土下座その23
「というわけで、今までの話はぜーんぶ前提のお話ね。で、こっからが本題」
村正教授は満足げな顔で、まだ話を続ける。もう夕日が浮かんでいる。
「結論から言うと、僕がやるべきことは、土蜘蛛の森を抜ける方法を考えるか、蜃の浮かぶ湖を渡る方法を考えることだ」
「僕が? ”僕ら”じゃなくて?」
「そうだよ。”君ら”にできることは何もない」
「土下座がある」
「いや、無意味だから。無意味なことは、むしろやらない方がいい」
村正教授はまるで虫けらでも見るような目で俺とカマキリじいさんを見てきた。
俺は少し、イラッとした。
「お前は土下座の力を知らないんだ。この無知め」
『無知』というワードが村正教授の怒りを刺激したらしく、村正教授は眉間にしわを寄せた。
「僕が無知だと言うのなら、土下座の力とやら、ご教授願おうかな」
村正教授は珍しく険のある声で挑発してきた。
いいだろう。受けて立つぜ。さっきまで散々しゃべりやがって。今度はこっちがしゃべる番だ!
「土下座にはなぁ、力があるんだよ」
「だからそれを説明してくれよ。どんな力なんだい」
うるせぇ。今は俺がしゃべる番だろうが。黙れクソ眼鏡。
「土下座をすることで、いろんなことを許してもらえるんだ」
「へー。でもそれは、土下座じゃなくてもいいんじゃない?」
「はぁ?」
「許してもらうことが目的なら、土下座よりももっといい方法がたくさんあるよね。何か失敗をしたのなら、失敗を取り戻してから謝罪した方が、許してもらえる可能性は高いんじゃない? 他にも、大金を渡すとか、なんなら相手の弱みを見つけて脅迫することで許してもらう方法もあるだろう。土下座が最適解ではないのなら、土下座である必要はないよね」
俺は村正教授の反論に早速狼狽してしまった。
くそ、ここは論点を変えよう。
「な、えー、えっと。そうだ! 土下座は人の命を救うことができるんだ。土下座によってどれだけの命が救われてきたことか。『命乞い』という言葉もあるだろう。案外、土下座することで命だけは許してもらえることがあるのさ。ま、世間知らずの教授にはわからないかなー。人情というものの奥深さが」
ふふふ。人の命を救える力。それが土下座の力なのだ。どうだ村正教授!
「ふむ。ちなみにそれは、どれくらいの確率なの?」
「へ? 確率?」
「そう、確率。たとえば殺されそうな人が百人いたとして、その百人が土下座をして、そのうちの何パーセントが生き延びて、何パーセントが土下座が効かずに死んだの?」
「そ、それは」
「百パーセントなわけないよね。せいぜい十パーセントがいいとこじゃない? それで果たして、土下座に力があると云えるのかな? それに、また土下座が最適解であるような言い方をしているけど、土下座以外にも生き延びる方法はいっぱいあるんじゃないのかな。土下座よりも高い確率で生き延びられる方法が他にもあるのなら、わざわざ土下座をする意味はないもんね。むしろ、土下座をすることで、身動きができなくなるし、視界も悪くなるわけだから、死ぬ確率があがるんじゃない? それと、命乞いをするのに必ずしも土下座は必要ないよね。男なら自らの肉体を用いた労働を対価に命乞いをする方が、女性なら自らの肉体を用いて相手の肉欲を満たすことを対価に命乞いする方が、土下座しながら命乞いするよりも助かる可能性が高いんじゃないかい? まあ、人はそれを『奴隷』と言うけどね。でも、バカみたいに土下座するよりは奴隷になった方が命だけは助かる可能性は高いと思うけど」
う、うるせぇ! 俺の番だっていってんだろう。俺よりもしゃべるんじゃねー!
「お、お前は知らないだろうが、土下座が歴史を動かしてきたんだ!」
こうなったら、土下座には歴史を動かす力がある! これで攻めるしかない――と息巻いている俺を見て、村正教授はハハッと鼻で笑った。
「き、記録として残っていないだけで、歴史の分岐点には必ず土下座がその力を発揮してきたんだ! どうだ!」
「その歴史というのはおとぎ話のことかい? 土下座で歴史が動く? ハハッ、そんなオモチロイ発想はなかったなぁ。僕は科学者なんでね、できればもうちょっと、根拠のある話をしてくると理解しやすくて助かるのだけど」
くそったれ。今は俺の番だって言ってんだろ! 俺よりも多くしゃべるな。このおしゃべりクソ野郎。
「と、とにかくだ。土下座には力があるんだぁ! 俺は土下座の力だけでここまで生きてきたんだ。土蜘蛛の森だって土下座の力で乗り越えてきたんだ」
「いま、なんて言った」
村正教授は急に真顔になり、詰め寄ってきた。怖い。
「いや、だから、土下座には力があるって……」
「土蜘蛛の森を越えてきた?」
「え、ああ、そうだよ」
「どうやって!」
「いや、だから、土下座の力だって」
「もっと詳しく教えろ。土下座の力じゃわからない」
「えっと……」
俺はこのあと、村正教授に質問攻めにあい、それに答え続け、必要な情報をすべて抜かれてしまった。
俺はカッパに尻子玉を抜かれた人間みたいに精気を奪われ、どっと疲れた。




