がっている二人の距離がちぎれ、境界ができてしまう。境界ができてしまえば、二人の道は違え、行き着く先は別のどこかになってしまうのだろう。
そんな畏怖が胸を襲った。
――そして、体力の限界が来た。
俺はその場に立ち止まり、膝に手をついて肩で息をした。俺が吐く荒い息が、ホタルきのこの光る粒子を巻き上げる。
息を整えてから、顔をあげると、そこにクルミさんの姿はなかった。もはや、二人の距離は違えてしまったのだろうか。俺は、クルミさんと同じ結末へとたどりつけないのだろうか。
俺が落胆しかけたそのとき、クルミさんの大声が聞こえた。
「ハクシュウさーん! キンノコを追い詰めました。こっちでーす」
違えたかと思えた二人の距離を、クルミさんの大声が繋いでくれた。俺は声のする方へと向かった。
急な坂を上った先に、クルミさんがいた。クルミさんは手を振って、こっちこっちと急いている。
「よかった。クルミさん、先に行っちゃうから、見失ったかと思いましたよ」
俺は歩いて来たのだが、心拍数が上がってしまい、少し苦しかった。
「ハクシュウさん、キンノコがこの洞穴の中に逃げていきました」
俺はクルミさんが指さす方を見た。そこには、巨大な巌があり、その巌には人ひとりが匍匐前進でギリギリ通れるか通れないかくらいの、小さい穴があった。
それは、”洞穴”と言うよりは、岩の”隙間”と言った方がしっくり来る――そんな印象だった。
「この洞穴は行き止まりになっていますから、逃げ場はありません。ですから、一人がこの洞穴の中に入って、キンノコを追い詰めましょう。そこで捕まえられればそれでいいですし、もし逃げられても、出口はこの穴しかありませんから、もう一人がここで待ち構えていれば、絶対に捕まえられるはずです」
俺は頷き、クルミさんの作戦に賛成した。
「じゃあ、俺がここで待っていますから、クルミさんがキンノコを捕まえてきてください」
洞穴は小さいので、男の俺よりも、体の小さい女性のほうが適任だろうと思った。けして、楽な方を選んだわけではない。これはあくまでも、私情を挟まない、客観的な判断だ――と俺は心の中で自分に言い聞かせた。
「え、でも……」
クルミさんは、なにやらご不満な様子で、言葉を濁した。
「嫌ですか?」
俺は訊ねた。
すると、クルミさんは頬を膨らませて、少し恥ずかしそうに、上目遣いで呟いた。
「その、パンツが、見えてしまいませんか?」
「あ」
予想していなかった返答に、俺は呆然としてしまった。俺はてっきり、服が汚れるのが嫌だからとか、狭いところが苦手だから、みたいな返答を予想していた。
まさか、クルミさんがパンティの可視不可視をそこまで気にしていたとは!
クルミさんはそんな些末なことなど気にしない、ある意味で豪傑な女性だと勝手に思い込んでいたが、それは幻想だった。
クルミさんもまた、恥じらいを知る、うら若き乙女だったのだ。
「配慮が足りず、申し訳ありませんでした」
俺はすぐに土下座して謝った。
「では、わたくし土屋白秋が、行かせてもらいます」
そして、俺はそのまま土下座匍匐前進で、薄暗い洞穴の中へと進んだ。




